平成うきよの覚え書き

日々の出来事などを老化防止の為 書いてゆきます。

横と縦

2008年10月27日 | Weblog
 首を横に振る、といえば拒否、縦に振れば了解を意味する。横車は傍若無人、横着といえば、自分勝手で手抜きする、横柄は威張り腐る、横暴は極めて乱暴など、横はどうも否定的でどちらかといえば、悪い印象であろうか。それに対して「縦」はなかなか、熟語も思い浮かばない。やっと思いついたのが「縦横」で横と結びついている。縦書き、横書き、言うまでもなく縦書きはチャイナと日本であろうか。他のアジア諸国の書き方は知らない。横書きは殆どの西洋諸国で採用されている。
 以下引用
こういうわけで,古来から日本人は,絵とか文字とかが横に並んでいれば誰に教えられるでもなく「右から左へ」と読み,時間の経過を感じてきたらしいのだ。


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 ところが江戸時代になるとヨーロッパの文化が伝えられる。これは言語にしても数字にしても「左から右へと横に書く」文化である(これが「左横書き」)。特に幕末になると,一般庶民でも数字や横文字を見ることになる。問題は,これらの「横文字」と日本語をいかに共存させるかということである。

 今でこそ,日本語も「左横書き」が普通になっているが,上述のように,本来の日本語には「横書き」は存在しないのである。もしも横に書かれた漢字があれば「右から左へ」と読むのが日本文化である。だから,いろいろな人がいろいろな方法を考えるのである。

 一番困ったのが外国語辞書。【"desk" 「机」】なんてのはいいけれど,【"democracy" 「民主主義のこと」】と英単語の訳を右側に書くときに,「民主主義」だけを縦書きにしたり(当然,読者はここで本を90度横にして読むことになる),狭いスペースの中に小さな文字で無理やり縦書きにしたりしたのだ。

 「そんなの簡単じゃん。英単語と同じように左から横書きすればいいだけじゃん」と言ってはいけない。何しろ日本人は「横に書かれた文字は右から左に読む」のが癖になっているのだ。左から書いてもいいけれど,その際は必ず,「ここから読み始めますよ」という記号をつけない限り,どこが単語の頭なのか,判断できないのだ。
 だから「イラク派兵」と左から書いてあっても,当時の日本人は自然に右から「兵→派→ク→ラ→イ」と読んでしまい,意味が通じないのである。

 さらに,船とか車に書かれている文字(船の名前とか会社の名前ですね)は,「右側は右横書き,左側は左横書き」になっていることが多いが,これがいつ始まった風習なのかとか,話題は尽きないのである。


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 そして,第二次大戦中,作戦と戦闘の効率化,合理化を高めようと軍が「横書きは左横書きで」と主張したときに(これが当然の主張であることは誰でもわかるよね),国粋主義者の間から「日本の伝統は右横書きである。大和魂は右横書きである」ってな横槍が入った,なんてところを読むと,「日本刀を振りかざせばB29は恐れて逃げていく」と,何か問題が起こると精神論に逃げるいつものパターンが見えてくるのである。 引用以上 岩波新書 屋名池誠 著より

 どうも日本人は縦を重んじる傾向がある。剣道の心得のある方は御承知と思いますが、面を決めるのが最高で胴はやや劣る、ということではないだろうか。(現在は知りませんが、50年位前はそうでした)人間関係では如実に縦、上下の関係が横書き文化圏に比べ、特に重要になるようです。もっとも私は横書き文化圏に1日たりとも身をおいたことはないので正確には判りませんが。人の目は左右にあり、左右に動かすことが上下より自然で簡単である。インド、中国、韓国(現在のハングルは横書きか?)は縦書きであり、これらの国から書物が伝えられ、その結果としてこれらに習ったということであろうか。これら東洋の国々は何故縦書きとなったのであろうか。何か大きな意味があり縦書きとなったのか、偶然か、あるいは記録する用具の関係か、どのような理由であろうか。
 引用した文章にあるように、横書きは「効率的」「合理的」な面はある。算用数字が簡単に書けて見やすい、という意味で。このことが数学、物理学、科学のある意味での進歩をもたらしたかも知れない。このことから私は、横は数理的表現に適し、縦は、哲学的、思想的表現に適していると思うのである。ここで大飛躍して、私の粗雑且つ、深遠なる結論。(笑い)それ故、西洋の文明はお話にならないくらい野蛮で、反自然、反人間的である。今次大戦時「鬼畜米英」の標語は、まさに正鵠を得たものであった。もっともこの標語を考案した人は立派な人物であったか、どうかはまた別の問題である。幕末に言われた、「攘夷」思想もまた正しいものであったと思う。文明開化の名の下に、横書き文化を身につけることが国の指導者の条件のひとつとなってしまったことがその後のわが国の方向を決めたといえるのではないか。(明治新政府の要人の多くは西洋に留学した)過去のアフリカ、アメリカ大陸、アジアでの西洋の蛮行、現在の世界的混乱を見るに付け、主流的な西洋文明の致命的欠陥を見る。


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