その①の続き
ひと口に文科系といえ学科は実に様々ある。大学の一般教養科目は人文科学・社会科学・自然科学であり、ttuErika氏がいう文科系とは、主に人文科学系を指していると思える。デジタル大辞泉の解説では人文科学を、「政治・経済・社会・歴史・文芸・言語など、人類の文化全般に関する学問の総称。狭義には自然科学・社会科学に対して、歴史・哲学・言語などに関する学問をいう」とある。
一方、自然科学については、「自然界の現象を研究する学問の総称。実験・観察・数理に支えられて、対象の記述・説明、さらには事実間の一般法則を見いだし実証しようとする経験科学。ふつう天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分ける」という。つまり、理系がそう。
理系が人類の暮らしに大いに貢献する実践的な学問なのは書くまでもない。同時に人類の文化全般に関する人文科学(文科系)もまた、重要さでは引けを取らないはず。政治・経済は何時の時代も人類社会で最優先されてきたし、この先も変らないはず。そして言語・文芸・歴史こそ、人類を人類たらしめる教養なのだ。オウム真理教幹部は、その方面に疎かった理系の成れの果てでもある。
但し、文科系の困った点は実生活、殊に災害時では殆ど役に立たないことなのだ。生活必需品はもちろん、飲料水や食糧さえ事欠く被災者に向い、人生論などを講談している輩は阿呆というより知識のある下衆というべき。飢えている被災者には、聖書や哲学書よりも御握りひとつのほうが遥かに有難いのに。
東日本大震災後、東北の被災地には続々と外国人宣教師が来たことが河北新報でも報じられ、「人はパンのみに生きるに非ず」(マタイ福音書4-4)とばかり聖書を配布したという。しかし、パンなしで人は生きられないし、宣教活動も出来ないではないか!
人生論などを講談していた左派の文系日本人も全く同じ類だし、文系なら読書量は豊富なはずだが、本を読んでも想像力が身につかなかったのか?或いは空腹時や非常時において、思想洗脳やプロパガンダが効果的なことを知った上だったのやら。
少子化にも関わらず、国公立大学や定員数は減らされず、特に文系では趣味講座としか思えない学科が増えてきている。有名私大でも人集めのため、教養程度も怪しげな著名人を講師にするケースも少なくない。最近はこんなことまで大学で取り上げるか、と言いたくなるような講座もあり、カルチャーセンター化しているケースもある。
高等教育、と銘打っても大学は学生を相手にしている商売であり、大学関係者は教育の質よりも高等教育予算をいかに獲得するか、腐心している。大学学部まで粗製乱造されれば、文系への見方が厳しくなるのは当り前なのだ。
イタリアでも大学は同じ事情を抱えているようで、イタリア在住の作家・塩野七生氏は、『日本人へ 国家と歴史篇』(文春新書756)でこう述べている。
「大学とは意外にも、既得権に安住している人々の巣(ねぐら)でもある。また、そこで教えるテーマも、こういうことまで大学で教えなければならないのか、と思うくらいだが、これもまた、研究の自由という錦の御旗を掲げてきた結果に違いない」
かつて外国文学は文系の花形学問であり、人気の的だった。しかし現代はすっかり様変わり、言語学者や翻訳家、売文業者でもない限り、潰しのきかない学問として学生から敬遠されているそうだ。日本文学や英文学はまだしも、フランス・ドイツ・ロシア文学の人気は凋落の一途とか。
最近の学生は文学を読まなくなった、と学識者は盛んに嘆いているが、文学部で学んだことが実社会ではあまり通用しないのは否めない。結局文学は趣味の分野であり、ロシアの小説『トルコ捨駒スパイ事件』(ボリス・アクーニン著、岩波書店)にあった台詞は考えさせられる。
「文学っていうのは―玩具だ。まともな国では、文学はさほど重要な意味を果たさない…悪戯に感情を乱す物語を作ってばかりしてはダメだ、ちゃんと行動しないと。例えばスイスには偉大なる文学などないけど、人々の暮らし向きは良好だ、ロシアの比ではない…」
