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無教会全国集会2015

2015年度 無教会全国集会ブログ

どのように信仰が与えられたのか

2016-01-28 21:44:43 |  3 どのように信仰が・・

木村護郎クリストフ

プロフィール
両親・妹との家庭集会から、春風学寮を経て、現在、自由が丘集会に通っている。上智大学教員。専門は、言語社会学、ドイツ社会研究。東日本大震災以来、脱原発を打ち出したドイツのキリスト教界が原発にどのように向き合ってきたかを調べたことをきっかけに、信仰と自然・環境の関係を考えている。

 韓国からいらした方々が、どのように信仰が次世代に伝えられてきたかをお聞きになりたいということですので、今日は、私にどのように信仰の恵が与えられたかをお話ししてみたいと思います。

 キリスト信徒の両親のもとに生まれた私は、小さいときから、神様の存在を家庭の「雰囲気」から感じとっていました。小学校高学年か中学校くらいの頃、夜、寝る前に一人でベッドのなかで信仰に関することを考えていたことをおぼえています。それがなんだったか具体的にはわすれてしまいましたが。神様を信じるというのは自分にとって、いわば三度の飯とおなじくらい当然のことでした。
 クリスマスなどにおばの行っていた教会にいくほかは、基本的に両親と妹の家族4人で日曜日の夕方に家庭集会をしていました。小学生の頃は、日曜日に両親が年に数回、特別な講演のある日などに無教会の集会にいくときは祖父の家に預けられていました。そこではテレビ番組が見放題だったり、祖父に絵をかいてもらったり祖父の犬の散歩をしたりして楽しかったこともあり、親がいれこんでいる無教会とやらには、悪い印象はなかったです。
 信仰の自明性が薄れ、疑問がでてきたのは高校くらいのときでしょうか。家族4人で車に乗っているとき、この車に乗っている人のなかで信仰がわからず神様から離れているのは自分だけなのか、とおもっていたことを思い出します。でも、信仰なしで生きることを考えたことは一度もありません。これまで自分とともにあった神様との関係を失うことはもはや考えられないことでした。ただ神様って誰なのか、信仰って何なのかよくわからなくなっていました。
 そういう高校時代に、うまれてはじめて無教会の集会に行きました。盧平久(ノ・ピョング)という韓国の無教会の先生がきて、その人は(日本人とちがって)ダイナミックな話し方が面白く、はなすときにぴょんぴょんはねるというので、なんとなく面白そうだと関心をそそられて親について行ったのです。大人だけが行く場所にはじめていけるわくわく感もありました。ちょっと大人になったぞ、みたいな感覚でしょうか。行く前は、無教会の集会というのは、大きな講堂みたいなところにたくさんの人が集まって、講師が壇上で話すんだろうと、学校の全校集会のような会をイメージしていたのですが、いざ行ってみると、ビル地下の会議室に主に年配の人たちがたしか10数人から20人程度座っていて、前の教卓みたいなところで講師が話す、教室のような雰囲気で、拍子抜けしました。でも、かえって緊張感がとれてなんとなくほっとしたようにおぼえています。
 そのときだったか、また別のときに同じ集会に行ったときだったか、集会の主催者の合田初太郎という、長らく企業に勤めながら伝道活動を行ってきた先生が私に話しかけてきて、次のように言いました。
 若いもんは、聖書のあれがわからんこれがわからんといっていろいろ言うけど、おれだってわからんわ。とにかく、つべこべいわずに信じればいいんだ。
 ちょっと乱暴な言葉にも聞こえますが、私は、自分の内心をみすかされているような気がして、はっとしました。こうやって何十年も熱心に信仰の人生をおくってきた人でも、わからないんだ。なーんだ、それでいいんだ。なんかすごく安心しました。信仰を(頭で)わかる必要はない、というのは大きな発見でした。
 大学に入って、親のすすめで、春風学寮という食事(これも大切な要素でした。無教会は共にする食事を軽視すべきではありません!)と聖書講義つきのキリスト教学生寮に入ることには何の抵抗もなく、むしろ日曜に聖書の話が聞けるのが楽しみでした。(そのわりに、実際はあまりまじめに聞いていなくて、大学院生になって寮を出る頃になってようやく一回一回、真剣に聞くようになりました。)
 親の信仰に対して反発しなかったのかと聞かれることがあります。息子というのは、しばしば父親に反抗心をいだくのかもしれませんが、うちの父はあまりしゃべる方ではなくかつ何もおしつけない人なので、のれんに腕押しとはまさにこのことで、反抗のしようがありませんでした。母は逆に、たえずいろんなことを言ってきましたが、そのような母への反抗心やうっとおしさを感じたころには、その強そうな母の弱い面も同時にみえてきてしまって、反抗する気がうせてしまいました。ドイツの神学者エスター・フォン・キルヒバハはいみじくも次のように言っています。
「大きくなった子どもは親のさまざまな至らなさをみるようになって失望するということがよく言われます。親の弱さを発見することは子どもにとってショックだと。こういうことは私たちのところでは起こらないはずです。といってもキリスト信徒の親の方がそうでない親よりすばらしいということではありません。そうではなくて、キリスト信徒の家庭では、子どもはそうではない家庭よりも早く、親も完璧ではないということを学ぶからです。」(Esther von Kirchbach: Die Hausgemeinde, S.42)
 これは自分の経験からしてもうなずけます。親が自分の権威をふりかざす権力者ではなく、弱さをもちつつ神とともに懸命に生きようとする人間であることを知ったとき、親は既に反抗の対象ではなくなっていました。
 またなんらかの「方針」を親から指示されたように感じたことはそもそもありません。信仰は、「方針」ではなく生きる上での基盤そのものなのでなんらかの「方針」と感じたことはありませんでした。親からあれこれ提案はよくしてきましたが、いいとおもえばやるし、気がすすまなければやらないまでで、あとくされなくやってこれたとおもいます。エスペラントや少数民族の研究など、次々と(世間一般からみれば)変わったことに手を出す息子を温かく見守ってくれた両親には本当に感謝してます。

 今の私にとって、信仰は、世界観でもあり、人生の目的を示すものであり、日々の力の源でもあります。毎朝、一日は『日々の聖句』(ドイツ語でLosungen)を読んではじまります。毎日、その日を導く「標語」となるべき旧約の一句に、その意図を新たに照らし出す新約の一句が添えられています。旧新約がそれぞれ伝えることの間にある緊張と共鳴、展開に、毎朝のように驚かされます。仏教徒の友人に、神の意志などどうしてわかるんだ、と言われたことがありますが、聖書を読むことで知ることができることを実感します。とりわけ、新約聖書の福音書によって、生けるキリストの言葉に出会うことができます。そして、職場に向かう道中、家を出て少し歩いたところにある、視界のパッとひらける坂上のいつも同じ場所でこう祈ります。

 「今日、世界を愛と感謝に満ちたまなざしでみることができますように。とりわけ、快活な安心感をお与えください。私に出会うすべての人があなたの愛と臨在を感じられるために。」
(Gib, dass ich heute die Welt mit Augen betrachte, die voll Liebe und Dankbarkeit sind. Vor allem bewirke, dass ich voll heiterer Zuversicht bin, dass alle, die mir begegnen, sowohl Deine Liebe als auch Deine Gegenwart spüren.)

 朝、これらの文章に導かれて祈ったあとの私の一日は、仕事や生活に紛れて、感謝も快活な安心感もどこかに行ってしまうことがあまりにも多く、日々、前進がないようにもみえますが、あきらめずにつながり続けることでいつしか造りかえられていることを願って、今日も生かされています。

木村護郎クリストフ