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北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

鉄道ブーム再来ですが 会津線:福島県

2009-06-25 14:49:39 | カメラと写真

 仕事場の壁は、季節に合わせて自撮の写真を飾っています。主に旅先での風景ですが、季節に適したものが種切れになることがあります。そんな時便利なのが季節感の少ない“モノクロ写真”です。いつの頃からか、コレクションの中で存在感を示しているのがこの蒸気機関車なのです。



 パネル張りになっていますが裏面に「会津線:桑原駅」昭和46年5月3日と記載してありました。ご丁寧に(1972)とありますが、1971の間違いなのでは・・・?というのも、会津線には乗車した記憶がないので、この写真パネルはお客さんが飾ってくれと寄贈してくれたかもしれないのですが、記憶がとぎれています。失念してしまうとは、頂いた方に失礼なのですが・・・。現在会津線はJRから分離され会津鉄道となり(1987年:昭和62年)、近年施設された野岩鉄道と接続、東武鉄道を経て東京浅草へ直行出来ます。地名としての桑原は存在していますが、同時期「桑原」駅は「芦ノ牧温泉南」駅に改称されています。

 鉄道旅行は好きだったのですが、子供が3人になってからは、移動の手段としては車の方が利便性が良く、何より家族旅行で大量の荷物を持って乗り継ぎの多い鉄道では、行動が限られてしまいます。家族を置いての旅行は所属している団体の文字通りの団体旅行が殆どですから、新幹線や飛行機での目的地への移動後は観光バスが主体となり、鉄道そのものを楽しむことは殆どありません。現在ではたまの鉄道利用は、遠距離への新幹線での移動手段に過ぎなくなっています。

 鉄道を対象にしたグラフ週刊誌の発行を新聞広告で知り、久しぶりに鉄道旅行が懐かしくなり書店で購入しました。ところが「鉄道のグラフ週刊誌」と店員さんに言って出して貰ったのが集英社刊「鉄道絶景の旅」でした。帰って袋から取り出し気が付きましたが、目的の朝日新聞社刊「歴史でめぐる鉄道全路線」はまだ発売されておらず、それでも発売日を待ちかねて購入しました。

 

 予定外ではありましたが、2種類の週刊誌、それぞれ趣も違いますしそれはそれで興味が湧きました。両誌とも創刊号には付録が付いていて、ブログで苦労していた説明文の参考書に最適な文献でした。集英社刊は「鉄道線路図昭和35年3月10日現在」なる旅客事務用の復刻版、朝日刊は「全駅名一覧付きJR鉄道路線地図(東日本編)」なる現在のJR線の路線図(3セク、私鉄も路線は記載されていて)両者によって現在過去の記憶を辿るのに最適な参考書となります。

 



 ただし、西日本編路線図は2号の付録となり、30日の発売日に買わなければなりません。以後毎週発行される続刊は、内容を確かめてから抜粋で購入することにしました。


雨音だけで人がいません 続・永保寺:岐阜県多治見市

2009-05-25 13:44:32 | カメラと写真

 5月6日、早朝とは言えないが午前8時を僅かに廻った時刻、そして雨、訪れる人は我が夫婦以外見あたらなかった。この地が有名観光地かどうかは判断出来ないが、美濃焼、織部につられてやってくるお茶人以外には、観光の対象として魅力ある土地とは思えない。それともkoba3が知らないだけで高名な観光地に仲間入りしているかもしれないが・・・。

 それでも“深山幽谷”の雰囲気の“極楽浄土の庭”人っ子一人いない雰囲気で味わえたのはこの上ない幸いであった。雨もかなり降っていて、思うように写真も撮れなかった。それでも魅力ある被写体にかなりの画像が手元にある。紀行のブログの都合上、解説的な画像を優先させる習慣が出来つつあり、写真としての面白さを見失いそうになってしまう。残った写真、解説無しで掲載するのもおもしろいと思い、選んでみた。

 雨に煙る浄土庭園、俯瞰の図。



 岩山に散在する石仏。



 臥竜池に隣接する小さな池と塀。



 大小の池の間の苔庭。



 この画像から地名や建造物を特定することは出来ないし、説明を加えても現場を彷彿させることは出来ないであろう。ただ、強い印象付けは出来るかもしれない。解説的写真を主とするか、印象を重視するか、・・・?!?どっちでも良い!実は、好きにやらせて貰っている!こんな風に!



