朝鮮について知りたい

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我ら永遠に忘れぬ

2014年05月20日 | 翻訳記事
昨今の朝鮮を見るにあたって、欠かせないと思える記事がある。
かなり古い記事であり、データとしてウェブ上でも見られないが、ここに紹介することとする。なお、かなりの長文のため、一部分だけ抜粋し、紹介する

※この『正論』は、2000年10月10日、朝鮮労働党創建55周年の節目を迎える朝鮮が『苦難の行軍』という歴史的に類を見ない山場を超え、『強盛大国(国家)』を創り上げる理想が生まれたという『勝利宣言』である。
 自然災害、経済封鎖、軍事的緊張というすべての天災・人災が折り重なった最悪の状況を打破し、「自主的人民」として生きる選択をした朝鮮人民。
 筆者が思うことは、彼(女)らが「一番よく知っていた」のではないか、ということである。
 日本のメディアや一部の心無い人々が「生活を犠牲にして…」などと「善意」をもって勧告するが、朝鮮からすれば、「そんなことは分かってんだ」としか言いようがない。
 「よく考えろ」といわれても、「あなたたちこそよく考えろ」と。

 その選択をして、「勝利宣言」をした朝鮮だからこそ、2014年の「今」という時代もまた存在すると思っている。
 そして、そのような「偉大な人民」であるからこそ、この道を違えず、変わらず突っ走ってほしいと願うのみである。


「我ら永遠に忘れぬ」 우리는 영원히 잊지 않으리라朝鮮労働党機関紙『労働新聞』正論(2000.10.3)

 6년, 이 나날은 정녕 짧았던가 길었던가
도대체 이 땅에서는 무슨 일이 벌어졌으며 우리는 어찌하여 20세기 말엽에 와서 《고난의 행군》이라는 전대미문의 시련을 겪어야 했던가.


 六年、この日々は果たして短かったのか、長かったのか。
 いったいこの地では何が起こり、われわれは何のために20世紀末に「苦難の行軍」という前代未聞の試練を体験せねばならなかったのか。

…그렇게도 힘겹게 떠났던 그 길, 그렇게도 간고하게 허리띠를 조이고 그렇게도 모질게 자욱자욱 피와 눈물을 고이며 헤쳐온 그 길이 이런 가슴벅찬 승리의 날과 잇닿아있었다고 생각하니 솟구쳐오르는 눈물을 금할수 없다.

…あんなにも厳しく進んだ道、あんなにも艱苦にベルトを締め上げ、あんなにもあくどく一歩一歩血と涙を浮かべ歩んできたこの道が、こんなにも胸いっぱいの勝利の日と結びついていたことを考えると、とめどなく流れる涙を抑えることができない。


…20세기의 마지막년대에 와서 우리 인민이 단행한 《고난의 행군》은 한 나라, 한 민족의 력사에서나 인류사에 있어서 그 류례를 찾아볼수 없는 최악의 시련이였다.
묻노니 력사여, 무엇때문에 전쟁도 아닌 평화시기에 공장들의 숨이 죽고 조국의 옥토가 터갈라지고 나라의 동력인 전력마저 부족되여 때때로 달리던 렬차들이 멎어서고 수도의 거리들에도 불빛이 꺼져야 했던가.어떻게 되여 그처럼 부럼없는 풍요와 행복만을 마음껏 누리던 사람들이 배를 곯고 추위에 떨어야 했으며 그 어느 동란의 시기에도 있어보지 못한 가혹한 생활난을 겪으면서 남모르는 눈물도 흘리고 때로는 가슴아픈 희생도 내야 했던가


…20世紀の最後の年代にわれわれが断行した「苦難の行軍」は一国史や一民族史、人類史においても類例を見ない最悪の試練であったろう。
 聞こう、歴史よ。何のために戦争でもない平和の時代に、工場がとまり、祖国の沃土が地割れ、国の動力である電気まで不足したまに走った電車までも止まり、首都の街から明かりが消えなければならなかったのか。どうしてあれほど、羨むことなく豊かで幸せな日々を送った人々が腹をすかせ、寒さに震えなければならず、ときには心痛い犠牲まで出さなくてはならなかったのか

…그 어떤 알수 없는 운명의 장난이였는가. 아니였다.
우리는 조국과 민족의 생사존망을 걸고 나아가서 인류의 자주와 평화를 지켜 세계제국주의강대국들과 단독으로 맞서 최후의 결판을 보아야 했다.
그것을 위해 우리는 생각지도 못했던 그런 엄청난 고난을 다 겪어야 했고 가슴을 허벼내는 피눈물을 그리도 많이 흘려야 했다.


