<考え方の手掛かり>
助言者 妹尾陽三 司会者 内坂晃 記録 矢田部千佳子
何故この分科会を選んだかという司会者からの問いかけに、自己紹介を兼ねて出席者が答えた。その理由のほとんどが「神と自然」とある点に興味を持ったということだった。
1.「神と自然」
内坂:聖書には神がその似姿に合わせて創造した人間に自然の統制を委ねたという記事があるが、そこに自然破壊の元凶があると良く言われる。しかしそれは、人間が神の造られた自然をよりよく管理するということが命ぜられているのであって、それと自然破壊とは違う。そこで先ず、例えばアイヌの人は必要以上に鮭を採ったり、川に小便を流したりしない。自然と一体になって生きているような在り方というのを大和の人は学ばなければならないと言われる。それに対してはどうか。
妹尾:それに対しては昨日金先生の韓国におけるクリスチャニティーの広がり方で、シャーマニズムに触れられたが、韓国でもそういう動物や自然と一体化するものがある。アイヌの方々は自然を大事にするが、それは一種の自然信仰だ。アメリカン・インディアンやイギリスのケルト人などもそうだ。歴史の発展の中では、そうしたものは克服された。日本では自然信仰を残しながらなおかつ作業だけ近代的になっている非常にいびつな構造になっている。
亀山:サンマが美味しいからと言って大きな船で来て、わぁっと採っていく。そういうのは行き過ぎだ。
妹尾:某商事会社がニューファンドランドに行って子持ちシシャモを日本に輸入するが、雄はみんな捨ててしまう。雌だけ採ってしまったら自然の体系が崩れるから地元の人は困る。自然の体系は残すという限りにおいてはアイヌの人がやっていることは非常に正しい。有機的に再生産する。
亀山:アイヌみたいに全員がそれで生活できるかと言うと、日本のような狭いところでそれは不可能ではないか。
妹尾:だからと言ってGMOのようにやたらに遺伝子を替えまくってそれで大量生産するのもどうか。これからTPPで大量に日本に入って来ることになる。
亀山:遺伝子を使って都合のいいものを作る、そういうものに恐れはないのか。
妹尾:モンサントという会社が、枯葉剤を作ったり、遺伝子組み換えのすごいことをやっている。そういうことをして行くと自然の体系が崩されてゆく。それは神が造り給うた循環を人類が壊しているのだと思う。それに対して恐れはないのかというが、恐れながらやっている人と、開き直って正にこれが神が命じた自然を支配することだと言う人とがいる。新自由主義だとかTPPだとか、神を恐れざる所業であって必ずや滅びに至るであろうと思うが、そこは少し怖い。
内坂:「新自由主義」の考えは、フリードマンという経済学者が一番極端なところで、ベトナム戦争ではアメリカ政府と一緒になって、どうすれば一番効率よくベトナムの人を殺せるかということを考えた。経済効率で戦争を考えるという、そこまでやってゆく。新自由主義の考え方は現在に至るまで進められている。それに対してそれは間違いだと言って抵抗する経済学者も出て来ている。大きく分けてその二つが衝突しているような状態だ。
妹尾:佐和隆光さん、宇沢弘文さん、藻谷浩介さんなどは自然循環の体系の中で、農業ばかりでなく工業もやって行こうと言う。今は材木で高層ビルが建つというようなそういう時代になっている。
2.「自然」とは。その言葉の定義を巡って。
中林:「自然」と言う言葉が混乱を起こさせる。今日のタイトルを「神と」と、「神がお許しになる自然」と言い換えないと、「日本人の自然」が混在する。「神がお許しになる自然」と、私たち人間の倫理の中における自然主義の問題とをはっきりと分けないといけないと思う。
妹尾:自然と天然と言う…。
中林:内村は自然と天然を区別した。漱石もそのことを分かっている。だが私たちは、日常の議論をする時それを一緒にしてしまっている。自然主義の中で、どんどん生命の理の体系を壊している。モンサントも種苗も医の倫理も―。どこまで我々が生命倫理に介入しても良いと言っているのか。今歯止めのないところで神が与えた食というものが作られている。食と生命とを分けて考える必要がある。
妹尾:京都学派と言う戦前日本の大東亜共栄圏のイデオローグとなった人々は、正に自然がそこにあるという。しかし、我々は創造者がいるという考えだ。自然とはそこにただ在って我々はその一部だと考え、八百万の神を見出すような自然と、私が主題として掲げた神と自然と言うのとは明らかに違う。それを明確にするのは必要だと思う。
