トーキング・マイノリティ

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フレディは幸せだった?その④

2018-12-21 21:40:12 | マスコミ、ネット

その①その②その③の続き
 朝日新聞記者・岩崎賢一氏の記事のタイトルは、「クイーン映画の問い 移民・差別・家族…」となっている。映画ではフレディが“パキ”呼ばわりされるシーンが2個所ほどあり、実際に人種差別を受けたことは考えられる。
 だが、伝記『クイーン 果てしなき伝説』(ジャッキー・ガン&ジム・ジェンキンズ著、扶桑社)にはヒースロー空港で働いていた頃の興味深いエピソードが見える。職場の仲間たちがフレディの華奢な手を見て、肉体労働には不向きのようだが、一体、今までどこで何をしていたのか尋ねた。それに彼はこう答えたという。
ミュージシャンだったのさ。ただし、今充電中だけどね

 ウイットに富んだ、こんな彼のキャラクターは、たちまち皆から慕われるようになり、仲間たちは、彼の仕事を積極的に手伝ってくれるようになったそうだ(53頁)。職場には意地悪な同僚もいたかもしれないが、無名時代から既に人を惹きつける魅力を持ち合わせていたことが判る。
 元々パールシーとは他国に移民して、活路を開いてきた民族である。インドでも英国でも差別は受けたにせよ、持ち前の勤勉と努力で確固たる社会的地位を築いている。「イランのゾロアスター教徒」という記事で書いたが、対照的にイラン本国に留まったゾロアスター教徒は、迫害と貧困に苦しめられた。その惨状を救済したのもパールシーだった。

 岩崎氏は12月16日付でもクイーン関連記事を書いており、映画のヒットは「孤独な現代社会」に刺さったのかも…と分析する一方、最後に「「多様性に寛容な社会」について、みなさんの意見、経験をお寄せください」と呼びかける。
 いかにも朝日記者らしいが、ならば私も「多様性に寛容な社会」のオランダの例を挙げたい。2017-12-07付で記事にしたが、オランダの元下院議員アヤーン・ヒルシ・アリの自伝『もう、服従しない イスラムに背いて、私は人生を自分の手に取り戻した』には、多様性を認めない移民のケースが載っている。同性愛者の教師がモロッコ系の生徒に虐められる出来事が頻繁にあり、ТVに出たイマーム(宗教指導者)は、同性愛は伝染病だから生徒にうつる同性愛は人間を脅かすのだ、と説明していたという。パールシーのように移住先で適応する移民ばかりではないのだ。

 私が買ったCD『Queen Rocks グレイテスト ロック ヒッツ』解説書に、ミュージック・ライフ1986年12月号に載ったフレディへのインタビューが転載されている。この時フレディは休暇で日本旅行中だったが、「ミュージシャンであることの得な点と損な点って、どんなところだと思う?」という問に、こう答えていた。

ねぇ、今、ぼくは休暇中なんだよ(笑)。ウ~ン、ウオッカでも飲まないと答えられないや(笑)。そうだなあ…どっちも沢山あるよ。成功すると「プライヴェート・ライフを守りたい」っていうことになるのさ。例えば朝、目が覚めた時に時々こう思うんだ。「ああ、今日の僕がフレディ・マーキュリーじゃなかったら」って…。
 勿論、そんなことできるはずないんだけど、フレディ・マーキュリーでいたい日があって、皆に「あなたって素敵ね!」って言われたい日もあれば、その翌日にすごいプレッシャーを感じて「ああ…」ってことになる日もあるんだ。プライヴェート・ライフを守るのは難しいよ。

 でも頭のいい人はわかっていると思うんだけど、成功すれば当然それに付随してくる問題なのさ。家にいても他人がやってきて、ドアをノックする。勿論僕は頭にくるけれど、きっと彼らは僕のレコードを買ってくれているんだろうし、僕の成功に寄与してくれているんだろうしね…。だからそれも受け入れないとね。
 でも、素晴らしいことも色々あるんだ。世界中を見て歩けるし、そういったことができる人ってザラにはいないし、それは僕にとって素晴らしいことなんだ。
 
 フレディ不幸論を唱える者には困る内容だが、頭のいいミュージシャンによる模範解答であり、成功すれば当然それに付随してくる問題を率直に語っている。
 この件でクイーンファンの男性ブロガーさんから鋭い指摘を頂いた。その全文を絵文字省略で紹介するが、この類の意見はメディアでは絶対取り上げないだろう。多様性を訴える者こそ画一的な傾向があるから。

をいをい・・・。 (Mobile)
2018-12-18 00:06:53
フレディーは幸せだったのか?というのは、問い自体が荒っぽ過ぎる
たが、こんな問いをする人よりは少なくとも『幸せだった』と言えるのではないか?

