goo blog サービス終了のお知らせ 

無教会全国集会2015

2015年度 無教会全国集会ブログ

キリスト教独立伝道会と平信徒伝道

2016-01-24 20:53:23 |  1キリスト教独立伝・・

       助言者 多田義国 司会者 西澤正文 記録 浅井慎也

 司会者が伝道に関して、一人一人に意見を聴くという形での分科会になりました。以下に出た意見を記します。

・徳島で思うのは、伝道は、わかりやすい言葉、無学な人にもわかる内容、1人の困っている人の心に響く、地に足が着いた内容であったらいいと思う。
所属する集会は、普通の主婦、会社員、普通の人の集まり、そこにイエス様がおられる感じがある。難しく、高くではなく、低く、弱くがいい。(中川)

・白井キク先生に教わった事。知識とか知恵とか人格とかそういうものではなくて、欠けた器の中に働く聖霊の力を信じて、誰でも、神様からクリスチャンにされた人は伝道に派遣されているものとして、クリスチャンとして生活していけば伝道になるということ。(玉井)

・戦時中、祖父の葬儀があり、この時、初めてキリスト教に触れた。母方はキリスト教だったが、キリスト教であることを夢にも知らなかった。隠れて、やるわけでもない、賛美歌を歌う。無教会であることを後に知った。そこから、それぞれの伝道活動というのも大事、自分たちの信仰を時にはっきり出せなければならない。第一の無教会流の伝道ではないかと思う。そしてその次に、第二の伝道として、伝道活動そういうことを考えなければならない。そういうことに積極的ではなかったかもしれない。

・今まで、聖書中心に学んできたことは、まったく、無駄ではなかった。
もし、わたしの友達が悩みを抱えていて、一緒に連れて行ってくれないと言われたら、私は今の自分の集会に連れてこれるか、ということをいつも疑問に思っている。
浦和の関根義夫先生がパラクレートスと言う月刊誌を出している。聖書の言葉を中心に、自分がそれをどういうふうに心で感じ、思いをしたかを、豊かな表現で話して下さっている。非常にわかりやすい。

・わたしの母の行っている教会のお話。90歳に近い時も、車に乗せられて集会に行っていた。ある時、若い青年が、
「90歳に近い人がこうやって一生懸命通っていて、にこにこしているのを見ると、きっと何かがあるに違いないから、僕は、教会にきてます。」
と言った。その青年はよく成長したということを後から聞いた。

・私は白井キク先生から1対1で聖書の創世記の勉強をしました。段々成長するにしたがって、私と同じ年の友達も入ってきた。わたしたちも成長していった。塚本先生の聖書知識が理解できるようにといって、聖書知識を読む会というのを作って下さった。それを月に一回、説明していただいたり、読んだりして、そして丸の内の聖書講演会に出席をした。       
とにかく、塚本先生はご自分の信仰をもとにして、心からなる信仰のわかったことをお話して下さった。だんだんと私もわかってきた。結婚をし、白井先生は夫の先生である岩隈先生のところへ行きなさいといわれ岩隈先生の集会に出席しました。その後、こどもを連れて行っても良い白井先生の五周会に出席していました。現在は月に1回白井先生の本を読む会をしています。日曜日は経堂聖書会に出席しています。
「クリスチャンは神様から、伝道に派遣された存在」という白井先生の言葉を、玉井さんからメールでいただいた。
白井先生のように満たされた事を世界に伝えたいと思うのが当然と思いながら、あまり仕事ができないものにとっては、思いはあるのだけどできないという感じで過ごしている。(神谷)

