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無教会全国集会2015

2015年度 無教会全国集会ブログ

イエスのまなざし

2016-01-28 21:21:49 |  イエスのまなざし

水戸 潔

プロフィール
1942年生まれ。
1964年(学生時代)キリスト教に接し入信。
1966年より無教会の集会にみちびかれる。
2002年より浜松聖書集会。
聖書の学びと共に平和の問題に関心を寄せている。
日本友和会理事、浜松市憲法を守る会代表委員、愛真高校理事など。

◇はじめに
 ご存知のようにイエスはその生涯おいて例えばマタイ4:24にあるように、おびただしい数の病人や、苦しみの中にある人を癒やされました。
 そのいやしの出来事は、口伝として、あるいは記録として福音書記者たちの手に入ったものと思われます。
 きょう学ぶのは、その資料を基に書かれたひとつの出来事「中風の人をいやす」という物語ですが、この出来事は、当時の民衆に強烈な印象を与えたものとみえ、多少のニュアンスの違いはあれ、三つの共観福音書全てに記載されています。
 きょうは、その一つマルコの福音書を手がかりにその出来事の意味するもの、現代に生きる私たちにどのようなメッセージを発しているのかを学びたいと思います。
先ず全体を読んでみます。  
 
◆中風の人をいやす
2:1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、2:2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、2:3 四人の男が中風の人を運んで来た。
2:4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 2:5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。2:6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」2:8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。2:9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。
2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

 この記事を読んで、みなさんはどう感じられたでしょうか。
講話要旨にも書いておきましたが、この物語を何の先入観もなく読んでゆきますと、中風の人を屋根に上げて、屋根を剥いでその人をつり下げるという常軌を逸した行動もさることながら、その意表を突く記述に驚かされます。そして、私は三つの素朴な疑問を持ちました。

◇先ず、2章5節「イエスはその人たちの信仰を見て」という記述。
マルコ伝記者は、①「イエスの行動を」中風の人の信仰を見てというのではなく
②中風の人を運んできた「その人たちの信仰を見て」と記しました。これはどういうことなのだろうか。これが第一の疑問です。

◇同じく5節「子よ、あなたの罪は赦される」という記述。
この中風の人を運んできた人たちは、中風の人の病を癒やしてもらうためにこの人を運んできたのに、イエスはこの中風の人に対して「子よ、あなたの病は癒やされる」とは言わない。 「あなたの罪はゆるされる」という意表を突く言葉を発する。これは何を意味するのであろうか?

◇三つ目。11節  「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」という記述。ここで初めてイエスは中風の人に対していやしの宣言をし、その後の行動を促します。なぜ、最初にいやしの宣言をされないのであろうか?

 以上三つの疑問を持ったのでありますが、それをひとつずつ見てゆきたいと思います。

◇まず最初の疑問。「イエスはその人たちの信仰を見て」 という記述ですが、例えばマルコ伝5:21~に出てくる長血の女のいやし物語、そこでイエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と言われ本人の信仰に言及しています。
しかし、いま、学んでいるこの箇所は違います。もちろん、聖書の中には、本人の信仰とか思いを問題にせずに、その人に連なる人の思いをみて癒やす場面は多々ありまして、典型的な例はマタイ伝8章に出てくる百人隊長の部下を癒やす場面があります。しかし、「イエスはその人たちの信仰を見て」とはっきり言っているのはここだけです。

 さて、中風の人を運んできた人たちは恐らくこの中風の人の家族かその地域の共同体の人たちでしょう。イエスは、その人たちの信仰を見ておられるのです。これは何を意味するのであろうか?
 私は、ここでこの中風の人の家族や共同体の「祈り」と「行動」を思うのです。イエスはその人たちの「祈りや」「行動」を見ておられる。

 ところで、マルコが記した「信仰」とはパウロがロマ書やガラテヤ書で言うところの教義的な「信仰」とは質的に違うでしょう。その違いについて詳細に述べている時間的余裕がありませんので、それはきょうは一先ずおいておきます。
 ただ誤解の無いように、ひとこと申し添えますが、私はパウロの言う信仰義認論を否定的に理解しているということではありません。

