無教会全国集会2015

2015年度 無教会全国集会ブログ

生けるキリスト

2016-01-28 22:03:27 |  1 生けるキリスト

                          浅井慎也

プロフィル
1982年11月13日生れ。20歳から心の病を発症、不安や罪悪感の嵐に襲われる。発症期間は仕事も勉強もできなくなる。
26歳の春にキリストと霊的な出会いがあり、そこからは、大きな心の病には至らずにすむ恵みを受けている。プロテスタントの教会に通っていたが、洗礼が救いの条件になっていることなどに疑問を感じた、その時に、無教会を知り導かれる。現在、工場にて検査、出荷などの仕事を与えられている。

1.    神との出会い

25歳の春に、夢や希望もなく、また、自分の犯した罪などに関して苦しむ時期が続きました。26歳の春に当時住んでいた会社の寮の近所の教会に導かれ、イエス様との出会いが与えられました。いくつかの教会を行ってみましたが、あまり、かまってもらえないような所もあったのですが、その教会はとても親身になって、自分のことをケアして下さりました。家庭に招かれたり、礼拝に参加したりしました。

そこでイエス様のお話、聖書のお話を聴きました。
 姦淫の罪を犯して石打ちの処刑にさせられそうになっている女性をイエス様が救うお話、または、朝一番から一日、働いている人にも、仕事を見つけられなくて、夕方の四時から働きだした人にも、同じ賃金を与えるという天の国のたとえの話を聴いて、とても救われた思いがしました。自分は姦淫の罪を犯した女性のような存在であり、また、仕事を見つけれなくて、四時まで働けていない人と同じような存在だと思っていたからだと思います。

 自分の罪を赦していただいたような経験をしました。そして、砂漠のような乾ききっていた心に、潤いが与えられたのでした。毎週日曜に教会に行き、礼拝に参加する生活が始まりました。教会に通っているうちに色々な疑問が生じてきました。洗礼を受けた人が救われるという事などです。
 聖書の中の、詩編3:9に、救いは主のもとにあります。
とあるように、救いは神様からくるものではないかという疑問がうまれていました。
教会が絶対化されているような印象を持ち(すべての教会がこのようになっていないことを後に知りました。)、ちょうどその時、無教会の存在を書物にて知りました。本を読むことにより、無教会に大きな期待を抱くようになりました。救いや神様の恩恵などは、教会と言う枠の中に閉じ込まるものではない、教会の外にも救いありという考え方に深く共感しました。

2.    無教会の集会に導かれる

インターネットで無教会の集会を調べ、高橋聖書集会の礼拝に参加させていただきました。
その後、2010年11月のキリスト教無教会青年全国集会、2011年11月の無教会全国集会で徳島聖書キリスト集会代表の吉村孝雄さんと出会いました。
吉村孝雄さんの無学な人にも、どうにか福音を伝えたいという精神に深く共感し、それに大きく助けられました。当時、聖書の知識もなかったのですが、吉村さんのお話はわかりやすく、力をいただけました。徳島聖書キリスト集会のホームページにてインターネットで自由に聴けるようにしてくださっているのが、自分にとっては助かりました。吉村さんの聖書講話を小型の音楽プレイヤーに入れて、通勤の時に聴くような習慣がスタートしました。それによってたくさん聖書の事を学ばせていただくことができました。

 もう一つその全国集会で印象に残っていたことがあります。徳島の全盲になっている綱野悦子さんと綱野さんを手引きしている貝出久美子さんのペアの明るさ、笑顔です。その空間だけ、パッと光輝いているように見えたのです。ハンディを背負っている人に対して、自分が持っていた固定観念が壊されたのです。その時は、一度は信仰を与えられたものの、様々な原因があり、信仰が落ち込んでいる時だったのです。しかし、綱野さんの笑顔を見て、神様はいるのだと思わされたのです、信仰が再び心の中に、燃え上がって来たのをよく覚えています。