・普段の生活、自分が生活している中で、信仰を伝えるというよりも、真理に忠実であるという事に中心をおいて、生活をしている。内村の教えの中でも、信仰と真理が一番、中心になって書かれている。真理ということが自分の体から湧き出るようにそういうつもりで生活をしている、それは、あくまで自分から醸し出す一種の雰囲気であって、実際に他の人に話をする場合に、聖書の箇所のどの箇所を選んで、はなすためにはどういう準備をしなければいけないのかというのは、いまだにやったことがないので、わからないというのが正直な所。
相手に話すときに相手が聖書をわかって、聖書を全く知らない人にも教えられるという吉村先生の根本的な態度を参考にして、まったく聖書を知らない人にも教えられるようにわかりやすい言葉でいかに伝えるかというできるためにはいかに自分が聖書を理解、深い所まで解釈していないとわかりやすく伝えられない、自分は勉強をしているが自己満足でしかない、人に伝える時にはどうしたらよいのか、今悩んでいる。(菊池誠)

・独立伝道会160名、今日の無教会全国集会130名こういう数の人が、この方々が一歩この会館から踏み出して電車にのる。我々にどういうことを期待しているか、考えると、160人のこの集まりもかけがえのない宝、国民の宝だと思う。日本は、全く偶像国、偶像信仰国、その中のクリスチャンというのは、レアな存在。私共は、自分自身がキリスト者として、生きていくという事、異教徒の隣人の中で生きていく、その姿勢そのものが、あるべきものだ。全く異教徒の方が、キリストに導かれる。聖霊の力がなければできない、初めてお目にかかる方に、聖霊の宝が、泳ぐように、祈るという事、伝道の為に祈るという事、これが私は重要だと思っている。私自身現在の信仰については、伝道会の11号に書いてある。(塩沢)

・実例として、私の学友は、大学出てから、共産主義になった、それで、ずっと民間の大企業に入って、生活をしていた。ところが、それの実兄が、敗戦後から、伝道をラジオ牧師としてなさった、羽鳥明先生、ラジオで伝道しながら、自分の弟は共産主義に対して非常に、憂いた。その弟を入信させたい、ということで長年、祈った。そして、私の友人である実弟は牧師になりました。そして、また兄の後を受けて、放送伝道もした。そういう事で生涯を伝道に捧げた。数年前に亡くなった。やはり本当にこの人を入信させたいと思う知人がおられたら、その為に祈って下さい。(塩沢)

・カリスマ伝道者に頼らず、自分ができることを一生懸命やっていくという姿勢が、大切。会社の同窓会に行ったとき、ちょっと、最近わたしが彼らと違うように、彼らから見て、見られているような気がする。信仰に生きていると多少、一般の人とは違う面がでてくる、こちらがしっかりした、死も恐れない、そういう雰囲気を持っていたら、彼らにもそういうものが伝わるのではないか、思ったりする。私としては、今、目の前にある、東京集会の会長のことなどをしっかりやる。(多田)

以下二つは韓国から参加されたお二人の意見です。

・わたしは韓国のユヒソ先生の集会に参加してたが、最近は、プルム学園の集会に参加しています。プルム学園で働きながら、プルム学園の集会に参加して、そこに参加している人と結婚しました。今は学校で美術、絵を書く指導をしている。その指導の中で無教会信仰をどのように伝えるかということを、色々工夫しています。ソウルの福祉施設で老人たちへ絵の指導をしているが、老人たちにも、信仰の伝道をどうするかを考えています。やはり指導するのがとても難しいが、神様を信じる心でやっていくことで少しずつ実践しています。(ジュ イエノ)

・韓国には、キリスト教の信者がたくさんいる。社会には、聖書を学ぶことは、学ぶが、真実とはちょっと違うといっている人がいる。一生懸命信じながらも、成功をしている人は少ない。現実とはいろいろ違う問題がたくさんある韓国にはある。ホンソンという所では、自然と一緒に生活している人がたくさんいるところです。そこでは、信仰としてキリスト教を信じている人がいたり、そうでないものを信仰している人もいます。十五年前に、ホンソンという所では、信仰を持っていない人もとても、一生懸命仕事をしている、いい人もたくさんいます。15年経って見てみると、信仰のなかった人達もだんだん変わってきているということに気づく。どういうところが違ってきたか、自分自身の心が変わってきているのではないか。信仰を持つという事が、とても大事なのではないかと私は考えている。伝道を考えている時に、本当の信仰を持っているということがやはり大事なのではないかと思う。プルム学園の科学の先生をしている。(ペ チヒョン)

