遅ればせながら、出版が1996年の歴史小説『蒼穹の昴』(浅田次郎著、講談社)を、先日やっと読了した。清朝末期の宮廷を舞台に描かれていると聞き敬遠していたが、読んでみたら予想以上に面白く、上下巻合わせて766頁もの長編にも係らず一気に読めた。主人公が宦官という歴史小説は日本はもちろん、中国でも珍しいのかもしれない。宦官制度は日本でこそなかったが、儒教圏だけでなく南アジア、中東世界でも広くあり、むしろアジア諸国で宦官のいない日本の方が特殊だったと言える。
物語は光緒12年(1886年)冬から始まる。主人公・李春雲(春児)は河北静海県の貧農の子。土地に住む韃靼人の占星術師の老婆からお告げを受け、自ら去勢、宦官となる。老婆の予言というのが、「汝は遠からず都に上り、紫禁城の奥深くおわします帝のお側近くに仕えることとなろう…中華の財物のことごとくをその手中にからめ取るであろう…」という桁外れのものだった。
当時の清では老仏爺(ラオフオイエ)こと西太后が実質的な女帝だったが、この占い師の老婆は老仏爺のお宝は全部お前のものになる、とまで強調する。そして十歳そこそこでありながら春児は宦官になることを決意、予言通りの人生を歩んでいく。
小説で去勢することを“浄身”と表現されていたのは興味深い。宦官制がなかったゆえ、とかく日本では不気味な存在として印象の悪い宦官だが、中国本土でも忌み嫌われる存在だったのは確からしい。政府公認の宦官製造者もおり、「刀子匠(タオツチャン=切り師)」と呼ばれる人々が去勢を請け負っており、この物語にも登場している。wikiの「自宮」にはその方法も書かれており、小説では描かれなかった個所もあるので引用したい。
―裸にした自宮志願者をオンドルの上に座らせ、刀子匠の弟子に身体を押さえつけさせてから、刀子匠がやや反り返った形状の刃物で、根元を緊縛して勃起させた男性器を、麻酔もなしで切り落としたという。術後は出血を熱した灰で止め、尿道に金属の栓をして尿道が塞がるのを防いだが、傷口は縫合されることもなく紙で包まれるだけであった。3日後に尿道の栓を抜くまでは水を飲むことも禁止され、傷が癒えて起き上がるまでには2ヶ月を要したとのことである…
女には想像の出来ない激痛だが、このやり方は宮刑に遭った司馬遷の時代とあまり変わっていないのではないか?春児はプロの仕事人にしてもらったのではなく、己自身で性器を切り落としたのだ。それも刀子匠に手術を依頼するだけで法外な料金が取られる上、刀子匠が様々な理由を付けて浄身した人々を借金で縛り付けていたことも、小説で初めて知った。
切断された男性器は「宝貝(パオペイ)」と呼ばれ、腐敗防止処置をしてから壺に保管された。宦官の仕事に就く際、それは絶対に必要なものであり、職に就いても度々“宝貝”を見せなければならなかった。刀子匠の中には宝貝を預かり、預かり賃やら貸出し料で借金を増やす者までいたという。死んで埋葬される時、宝貝がなければ来世は雌のラバに生まれ変わると信じられていたという個所があった。
幼少から極貧の暮らしを送りながら、春児は健気で万事そつがない。宦官でも嫌らしさを感じさせないのは主人公のキャラクター設定によるところが大きい。容貌にも恵まれ、気丈で剛毅であると共に下の者への思いやりも深い。宮廷入りした後、瞬く間に西太后の寵愛をほしいままにするが決して驕らない。失態で上司から罰を受ける際、普通なら仲間まで連帯責任を問われるも、自分だけを罰してほしいと言うに至ってはいかにも小説くさかったが。
中国史上には専横を極めた悪名高き宦官が何人もいるため、宦官と言えば豪勢な暮らしをしていたというイメージがあるが、そんな者は例外に過ぎず、せっかく去勢しても貧しく恵まれない人生を送る宦官が多かったらしい。春児は借金で縛られた貧しい下級宦官のために、私財をなげうってまで宝貝を買い戻してやる。そんな彼だからこそ、仲間の宦官たちから絶大な信頼があり、同僚たちから推されて宦官の長になる。
その二に続く
◆関連記事:「宦官」
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中国との合作として、北京で撮影されたらしく、紫禁城、北京市市街地などの様子が、セットとは思うけど、実に本物っぽく出来ていたし、衣装なども素晴らしく、まあ、絢爛豪華で、素晴らしい画面が毎回展開されていて、楽しめました。
田中祐子が演じる西太后も、なかなか好演技で、中国では、歴史上嫌われ者だった彼女に関する人々の印象が変わって、結構好きだとの評価に変化したとも言われます。
ともかく、清朝末期の中国社会の雰囲気とか、中国朝廷内の抗争とか、高官達の意識が何に左右されていたかとか、時代の雰囲気を感じる上で、なかなか面白かったです。
私自身宦官に対して良いイメージはなかったのですが、「宦官―側近政治の構造」を読んでからイメージが変化しました。殆どの者は下積みのまま苦労して死んで行くのが宦官です。それでも一旦栄達すると、およそ考えられない栄耀栄華の生活を送れるので、自ら宦官になるものが多く、日本では考えられない魔の存在です。