…運命のいたずらか?否。
 われわれは祖国と民族の生死存亡をかけ、ひいては人類の自主と平和を守り世界帝国主義強大国と単独で闘い、最後の判決を見ねばならなかった。
そのために、我々は考えもつかなかったとんでもない苦難を甘受せねばならなかったし、胸をえぐられるほどの血涙をあんなにも多く流さねばならなかった。


…그것은 말그대로 선전포고없는 전쟁, 총포성이 울리지 않는 세계적인 대전이였다.
…사느냐 죽느냐 하는 판가리싸움이 벌어졌다.
…우리는 그렇게도 많이 눈물을 흘린 일이 없고 그렇게도 많이 굶어보고 얼어본 일이 없었으며 그렇게도 많이 분노해보고 그렇게도 많이 사색하고 창조해본 일이 없었다.


…それは言葉のとおり、宣戦布告のない戦争、銃砲の鳴り響かない世界大戦であった。
…生きるか死ぬかという、ぎりぎりの闘いが行われた。
…われわれはあれほど多くの涙を流したことがなかったし、あれほどの飢え、寒さを体験したこともなく、あれほど怒り、あれほど思索し創造したこともなかった。


…고난을 피할수도 있었고 애돌아갈수도 있었다.
붉은기를 내리우고 사상과 원칙을 양보하면 하루아침에 부유해질수도 있었고 렬강들에게 빌붙으며 동냥을 하면 굶주림을 면할수도 있었다.


…苦難を避けることも、遠回りをすることもできたやもしれない。
 赤旗をおろし、思想と原則を譲歩すれば、一晩で豊かさも手に入れたかもしれないし、列強に媚びて物乞いでもすれば飢えをしのぐこともできたであろう。


…피눈물의 여섯해를 살아내고 굶주림과 세계적인 대격전의 여섯해를 돌파했으니 우리는 그 누구보다 강하고 그 누구보다 순결하고 그 누구보다 위대한 인민이 되였다.
…강성대국건설.
이 불타는 애국의 열망은 《고난의 행군》의 시작과 함께 우리 장군님의 마음속에서 비가 오나, 눈이 오나, 전선길을 걸으시나 공장길을 걸으시나 어느 한날, 어느 한순간도 떠난적이 없었다.
얼마나 위대한 조국이고 얼마나 사랑스러운 인민인가.


…血と涙の6年を生き延び、飢えと世界大激戦の六年を突破したわれわれは、誰よりも強く、純潔で、誰よりも偉大な人民となった。
…強盛大国建設。
 この燃え滾る愛国の熱望は「苦難の行軍」の始まりとともに、わが将軍の心の中に、雨が来て雪がきても、戦線の道を進んで工場までの道のりを歩こうとも、一時一日たりとも離れることはなかった。
 どれだけ偉大な祖国、どれだけ愛くるしい人民たちなのか、と。


…장군님 따라 우리는 기어이 승리하였다.
승리! 우리 얼마나 이 말을 피타게 부르짖으며 격전의 혈전만리를 불사신처럼 달려왔던가. 지금과 같이 승리라는 이 말이 그렇게 장엄하고 그렇게 무게있게, 그렇게 눈물겹게 울린 때는 없었다.


…将軍とともにわれわれはとうとう勝利した。
 勝利!我らはどれだけこの言葉を血のにじむように叫び、激戦の決戦万里を不死鳥のようにひた走ってきたのであろうか。今のように、勝利という言葉がこんなにも荘厳で重く、こんなにも涙ながらに響くときはなかった。











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