さて、いったいどこまで進むのか。
産経新聞は次に、朝鮮学校に支給されている、各都道府県、市の補助金を対象として、大々的に報道をはじめた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111024/edc11102400510000-n1.htm
特に着目すべきなのは補助金を見直し、支給額が減った理由を、「朝鮮総連と直結した反日・思想教育や経営実態が明らかになり、補助金を見直す動きが相次いだ上、生徒離れが起きているため」とした。
こいつらは、本当に半端じゃない。結局、日本において民族教育に対する補助金は認められませんということを大々的に報じる第一歩を見事に踏み出した。
それに、一つ、朝鮮総連と直結した民族教育は反日=日本にとってはいらない教育だと断定した上での悪意ある報道だということ。 これはかなりの世論をあおりそうなのだが、完全に日本にはこれを簡単に需要する土壌ができあがってしまった。これは大変危険である。在日同胞にとっても、日本人にとっても、である。
二つ目、高校無償化は終わった、という認識においてのこの記事である。前日の無償化に対する都道府県の反対、「無償化適用審査自体が暴挙」と一言でくくった彼らの主張は、それはもう「論議することすら許されない問題」と昇格したと言える。適用するのか、しないのか、それは教育内容を見てから。ま、これも普通に終わっている論理なのだが、教育内容を見たところ、どうやら反日らしい。だから、これからは誰も議論すらしないように、と言っているようなものだ。
最後に、在日同胞は完全になめられている。これは主体的にわれわれが見直すべき点かも知れない。もう在日同胞は反対もしないであろう。怒ってはいても。だからその証拠に、学校離れだって起こっている。こうやって差別すれば、経営難で自分から破たんしてくれるであろうという、共通認識の下、完全に国家プロジェクトとして行われているという点が一番危ない。
はたして、無償化のための闘争、権利のための闘争は終わったのだろうか。学生の胸中いかなるものであろう。
断言してもいい。日本はこれから、反総連キャンペーンなどといった、生ぬるいものはしないであろう。4.24教育闘争を思い出させる闘争は二度と、在日同胞は起こせない。だから、もう歴史から消してしまおう、という魂胆すら見え隠れする。
さ、どう闘いますか… 私はとりあえず、出来ることを片っ端からやっていこうと思います。
しかしながら、闘争において一番重要なのは、「連帯」なんです。「団結」なんです。
在日同胞の至高の武器である、この伝統を失ったとき、われわれは取り返しのつかない事態に、土を叩きながら慟哭するのでしょうか。そういう未来はやだな、と思ってます。
もっと怒っていい。もっと闘っていい。んじゃないかと、思われる。
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