中川陽子
プロフィール
1971年生まれ。徳島聖書キリスト集会員。集会では、スカイプの中継係やコーラスの担当をしている。コーラスは多くて8名程で、楽しく讃美している。看護師として14年間大学病院に勤務後、母が立ち上げた「有限会社マンナ在宅支援ミルトス」に勤務し、二人で介護支援専門員(ケアマネジャー)として、心身に問題を抱えた要介護者や、その家族を支えるための仕事をしている。
私の最初の神様との関わりは、母からでした。母が無教会のクリスチャンで、高校生の時に担任だった吉村孝雄さんより伝道を受け、徳島聖書キリスト集会に行くようになっていました。私や弟も小さい頃集会に連れられて行っていました。
小さい時から私は自分の中に大きな罪があることを強く感じていました。また、行動はぐずぐずしていて、友達と仲良くする方法が分からず、強い劣等感を持っていました。
聖書を開いて自分なりに読んでみた時に、イエス様の山上の教えに感動したものの、自分にはできないことも思い、悲しくなりました。クリスチャンになるとは、これを全部守ると決めて宣言することだと思い、キリスト教に憧れがあるのに、清すぎて入り口が分からない世界に思えました。
20歳の時に、マーリンキャロザース牧師の「賛美の力」という本を読みました。困難に見えることに対しても神様を信頼して心から感謝した人に、奇跡的な解決が与えられた証が書いてあって驚きました。また、その本から、初めてキリスト教とは罪人の私たちのために、イエス様が十字架に架かってくださることによって、永遠の命を無償で与えてくださるものであるということを知りました。アブラハムもただ神様を信じるだけで義とされたとありました。私はこんな自分にも道が開かれ、実際に助けてくださる神様がいることを知って、本当に嬉しく、ただ信じて入れていただこうと思いました。この本の証のような奇跡を起こせる生きた神様についていきたいと思いました。それですぐ、母のところに行って、「お母さん、私クリスチャンになる。」と言いました。母は突然のことで半信半疑でしたが、とても喜んでくれました。その後まもなく、父もいつの間にかイエス様を信じるようになっていました。
その数ヵ月後、私は、神戸の大学病院で看護師として働き始めました。最初に配属された心臓血管外科の病棟は急変の多い部署なので緊張度が高く、先輩の指導も非常に厳しいものでした。朝から晩まで叱られ、否定され、心はボロボロになりました。同期の子は一人辞め、翌年入った新人は皆辞めました。仕事を覚えながら何とか適応しようと努力しましたが、夜勤も多かったので、体も疲れ果て、過敏性大腸症候群や不眠症になりました。また、看護師の仕事で一番苦しかったのは、日々自分の愛のなさを痛感させられることでした。
当時無教会の集会が近くになかったので、近くの教会に行こうとしました。しかしそこでは、洗礼を受けなければ、クリスチャンではなく求道者と呼ばれ、どこに行っても信仰でなく洗礼の話になり、教会の人にとって、洗礼を受けているかどうかが非常に大切なことであるということを知りました。信じるだけで無償で救われることを読んで、この信仰の世界に入ってきたけれど、洗礼を受けなければ永遠の命がいただけないのかもしれないと思い、何年も悩みました。一度は悩みを解決するためだけに洗礼を受けようとしたこともありましたが、どうしても納得できずに止めました。教会でのお話も、私が当時実生活で悩んでいることの力にはなりませんでした。だんだん、救われた最初の喜びからほど遠くなり、キリスト教が理解できず、劣等感の塊で、完全に道を見失っていきました。就職して9年程経っていました。
そんな時、徳島で行われた無教会のキリスト教四国集会に参加しました。そこにはゆったりとした清らかな、特別な空気が流れていました。私は人に会うのが嫌で、あまり周囲と関わりたくなく、壁の内側から周囲を観察しているような感じでした。
その日、講話が始まると、みなさんが前を向いて熱心に聞き始めました。その瞬間、一人ひとりが心を、上におられる神様に向けて、じっと神様に聞き入ろうとしているように感じました。みんなが人間的な思いで人に会いに来ているのではなく、神様に会いに来ており、自分の課題に対して、生きた神様の働きを待っているのが分かりました。そう気付いて、私は心底ホッとすることができました。人間を見つめず、神様の方を向いているその空間が、とても居心地良く感じられました。その時、私は初めて聖霊を感じて、それを受けることができました。地上の喜びとはまったく違った、理屈ではない大きな喜びで満たされて、この喜びと他の物を交換するのは嫌だと思いました。
