『日本人へ 国家と歴史篇』(塩野七生著、文春新書756)の中に、「イタリアが元気な理由」という章がある。ここで著者は常に60%に迫る高い支持を受けている2人の大臣の例を挙げており、その1人が教育・大学・科学研究を担当する弱冠35歳の女性大臣ジェルミーニ。この女性文部科学大臣の行った改革は興味深いだけでなく痛快である。
改革をする文部科学大臣となれば、日本で言えば日教組、文部科学省の官僚、大学の教授と学生の全てを敵にすることになり、イタリア政府の中では最も非難の矢面に立つ大臣と思われているそうだ。イタリアの教育界も様々な問題を抱えているらしく、ジェルミーニ大臣が実行中の改革は数多いが、塩野氏は最も反対の大合唱が起こったものを2つ上げている。
その1つは公立学校の全てで、素行点というか、学校内での行いの良し悪しを点数で評価する制度を復活させたこと。さらに単に復活させただけでなく、これが50点以下ならば、進級させないと決めた。その理由はただ1つ。他者との共生を学べない者に学問が学べる訳がない、ということだったので、非人間的で非民主主義的という大合唱が巻き起こる。
もう1つは、大学の講座の20%はカットする、と発表したこと。この理由も、学問とは思えないテーマを研究対象にする講座の激増と、しかもそれらの講座には聴講生が集まっていない、ということだった。著者はこの背景を次のように述べている。
「大学とは意外にも、既得権に安住している人々の巣(ねぐら)でもある。また、そこで教えるテーマも、こういうことまで大学で教えなければならないのか、と思うくらいだが、これもまた、研究の自由という錦の御旗を掲げてきた結果に違いない」
ジュルミーニ大臣は大学に戦いを挑んだのだが、教授クラスは反対しても助手クラスには支持は少なくないとか。この大臣への国民からの支持が高いのは、宣言するだけでなく実行に移すからだ。それが出来るのも大臣が属す政党が上下院とも過半数を占めているためである。つまり、イタリアでは政局が安定しているということ。コラムの末尾で著者はこう結んでいる。
「それもあってか、イタリアの政府は元気だ。未曽有の不景気を言われて沈んでいる時代、せめて政府ぐらい、ガンガンやってほしいものである」
試に「イタリア 女性大臣ジェルミーニ」でグーグル検索したら、238件ものヒットがあり、2009年8月9日付の掲示板には次の書込みがあった。
―イタリアの若い女性の文部大臣ジェルミーニ女史が今年度から中学・高校に「操行点」を導入し、5点以下は落第にするとともに卒業試験を厳しくした。この結果、6月末の学年末進級試験では、中学で生徒総数の4.4%にあたる1万2000人が、高校・高専では3.1%の1万5000人が落第の憂き目に遭った。
この落第者数は前年の倍である。落第した者のうち、新しい操行点による落第が中学で3000人、高校・高専で6500人に上った。落第され1年留年されて一番困るのは親だから、親が一番大きな「お灸」をすえられたことになる…
ただし、これは前首相ベルルスコーニの時代なのだ。ベルルスコーニは2011年11月退陣しており、その後ジェルミーニ大臣のポストはもちろん、彼女の改革がどうなったのかは不明である。
塩野氏の挙げたイタリアの大学事情は日本にも通じる。最近の日本の大学でも単に趣味講座としか思えないものが増えてきている。こんなことまで大学で取り上げるの?と言いたくなるような講座もあるし、人集めのため教養程度も怪しげな著名人を講師にするケースも少なくない。大学とは本来高等教育を学ぶ機関であり、カルチャーセンターの場ではないはず。イタリアは西欧諸国で最も少子化が進んでいる国と聞いたことがあり、それに伴う大学の生き残り対策もあるのだろうか。
それにしても、ジェルミーニ大臣の教育改革実行を清々しく感じるのは私だけではないだろう。日本のマスコミに登場する有識者とやらの教育論は現場への批判はあっても、効果的な具体案をまず聞かない上、相も変わらず実現不可能な空理空論ばかり並べている。その殆どはイジメの根絶や他人への労わり、思いやり等の内容で、小学校のホームルーム並の道徳論にウンザリしている視聴者も少なくないのではないか?
