助言者 荒井克浩 司会者 西沢正文 記録 浅井慎也
聖書には間違いがないのでしょうか。一語一句正しいのでしょうか。いわゆる無誤謬(ムゴビュウ)的聖書理解や逐語(チクゴ)的聖書理解について話し合いがありました。そして、荒井克浩氏から、初めに以下の図書が紹介されました。
岩波新書 徳善義和著 「マルティン・ルター」――ことばに生きた改革者
韓国人の参加者があったため、その方の韓国語を日本語に、また日本人の言葉を韓国語に通訳されました。美しい光景でした。
聖書には間違いがないのでしょうか。
○ 韓国では、昔、聖書には間違いがないと思われてきました。しかし今は違います。
聖書の翻訳によって、間違いが訂正されてきたからです。
○ 日本語の聖書の言葉が分からないときは、英語とギリシャ語で、調べ、比べています。
○ 賛美歌も聖書も日本語では正しくない場合があるでしょう。
聖書に間違いがあれば、どこに頼ったら良いのでしょうか。
○ マタイ、マルコ、ルカによって、それぞれのイエス伝があります。ある面からみると
違って見えますが、強調の仕方によって異なるのです。真理には二面性があるのです。
幅広く見て、全体をみる視点が大切で、それぞれが真理だと考えます。
○ 内村鑑三の言葉に真理は楕円であって、中心は二つあるというのがあります。義と
愛、裁きと赦しがそうです。
○ 韓国では、信じれば天国に行けるという信者が多かったです。しかし聖書の言葉を
注意深く読むようになりました。
○ カルビンは、聖書の勉強には車の両輪が、すなわち学問と聖霊が必要と教えています。
聖霊派が霊によって勝手に述べる人たちがいましたから。
○ ルターとツビングリーの間に、聖餐戦争がありました。「これはわたしの体である」
というのは、比喩なのです。
韓国と日本
○ 私の知っている韓国の教会は、宣教師を一番送っているアメリカの影響が強いです。
目に見える信仰に重点が置かれています。それは信者の数が増えることでしょう。
信仰熱心に感じられます。
○ 韓国のクリスチャンは、無教会は異端と考えているようです。サクラメント(儀式)
を重視していないからです。教会と無教会のケンカがありました。一つは日本嫌いから
来ているかもしれません。
○ 教会だからダメ、無教会だからダメということはありません。
まとめ
○ イエス・キリストからの啓示・メッセージを受けることが大切でしょう。
○ 「聖書」自体は神ではないでしょう。
○ 洗礼を受けて救われるのではなくて、信仰によって救われるのです。
○ 人間の力ではなくて、神さまの恵みによるのです。内村鑑三は第二の宗教
改革として洗礼と聖餐をなくしたのです。
○ 内村鑑三は、ルターを大変高く評価していました。しかしルターにも問題
はありました。けれどもルターは偉大でした。
○ 自分自身を通して、神さまを仰ぎ見たいです。
○ 「主よ、憐れみたまえ」と祈るのみです。