3.    生ける神を伝える

 自分の場合は、神様から与えられた恵みを他の人にも伝えたいという思いがうまれました。
3年前に、以前勤めていた会社の先輩(現在64歳)にお会いできたことがありました。その方に、聖書の話をしたり、吉村さんが書かれている月刊誌いのちの水を渡したりしました。
その時は、興味がなかったようですが、一年以上は経った、ある時、その先輩が目の調子が悪くなりました。
その時に、僕に連絡をくださりました。その方は身寄りがほとんどいないので、僕に連絡を下さったようです。1か月くらいした後、網膜剥離ということがわかり、緊急入院が決まりました。
その日の内に手術をされたようです。
手術が終わったあとに、僕に連絡を下さりました。
僕は、先輩が入院している時に、お見舞いに行きました。その時に、聖書講話や、賛美歌が入った音楽プレイヤーをお渡ししました。
その先輩は元気な時は、あまり神様の話には興味がありませんでしたが、入院していたときは、興味深く聴いて下さりました。

手術が無事に成功し、無事に退院なされました。有難いことに、僕が毎週日曜に礼拝に行く渋谷への道のりの途中に住んでいらっしゃる方でしたので、毎週日曜日にお会いするようにしました。その方とともに聖書のお話や讃美歌を聴いたりする時間を持つようになりました。僕にとって、とても幸せな時間でした。日曜日ごとに神様の恵みを分かち合う時間を持つようになったのです。

 そして、一つ嬉しいことがありました。福島の原発の事故の影響で、孤児になっている犬、猫などの為に募金活動をしている団体を、その先輩と歩いている時に見ました。僕は次のように言いました。「犬や猫など弱いものが一番辛い思いをするんですよね。 
でも神様は一羽のすずめのことをも忘れないでいてくださる方と聖書には書かれて、あるんです。」その後、先輩に変化が起こりました。
 今までマンションの2Fに住んでいるのに、エレベーターを使っていた先輩が、階段を使うようになったのです。その時は、寒さの厳しい冬だったのですが、その先輩は、1人で部屋の暖房はするのは悪いと思い、図書館や本屋に行ったりして電気を節約していたようです。その先輩はまだ信仰告白はしてませんが、そのような変化が自分には、嬉しかったのです。

 神様の福音というのは、その恵みは伝えられた人だけにとどまらず、社会にも影響が及ぶとても大きく、深く、広いものだと思わされたからです。伝道は社会問題の解決にも結び付く、とても貴重な仕事であると自分は思っています。
経済の格差が広がっている問題においても、昔は、社会の仕組みが悪いのが原因と思っていましたが、今では、原因は我々の一人一人の心の問題、一人一人の行いにあると思うようになりました。

聖書の中でルカ3:11に
「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない物にわけてやれ。食べ物も同じようにせよ。」
と書かれています。他にも聖書の中には、困っている人を助けなさいというメッセージがたくさん書かれていることを学びました。貧しい人や困っている人を助ける、このような単純なことを一人一人が行っていない結果が、経済格差によって、貧しい人が苦しむ原因になっていると思うのです。

 お金に余裕のある人が、貧しい人にお金を寄付すれば、時間に余裕のある人が、困っている人を助ければ、その分、生活保護、社会福祉などの国家の負担が減り、国の財政もよくなるのではないか、そのようなことを考えています。聖書の教えは、個人にとどまらず、国を救うものであると思っています。

 聖書のヨハネの手紙1の4章19節に、わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
と書かれているように、神様から愛されているという実感がないと、困っている人や貧しい人を助けることは難しいのではないかと思っています。
聖書の中で、ザアカイという税金を取り立てる嫌われ者だった人がいます。ザアカイも、イエス様の愛に触れて
「自分の財産の半分を貧しい人に施します。」
と言っています。
だから自分は、神様の愛を伝える者となりたいと思っています。

4.最後に
ニュースで、麻薬に依存してしまう19歳の少女のお話が載っていました。麻薬に依存する理由は、嫌な過去と、不安な将来を消すためということでした。自分も、イエス様に出会う前、同じことで苦しんでいたことを思わされました。イエス様は、自分の嫌な過去と、不安な将来を消してくださりました。そして、生きる目的を与えて下さり、どのように生きたらよいかを教えて下さりました。ここに集められている多くの人も同じような経験をしているのではないでしょうか。
麻薬は人体に悪い影響を及ぼすと聴いたことがあります。しかし、神様の恵みは、そのように人体に悪い影響も及ぼしませんし、嫌な過去と不安な将来を消すだけに留まらず、その人の一生をよいものでみたし、周囲にもその恵みが増え広がってゆきます。
 いま、まさに苦しんでいる魂に、イエス・キリストを必要としている魂に伝えなければと思わされたのでした。

生涯、私を救って下さった神様を礼拝する者、伝える者であり続けたいです。




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