・若い人にとても思いがあるのは、オウム真理教の事件があった、なんで若い優秀な人たちにキリスト教が、影響できなかったという思いが、とてもした。一般の人たちに、若い人たちに伝道ができるというのはどんなにすばらしいかと言う思いはしている。伝道会の皆さまがそこを考えて頂けたら、とても素晴らしいと思う。

・キリスト教独立伝道会における平信徒伝道というのは、このこういう集まりの中にいない人に伝える話、それとも中にいる人に伝えるという意味なんですか?
→本来、伝道というのは未信者に対するもの。初心者のため。(西澤)

・仕事をしていた時の仲間と、一年に一回会う。私は言わないが、クリスチャンということは知られるようになった。社会問題で話し合う事などがあり、クリスチャンとしての意見を求められる。そこから聖書のお話になることがある。
集会に連れて来て、接してあげたいという気持ちがあったら、その人の為に祈る、機会があればお話する、その機会が、きっと与えられることを確信すること。

いろいろなお話を聴いて、高校時代に私が差し上げた一冊の聖書知識がもとで一緒に経堂聖書会に来て居る友だちがいる。お友達に、形でこういうのがあるのよ、とするのは大事、大学入った時に、私が内村先生の本を読んだり、塚本先生の集会に行っているということを言った。信仰告白のようなもの。組織でなにかはできないが、小さな伝道もよいと思った。(神谷)

・わかりやすい話をすることは正しいと思うが、わかりやすく話すことは難しいと感じている。勉強も大切だが、苦しんでいる人に寄り添う事も大切なのではないかと思う。(浅井)

・私の母の姉の話だが、若い時に酒場でクラブのナンバーワンホステス。キリスト教、まじめな話は大嫌い、私や母がクリスチャンと知っているので、寄らない、嫌がる。その、おばと会った時、聖書のお話、天国のお話、私には関係ない。と言っていたが、私に関係ないという人のためにイエス様は来られるんですけど、と言った、急にそのことで、180度態度が変わった。その言葉だけで、自分に関係があると思うようになり、急にやさしくなり、集会に来たり、キリスト教の読み物を渡したら、読むようになった。結局、信仰を持って、何年かして亡くなった。(中川)

・日常生活の中で、身近な周りの人達に正面から「自分はクリスチャンです」と言っていない、そのことを反省している。日常生活、やはりその辺が大事だと思った。何かの折にさりげない行動、先の神谷姉の話の「聖書知識」(塚本虎二伝道誌)を配ることなど、足元から、実行可能なことからやっていかなければいけない、そのことに気付かされた。今まで受けるばかりであった恵み、今度は身近な人々へお裾分けする番だと思っている。(西澤)

・講義をして下さっていた先生が亡くなられた後、集会を続けて行くにはどうしたらよいか、いろいろ話し合いがありましたが、今は集会の方が輪番で講話をして下さっています。今迄講話をしたことがない方も、よく本を読み、よく調べて講話して下さっています。初めて集会にいらした方がどのように感じられるかと思っています。

・わかりやすいお話の重要性がでてきた。わかる気もするが、一回、聴いてわかるものでもない。わかりやすくしようとするとエッセンスが抜ける事もある。何かわからないけれども、何かあると思われるお話、奥まで噛みしめてかみしめて、この年齢になって、先輩の言っていたことが、わかるようになった。わかりやすくという所はあぶないと思った。(玉井)

書記所感
 伝道に関して、お祈りすることや普段のさりげない所で、伝道誌を配ったりという地道な事が大切だという事を学びました。
ここに集まった人の伝道が実った例はとても参考になりました。
僕自身もこれからも、できることをやったうえで、すべてを支配されておられる神様にお委ねして歩んでいきたいです。

主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。
地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ。(イザヤ52:10)