日本の学生運動の絶頂期、キャンパスはオルグの格好の草刈り場となっていた。最近はすっかり下火となった学生運動だが、カルト宗教や環境活動がオルグに代わるようになる。昔と同じく学生運動の背後にはそれを煽動する教授がいて、世間知らずの学生は影響を受けやすい。
ttuErika氏の言うとおり、文化系のNGOや系ボランティアはむしろ、被災地復興の邪魔になることが多いだろう。復興してしまえば活動の場は失われるのだから、妨害した方がトクなのだ。
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「役に立つ愚か者」
「イタリア式教育改革」
震災被災地の漁民たち相手に、メーテルリンクの「青い鳥」の解説ををしていた大学のセンセイがいたのですか??この震災はもちろん東日本大震災ですよね。バカみたいというより私から言わせれば、クズ学者ですよ。当人は外国文学など読んだこともない無知無学の輩風情に、教養の機会を与えてると思い込んでいるでしょうけど。
これって被災地に続々とやってきた欧米人キリスト教宣教師と全く同じですよ。連中は聖書を無料で配っていたそうですが。そんなクソ宗教書、何の役に立つ?と言いたいですね。日本人クリスチャンも今こそ布教のチャンス、と喜んでいた輩が多かったし、だから私は耶蘇が大嫌いなのです。
昨今の大学改革の実態やその後は知りませんが、少なくとも国立大は税金で成り立っており、オーナーの意向に従うのは当然でしょう。一般の会社や役所ならば、雇い主の意向に逆らえば職場を追われます。国の役に立たない国立大の教員は全く無用です。尤も日本の国立大には他国に奉仕する左翼学者がまだまだ多すぎ。
自分より立場の弱い相手にはヤクザのように振る舞う学者でも、ホンモノのヤクザやテロリストに比べればひよっ子同然かも。昔みた『収容所群島』(ソルジェニーツィン作)には、逮捕後に尋問され、すっかり動揺していた教授の話があります。何時も教え子が従っている日常が当たり前だったため、自分が下の立場になるのはかなりショックなのでしょう。
確かNにはニートで家庭内暴力の息子がいましたよね?学校のセンセイこそ我が子の教育がなっていない、と言われますが、近所にもそんな人物がいます。親は高校教師でも子供はニートで家庭内暴力、50ちかくになるはず。もう立ち直れないと思います。
だから独特の雰囲気っていうのがあったんです。本の世界知識の世界しかしらないくせに世の中の全てをわかったような気持ちでいては偉そうに批評や論評をしてくれる・・・この雰囲気は独特でその場にいないと解からないと思います。
うちの父はどこに行っても自分の教室のつもりで神奈川県下にある親戚のいえである商家の茶の間でも
「世界中に核弾頭は一体何発あると思います? いやー人間というものはギリシャ時代から・・・戦いをくり広げていまして・・・たとえばトロイでは・・・。」
ととくとくと話していたのを覚えています。
行政がこの象牙の塔の状態をナントカしなければというのが昨今の大学改革で、志願者数の増減によって教員の給与や研究費を増減するという露骨なもの。さらには本庁から大学の事務に人を出向させては大学を我が物顔で居座っている連中を学外に追放し本庁(結局は政権)の意向に沿う学者だけを学内の重要なポストにつけるというものでした。結果かつて大学に我が物顔で居座っていた人たちは飴と鞭の政策でかなりの手切れ金(退職金)と恩給をもらって大学を去っていったようです。一方かつての学者仲間を裏切り事務(本庁)の意向に従って学内重要ポストについた学者先生たちは本庁の下部組織である事務にはゴマをする一方弱い立場にはいやらしく威張ったりやくざまがいのことをするような人たちだったので私怨を買うなどしては結局は居場所が狭められ、どこかに去っていったようです。そのうえで大学はかつての一部の学歴貴族の方々のための象牙の塔から、経済や産業あるいは少子高齢化や貧困マイノリティ問題など現実社会に役に立つような人材を教授陣として迎え入れていたるということのようです。
