無教会全国集会2015

2015年度 無教会全国集会ブログ

無教会と宣教

2016-01-28 22:28:56 |  2 無教会と宣教

金成翰

プロフィル
13歳から宣教師の子供として日本で育つ。大学卒業後4年間、建設会社で社会生活を経験した後、神の御国の為に献身したいと思い神学校に入学する。2007年にフルゴスペル神学大学を卒業し渡米、Southwestern Baptist Theological Seminary(M.Div)を経て現在はEvangel University (Ph.D.in Intercultural Studies) に在学中。スプリングフィールド第一長老教会と純福音東京教会にて副牧師、フルゴスペル神学大学講師などを経て、現在は日本の無教会をテーマとした卒業論文準備に取り組んでいる。

 まずこのような素晴らしい機会に、日本の無教会の皆さまを前にして、お話をさせていただく機会を与えてくださった関係者の皆様とそして何より、われら主なる神様に感謝しております。前年度の大会では、初対面ながら皆さまにアンケートを協力をお願いし、また協力してくださった方々にこの場を借りて、感謝を申し上げます。

 私は現在、宣教学を勉強しており、中でもキリスト教の歴史の中で福音がどのように伝播されてきたのか、それぞれ異なる文化において福音はどのような形で現地の人々に受け入れられるのか、について関心を持っております。
そんな中、アメリカで在学中に授業で日本について話し合う機会がありました。クラスのすべての教授や学生達が口を揃えて私にした質問は“何故、日本にはキリスト教が根付かないのか?”でした。私を含めほとんどが日本イコールキリスト教が世界で最も広がりにくい国、という認識で染まっていました。
 そんなある日、私は日本的キリスト教についてリサーチをしている中、常に登場する一人の名前がありました。それは内村鑑三という人物でした。それまで彼と無教会についての存在は知っておりましたが、関心を全く持ったことはありませんでした。それは私の意識の中に、無教会イコール異端という認識はあったからです。

 教会では、とにかく熱心に教会の礼拝に参加する人を信仰が良い人、と呼んでくれますので、私も牧師としてそのように教えてきました。ある聖徒が“今日は体調が悪いから休みます”ということを言うと、はじめは“いや、いくら体調が悪くても礼拝を休んではなりません”といいますが、それが何週も続くと“あの人は不信仰の霊に取りつかれた”といいます。そのような状態で牧会をしますので、当然、無教会と言われると、いい印象を持つはずがありませんでした。

 しかし、日本のキリスト教の土着化を調べていく過程の中で、内村鑑三という人の存在がもはや、無視することができないくらい頻繁に出てくるようになりました。そこで私の関心を一気にひきつけたのが内村鑑三の一高不敬事件でした。正直、それまで私は教会の中で日本の聖徒達の過去の国家神道の過ちに対する曖昧な態度にとてもイライラしておりました。国家神道を批判することが日本を批判することと同じことになってしまうという心配から日本聖徒には正しいことを言うつもりが、なぜかおどおどする自分がいました。そんな私に2次大戦の当時の天皇に頭を下げなかった日本人クリスチャンがいたことはとても衝撃でした。しかも、それが無教会の創始者ということで、私は迷わず研究テーマにしたい、と教授先生たちに報告しました。

 キリスト教が珍しい日本について、しかも初めて聞く無教会について、研究したいときいた先生達は皆、口をそろえて、“彼らの正体は一体何なのか?”ベースラインのデスクリップションを要求されました。そこから一昨年前に皆さまにお願いしたパイロットリサーチの時点までも私は皆さまについての研究を非常に安易に考えておりました。しかし、研究が進めば進むほど、本を読めべ読むほど、わからなくなってきました。膨大な量の無教会関係の本、研究資料、そして何よりも難しいのが、無教会関係の本はどんなに小さいい本でも内容が濃い言葉も難しい、何度も読んでもよくわかりない本が多すぎる。これは基本的なリサーチところか、無教会についての研究が世界的にもすでに富士山のような大きな存在であることに気づくようになりました。中に入るとどんどん吸い込まれるが、ますますわからなくなる、最近は、だから無教会なんだ、と割り切って研究に取り組むようにしております。