 さて、「信仰」という言葉は ギリシャ語でピステスと言いますが、その意味するところは「信仰」という一義的な意味だけではなく、「信頼」とか「真実」、「二心のない一途な思い」、という素朴な意味もあると辞書に書いてあります。
 私が思うには、ここで言うピステスは、中風の人を連れてきた人たちのイエスに対する素朴な信頼、そして癒やしてほしいという一途な思いであろうと思います。それを福音書記者は「信仰」と表現しました。先ほど見ました、マルコ伝5章に出てくる長血の女に対するイエスの言葉「あなたの信仰」の信仰も、教義的な信仰ではなく、治りたい、イエス様なら治していただけるという一途な思いでありましょう。
 しかし、それは一歩誤ると「御利益宗教」につながる危険性もあります。実はイエスはその事をあちこちで警告しています。人は私の行う「しるし」ばかり見ていて、私の心を見ていない・・・と。
しかし、ここにおけるイエスは、その様なことは意に介しません。決してその様な思いを軽く見ていません。ただただ、連れてきた人たちの一途な思いに目をとめられました。

   私がこのことで連想するのは、アウグスチヌスの母モニカのことです。
アウグスチヌスの若い頃、彼はマニ教におぼれ、正式の結婚もせずある女性と同棲生活を15年近くも続けるという非常に乱れた生活をしていた。その陰で、アウグスチヌスの母モニカは涙と共に祈り続けました。あるとき一人の僧に「息子に意見してやってほしい」と懇願しますが、僧はそれには取り合わず「もうお帰りなさい。こんな涙の母の子が滅びることはありませんから」と言うのです。これはあたかも天から響いた声のようであったと、後に母が述懐しています。その後アウグスチヌスに劇的な回心の出来事が起こって文字通り回心に至るのですが、しかし、その背後には、母モニカの涙の祈りがあったことは疑う余地はありません。

 人の救われるのは、決して本人のみの回心だけではなく、その人に連なる家族や共同体の祈りや行動が、事態を変えて行くという消息をここに見ることができると思います。
 そして、イエスは、こういった人々の心も決して見逃さない方である事をここではお示しになっていると思われるのです。
 これは私たちに大きな希望を与えてくれます。他の人のための祈りや行動は決して見逃されてはいない。どのような形であれ、いつかは聞かれるということです。
そして、私自身も祈られているということを。

◇二つ目の疑問。
 イエスは、中風の人に向かって、「子よ、あなたの病は癒やされる」とは言わず「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。これはどういうことであろうか。
 まず、この時代の病気に対する考えは、ヨハネ伝9:2(*)にある弟子の問いに典型的に現れているように、病は罪の結果、すなわちその両親または本人の罪の結果であると考えられていました。すなわち当時のユダヤ教社会における社会通念となっていました。
(*)弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」

このような考えは、旧約の時代からありまして、その一つの例として、先ほど坂内さんに列王記上17章17節から24節をお読みいただきました。
 ここに、病の子を持つ母の言葉として
  「あなたはわたしに罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」(17章18節)
というやもめの母のエリヤに対する言葉があります。母の罪がこの病をもたらし死をもたらす事が述べられています。と同時に、この子の心は問われず、祈るエリヤの信仰によってこの子が生き返るという出来事が綴られています。

 マルコ伝に戻って、この中風の人が癒やされる場面でも肝心の中風の人の言葉や振る舞い、こころ模様などは一切記述されていません。
 一方、この人およびその家族は恐らく、この時代の社会通念のもとで、非常に後ろめたい日常を送っていたであろうと想像されます。イエスはこれを見ているのです。そしてイエスは、先ずその社会通念からの解放を宣言しました。この場合の「あなたの罪はゆるされる」という、動詞アフィエミィは現在形受け身で、この訳で正しいのですが、意味的には少し弱いように思います。塚本虎二は、大胆に意訳して、ここを「子よ、いまあなたの罪はゆるされた」と訳しました。これは力強い訳だと思います。
 一方、岩波訳(佐藤研訳)では「子よ、あなたの罪は〔これで 〕赦される」と訳しています。
 実は私には、岩波訳が一番ぴったりくるのです。岩波訳は〔これで〕という言葉を補っています。それは翻訳者の理解、信仰によって補われたのですが、〔これで〕というのは何を指しているのでしょうか。その前の「その人たちの信仰」を指しているのです。つまり、中風の人を運んできた人たち、すなわちこの中風の人に連なる共同体の人たちの信仰を根拠として罪は赦されていると言っているのです。
 私には、このように本人の意識とか、信仰の程度とかを条件とするのではなく、家族の思い、信仰共同体の思い(これをマルコは「信仰」と表現したのですが)を大切にされ、それを根拠にあなたの罪を赦すという思ってもみないイエスの逆転の愛の発想に驚かされるのです。 そしてこれは何を意味しているのだろうかと思ったのです。