象牙の塔時代の学者先生であるNですが、ニート業をされていたご子息のYはかつての私の許婚(苦笑)です。高田馬場の先のW大学を出てW大の時間講師をすこししていたらしいけど、そののち東洋医学の専門学校に通っていたような記憶はあります。一方Nの令嬢Fは四谷のJ大学を出て出版社に勤務していたようです。私の父の偲ぶ会のときには娘のFは黒のパンツスーツで来賓席に座っていたものの、息子のYの姿はなかったので、この頃からニート業をされていたのでしょう。
「象牙の塔」とは懐かしい用語ですね。今は死語になりつつありますが、それだけ大学も大衆化、権威も堕ちたのでしょう。特にメディアに登場する学者センセイの言動を見れば、知性も品性も感じられない手合いが多すぎ。
確か貴女のお父様は、親戚の他にドイツでも電車の向かいにいた若い日本女性相手に、「世界中に核弾頭云々」と説教していましたよね?今はそのような教官は少なくなったかもしれませんが、元から教師という人種は赤の他人に説教したがる悪癖があります。田舎の小学校教師の私の従姉も、そんな傾向があるし、ある意味職業病かもしれません。
関心がなかったので昨今の大学改革の件は知りませんでしたが、志願者数の増減によって教員の給与や研究費を増減するというものだったのですか??拙速なうえに拙劣ですよね。志願者数が少なくとも大事な学問分野はあるのに、これまた問題が出そうな…
尤も現実社会に役に立つような人材を教授陣として迎え入れたのは結構なことです。空理空論にふける役立たず学士連中など、税金で雇う価値はありませんから。
それでも、未だにキャンパスではアカハラが蔓延っているようですね。昨日の河北新報は、山形大工学部の男子生徒が助教のアカハラで自殺した事件を報じていました。男子生徒は自殺前に父に、「助教にばれたら、(大学院に)進級できなくなる」と言っていたとか。全く痛ましい限りです。
Nの息子はW大を出て時間講師を少ししていたならば、ニートと呼ぶには不適切かもしれませんね。学歴だけは立派でも、すねかじりで家庭内暴力ならばどうしようもない。一方、娘の方は学歴ではやや下でも、出版社に勤務したのだからマトモに育ったようで。
↓ここに象牙の塔などの話を加筆しました。
http://silkytown.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
山本七平ですか!実は山本の熱烈なファンのブロガーが拙ブログにコメントしてきたことがきっかけで、「日本人とユダヤ人」を読んだことがあります。その感想を記事にしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/04abeea1f7bf9eb0616213c4c3513a4a
確かに耶蘇だけあって視点は鋭いのですが、読めば読むほど違和感が出てくる。所詮日本人でも、宗教が違えば頭は異民族ということを痛感させられました。蛇足ですが、学生時代に宗教学をかじったことがあり、ますますアンチキリストになりました(笑)。私に山本の書を熱心に勧めたブロガーは耶蘇ではありませんが、何故ここまで入れ込むのか理解できません。山本については批判記事も書いています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/eb89a4839a433bbc57f8bb876aa28a2e
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/181497d27465b6377998608a906b9fde
山本関連で浅見定雄の「偽日本人とユダヤ人」も読みましたよ。出版元が朝日新聞だし、浅見は典型的な左派反日クリスチャンでした。ユダヤ人に成りすました山本も不快ですが、浅見には嫌悪感と敵意しか覚えませんでした。インドや中東圏ならば、この類の身体生命の
保証はないでしょう。耶蘇る奴もアカる輩も、同類です。何しろルーツは同じ一神教だし、日本の伝統社会や宗教を否定する。
再びブログを開設されたのですか。K、Yとは、初耳の新キャラですが、同志を生贄にしたKは大学の主要なポストにつき、マスコミにも何度か登場していたとは。メディアに登場するのはこの類ばかり?