中林:先ほど神は私たちに自然を統治、管理しろとおっしゃった、ということが言われた。西洋文明の中で育った人たちの中でそれを「支配」ということと履き違えてしまった。支配ではないという時の批判の論点は、日本人が自然主義でやってきたこととは違うところからある、ということをはっきりさせなければいけない。どうやって明確化でき、日常生活の大事な視点を生み出すことができるか。
妹尾:日本浪漫主義という、戦後は批判されて静かにしていたのですが、今や安倍さんも出て来てまたぞろ蠢いて日本の主流になりつつある。皆靖国に詣っている。それに対して我々クリスチャンは厳然たる態度を取らなければいけない。恐らく韓国でも同じようなことがあるのではないか。教えていただければと思う。
内坂:それは、自然が神になっている、あるいは我々は死んだら自然に帰るという、日本人の死生観に特徴的なもの。
近藤:内村鑑三と夏目漱石が天然と自然を分けていたという話だが、言葉の上で韓国の方もいらっしゃるので伺いたいが、天然と自然というと、欧米の人たちは区別できているか。
妹尾:ヨーロッパの人たちの間では神が創ったという大前提にある。
近藤:すると「自ずから在る」という概念はあまりないと―。
亀山:神が与えたもの。
内坂:聖書の見方では人間は自然の一部だが、自然を管理、統治する責任を委ねられたものとして全くの自然の一部ではない。自然の一部だとする考え方の問題は、社会のいろいろな出来事も自然の一部という受け留め方が濃厚になること。戦争も時代の流れの中で、あの時はああいう時代だったと、嵐が吹いて嵐が治まってという、自然界のことと同様に時代の流れとしてあったんで、人間の犯したことも自然現象の一部であるかのような受け止め方が日本人には強い。
亀山:結局だれも責任を取らなかった。
内坂:何が欠けるかと言うと、人間の人格の尊厳とか、人間は神の前で責任を問われる存在だとか、そういう考えは日本人には非常に少ない。だから難民の人たちに対してもとても冷たい。
亀山:あれはあれで、ああいう時代だったのよということで済ませてしまうことが多い。
山本:ヒトラーのしたこともあの時代のことだった。でも、ドイツでは反省をして、ヴァイツゼッカーがあの時代のことを踏み台として改善して行った。
内坂:ドイツでは責任追及をした。日本でもやったが東京裁判と言う外側からの追及だった。日本人自身が責任追及したのではない。野田正顕さんは日本人には戦争神経症と言うのは非常に少ないと言う。何故かというと、あれはああいう時代だったからとか、上官の命令だから仕方なかったとか、いつまでもそんなことに拘っていたら戦後を生きて行けない、そういう風に済ませてやって来た人が多かった。すなわち自然の時間の流れの中にすべてを委ね、私という人格が責任を負わなければいけない部分とか、そういう感覚がない。ないから神経症などにならずに済む。
妹尾:だから、自然と絡む宇宙に唯一絶対神がない。絶対善も絶対悪もない。個人にも体制にも、政治経済の中にも、自分たちがいくら権力を握っていても自分たちの上に普遍的な原理がある、それには逆らえないということをヨーロッパでは歴史を通してやっている。日本でそんなことをやったことはない。だから、慰安婦の問題でも、南京虐殺の問題でも、自分はそれを信じたくない、だから歴史の方を捻じ曲げる。そういうことを平気でやる民族と言うのは日本人しかいないのです。
3.ここで司会者が韓国からの参加者の意見を聞く。
金哲雄:キリスト者と経済の問題は韓国でも日本と同じかも知れない。韓国でもクリスチャンは自然に帰るという。例えば農業の場合自然農業によって人間にとって正しい食物を作るという考え方がある。韓国では自然農業をしたら経済的には成り立たない。自然農法でコメを作ったら4倍とか10倍とか、高くなる。以前小谷純一郎先生が日本の有機農業を教えて、その弟子たちが韓国で広めて人気がある。テレビでも紹介され、大勢の人が自然に帰るという思いはあるが、実際には年を取った人が自然に帰って残りの人生を送りたいということになっている。経済的に見ればどうしても問題がある。日本の経済を見れば韓国の経済が分かるという人もいる。経済は難しい問題だ。
内坂: FTAをアメリカと結んだ後の韓国の農業に変化はあるか?