 しかし、今の段階で、私が確信を持つようになったことは、無教会の日本社会における影響力のすごさです。これだけの社会的影響力を及ぼすことができるのは、“宣教師の墓場”と言われる日本についての私の世界観を一気に変える大変な出来ことでした。確かに日本は“宣教師達の墓場”かもしれない、しかし“キリスト教の墓場”ではない、と私は強く確信を持つようになり、しかもその中心に内村鑑三と無教会の皆さまの存在があるということです。
さて、今日はこのような私の研究を背景に、私は無教会と宣教という題で韓国教会の一牧師の視点からみた、お話をさせていただきたいと思います。

 まず韓国のキリスト教会は統計がとても好きです。なんでも統計を取りたがります。何十万聖徒、何十個の管轄教会、など。このような統計的な立場から日本と韓国のキリスト教を比較してみると 韓国のキリスト宣教が日本よりもはるかに成功的であったことは一目瞭然であります。国民の約3割がクリスチャンという統計は欧米の宣教師達にとっても嬉しい結果であったはずでした。しかし、聖書が意味する教会(聖徒の群れ)という側面からみて、この統計的結果だけをもって宣教の成功可否を語ることをどこまで信頼できるかには疑問が残ると思ったわけです。それは真の教会とはキリストを頭とする目に見えない霊的な教会であるからであります(コロサイ1:18;エペソ1:22)。人間の統計によってある国の宣教は成功、ある国は失敗、という見方に些か疑問を抱かずにはいられません。

 しかし、今なおあれだけ大きくなった韓国教会、しかしその内外でよく耳にする言葉は“教会とは一体何だ?”ということです。聖徒達の貴重な献金で大きな建物を建て、教会の財産を積み上げるのが教会か?毎日のように熱心に祈り礼拝に参加するのが教会か?しかし、そんな熱心な信仰生活の裏側で満たされないこの心のもやもやは何か?しかも、教会の外ではなぜあれだけの批判を浴びているのか?聖徒達はとても混乱しているわけです。多くの人々は神の国と教会を、神様と牧師を、混同しています。それは教会でそのように教えるからです。牧師と教会によく仕えれば神様は祝福してくださる、という睡眠剤のような教えが蔓延しているわけです。

 私が大学を卒業して建設会社で務めていたごろ、いつも思っていたことは、“自分は会社の会長のために働いている”ということでした。しかし、彼は私とは何の関係もない人の為にこんなに自分を献身するくらいなら、神様の教会で神様の為に働きたい“、と思うようになり、神学校に入学し、教会で働き始めましたが、教会内にも同じように存在する世俗的な組織を見てがっかりしました。そんな私にとって何か信仰の突破口という気持ちでアメリカでの勉学が始まりました。そして、“真の教会という一体何か”という止まらない私の問いに対し、納得の行く答えは最新の神学知識からではなく、意外にも宣教地の日本から見つけることができたわけです。

 内村鑑三によって始まった日本の「無教会」という概念は世界中のクリスチャンに教会の本質に関する大きな課題を遺してくれたと思います。それは、教団教派を称する目に見える教会が必然的に持つようになる人間組織の堕落した姿に関して、であります。神を名乗り多くの人々を抑圧したローマカトリックという巨大な人間の組織は宗教改革を通し、プロテスタントとして教団教派へと細分化されながらマテリアリズムと手を組みました。そして今日、教会の中で起きている唯物論的リバイバルとご利益主義による弊害がその結果であるのではないかと思うのです。しかし、今から100年前にすでに内村は初期プロテスタント宣教の時期に無教会を叫んでいたのです。

しかし、今まで多くの韓国教会は無教会を無視してきました。それは韓国教会は欧米のオーソドックス化されたドグマと組織中心の教会論に強く依存してきたからであります。しかし、近年の宣教学の発展にともない、この欧米文化の衣を着た組織中心のオーソドックスな教会論への依存がどれだけ世界の宣教各地において副作用を起こしてきたかがだんだんと明らかになってきているのであります。

 今日、21世紀における宣教の中心が北半球から南半球へと移動することにより、現地で新たに生まれてくる様々な文化に適した形の教会についての研究が進んでおります。そして、宣教学(Missiology)と教会学(Ecclesiology)の架け橋として注目されている「宣教教会 (Missional Church)」という概念は今までの教派教団中心の宣教と組織中心の教会概念を脱皮し、教会とは即ち、神を信ずる人々の群れである、という聖書が言う真の教会観を再証明するようになりました。すなわち、教会は教団の産物ではなく、神の宣教の結果であるという概念へ教会のパラダイムが全世界的に少しずつシフトしているのであります。その神の宣教とは決して人間の組織と権力の中に閉じ込まれることなく聖霊を通して救われる人々の為に働き、いつの時代においても形や固定概念に捕われず神の霊はご自身の人々の為に働いて来たということが明らかにされるようになってきました。そして、「無教会」が目指してきた紙上の教会は、その「宣教教会」というレンズから見て、十分に真の教会の一群として神の宣教の一角を担って来たともいえるわけです。韓国においても、このような「宣教教会」の理解を通し、多くの既成の教会から否定的にみられてきた「無教会」に対する誤解を解き、韓国のキリスト教における新しいビジョンを考えることが必要な時代になってきているのではないかと思うようになったのであります。

