朝鮮について知りたい

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歴史の曲がり角

2016年02月22日 | 現代朝鮮、朝鮮半島
「歴史の曲がり角」

やはり大変なことが起こった。今日のこの事態には、「やはり」という表現がしっくりくる。「国際平和支援法案」「平和安全法制整備法案」からなる「平和」のための「安保法案」が通ってしまった。いや、通るべくして通ったのである。

「平和」とは何なのか?ただちに疑問が湧きトラウマに陥る。日本が「戦後」に築いた「平和」の影で、朝鮮半島、ベトナムが立たされた状況がバックラッシュする。

先日わたしはこのような文章を書いた。『日本が過去を清算しえず、「いつか来た道」をまた進まんとするとき、「被害者」はどのようなトラウマにさらされるだろうか。このことを想像できずにいて、「朝鮮問題」を論ずるものが出口を見出せない迷路に突入するのは火を見るより明らかであろう』、と。

この文にはおおよそ次のような意味がある。日本国家の「歴史の曲がり角」にはいつも朝鮮がいた。日本が近代化を求め「世界」へ羽ばたくための口実は「朝鮮の近代化のため」であった。日本労働運動の高揚にブレーキをかけたのは「関東大震災時朝鮮人虐殺」であった。新自由主義的政策・軍事大国化が大手を振るうようになったきっかけの一つは「拉致」を筆頭とする「北朝鮮ヒステリー」であった。など枚挙に暇がない。
安保法案が議論の俎上に上り、その都度新聞報道などに目を通してみても、このような記事が目立つ。「あんな悲惨な目にあわせたくない」と。たしかに悲惨だったであろう。日本は戦争で300万余の犠牲者を出したのだから。しかし一方で、この論理はアジアでの2000万余の犠牲を忘却する装置として作用してはいないだろうか。

「従軍慰安婦」問題を提起しても、関東大虐殺の問題を論じても、返答はいつも似たり寄ったり。「捏造」「反日感情」「ナショナリズム」だ、「不幸な過去」は国家間のしがらみの中で生まれた問題なのだから、これからはそれを乗り越えていこう、と。要は「過去を問う行為」がナンセンスとなる風潮が生まれてしまったのだ。そして過去を切り離す。どの国もスタート地点は同じ。なぜなのか朝鮮というわけもわからない国はいつも怒っている。ならず者国家に対抗しよう、と。

法案に反対の意を表しているほとんどの人たちも、上記の感性を共有しているのではなかろうか。しかもこの「朝鮮嫌い」にはあまり根拠がない。いまや在日朝鮮人、そして本国にたいしての民族差別意識は、「黒人」だから嫌いというとんでもない人種差別的なレベルにまで達したといっても過言ではないだろう。このような「深刻な朝鮮観」という同じ根をもつ者同士が論争を繰り広げたところで、最終的には「反北朝鮮」なのか、あるいは「親北朝鮮」なのかの議論に絡めとられるだけである。いま日本のおかれている状況は、容易に推察できたし、この結果しかはじき出せなくて当然である。わたしたちは、その目線を直に受けている者なのだから。

先日、日本の大学生が朝鮮を訪問し、平壌外国語大学の学生たちと3日間の交流を行った映像を見た。とてもうれしかった。人と人とがふれあう事でこんなに簡単に壁は消えていくのだ。こんなにいい未来はない。これから新しい世代が手に手をとりあい、友好と平和の明日を築いていくためにも、今日わたしが立つべき場所を忘れてはならない、そう思ったしだいである。

「三年ぶりの訪朝」

 2015年夏、三年ぶりに訪朝した。

 税関も無事通り、バスに乗り込む。目の前に長閑な田園風景が広がる。2014年、朝鮮は大干ばつに見舞われた。農業は大丈夫だろうか。人民たちが暗い顔をしてはいないだろうか。心配しながら外をながめる。大丈夫だ。人々はたくましく、明るく働き、そして相変わらずのトロリーバスに乗り込み退勤していた。安堵の一息。