LGBTなどというシャレた言い方は当事はなかった。当事の呼び方はホモまたはゲイでありオカマである。まとめて端的に言えば『ヘンタイ』と、ひとくくりにされる存在だった。だが、そこに退廃の匂いを嗅ぎ取って、最初は音楽にシビレた私たちは更にファンになったのではないのか?
当事のアーティストは不健康をウリにしていて、男女構わず乱交しては酒やドラッグに溺れ、若くして亡くなるのが常だった。それは時代の為せるワザだ。映画『イージー・ライダー』に代表される時代だったのだ。

『フレディーは幸せだったのか?』と、問う人たちは、今の時代を無理矢理肯定させようと、しているようだが、私に言わせれば、フレディーは幸せだった。音楽的には成功を収め、友人に見守られて死んだのだから・・・。

◆関連記事:「フレディ・マーキュリーと私
フレディ・マーキュリー ロックスターになったパールシー

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4 コメント

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楽曲の良さこそ (ハハサウルス)
2018-12-22 23:25:06
こんばんは、大変ご無沙汰しております。映画のヒットで最近クィーンを取り上げた番組が多く、クィーンファンのmugiさんがどう感じておられるのか、記事を書かれるのを待っていました。その④で締めくくられた記事、成程と納得しました。

私もクィーンの曲は結構耳にしていましたが、ファンという程ではなく、もう少し後のデュランデュランが好きでした。今も車にCD常備しています。

フレディが同性愛者であることを知った時は、驚きはしましたが、すっと受け入れたように思います。早くに亡くなられたことは残念でしたが、自分に正直に生きたと思われる彼が不幸だったとは思っていません。もちろんフレディの心は彼にしかわかりませんが、辛いことは沢山あったとしても、不幸とは思っていなかったのではないかと思います。むしろ勝手に「幸せだったのか」などと言われるのは嫌なんじゃないかと思ったりもします。

自分の日常生活には関わりがありませんでしたが、同性愛はマンガの世界では描かれていて、正直理解するまではいかなくても、そういう気持ちもあるのかということは、何となく受け入れていたような気もします。

もうフレディ本人に確かめないようもないのに、その心情の深い部分を、ある種の運動に利用するのはどうかなと思いますが、クィーンの映像が頻繁に見られるのは、懐かしいですし、嬉しいとも思います。今まで知らなかった若い世代の人にも、楽曲の良さは届くのではないでしょうか。
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Re:楽曲の良さこそ (mugi)
2018-12-23 22:02:57
>こんばんは、ハハサウルスさん。

 ハハサウルスさんはデュランデュランがお好きでしたか。私は学生時代にはポリスが好きでしたね。クールでスタイリュシュだったから。こちらも時々車でCDで聴いています。

 フレディはPVでひと目見て、ゲイなのは分かりました。それに濃い胸毛を誇らしげに見せびらかすのにドン引き、第一印象はとても悪かった。後に欧米やインドでは濃い胸毛はセックスシンボルとなっていることを知りましたが、私と同じく“毛嫌い”した日本人もいたと思います。
 ある音楽評論家は、クイーンには重い曲はあっても暗い曲はない、と言っていました。まさにその通りで、不幸な人生を送っていれば、作品にも影響します。常に歌詞は前向きだったし、これも人生を肯定的に捉えるゾロアスター教思想が影響している?と想像するのは歴史オタクの悪い癖です。

 フレディ自身、精神的にはとてもタフだったはず。それでも頓珍漢な解釈をする評論家には怒っていたし、英国でもマスコミは酷いようで、バンドメンバーも報道関係者を人間のクズと謗っていたほど。

 メディアは映画のヒットに乗じ、ここぞとばかり彼を取り上げていますね。性的少数派に理解のない時代に生まれ、孤独に苦しんだ不幸な人…という捉え方が出ていることを、あの世でフレディが知れば、「余計なお世話だ。俺はヘテロの何倍も人生を楽しんだ」と怒ると思います。
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-tだけは別 (のらくろ)
2018-12-24 12:43:01
誰もが気安くLGBTと十把ならぬ四把ひとからげにいっているが、もともとの表記はLGB-TとかLGB-tとかで、前3つと後ろひとつは大きなギャップがあるとみられていたはず。

以前に「女湯」の話をしたが、ここで問題になるのは、やはり後ろひとつ、-Tや-tの世界だ。要は「バリバリの男」がトランスジェンダーを詐称して「女」であると主張することを、リアルの女は許すのかということ。

股間に竿と玉を下げたままなどというのは論外だが、切除して股間を女に「擬態」しても、リアルの女としてはそいつを女と認めるには著しい拒否反応と抵抗があるのではないか。

それを素直に言い表すことばを、スケベオヤジののらくろが発するというのは、リアルの女の方々に大変僭越であり失礼とは思うが、ここjに披露させていただきたい。

「女であるというなら、月経100回経験して来い。話はそれからだ(未経験なら、女の側からオマエを女と認めてやる審査にも値しない)」
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Re:-tだけは別 (mugi)
2018-12-24 21:48:49
>のらくろ さん、

 メディアによってLGBTの表記が定着した観がありますが、元の表記はLGB-TやLGB-tだったのですか??最後のひとつはLGBからも蔑視されていると聞いたことがあります。LGBと違い、Tは胡散臭いんですよね。

「バリバリの男」がトランスジェンダーを詐称して、「女」であると主張する可能性もあり、リアルの女からみれば恐ろしい。例え性転換手術を受けたとしても、女と認めるには強い抵抗があります。腕力は元の男と同じだし、気味が悪い。

>>女であるというなら、月経100回経験して来い。話はそれからだ

 お見事!よくぞ言ってくれました。 月経体験ゼロのくせに、勝手に女を名乗るな!と言いたいですね。
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