 私は最近、ある方から、イエスの山上の垂訓の中にある「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」  (マタイによる福音書5章58節、)ということはどういうことを言っているのかというお話しを伺って目から鱗が落ちるような思いをしました。
 それはボンヘッファーが獄中書簡の中でこう言っているというお話しでした。
「人は自分一人で「完全な」者になることはない。ただ他の人々といっしょにそうなれるだけなのだ・・・。」(ボンヘッファー獄中書簡集 新教出版社、1988、p232~)

 これは要するに「私たちは没交渉的に自分一人だけで完全になることは、不可能である。私たちが完全になり得るのは、信仰共同体に連なり、そこで初めて神様から完全なものにしてくださる」、それがイエスの御心であるというのです。私は、それを聞きまして、なにか肩の荷が下りるような気がしたのです。
 一方で私は、ボンヘッファーは、そのことを聖書的にはどこに根拠づけて語っているのかと思いました。私は改めてボンヘッファーの獄中書簡を読んでみました。しかし、ボンヘッファーは聖書のどこに根拠づけられるのかは言っていません。恐らく獄中における天的な啓示によって語ったのでしょう。

 その様なことを思い巡らしていたとき、このたびこの物語に出会い、ボンヘッファーが天的な啓示を受けたのは、イエス様が中風の人を連れてきた人たちの信仰をよしとされ癒やされたこの出来事に現れているのではないかと思ったのでした。
 もちろん、個人的な罪の葛藤と悩み、そして回心を経て個人的に救いに導かれるというケースが圧倒的に多いと思います。しかしそれで救いは完結するのであろうか。 
 私たちは主が与えて下さった天につながるエクレシア(信仰共同体)の中で生きている。個人として完結する救いではなく、信仰共同体の中にある事で救いが完結されるのではないかと思うのです。この出来事を通してイエスはこの事を示されているのではないかと思います。それは何と慰めにみちていることでしょうか。
  具体的には、私のためにどこかで誰かが祈ってくれている、それを主はよしとされそれを根拠として救いに導くという救いの消息があるということです。

 先ほど、アウグスチヌスの母モニカの涙の祈りのことを語りましたが、現代にもその様な例があります。私が思い出す一つの例は、内村鑑三の信仰に触れて戦時中イエスの愛と平和を実践的に生きた実業家、長谷川周治のことであります。

