朝鮮について知りたい

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私の眼

2016年02月20日 | 現代朝鮮、朝鮮半島
「哲学」というものが何なのか、ということを書いていきたい。難しいことばを並べるよりも、真に迫れると思っている。素敵な「哲学」の世界へようこそ。

 ジャイアンだって「哲学」する。ジャイアンを引き合いに出したのはこの人が有名人だからである。違う意味はとくにない。ガキ大将ジャイアンは素晴らしい哲学者だ。このことばを知っていようか。「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」。こんなに解りやすい「哲学」にわたしは出会ったことがない。世界にあるすべてのものは俺のものにしていく、ポジティブで主体的で、理想がありなおかつその「力」もある。「ドラえもん」の世界におけるナポレオンである。しかし、世の中、そんなに簡単ではない。すべての人がジャイアンと同じ思想を持っているわけでは決してない。そう、「哲学」とは各々の人がもつ、「考え方」ということだ。哲学はすべての人が持っている。人間は常日頃から、何かしらの利害関係によって世界に働きかける。子供のため、社会のため、仕事のため、…。問題はここからだ。このような「哲学」というものがわれわれの「眼」にどのような影を落とすのか。

一枚の写真

 さて、ここに一枚の写真がある。髪は乱れ、血を流し、服は破れ、手には包丁、今にも襲いかからんとする女性を撮った写真である。あなたはどのような判断を下しただろうか。「変人?」、このような判断を下したかもしれない。しかし、この写真には実は続きがある。後出しジャンケンのようで少し引け目を感じるが、タネ明かしをしたい。実はこの女性の後ろには愛する子どもがいる。目の前には猛獣。さて、あなたの判断は変わっただろうか。少なくともわたしの「眼」に彼女は「勇者」として映った。「変人」から「勇者」への昇格(あるいは降格)、このことは一つのことをわれわれに示してくれる。人間が「同じもの」を見たとして、結果が一つとは限らない、ということである。極端な事例で示したが、たった一つの例を見ただけで、人間の評価は180°変わることがある。これは一つの重要な手がかりになるに違いない。
 わたしはこのようなことを想像しながら、連載を綴るにあたって、まずは「わたしの『眼』」がどのような『眼』なのかを検証してみた。

生まれた疑問

 わたしはこれまでの長くはない人生のなかで、諸先輩方に忠告じみた事柄を言われ続けてきた。「視野を広く持て」、と。おそらくそれは、「世界的な視野」を持てということだったのだろう。「世界的な視野」とは何だろうか。われわれが今生きているこの日本を指すのか、あるいは同調するアメリカやヨーロッパの「先進国」的な視点を指しているのだろうか? 上の「アドバイス」とセットで必ずと言っていいほど言われることがある。「理想を追うのはいいけどね」と。これもやはりしっくりこない。

 このような質問は、未だわたしを悩ませている。が、ある程度の答えをわたし自身は持っているように思われるので、これを期に記すことにしたい。そして、これから記す二つのことが私の文を貫く趣旨となるであろうと思う。

順序を守れ

一つ目、語る順序を間違えるな。これは常日頃から自分自身に課している問題意識である。順番を守る、ということは物語る上でとても重要である。人の話とは所詮、その人が知っている事実を紡ぎあわせた「物語」なのだ。順序を間違えると大変である。カップ焼きそばを食べる際、まさかソースを先に入れて、お湯を入れる人はいないであろう(カップ焼きそばは、先にお湯で麺をほぐしてその後ソースをかける)。しかし、「物語」となると話は別である。順序は変えられ、「違う物語」があたかも「真実」として語られていく。ある種の意思によって。「盗人猛々しい」という諺がある。これは、盗人が盗まれた当人に自分の責任をなすりつけようとする愚行を戒めたものであるのだが、このような場面は生活の中でいくらでも出てくる。ドラマでもよく見かけるだろう。「あの人が悪いのよ!」と。いやいや、悪いのは「あなた」です、と言いたい場面を共感できると思う。さて、朝鮮問題を論ずるにあたっての常套手段として用いられるのは、「物語の起点をずらす」ことである。紙面上、多くは展開できずにいるが後ほど明らかになっていくはずである。日本において朝鮮は、いつも「怒っている険な国」というレッテルが確定的になっている。「朝鮮」・「北」というと「警戒」された経験は結構な人にあると思われる。わたしが言いたいのは、「朝鮮がなぜ怒っているのか」を考えよ、ということだ。

あなたは誰だ

二つ目、あなたは誰だ、と常に自分に問いかけよ。自分がどこに立っているのかをいつも考えて発言しなさい、という趣旨の戒めである。これまでチョゴリを着て登校したことがないわたしは、民族教育を引き合いにだすとき、決まって「民族性を守る」=チョゴリと話す。言ってみれば、自分は危険を犯さず、女性たちを暴力的な状況に置きながら、「俺の自慢」としてチョゴリを提出する、ということだ。このような「わたし」を念頭においたとき、「従軍慰安婦」という問題が「自分の問題」としても襲いかかってくる。自分が「共犯者」とはならないか、という疑問である。1991年、金学順ハルモニが、元「従軍慰安婦」として最初の証言をした。大学時代にこの事実を知り、ハッとしたことを今でも覚えている。1991年、「解放」から46年が経っている。彼女にとって「解放(1945年)」とはなんだったのだろうか。日本の植民地からは解放されたが、その「解放」は、男性によって「沈黙」を強要させられた日々の始まりだったのではないだろうか。「汚辱を受けた女」、このようなプレッシャーのなか生き続けたに違いないハルモニを思うと、在日朝鮮人社会において、女性たちよりも「安全」な場所で甘んじている自分が「従軍慰安婦」問題を簡単に述べてはならない、という自覚を持ったものである。言ってみれば「男尊女卑」という秩序の中で「得」をしているわたしが、この秩序をなくし新しいものを創っていく覚悟もなしに、簡単に「批判」なんかはできない、ということなのだ。もちろん、「従軍慰安婦」にたいする昨今の当局の発言は目に余りすぎであるが、「自分自身」を常に問いただす必要はあると思う。そして、なんと沖縄には、金学順に先んじて証言をしたぺポンギハルモニもいる。発見の連鎖とも言うべきこのような問題に即して考えると、朝鮮問題を論ずるとき、わたしの「眼」は何を見ているのだろうか。

このような視点を持つことが、朝鮮問題を論ずる上では欠かせないと思う。












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