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%A6%E5%AE%98%E2%80%95%E5%81%B4%E8%BF%91%E6%94%BF%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-7-%E4%B8%89%E7%94%B0%E6%9D%91-%E6%B3%B0%E5%8A%A9/dp/4121000072
この小説は日中合作番組として、NHKで放送されていたのは知っていましたし、紹介されたサイトも見ました。ただ、放送時にはこの小説は未読だったし、日中合作番組ということで何となく敬遠していたのです。
西太后役が田中祐子というのは意外でした。その二にも書きましたが、中国映画『西太后』では悪女ぶりが強調されていましたが、ライバルの側室への残虐行為はフィクションだったそうです。
番組紹介サイトだけでも豪華絢爛な史劇という印象だったし、既にDVDレンタルもしているかもしれない。是非見たくなりました。
小説にも3日後に栓を抜いても尿が出なかった場合、死ぬだけと書かれてありました。3日間水を飲めないだけで大変な苦痛ですが、耐え切れずに飲んでしまった人も珍しくない様な記載もあったような。
この小説でも下級の宦官は惨めな存在として描かれていました。先輩たちから散々ぶたれたり、王族や上司の機嫌をそこね、足を折られたり等して、身体障害者となって宮廷を追放された宦官が登場します。
記事にも書いたとおり宦官は中華圏以外にもいましたが、最も数が多かったのが中国です。人口比もありますが、他の文化圏では基本的に異人種や異教徒を宦官にしています。同民族をこれほど大量に宦官にした中国はやはり特異に感じられました。
そうですか。私の記憶違いでしょうか。意外に成功率の高い手術と言うイメージがあったもので。
>他の文化圏では基本的に異人種や異教徒を宦官にしています。
アラビアン・ナイトにマスルールという人物が登場しますが、あれは黒人宦官でしたよね。アッ・ラシードの死後、彼はどうなったのかと思います。あの作品は他にも黒人宦官が登場してますね。
成功率は他の文化圏と比べて高かったようですが、3日間飲食できないだけで大変な苦痛です。そして3日後に尿道の栓を抜いた時、尿が出なければ死亡したとか。wikiの宦官にも、「去勢した後の傷口から細菌が入って3割が死ぬことから命がけであったともいわれている」と解説されていました。
実際のマスルールはアッ=ラシードに仕えた首切り役でもあり、宰相ジャアファルの処刑を務めました。カリフの死後、彼がどうなったのやら…
私が読んだアラビアン・ナイトには「黒人奴隷」と表現されており、宦官の言葉は見かけませんでした。もっとも宦官もカリフや王の奴隷だし、白人奴隷もアラビアン・ナイトに登場します。
物語のはじめでシャフリヤール王の王妃が黒人奴隷と不義を働いているので、少なくとも宦官ではなかったのでは?黒人奴隷によってすっかり性依存症になった王女が、人間の男では飽き足らずヒヒと戯れる話があったような…際どいです。
マスルールなんですが、私の読んだアラビアン・ナイトは岩波文庫版なんです。後宮にも行っているので宦官じゃないかと思うのですが。
また、ズバイダに仕える黒人宦官が、宦官にされた理由を語る話もありました。大臣の孫の少年を護衛する黒人宦官もいたと思います。
情け深くて寛大な大臣として描かれるジャアファルのあの最期は恐ろしいものでした。マスルールやアッ・ラシードと一緒にバグダッドをお忍びで歩いていたのに、処刑されてしまうんですから。アッ・ラシードもわがままな面があっても憎めない君主だったのに、あの苛烈さは何が原因だったのでしょうね。
ハッピーエンドのアラビアン・ナイトの話の中で、唯一陰惨な印象を与える物語でした。
>人間の男では飽き足らずヒヒと戯れる話があったような…
ありました。そしてヒヒと言うか、猿の後釜に座った男も過労死寸前となり、知り合いの老婆の知恵で救われて二人は結婚して幸せな生活をおくったと言う結末ですけど、今のイスラム教原理主義者がはびこる宗教で楽しまれていた話とも思えないですね。
イスラム圏でも20世紀まで宦官は存在しましたが、中国で宦官廃止を唱えた人がそれを引き合いにしました。「世界の列強は宦官をおかず、宦官を存するのはトルコの如き弱国に限る」ということが、『宦官―側近政治の構造』に載っています。
宦官にされた理由を語る黒人奴隷の話もありましたか。仰る通り後宮に仕える身分ならば、普通の男性ではありません。しかし、王妃や王女と性行為をしているのなら、宦官というのも不思議です。完全去勢ではなかったか、或いは宦官と偽っていてあるべきものがあった??