三年ぶり訪朝は、何せ涙の連続だった。人民たちのたくましさと優しさ、そして無邪気さに触れるたびに、自分が「ここにいてよかった」と思ったのである。


まずは一点目、「衣食住から文化へ」、である。朝鮮の成長をおそらく最も表しているのが、文化生活の向上、福祉政策の大転換であろう。平壌のみならず元山や咸興などにも新たにそびえ立つ育児院(託児所)や愛育院(幼稚園)、親を亡くし孤児として生きる選択をせざるを得ない子供たちが、国家によって最もいい施設、環境にて生活や勉強をし、中等、高等教育までもすべて受けることができるのである。教室や宿舎もさることながら、運動場の隅々にまで行き渡る人々の配慮が一目で分かる。それから新たに作られた養老院。老人ホームである。ここもまたすばらしい。孤独に生きているハラボジ・ハルモニたちが嬉しそうに引越支度を済ませ、ここに移り行く姿には本当に感動した。

最近、英米社会や日本では「朝鮮の人権問題」に焦点をあて、「あの国」では脱北者の家族は射殺されるだの、「政治犯収容所」なるところで人権侵害行為が蔓延っているだの、子供たちに安全で健全な社会環境がないだの、散々言っているのであるが、「わたしが見た朝鮮」にその片鱗はかげりもない。そして

やはり朝鮮も同じことを考えている

今年6月ヨーロッパから「人権擁護団体」なるものたちが、来て「検査」を行うと申し出た。もちろん朝鮮は上記の育児院や愛育院に案内しようとした。いわゆる「脱北者」の家族も全員面会の準備を整えた。しかし彼らは日程を変更し、すぐさま帰国の途に着いた。なにがしたかったのであろうか。

わたしが言いたいのは、「朝鮮だからすべていい」ということではない。このような事実があり、この事実を人民が喜んで受け止めている、ということに「蓋」をしながら、バッシングをしている輩に、世界は君たちだけを中心に回っているのではないよ、と警鐘を鳴らしたいだけである。

二点目、「上出来の農事」である。今回、黄海道(朝鮮の穀倉地帯)を見て回った。かなり心配だった。大干ばつを乗り越えはしたものの、問題は今年の農業である。果たして作況はどうなっているのか。三年ぶりに米穀共同農場の農場員たちと、あたり一面に広がった黄金畑を見ながらお酒を酌み交わした。涙が止まらなかった。本当に頑張ったな、と。この稲穂を作るまでいったい幾つの難敵と立ち向かったのだろうか。

彼(女)らは何を思い、ここまで頑張ったのだろうか。農場長は一言で述べた。「人民たちを米で支えたい」と。最悪の状況、今年こそはダメかもしれない、そう思った人々もいたかもしれない。しかし、米で人民の生活を守らんとする彼らの情熱は、稲を育て実らせ、史上最大の収穫量を手にしたのである。

彼らは口々にこう言っていた。「去年から農民への分配が変わった」と。どういうことだ?

こういうことらしい。これまで農民たちは、生産した米を半強制的に国家に売っていた。一キロ28~40ウォンくらいで。これを「現金分配」という。しかし、去年からこれが「現物分配」へと変わったのである。いうなれば、一人当たり一トンの米を生産するとしよう。約300キロを国家へ納める(土地、水、機械使用量など)。残った700キロは自分で処理していいのである。そして、それを自由に売れる供給所がいたるところにできた。一キロ3000ウォン(100倍!)である。農場長は表現することの出来ない満面の笑みを浮かべながらこう語った。「人民のために頑張ったつもりが自分に返ってきた」と。お金が残ってどうしようもないので、携帯電話を買ったらしい。たしかに彼は、持っているスマホを全然使いこなせていなかった。それがまた嬉しかった。

いま、朝鮮では「地殻変動」が起こっている。もちろん足りない部分も多々あるだろう。それらは、これからの克服課題である。何より朝鮮人民がその課題をもっとも自覚している。 しかしそれらを超越した今の朝鮮の様相を一言で表すならば、それは「合心」である。今まさに政策と民心とが見事に融合しそれら大きな力となって、日を改めるたびに進化を遂げている。これからが本当に楽しみで仕方ない。

次回からは、もう少し突っ込んで、子供たちの生活や経済状況などにスポットをあてて見たい。(続く)












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