 今年8月15日、日本友和会は戦後70年の節目にあたり日本友和会の戦争責任告白を公表しました。この夏、私はその裏付けとなる資料の調査に取り組んでおりました。その中で、イシガ・オサムという兵役を拒否し憲兵の留置所に拘留された友和会の青年に起こった出来事を知る機会がありました。  
 戦時中、友和会の幹部は、兵役を拒否したこの青年を励まし支えるどころか、「何ということをしてくれた」と彼を責め、彼に転向をせまるのです。戦時中の友和会の大きな誤りのひとつです。しかし、今日は、その事について批評するのが主旨ではなく、私の目を引いたのは、これを知った長谷川周治がイシガ・オサムの郷里九州福岡に、彼の両親を訪ね励ました出来事なのです。
 イシガ・オサムの年老いた両親は、まさにあの時代、非国民の息子を持ったということで、後ろめたい思いで、恐らく世間の目を避けてひっそりと暮らしていたに違いありません。そこに、見ず知らずの長谷川周治が訪ねてきて、あなたの息子は間違っていないと、両親を励ますのです。両親にしてみれば、真っ暗な暗闇で、一つの光を見た思いだったのではないでしょうか? 一方、留置場にいるイシガ・オサム本人には、長谷川は、娘を使いにやって、彼に何くれとなく差し入れを続けるのです。
 実は、イシガ・オサムは友和会の幹部に転向を迫られる前に、憲兵の厳しい弾圧に屈して自ら転向してしまいます。それがゆえに、彼は間もなく釈放されるのですが、自ら転向してしまったぼろぼろの自分の姿を、友人たちの前にさらすことは到底できなかった。
 しかし、ただ一人、会ってお礼を言いたい人がいた。それが長谷川周治でありました。
あの方なら、転向しておめおめと留置場から出てきたわたしを何一つとがめること無く包んでくれるに違いない、イシガ・オサムはきっとそう思ったに違いありません。
 彼は釈放された日の日記にこう書いています。
「戦争ですっかり姿を変えたトウキョウの町へ、わたしはさまよい出た。以前の友は幾人かいたけれど、戦争はお互いの友情をむかしのままにしておかなかった。ことに今度の事件のあとでは、訪ねることもはばかられた。釈放されたら来るようにという、長谷川さんの伝言を長崎曹長から受けていたので、、足は自然にそちらに向いた。日暮れの町で散髪をすませ、ホンゴウ局から電話で連絡をとると、シンジュクまで出迎えるとのこと、シンジュク駅待合室の人混みの中で、初対面の長谷川さんの姿は大きな影のようにわたしを包み込み、それから数日、その保護のもとにわたしはひとごこちを取りもどしていった。」(イシガオサム著「神の平和-兵役拒否を超えて-」日本図書センターp250)  わたしは、この場面を読むと涙がこみ上げて来るような感動を覚えるのです。

 時間の制約がありますので、詳しい経緯は割愛しますが、もう一人、中国の戦地で中国人捕虜の虐殺命令を拒否した渡部良三も同じでした。
 彼の行動は、最近と言っても3年前ですが、岩波書店から「歌集、小さな抵抗」という文庫本で出されましたので読んだ方もいらっしゃると思います。
 それを詳細に読みますと、戦争が終わって、彼は虐殺を拒んだ英雄として胸をはって復員したのかというと全く逆でありました。彼は虐殺を拒んだものの、その後戦地で自己の信仰信条を、おおやけに口にすることをしなかった忸怩たる思いを抱きつつ、首うなだれて復員するのです。復員した彼が真っ先に訪ねたのは、山形の生家ではなく長谷川周治の家でした。  彼(渡部良三)の父渡部弥一郎が鈴木すけよし弼美と共に反戦思想の廉(かど)で山形の警察署に収監されたとき、その警察署に彼を訪ね彼らを励ましたのが長谷川周治であったことを父からの手紙で知っており、そのお礼を言いたかったのと、このようなぼろぼろの自分を理解し包んでくれるのは長谷川さんだけだと思ったに違いありません。

 私は今、何を言おうとしているのかというと、先ほども言いましたように、本人の意識とか、信仰の程度かが条件となるのではなく、家族の思いや共同体の素朴な信仰がその本人の救いや立ち上がりに結びつくという消息を、長谷川周治の生き様を通して考えてみたのです。
 それは、あの2千年前、中風の人を運んできた人たちの信仰をイエスはよしとされ、「あなたの罪はこれで赦される」と宣言されたイエスの赦しの行動につながるものです。
  イエスのとった赦しの行動のその真理性は現代においても生きていると、私は信じて疑いません。

◇そして最後の疑問。
11節  「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 という記述。
 私の素朴な疑問は、なぜイエスは、ここでやっと、この人のいやしの宣言をされるのであろうか。最初に言えば良いのに・・という思いでした。
 
 実は、この中風の人を癒やすという物語全体を見ますと、マルコは明らかにイエスの罪を赦す権威とユダヤ教宗教指導者との対決という文脈のなかにこの出来事を置いたように思われます。
聖書の記事には、ひとかたまり毎にサブタイトルがつけられています。
たとえば、この新共同訳では「中風の人をいやす」というタイトルが付けられています。一方、塚本訳では「中風をなおす」、岩波訳では「中風患者の癒やしと論争」、ドイツの注解書NTDでは、中風の人の癒やしというモチーフは後ろに押しやられて「罪を赦す権威」というタイトルになっています。これらはみな、ギリシャ語の原本にはないもので、翻訳者、あるいは編集者の考えや信仰によって付けられたものです。
マルコの編集意図をすくい取ってタイトルを付けたのがNTDであろうと思いますが、私には岩波のタイトルが、最も事実に即したタイトルになっていると思います。