金: FTAや、まだ加入してないがTPPは韓国は反対。政府と農業とはいつも闘っている。日本と同じ。
妹尾:ただ韓国では自動車だとか、鉄鋼だとか産業が強い。
金:韓国の政治リーダーになるには経済を専攻した人に一番可能性がある。
韓萬荷(通訳は金東明さん):今ここで考えたのは、日本の経済の発展は朝鮮戦争特需から出発したのではないかということだ。戦争そのものが自然破壊。戦争の上に築かれた経済であるので、それによって起こる問題がある。韓国もまた戦争で破壊された土の上にアメリカの資本が入って来て発展した。昨日金成翰先生の講演では韓国の大半の教会の問題はシャーマニズムに繋がっているという趣旨だったが、私はそれより前にアメリカの経済以前に入ってきたキリスト教に問題があると思う。イエス・キリストを信ずればお金持ちになる。その言葉があの時貧乏だった韓国人に多大な影響を与えた。日本も韓国もアメリカのマテリアリズムの量的なものに動かされてきた。今安倍総理の論理もアメリカの東アジア管理の観点からみられている。しかし、これを私はアメリカの問題だとは思わない。人間の在り方についての問題だし、人間の罪の問題だと思う。内村先生の言う回心の問題だと思う。次にもう一つ。今韓国では親日ということと左翼とされることが問題になっている。韓国では保守が親日。私は親日と親軍国は区別しなければならないと思うが、こういう意味で金教臣先生の立場を親日と批判する人たちがいる。去年金教臣先生を「韓国の先生」というのに推薦しようとしたが、反対した人もいた。
金:韓国の経済はベトナム戦争で発展したという人がいる。また、私の家内は教会に通っていて、収入の10分の1を教会に献金すれば100倍の恵みがあると言われている。経済の問題と韓国の教会は強く繋がっている。
亀山:朝鮮戦争によって日本も勢いづいたし、アメリカも第一次、第二次世界大戦で利益を得た。だから、軍国主義から離れられない。
内坂:別にアメリカだけでなく、世界の経済で何が儲かるかと言うとダントツに軍需産業だ。
中林:国の豊かさとは一体何を以って表わすか。以前はブータンの例で幸福度というのがあった。これから政府が政策として繰り出してくる豊かさというまがいものに対して私たちはどういう豊かさの表現を以ってそれに対置するのか。その学習がこの場ではないのか。農業の話だが、有機農法では作物を作るために土を作るのではないそうだ。それ以前に、そこに生きている微生物を作るということだという。目に見えない命を命あるものとして維持しておくことで、有機物を分解してくれる。それが土づくり。生命の倫理とは何も人間の命に限らない。有機物も含めたすべての命。だから生きとし生けるものと言う言葉は、日本の文化や価値観における意味とは違って、聖書の中に置き換えてみたらよいと思う。神の真理をそこに見る。
4.SDGs(持続可能な開発目標)とTPPについて
内坂:国連の画期的なプログラムSDGs(持続可能な開発目標)について「クローズアップ現代」で紹介していました。開発途上国は先進国を目ざして動くが、では一体彼らには先進国の豊かさを享受できる時が来るのか。そういうことになれば、地球はもたないということだった。地球全体の人口は今およそ72億。それが2050年には90億になるという。すべての人々が先進国の豊かさを持つようになれば地球はもたない。それぞれの地域に根差した経済の発展をそれぞれの地域が考えないといけない。そこには色々なことが関わりあっている。例えばシリア内戦は、干ばつが非常に深い原因になっている。農産物を作ることから麻薬を作るようになる。その方がずっと金になるから。それを解決しようと国連が色々なプログラムを作ったのがSDGsと呼ばれるものだ。
それからもう一つはTPP。堤未果さんはTPPで一番の問題は、企業が国を訴えることができるようになることだと言う。ある企業が日本に来て、考えていたようなビジネスが出来ないとなると、国際機関に訴えることができる。国際機関がその企業の正当性を認めると日本は国内法を変えないといけなくなる。TPPの約束の方が国家の法律より上になる。ところが、アメリカに関しては、TPPの約束より国家の法律の方が優先する。アメリカ以外の国が訴えてもそれは通用しない。大変な不平等条約である。明治時代ではあるまいし、今頃何故こんな不平等条約を結んだのか。大きな問題だ。そして、決められた多くのことが秘密になっている。そのうちの6割は4年間は秘密裏に履行されてゆく。そうすると国会で野党がTPPの問題について追及しようとしても、重要な部分が4年後まで明らかにされない。こういうことはあまり報道されていないので、ここで皆さんにお伝えしておきたい。
亀山:ところで欧米がアフリカをものすごく食い物にしている。どうして人間がそういうことができるのか。
妹尾:発展途上国援助というものは、アメリカのインタレストあるいは英国のインタレストを中心に作られたものだ。世界銀行とはそういうものだ。資本主義はフロンティアがあってそこで伸びてきたが、今世界中でフロンティアはない。浜矩子さんも日本が成長するなどあり得ないと言っている。成長する国と言うのはアフリカ諸国のような国で、そこに行って、例えばモンサントがぼろ儲けする。これを止めようがない。
亀山:それでアフリカの国は借金でフーフーいっている。
内坂:アフリカでもすごい格差がある。格差は世界的規模であり、それを何とかしないといけない。
妹尾:もう一つ、アメリカとか先進国はわれわれ自身も加害者であるという意識を持たないといけない。