我が家の年賀状 ついにデジカメに

2009-01-08 12:00:34 | カメラと写真

 昨日で松が取れました。それでも年賀の挨拶は小正月まで許されるとか、元旦モブログで掲載した写真はうずくまった牛たち、何がなにやらでしたので、改めてkoba3家の年賀状をご紹介! といっても実際には不採用の失敗作ですが・・・。雰囲気はこんなもので・・・。



 高校に入った頃から、年賀状は写真で纏めてきました。旅行先で撮りためた写真に、最初の頃はラッカーで書き込んでいました。大学に入ってから中学時代のクラブのOB会があり、写真館の息子で写真学校に入った旧友と再会、その会の記念写真を年賀状にしたものを受け取りました。さすがプロの卵の作品、文字が白抜きで焼き込んでありました。

 それを参考に懇意の写真屋さんにリスフィルムで文字部分を作ってもらい、翌年から引き伸ばし機材一式買い込んで、直接写真に白抜きしたり、黒く焼き込んだりしました。次第に枚数も増えたので処理しきれなくなり、件の写真屋さんにリスフィルムをその都度渡し、焼き増しを依頼するようになりました。

 結婚、長女誕生と続き、子供のモデルで文字も直接写真に写し込むようになりました。(第一号はこちら)初期はモノクロに拘っていて、件の写真屋さんが廃業してしまった後、再び暗室作業をしていましたが、3日かかる引き伸ばし、目に堪える作業に絶えきれずついに“カラー”の軍門に下りました。そして、子供たちも全て巣立って、モデルもいつしか孫たちに変わっています。

 それでも最近までは頑固に銀塩フィルムに拘り続けましたが、今年からデジカメに移行しました。冒頭の写真デジタル年賀状第一号、写真印画紙に焼き込んでも見劣りしないことが分かったのです。昨年子年、銀塩フィルムの最後の年賀状です。もっともこれも不採用の一枚ですが、補助で記録したデジカメ画像でした。



 正月の話題が「旅のブログ」の主題とは???「正月は冥土の旅の一里塚」人生は旅なのです。乞・お許しを!


秋を探しました 駒沢公園・倉敷&白州

2008-11-11 09:18:46 | カメラと写真

 この秋は、10月に松之山の美人林に行ったきり東京を離れられず、紅葉狩りは絶望的です。もっとも11月の連休、日光の道路は殺人的な混雑で、目的地に着けなかったと“トモ”さんのブログにありましたから、東京でのんびりしていて正解かもしれません。

 それでも、これから近郊に紅葉は迫ってきますので、日帰りで混まないところと探っています。以前ですと、「高尾山」などねらい目でしたが、妻に言わせると「ミシュラン」が星付けしたので、大人気大混雑になっているとのこと、思案してしまいます。11月も後半になると、都心でもイチョウ並木の黄葉が見られます。代表的なのは明治神宮外苑ですが、駒沢公園も捨てがたいものがあります。

  駒沢公園のイチョウは以前紹介しましたが、地面に落ちたイチョウの葉に犬が戯れるなど風情はありますが、解説を付けないと、どこの風景かは分かりません。2001年秋の撮影です。



 紅葉や桜などは、半逆光気味に青空をバックにすると映えますが、絵としての趣はあっても、紀行に添えるには単なるカットに過ぎません。語りの役目は出来ません。それでもその場では霧中になって撮影してしまい、後になって扱いに迷い、結局一枚の絵として飾ることになります。備前・倉敷の旅の一枚、1994年11月、アイビースクエアのイチョウです。



 その他にも、衝動的に撮した絵がかなりありますが、多くは仕事場や自宅の居間に絵画として飾って、自己満足に落ちています。「光り」は被写体としてはかなりの価値があります。樽から吹き出す炎、サントリー白州蒸溜所の「リチャー」と呼ばれる工程です。サントリーの解説によると「十数年の間貯蔵に使われた樽は、内側に火を入れることで再生されます。火入れは、迫力ある職人の業」とあります。



 2006.10月末、八ヶ岳へ行く前に寄ったのですが、白州の写真はこれ1枚でした。幹事役で20名程引き連れていたので、見学の手続きなどで駆け回り、せっかくのすばらしい秋を撮し損ねてしまいました。