 ここでも私は今、何を言おうとしているのかというと、この伝承のオリジナルな形は何だったのかということなのです。
 ある注解者(エドワルド・シュバイツアー)は、この場面で、福音書記者の手に入っていた、最も古いオリジナルな伝承は、2章1節から5節の部分と11節の部分であったであろうと言っています(NTD 新約聖書聖書注解、マルコによる福音書、p75)。つまり、この部分がひとかたまりとしてマルコの手中にあったと。私もそう思います。
よって、イエスが、罪の許しを宣言したと同時に病の癒やしが行われたというのが、歴史的事実であったであろうと私は思います。

 しかし、マルコは、このいやしの宣言の言葉を切り離して、最も効果的に10節の後に置いたのではないだろうかと思うのです。
  私は、マルコの編集意図を批判して言っているのではありません。イエスの罪を赦す権威と古いユダヤ教指導者との対決というテーマは、いまもって、今日的意義を失ってはいないのです。
 しかし、だからと言って、イエスのいやし物語を、その主張のための補強材料としてのみ読んでしまうのは、イエスの意図に反することでありましょう。
 少なくとも私たちは、あの時、屋根が剥がされ、土煙がもうもうと立ち込める中、中風の人がつり下げられてくるという騒然とした雰囲気の中で、イエスはどこに目を注ぎ、何を見ていたのかという点を見落としてはならないでしょう。

 そのことは、現代においても同じであります。いま、日本においては安保法制の成立、沖縄辺野古の基地問題、原発問題、経済格差にあえぐ貧困問題、病に苦しむ人の問題、世界においては戦争とテロそして貧困の問題という騒然とした非常に不安定な状況にあります。その様な中で、イエスの視線はどこに注がれているであろうか、と問いつつこれらの問題に関わって行くことは、非常に大事な事ではないだろうかと思うのです。

 それともう一つ。イエスはなぜこの人に「床を担いで家に帰りなさい」と言われたのか?それは読み込みすぎであると批判を受けるかもしれませんが、イエスはこの人に向かって「罪赦され、病が癒やされた以上、今まで自分を支えていたもの、すなわち床を今度は自分で担いで、自立し主体的に感謝をもって歩み出しなさい」と言っているのだと思います。「起きよ、これからは新しく生きるのだ」と教えているように思われてなりません。恐らくこれからこの中風の人の新しい人生が始まることでしょう。イエスへの信仰の人生が始まることでしょう。その事が余韻として美しく伝わってくる場面であります。

 今回の全国集会の主題は「生けるキリスト」でありますが、 幸いなことに、いま私たちには、復活した生けるキリストがパラクレートス(ヨハネ14:16)すなわち、助け主、聖霊、慰め主となって、私たちを包んでいます。そしてキリストは私たちとこの世の出来事にまなざしを注いでいます。 その事を、胸に抱きつつ、希望と感謝を持って歩んで行きたいと思います。

ひとこと祈ります。
 主なる神様、本日はマルコ伝にしるされている中風の人を癒やすという出来事から、多くの真理をお示し下さり、慰めと力を与えて下さり誠にありがとうございます。
  2000年前のあの騒然とした雰囲気の中で、中風の人を運んできた人たちの信仰に目をとめ、その信仰の故に、先ずあなたの罪はゆるされると言い、中風の人を癒やされました。この意表を突くイエス様のことばと業に示されたイエスのおおらかな愛に、私たちはどんなにか慰められ勇気付けられたことでしょうか。
 そして、私たちの救いは、没交渉的に一人の救いとして完結するのではなく、私たちが天に連なるエクレシアの中に存在することによって救いが完結するということもお示し下さり感謝と慰めに満たされます。
 あの時、イエス様はそこにいらっしゃいましたが、いまは現代に生きる私たちを、そして世の中を、イエス様は聖霊となって目を注ぎ見守っていてくださっております。その事に限りない感謝と希望を覚えます。本当にありがとうございます。
この言葉に尽くしえぬ感謝を、主イエスの御名を通してみ前にお献げいたします。
                                                                          アーメン