イタリアのマスコミには左派系も多いが同時に右派系も活躍しており、ベルルスコーニも「イタリアのメディア王」と呼ばれるほどの権勢がある。要するにイタリアのメディアも元気なのだ。
それに対し、日本の新聞はどれも似たり寄ったりの論調だし、日本政府への非難は盛んだが、対象が外国となるや途端に及び腰、友好と理解を繰り返すのは70年代から変わりない。これではジェルミーニ大臣のような若くやる気満々の政治家がいても、活躍もできないだろう。日本のガン細胞なのは政党政治ではなく、マスコミの側ではないか?
よろしかったら、クリックお願いします
最新の画像[もっと見る]
- 禁断の中国史 その一 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- フェルメールと17世紀オランダ絵画展 2年前
- 第二次世界大戦下のトルコ社会 2年前
- 動物農園 2年前
- 「覇権」で読み解けば世界史がわかる その一 2年前
- ハレム―女官と宦官たちの世界 その一 2年前
- 図解 いちばんやさしい地政学の本 その一 2年前
- 特別展ポンペイ 2年前
選挙を何度も繰り返しても、意思選びにはならない。
単なる肉体の選出におわる。
意思のない所には、方法がない。
意思は未来構文の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には未来時制の内容がない。
西洋の神は意思と力を示す。
ソドマとゴモッラの町は、焼かれて無になった。
日本の神は、出雲に集まって談合をしている。
決められない政治の始まりである。個人 (個神?) 判断ができない。
意思がなければ責任がない。
殺意がなければ、人は死んでも殺人罪には問われない。
死刑執行人のようなものである。
日本人には責任がない。
この国がひっくりかえった時にも、責任者は出なかった。
意思がなければ、責任もない。
日本人は、責任者・指導者には適していない。
だから、指導者選びは難しい。
意思はなくても恣意がある。
恣意は文章にならない。それで、辻褄の合わせられない腹案となる。
だから、人々の信頼は得られない。
貴方は2010-12-11 22:32にも拙ブログで奇妙なコメントをしていた。他のブログにも主旨不明な書込みををしていたを何度か見た。主旨不明で説得力も礼儀もない教育者気取りさん。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/6677e56abd6a06c1a14f323818d45036#comment-list
http://blog.goo.ne.jp/f-mars2008/e/e0fbff6e702501e834069ff841e0fbda#comment-list
貴方は「未来時制がない」のお題目を繰り返しており、これほど内容がなく勿体ぶった書込みも珍しい。いくら米国留学、英語を学んでも、土曜日にせよ04:39にこんな妄言を吐くようでは貴方の未来はない。外国語を学んでもバカはバカ。
>>ソドマとゴモッラの町は、焼かれて無になった。
やはり貴方はユダヤの提灯持ちだったか。貴方のブログに軽く目を通した時、ユダヤを絶賛していたのを憶えている。今時、旧約聖書の神話を持ち出した時点で、頭は中世人と同レベル。だから自分の頭で考え、判断することができない。ソドムとゴモラを焼いたのは西洋の神ではなく、ユダヤの神だが?唯一神だから談合が出来ないのは当たり前でしょ。
貴方はユダヤ教徒又はキリスト教徒かもしれないが、いくらイスラエルや欧米を持ち上げても、彼等にとってはゴイムや犬に過ぎない立場を弁えよ!