 季節ごとの写真も、取り出して眺めていると、思い出と共にさらなる旅への郷愁を誘われます。やはり、もの想う“秋”なのでしょうか。


旧住宅群ではあるが グラバー園:長崎市

2008-10-08 16:33:07 | カメラと写真

2008西へ おまけ

 銀塩フィルムの時代、かなりの本数生フィルムを持って旅に出たが、撮影後は費用の節約のため現像+モノクロベタ焼きが常だった。それでも撮影済みフィルム早く現像したいので、1本分36枚は写し切ることにしていたから、露出やアングルを変えたりした無駄撮りも多かった。引き延ばしはベタ焼きから数枚を選び、四つ切り以上の大伸ばしが主体だったからそれで良かった。

 今回の西への旅、意識したわけではないけれど最初からデジカメだけで、銀塩カメラは持参しなかった。PCでの写真整理やブログを始めてから、紙焼きの習慣を忘れてしまっている。ディスプレ-で見てアレンジして、必要な部分はCDに焼いて保存、風景主体でスナップもないから焼き増しを配ることもない。フィルムの時代よりフィルムの浪費を考えない分、余計枚数を撮っているようだ。そのため、紀行文に繋がらない映像が残ってしまっている。レポートに加えると冗漫になってしまうので省略してしまったが、写真としては捨てがたいので、文章を付けて紹介してみることにした。

 8月21日、グラバー園、最上部の三菱ドックハウスから坂を下っていくと、旧の付く住居がいくつも保存されていた。モニュメントのある池の上に見えるのは旧長崎地方裁判所長官舎、正面が旧ウォーカー住宅の解説があった。



 旧ウォーカー住宅、旧オルト住宅、旧スチイル記念学校など

 

まだまだ多くの建造物が保存されていた。勢いに任せて次々撮影してみたが、帰ってから整理してみると、プロがプロの機材で撮影したグラバー園のホームページに紹介されている画像に比べると見劣りするのは当然のこと、自身の思い出に留めておけば良いのであろうか。
 写真は風景をいかに切り取るかが勝負!の鉄則により思う存分切ってみたが、写真はともかく、紀行にはならなかった。旧リンガー住宅と旧オルト住宅の一部ではあるが・・・。

 

 観光施設の出口には必ずと言っていい程関所がある。おみやげ売り場、展示スペースだ。グラバー園にもやはり存在した。女性軍は当然楽しみにしているが、おみやげを買わない男性にとっては邪魔なだけの施設だが、ここグラバー園には直前に長崎くんちの展示ブースがあり、待ち時間を費やすことが出来た。龍踊が2体と川船( 祝船)が展示されていて、「ご自由に撮影下さい」の添え書きまであった。

 



 にくい演出につられて写真を撮ったが、祭りは、祭りの現場でなければ雰囲気が出ないのは当然である。


白と黒の世界です 蔵王:宮城・山形県

2008-07-28 14:47:35 | カメラと写真

 山の写真ですが、このままでは何の事やらさっぱり分かりません。撮した本人も、記憶を辿って画面を見つめて状況把握に手間取りました。賽の河原あたりから蔵王のお釜近くから流れ出る濁川、谷底下流方向を眺めています。中央の黒い線が川の流れ、左谷の向こうが名号峰の森、右が賽の河原へ登りのガレ場のようです。



 と、説明しても色のない世界です“何がどうだか分からない”のです。赤外線フィルムの特徴、空と水は漆黒の黒、日の当たった若葉と空の雲は抜けるような白、効果を狙った撮影行でした。蔵王のお釜、この映像は白黒の世界でくっきりと浮き出てくれました。上が馬の背から(背後の山は刈田岳、左奥に南蔵王が続きます)、下が刈田岳から(背後の山は熊野岳)の眺めのようです。(色のある世界はこちらこちら



 昭和38年(1963)夏十和田湖へ行く途中白石で下車してバスで峨々温泉へ、濁川沿いに蔵王のお釜方面カモシカ温泉を目指して登って行きました。カモシカ温泉はまだ木の香も漂う程の様子(建築が何時だったかは知りませんが)、従来の山小屋のイメージより、スキー場のモダンなヒュッテの雰囲気でしたが、現在の地図上では“カモシカ温泉跡”となっており、雪崩で無くなって再建されなかったようです。