昨年6月、貴女はブログでこう書いていましたね。
「大学教授といえども自分の『知的指導者』としての立場を守るためには、やくざまがいのやり方で時にはありもしない罪をでっち上げて口封じをしてくるものです…」
この大学教授とはNだろう…と私は思っていましたが、Kでしたか。お父様が亡くなっても、ドイツ文学者たちとは縁が切れた訳ではなかったとは意外でした。それにしても、手下を使って地下鉄で後をつけさせたりする大学教授がいたこと自体、部外者の庶民にはにわかには信じられません。
そんなゴロツキ学者Kも、結局は大学を追われることになった。因果応酬というか、驕れる者久しからず。この者がキャンパスから追放されたのは大変結構なことです。
「無実の罪を認める事で」Kにより大学を追放されたYも、人格面で問題がありそうですね。助けを求めている相手の陰口を言いふらすなど、論外です。どうせ知られないだろう、とタカをくくっていたのかもしれませんが、象牙の塔の住民はこんなタイプばかりなのやら。
しかし今夏は宮沢賢治のグスコーブドリの日記のような夏ですね・・・。宮城県など東北太平洋側は特に低音が顕著で農業への影響も大変なのでは?オホーツク高気圧の顕在化は関東南部の観光収益にも致命的なダメージを与えるので当然観光協会内の雰囲気も鎮痛で
「エアコンの電気代が浮いて助かる」
などとはとてもいえない雰囲気であるでしょう・・・。
がしかし『象牙の塔」というのはそういう事とはまったく関係なく無教養な「一般大衆」を「経済の奴隷」として馬鹿にしては「我らこそ知的指導者」(自分たちが一番えらいと思っている)状態でした。「ガッコのセンセ、自分たち一番エライと思っているからねー(嘲笑)」は観光協会の中で冷ややかに語られてきた通りです。その中でも一番えらいはずの大学のセンセが志願者数で人件費や研究費を増減されては右往左往しては自分たちの仲間を裏切って人身御供にしたりするのですから・・・。Nに関してですが、私の父が死去したとき、従姉妹が「一緒にお棺に入れてね」と父への手紙を書いて封筒に入れて私たちに手渡したのです。それで納棺のときにわたしがその手紙を中に入れたら、Nが偉そうに私の尋問してきたんです。これは一体なんだって・・・。でわけを話すとNがその手紙をさっさと開封しては一読し、背広の内ポケットにいれたんです。で斎場で旅の最中、Nが参列者全員を整列させ、「訓示」を行った上、一人ひとり父の遺影に拝礼させたんです。(ガッコのセンセですね・・・)そして例のイトコの手紙を参列者一堂の前で朗読したんです。そこには病死した従姉妹の親友によろしくという内容が書かれていて、従姉妹も親友を失って間もなかったのです。もちろんこういう微妙な内容だから開封されて参列者の前で朗読されるなんて夢にも思わなかったんです。 が後日の事実が従姉妹に知られるとになり従姉妹は私たちにどうしてあんなヤツ(N)にあの場を仕切られっぱなしなんだ・・・と散々責められたんです。それでわたしは従姉妹にNに直接いいたいことは言ったほうがいいと従姉妹に言ったんです。そうしたらNは私の指示であの手紙を他の場で読み上げたみたいなことをいい。さらにわたしが従姉妹の陰口をあちこちに言い触らしていたよ、みたいなことを言ったらしいんです。私はあくまで自分が知的指導者であろうとするNに底知れぬ恐ろしさを感じたものでした。
先ず、お願いがあります。長文コメは構いませんが、一気に長文を書くのではなく、改行や段落で区切って見やすい書込みを願います。積もる思いで長文を書きたいならば、是非ご自身のブログで願います。
仰る通りお盆にも拘らず、低温が続いています。1993(平成5)年冷夏を思い出しました。この時は米が大不作だった。幸いなことに今年の7月は猛暑でしたが、8月のこの低温では農作物への影響がでないはずはない。元から仙台は海風の入る平地なので、他の東北の県庁所在地に比べて比較的夏の気温が低く、エアコンをあまり使わない家庭もあります。尤も昨日も今日も我が家では、扇風機も使いませんでした。
何とYは陰口のみならず、「親不孝者」「不肖の娘」と面罵していたのですか?前回のコメに、「「親不孝の娘」「不肖の娘」と陰口を言っている事を知りました」とありましたが?それで助けを求めたとは、どの面下げてと言いたくなりますが、象牙の塔の住民にはその類が多いのやら。
Nが貴女の従姉妹の手紙を勝手に開封、参列者一堂の前で朗読したことは憶えています。ただ、私的には何故その場で手紙の朗読を止めさせなかったの?と思いました。いかに葬儀の場といえ、従姉妹自身が行動した方がよかったかも。
その後のNの虚言やでっち上げの件は知りませんでした。従姉妹はそれを鵜呑みにしたわけではありませんよね?面識もなかった人物にこんな嘘を吹き込むこと自体、下劣で非常識。知的指導者を自認しても、本性は陰険なゲス。何を考えているのか分らない陰険なオッサン、が顔写真を見た第一印象でしたが、案外当たっていた。
Nといい、YやKも大学を去りましたね。これで貴女の“敵”は目出度く自滅。政権の傘の外に出たのだから、もう力はない。大いに結構なことです。