My Feeling Diary

気まぐれ主婦が気侭に綴る、日常的「五感」日記。。時には「第六感」も・・・!?

秋の夜長で・・・

2005-09-27 03:08:31 | ★Love&Peace
“芸術の秋、読書の秋”といきたいところですが、日々の慌しさに追われ、じっくり本など読んでいるゆとりもないという人も多いかと思います。

最近、朝夕だいぶ涼しくなってきて、子供達の体温調節には気を使います。就寝時は特にですが、何回タオルケット等をかけても、無意識に足でひっぱがしてしまい、ゴロゴロと布団を転がって二人してぶつかったり(なので、そば殻の枕を二つ縦に並べて境界線を作っています。)壁にぶつかったり、暑いと言って足をバタバタさせているかと思ったら、今度は鼻をグスグス・・・なので、とりあえず傍に、昨年買った毛布生地のベストを置いておいて、冷えたかな・・・?と思ったら着せるようにしようと思います。
これで、どこへ転がっていっても大丈夫、私も、頻繁に目を覚ます必要はなくなります。


先日、ウォーキングの途中にぶらっと立ち寄った本屋で、「アインシュタイン150の言葉」という本を見つけ、シュタインちゃん(^^)?の言葉がなかなか良かったので、買いました。

長文ものだと気負ってしまいますので、この程度のものが私には読みやすくて丁度いいのです。

本についていた帯の裏面より

~~あの人が、こんなに面白いことを言っていたなんて・・・

・どうして、自分を責めるのですか?他人が必要なときに責めてくれるんだから、
 いいじゃないですか。

・常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

・ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という。

・人間性について絶望してはいけません。
 なぜなら、私たちは人間なのですから。

・過去、現在、未来の区別は、どんなに言い張っても、単なる幻想である。

・熱いストーブに1分間手を載せてみてください。
 まるで1時間くらいに感じられるでしょう。
 ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、
 一分間くらいにしか感じられません。それが、相対性というものです。

・結果というものにたどりつけるのは、偏執狂だけである。

・人間の邪悪な心を変えるより、プラトニウムの性質を変えるほうがやさしい。~~


彼のユーモアのセンスをダイレクトに感じるには、原文のままを読んだ方がいいかもしれません。


私自身が、ピピッ”ときた(共鳴)言葉を幾つか紹介させて頂きます。

☆あなたは、ほんとうにそう思っているんですか?
 他人によって永遠の幸せが得られるなんて。
 いくらその他人が最愛の男だったとしても。
 わたしは、自分自身の経験から、
 男というものをよく知っています。
 だって、わたしもそのひとりなんですから。
 男に期待しすぎてはいけません。
 このことは、わたしもよく分かっています。

☆人は、海のようなものである。
 あるときは穏やかで友好的。
 あるときはしけて、悪意に満ちている。
 ここで知っておかなければならないのは、
 人間もほとんどが水で構成されているということです。

☆この諺には、真実がある。
 「人に対して正しく賢明な助言をすることはできる。
  しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことはむずかしい」。

☆死はいつかやって来る。それがいつかなんて
 どうでもいいじゃないですか。

☆手段は完全になったのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、
 この時代の特徴と言えるでしょう。

☆宗教なくして科学は不具であり、科学なくして宗教は盲目です。

☆知識は、ふたつの形で存在する。ひとつは本の中に、生命のない形で。
 もうひとつは、人の意識の中に、生きている形で。
 後者こそがとにかく本質的なものである。前者は、絶対必要であるように
 見えるが、たいしたことはないのだ。

☆知性を神にしてはいけない。神は強い筋肉を持っているが、人格は持たない。

☆寛容であるという事は、他者の行動や気持ちに無関心でいるということでは
 ありません。そこには、理解と共感がなければなりません。最も大切なのは、
 個人に対する、社会や国家の寛容さです。
 
☆初めに、私の政治的信念をひとつ告白しておきましょう。
 それは、国家は人のために存在するのであって、国家のために人が存在するの
 ではない、ということです。

☆昨日は偶像視され、今日は憎まれ、唾を吐かれ、明日には忘れ去られ、
 明日後日は聖人に列せられる。唯一の救いは、ユーモアのセンスだけだ。
 これは、呼吸を続けている限りはなくさないようにしよう。


(KIN:167 青いスペクトルの手/癒しを解き放つ)