 この時は、カモシカ温泉に荷物を置いて、名号峰から自然園、熊野岳、刈田岳そしてお釜の縁まで下り五色岳の側壁を越え、ロバの耳岩を経て直接カモシカ温泉に戻っています。現在では、お釜以降のコースは閉鎖されているようです。
 翌日、賽の河原へ登り(冒頭の写真はその時のもの?)コマクサ平を経て刈田峠から硯石まで南蔵王を縦走しています。コマクサ平から地蔵岳・熊野岳方面の眺望です??だと思います。



 岩のゴツゴツ感を出す為あえて用いた赤外線フィルムですが、他にもサブカメラの普通のモノクロ写真も出てきましたので、比較しながら対象物が何とか特定できそうです。自然は変わらないはずが、人工的な登山道などは50年の間にかなり変化しているようで、記憶と現状を確かめながら纏めるのに、良い頭の体操になりそうです。


光と影の十和田湖です :青森県

2008-07-26 13:00:48 | カメラと写真

 昭和35年(1960)夏、北海道旅行の帰り発荷峠から振り返った十和田湖の写真がありましたが、その時代の十和田湖畔の乙女の像も同じネガにありました。



 高村光太郎作の一対のブロンズ裸婦像、昭和28年秋建立されたもので今も相変わらず立っているはずですが、周囲の状況がどのように変わっているかは分かりません。50年前を伺わせる画像も殆ど見当たらず、拡大してみても僅かに女性のスカートの丈が長く(ミニがない)、おじさんの開襟シャツ、着物姿のご婦人がリゾートの観光地にいることと、若者の短パンが見当たらないことが現在との違いか?くらいしか有りません。
 その3年後、昭和38年(1993)夏再び十和田湖へ行っています。奥入瀬沿いのバス、好みの景色を見せてくれますので、窓の外に目は釘付けです。



 カラー写真も出回り始めていましたが、モノクロ写真に拘りを持っていましたから、平成になるまで“白黒”付けていました。乙女の像の写真と全く異なった雰囲気があります。PCでの画像処理はしていません。原画のままです。十和田湖休屋の桟橋から沖を行く遊覧船を捉えています。



 日暮れに近くはなっていますが、まだ暮れてはいない時間でした。強いコントラストは太陽光を強調できます。瀬戸内の写真の第一人者緑川さんの波に反射する光線の扱いを、モノクロで表現できたらと試行錯誤していた時代です。赤外線フィルムに赤のフィルターを着けています。リスフィルム(文献スライドを造る為の複写用のフィルム:液晶プロジェクター・パワーポイント全盛の現在では、死語となっているでしょう)を使用した写真も混じっているかも知れません。いずれもコントラストを強調しています。真昼でも夕景に近い“光の世界”が表現できると自負していました。



 この後この船に乗り子の口へ出て、バスで再び奥入瀬沿いに青森へ向かったのですが、本来はキリストの墓の有ると聞く新郷村へ向かう予定でした。その時は十和田湖畔で数百人規模の大きな会があって、主催者側の役員であったのですが遅れて単独参加したので、帰路は実行委員長と同行せざるを得なくて、キリスト伝説は諦めました。それ以来機会が無く、いつかはキリストの墓と思い続けています。


続 “オリンパス”というカメラ & 倉敷大原美術館

2008-07-09 14:47:12 | カメラと写真

 オリンパスのユニークなカメラ、レンズ一体型一眼レフと言えるのがオリンパスLのシリーズです。L-3が発売されてしばらく様子を見てから買いました。35mm~180mmのズームレンズ付きで、レンズ交換は出来ませんが、一眼レフとしての機能は全て備えています。



 オートフォーカス、オートズーム、大光量フラッシュ内蔵、それまで使用していたニコン一眼レフは内蔵フラッシュもなく露出以外は全てマニュアルでしたから、ピンボケが多く、現像が仕上がってきてガッカリすることが多くなっていました。15年程前ですから、そろそろ視力の低下が激しくなっていた頃でした。それまでのダイキャストのカメラと比べ、プラスティック主体ですから軽くて山行きに重宝しました。

 

 平成8年(1996)秋、備前・倉敷・岡山と巡った時には、「L-3」持参でしたが、美観地区の広い町並みでは充分に機能を発揮したようですが、大原美術館では広角と望遠が中途半端なレンズの為、思うようなアングルが撮れていなかったようです。開館前朝日の差し込む表通りと玄関、