 しかし、そんな中で私は韓国ではなぜこれほど無教会にたいして否定的なのかを、考えてみました。それは、このような宣教学と教会論の世界的な変化がもちろん韓国の神学校でも教えられているのにも関わらず、無教会を異端とは言えない時代になってきたのにも関わらず、韓国教会の無教会に対してはなかなか耳を貸そうとしないのか?を考えるようになりました。そこで私は日韓の初期プロテスタントの土着の過程に注目し、二つのことに注目しました。

 一つ目は、両国のキリスト教のイメージの違いです。無教会が韓国でどうしても越えられなかった精神的壁、それは植民地時代の日本という悪いイメージがることに気づきました。もちろん無教会本来の精神は世界的にも普遍的ですが、しかし、戦後直後の霊的にも物質的にも貧しく、日本に対し被害意識が強かった韓国では日本というイメージはあまり歓迎されなかったのはないか、と思うわけです。
 そういう意味からすると、日本と韓国における初期プロテスタント宣教における無教会の位置付けはそれぞれ異なるように思えたのです。日本の無教会は日本人から始まったので、少なくとも日本的というイメージをもっております。しかし、韓国社会はキリスト教を含めは終戦後、日本的なものよりアメリカ的なものをもっと積極的に受け入れてきました。もちろん、植民地時代と朝鮮戦争の苦難を信仰で生き抜いた素晴らしい韓国の無教会の人々もいましたが、戦後、そのほとんどは社会運動化され、1960年代以降に起きた韓国教会における爆発的な成長はむしろ、無教会精神と正反対のマテリアリズム重視の成功主義と欧米の教会成長理論が韓国文化のシャーマニズム的側面とうまく合致した結果であるのではないかと考えたのです。このように目に見える大きな教勢を持つ韓国教会と無教会を代表とする日本のキリスト教は、初期プロテスタント宣教の受容において全く正反対の道を歩んでいたのです。

 そして、もう一つの理由に日韓の人々の一般的な価値観の違いに注目しました。私に日本人と韓国人の違いを一言に述べるとしたら、感情的と理性的だと思います。韓国の人は見た目がすべてだと言っていいほど見た目を重視する、しかしそれにくらべて日本人は中身を優先する。その分、常に“何故”を理由を求めようとするからではないかと思うわけです。 なので日本の無教会は日本社会において数々の業績を残してきたように思います。特に教育界と神学界における無教会の貢献が目立つと思います。目に見える教会の規模は小さいけれども、日本社会の中で無教会が“真の教会”を絶え間なく求め続けて来た結果ではないかと思います。しかし、今日の韓国の教会は大きな教会教勢の規模に比例するかのように、“真の教会”の姿に対する疑問を持つ人々の批判が絶頂に達しています。“教会さえ大きければすべてよし” という形重視の考えは、まさに外見重視の韓国の人々の価値観とぴったり合うわけです。しかし、そこから出てくる弊害に対して、韓国教会がこれといった答えを見つけているようには思えません。このように、それぞれ異なる二極の教会観を歩んできた両国を宣教学的な視点から見ると、意味(Meaning)を重視した日本と形(Form)を重視した韓国であったように思える。

 結論的に、宣教の成功可否は人間の統計によって語ることはできません。宣教も教会も神ご自身のものであるからである。日本には日本的キリスト教が、韓国には韓国的キリスト教が生まれてきたのは文化的・社会的に必然なことであったように思えます。しかし、若い牧師の一人として、あまりにも形だけを重視してきた今日の韓国教会が抱えている問題を目の前にしながら無教会精神を立ち帰らずにはいられないのであります。「宣教教会」という教会のパラダイムの変化による韓国教会の覚醒がいち早くおきて、韓国において無教会に対する真剣な考察が行われることを祈りたいと思います。



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