ユダヤ教徒及びキリスト教徒には意思も責任もない。すべて聖書や神の思し召しとやらで、責任逃れする。マサダの玉砕も責任を欠いた無様な惨敗。ローマに反旗を翻したバル・コクバの乱も鎮圧されるや、手のひら返しで偽メシアと謗る。十字軍の失敗も神の思し召し。
「あの忌まわしい民族(トルコ人)を根絶やしにすることを、神が望んでおられる」と宣言して始めていた。
大体国がひっくり返った時、責任者が出るのを求める発想が非現実的。国のあらゆる組織が破綻、キリスト教国枢軸国責任者(戦犯)どもも早々に逃亡を図ったな。
「日本人は、責任者・指導者には適していない」と腐しているが、そんな日本が復興と繁栄を築ける?貴方の主張は道理のない妄言に過ぎない。「子供の時から思い込みが強いほうで、損ばかりしている」とHPで述べていた貴方に、責任者や指導者は到底勤まらないでしょう。
貴方が批判している日本人の特徴は、全て鏡に映る貴方自身。欧米人にそう説教されたのか?意思はなくても恣意はあるが、文章にもならず無責任な書込みを繰り返すのみで、つじつまが全く合わない駄文の連続。単なる代弁者で、いくら書込みしてもオウムと変わりない。だから健常人の信頼を得られない。
以下のブログ記事がヒットした。最近の日本では親のすねをかじる若者は珍しくないが、ローマ法王のいる国イタリアは桁外れ。30過ぎても大学生で職に就かず、親に養育費を請求している。これもキリスト教徒の意志や責任か(笑)。
http://italiangossip.seesaa.net/article/142067487.html
mugiさんは最後まで読んでちゃんとご返答されていて偉いなと思いました。
きちんとコメント返ししているmugiさんはエライ。
先にも書いたようにnogaなる者は、2010-12-11にも一方的に記事とは無関係なコメントをしてきたのです。大上段に構えても主旨不明、「未来時制のない日本語」の言葉を繰り返しているだけ。「未来時制」の造語に酔っているようですが、コメントは文章としても悪文。独りよがりの妄言に過ぎません。
リンクを貼りましたが、この者は2011年6月にMarsさんのブログにも書込みしていた。nogaのHPにも軽く目を通しましたが、こんな文句がありました。
「子供の時から思い込みが強いほうで、損ばかりしている。子供のころは、「日本は必ず勝つ」という軍国主義の神話を教えられ、それを固く信じていた…何せ、我々は、丸暗記と受け売りの学校教育しか受けていないので、もちろん問題を解決する能力は持っていない…」
「日本人に関する '有ること' と '無いこと'。感性があって、理性がない。感想を述べるが、理想を語らない…」
nogaへのMarsさんの反論も痛快だったので、一部引用します。
「つまらないだけで、長いだけの文章リンク、ありがとうございました。また、何が正しくて、何が間違っているかという以前に、相手に読ませようとする気力を奪うのに十分な文章、本当にありがとうございました…
世界中で英語が共通語とされるのは、使用している人が多いだけであって、言葉の優劣に関係ないのでは。また、世界中で英語が共通語とされるのが、言葉の優劣だというのであれば、未だに、フランス語、スペイン語、ポルトガル語等の圏では、国籍が分からない者同士の共通語としては、英語を利用するかもしれませんが、その母国語を捨てないのは何故でしょうか??」
私がnogaの妄言を最後まで読んだのは偉いからではなく、2度も下らない説教をされて、腹が立ったからに過ぎません。だから思う存分“御礼”をしました。このデムパぶり、やはりクリスチャン?
前のコメントにも書きましたが、別に私はエラクありません。2度も説教をした不心得者に、“御礼”してやったまでです。
nogaこと寺嶋眞一なる者が、はじめに拙ブログに書込みした際、リンクされていたのが↓のサイト。
http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=71357&grpcd=112695
この者に突っかかってきた名無しがいました。「二度と発言せぬよう控えて貰いたい物だ」という結びは暴言ですが、nogaの返信もお粗末の極みでした。
「私は、日本人です。自分を語れば日本人を語ることになる。また、日本人を語れば、それは自分を説明したことになる」!
いい年して十人十色という言葉も理解できない。この老人、我こそは日本人の代表と妄想しているようで。この者の言葉を借りれば、やはり「日本語脳の持ち主は、未来の内容を受け入れることが難しい」のかも。自分の体験だけを元にして語るのも、社会性が欠如しているということ。