格子戸越しの中庭です。

 極めつきはデジタルカメラの初代「CAMEDIA C-800L」です。平成8年(1996年)の発売ですが、オリンパス自身が『「1万画素1万円」と言われていた時代、81万画素で128,000円という常識を覆す価格。』と述べている通り画期的でした。そして実売価格が10万円を切ったので購入を決めました。

 

 記録メディアは内蔵のフラッシュメモリーのみで、現在のようなSDカードなどは一切使用できません。PCへの取り込みには専用ソフトが必要で、別売り1万円で購入しています。SDカードは使用できませんが、大きさを比べる為に置いてみました。F:2.8  5mm固定焦点81万画素です。

 その後のデジカメの驚異的進化の想像も出来ないスピードは、衆人の知る所です。半年も経たず数倍のスペックを持つカメラが半値以下で矢継ぎ早に発売され、最早売ることはもちろん出来ず、処分するのも思い切れず引き出しの肥やしとなっています。何しろPC読み込みソフトはNEC-PC9800キャンビーに入っていて、これも処分できず廊下の隅に積み上げてありますから・・・!!

 デジタルの効用はPCとの連携にあります。取り込んだ写真をはがきソフトで処理して、暑中見舞いを作っています。現笛吹市の出来たばかりのフラワーパークの温室ですが、官製はがきに普通のドットプリンターで印刷していますが、当時写真画質は付いていなかったので、効果を狙ってわざと粗い目で印刷しています。20年間乗り継いだワンボックスカーの最後のタウンエースです。同時に購入した昇華型のCAMEDIA専用のプリンターで印刷しました。専用紙使用で、はがき大しか印刷できませんでしたが、印画紙並みの画質でした。

 

 徒歩通勤の途中にあった洋館ですが、毎日見ても見飽きない風景です。80万画素でもこの程度の使用なら耐えられます。



 なんでしょう?白い花咲いているので春です。初代デジカメは何しろ固定焦点ズームなしですから風景写真もままならず、仕事に使用するつもりでしたが接写が此処まで、鮮明度も足りず半年余りでお蔵入りしてしまい、残った写真もほとんどありませんでした。


“オリンパス”というカメラ & ワイド画面の三方五湖

2008-07-08 12:52:56 | カメラと写真

 比叡山延暦寺と、その前に立ち寄った三方五湖の写真を眺めていて、“オリンパス”というカメラとの付き合いを考えてみました。

 “オリンパス”にはユニークなカメラが多くあり、オリンパスワイドもその一つです。当時、標準レンズは55mmが多く、今で言うコンパクトカメラには使い勝手の良い48mmも用いられていました。広角レンズはレンズ交換の一眼レフなどでしか使用できない上、高価でカメラ1台買える程でした。広角と言っても35mmレンズです、今では21mmなど当たり前ですが当時は画期的でした。当時の典型的レンズシャッターカメラの形態です。

 

 兄弟共同で中古を買い使用していましたが、それぞれ一眼レフを買い揃えたので父にプレゼントしました。一昨年父が逝去し遺品の中から出てきたので、預かることにしました。

 比叡山延暦寺と同じフィルムに収められていた昭和41年(1966)夏、若狭・三方五湖の久々子湖と水月湖を結ぶ水路の早瀬川です。35mmというワイドレンズの特徴を出そうと、遠近感を強調するようがんばっていたようです。



 ワイドレンズの特徴もう一つは写角の大きさから広い範囲が写し出され、同時に遠近感の強調も出来ることですが、現在のようにコンパクトデジカメにすら21mmや28mmの短焦点おまけにズームレンズが装着されていますから、三方五湖の遊覧船乗り場での試みも効果が少なかったようです。

 “オリンパス”カメラとの付き合いは1959年発売のオリンパスペンから始まりました。35mmフィルムを半分にして使うカメラで、フィルムの節約以上に有利な点がいくつかありました。当然レンズが小さくてもF値が大きいなど充分な性能を持っていて、全体が小型ですから価格も安くなっていました。当時6000円でしたから、学生の身でも手が届き発売と同時に飛びつきました。
 コスト切りつめの為のいくつかの工夫がありましたが、遮光用のクッションがウレタンであった為、長い間使用しなかったので劣化してぼろぼろになってしまい、やむなく廃棄したので現物は手元にありません。写真はWEBサイトから借りました。