それが大きな転機となり、聖霊を受けたその時から、洗礼を受けるかどうかということが、まったく問題ではなくなりました。イエス様が救ってくださったものを人が覆したりできないことが分かり不安がなくなったのです。そして私の霊的な居場所が、この無教会の徳島聖書キリスト集会であるということもはっきりと分かりました。その後神戸でも集会が与えられ、交代勤務の中でも定期的に礼拝に出ることができるようになりました。
仕事では、集中治療室に配属されました。いつかは働いてみたいと思った部署でしたが、人間関係に再び悩まされることになりました。しかし、信仰的な転機を迎えていた私は、講話を聴くときには、自分のこととして一生懸命聞き、不安な時は聖書を必死で読みました。詩篇の作者のうめきが、私のうめきと重なり「私の敵の前で、私の食卓を整えてくださる」という詩篇23篇5節の御言葉が深い慰めとなりました。自分に冷たい態度を取る人のことを祈り、できるだけ愛をもって接するように努めました。ある時、士師記7章のところが、目に留まりました。神様はギデオンに、「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいけない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。」「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ」と言われ、兵士をわざわざ減らされました。それを読んでとても驚きましたが、私の目の前の問題もいかに大きく見えても、神様のお力はそんなものを越えて勝つことを、信じることができました。それは、自分の力に頼らず、信仰によって、神様のお力によって救っていただくことを知る良いレッスンとなりました。
しかし集中治療室5年でもう限界となり、病院を辞めることにしました。辞める時、私にずっと冷たい態度をとってきた人が、ためらいながら話しかけてくれ、「中川さんだったら、優しいからどんな仕事をしてもうまく行くと思うよ」と言ってくれました。私はそれをその人の精いっぱいの謝罪と愛だと受け止め、できるだけの愛が伝わっていたことも知ることができました。こうして、病院での私の課題は終わりましたが、それが今では、私のかけがえのない経験として、仕事上や心の大切な宝物となっています。
今、わたしは母が起こした、有限会社マンナ在宅支援ミルトスという会社で、ケアマネジャーとして働いています。病院でとても厳しい訓練を受けたことが、今利用者さんを支援する上で、とても役立っています。利用者さんやそのご家族は、神様が意味あって私に出会わされた隣人であると思い、できるだけ私なりに愛を込めたいと願っています。今こうして、神様に繋がり、自由に仕事ができる環境を感謝します。日常の些細なことで、神様は驚くほど私たちを助けて下さり、それを通して「神様が生きて共にいる」ということを知らせてくださいます。外に仕事に行くと、会うべき人にばったり出会えたり、神様に促されるように相手に電話をしたことで、問題を早期に解決できたりしました。解決不可能と思われた問題も、神様は必ず助けて下さいました。私達は罪人で十分なことができませんが、神様はいつも私達を助け励まし、できる以上のことを与えて下さっています。母と二人の小さい会社ですが、今では中核病院や市役所関係からも困難事例と言われる仕事を任せていただけるようになりました。
わたしは枯れた骨のような状態から、神様の吹かれる、霊の風によって生き返りました。私の杯は、今溢れていると思えます。今も自分の罪や課題がたくさんありますが、そのまま神様に祈ると、神様は聖書をはじめ様々な本や、出来事から方向を示してくださいます。今、なるべく嫌な出来事や気持ちも神様に感謝するようにしています。痛みがある所に祈りが生まれ、神様との関係が発展していくことを知ったからです。今までの歩みを振り返ると、すべて私たちの背後で、生きているキリストが導いてくださったことを感じます。まだ小さい、仕事上の面でしかできないことも多いですが、これからも、自分の思いを超えて、クリスチャンとして神様ご自身が成長させてくださると信じています。