史実でもジャアファル並びにバルマク家への粛清は苛烈です。財産を没収されただけでなく、老若男女含め1200人もが虐殺されたという説も。その中にはジャアファルの妻でアッ=ラシードの妹も含まれていたとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB
現代は不明ですが独立後のエジプトで、かつてアラビアン・ナイトは禁書扱いになっていたそうです。不倫や獣姦のような話がバンバン出るし、日本人から見ても充分エロですよね。とてもアラビアン・ナイトが描かれた文化圏とは思えませんが、西欧も享楽的なローマの後、暗黒の中世を迎えました。
昨年の出来事ですが、「バナナときゅうりは女性を興奮させる恐れがあるので近づくべきではない」と言ったイスラム聖職者がいたそうです。 バナナときゅうりを見て、興奮しているのは当人では?
http://labaq.com/archives/51718229.html
> 他の文化圏では基本的に異人種や異教徒を宦官にしています。
> 同民族をこれほど大量に宦官にした中国はやはり特異に感じられました。
というは、勘違いではないでしょうか?
例えば、清王朝は満州人の王朝で、当時の漢人はです。
なお、纏足は漢人の風俗で、満州人の習慣ではありません。
清王朝は、満州人・モンゴル人、チベット人・漢人を分割統治していてしました。漢人統治の円滑化のため、宦官は漢人の風習をそのままとりいれたものです。漢人宦官は、支配者の満州王族・貴族にとっては、最初から異民族です。まして、清に朝貢していた李氏朝鮮などからも宦官は調達できたので、満州人を宦官にする必要など全くなかったと思います。
また、元帝国は、モンゴル人の王朝です。モンゴル人は騎馬民族ですので、宦官の習慣はなかったと思います。宦官はあくまで、漢人統治のために行ったと思います。
そもそも、中国史というのは、雑多な民族同士の抗争の歴史です。
隋・唐にしろ騎馬民族の鮮卑族の王朝です。
唐の玄宗に対し安史の乱をおこした、安禄山の父はイラン人、母はトルコ人。
ですから、中国の史書に登場する人物が、日本人からみた「中国人」というは勘違い。
漢人に限っても、同一言語で、同じ歴史を共有している「漢人=中国人」など、いないと思った方が良いと思います。イメージ的には、「漢人」とは、雑多な民族の総称で、中国大陸に住んでいる「欧米人」に近い概念だと、私は思います。
コメントを有難うございます。貴方のブログも面白く拝見させて頂きました。
仰る通り清王朝は満州人の王朝ですが、その前の明は漢人の王朝でした。この時代の宦官はまさか非漢人ばかりだったとは考えられません。王朝の統治に宦官が必要だったにせよ、清はともかく明の時代にも宦官は大勢いたはず。そのため、「同民族をこれほど大量に宦官にした中国はやはり特異」に感じました。
うろ覚えですが、纏足が満州の貴婦人にも取り入れられるようになったことを見たような…禁止しても、纏足をする満州女性が出てきたとか。漢人文化への憧れが強かったならば、それもありでしょう。
「夷狄」であるはずの安禄山が重んじられたのも、唐が元は漢人の王朝ではなかったこともあるのでしょうか。
>>イメージ的には、「漢人」とは、雑多な民族の総称で、中国大陸に住んでいる「欧米人」に近い概念
仰る通りですね。日本人よりも混血度で凄まじい。中国史は若い頃に三国志に関心を持ちましたが、中東史に関心を持って以降、まるで興味が薄れています。そのため貴方のブログはとても参考になりました。