 このブログ内でも数多くハーフサイズの写真を使っていますが、PC上で見る限りでは区別も付けられません。「奥鬼怒」はスライドで「寸又峡」のモノクロ画面などが、オリンパスペンで撮っています。

 

 ハーフサイズでもトリミングをして諧調を整え、1辺450や640ピクセル程度なら、遜色ないようです。上は大井川鉄道井川線を井川ダムに向けて走行中のディーゼル機関車、下は奥鬼怒温泉八丁ノ湯の野天風呂脇から滝見の湯方面を見ています。昭和40年代です。

・・・つづく


横に長い真夏の景色です 鯨波海岸・群馬サイクルセンター

2008-05-22 15:31:54 | カメラと写真

 先週は冬に戻ったような気候でしたが、今日は朝から久しぶりの青空でした。気温も上がり6月末の模様と、TVの予報で言っていました。そこでいきなり海水浴場の風景です。平成元年(1989)8月、新潟県柏崎、鯨波海水浴場、日本海の海岸です。



 子供達もまだ小・中・高生の頃で一緒に行動していましたから、中里の会員制のスキー場のロッジなどを使って、スキーシーズン以外でも上越の山や川遊びに行くようになっていました。新潟の海は、関東の海に比べとにかく空いていました。砂浜に余裕があり、車で運んだデッキチェアーやパラソルを自由に広げる余地がありました。
 この写真は、トリミングしていません。当時はやり始めていた“パノラマ”写真です。持っていたカメラには機能が付いていなかったので、使い捨てカメラ(レンズ付きフィルムの方が言い方としては正しい?)を使っていて、ピントも構図も今一歩でしょうか。話題は、海水浴場をはずれてカメラとフィルムなのです。

 この後コンパクトカメラですがパノラマ撮影の出来るカメラを買いましたが、パノラマの機構は一度も使っていません。理由はネガを見れば分かります。



 2本並んだ上がパノラマ、下がハーフサイズのネガフィルムです。ハーフサイズは、フィルムが高価で貴重だった頃、倍の枚数を撮影する為に考えられています。パノラマは、横長の写真を撮る為に2コマ分を繋いで横長にした訳ではなく、上下をカットして横長の構図となります。それならば、広角レンズで撮影して、大伸ばしして上下をトリミングすれば済むことです。カメラに細工(多くは、フィルム面の上下に覆いをしていました)の必要はありません。当然フィルムを半分しか使っていませんから、解像度は悪くなります。
 後で考えついたのですが、理由は引き伸ばし操作にあったと思えます。ラボでは、引き伸ばしは機械化されロール状の印画紙を使っていますから、フレーム幅を広げればいくらでも横長、縦長の写真が作れます。フィルムのトリミングでは、手焼操作になりコストが上がるのと、撮影者の意図とずれる恐れがあります。大伸ばしして紙焼きをトリミングすれば、印画紙の無駄になります。納得!

 鯨波の海水浴の帰り道平成元年夏、群馬サイクルスポーツセンターに寄っています。



 それよりかなり以前、修善寺の伊豆サイクルスポーツセンターにも行っています。日本自転車振興会始め、自転車と言っても主に競輪を中心としたいくつかの団体が運営に協力し、一般客に自転車の楽しさをアピールすると同時に、自転車の選手の養成もしていたと記憶しています。当時行ったこの水上も同じような主旨の施設でしたが、経営の破綻で閉鎖したと聞いていました。念のため調べてみましたが、運営母体が代わって現在も観光施設として営業しているようです。
 水上の山の上、不便な場所だけに広い敷地が得られ、自転車のモノレールやサーキットなど、子供達が大はしゃぎしたのも遠い昔の思い出になってしまいました。この時は出遅れてやや遅く行ったので、駐車場に入るまでに2時間近く待たされました。現在の状況は分かりませんが、デジカメ主体になってパノラマ写真の話も聞かなくなり、一時の隆盛を誇っても“はやり・ブーム”の移ろいは、予測の付かないものと感慨深い物があります。

 プレビューしてみました。ディスプレーの真四角に近い画面には、合いません。最近はやりの横長のワイド画面液晶ならどうでしょう。試してみるなら、散財です!?!