その①の続き
男性は総じて男尊女卑思想の持ち主であり、本音では絶対に男女平等を認めない。これは日本や儒教圏に限らず、欧米の男たちも内心では女性蔑視しており、それを巧妙に隠しているだけである。欧米思想や文明の基盤となっているキリスト教自体、徹底した男尊女卑宗教だから。「通りすがり」の宗派は不明だが、いかに匿名といえ、今時ここまで女性蔑視を鮮明にするのは珍しい。
「女は所詮女なので責任なんか取れっこありません」「男を立てないと生きてもいけない存在」「女にはもともと解決の能力など微塵もありません」「女には力はありませんが男にはあります」……
全く前近代的といえる男尊女卑概念だが、彼の異性観や社会観も伺える。「通りすがり」の身近にいる女性がまさにそんなタイプかもしれないが、少なくとも職場では女といえども責任を負わされるし、責任逃れは男よりも難しいのだ。「通りすがり」の経歴は不明だが、まさか職場には女性が全くいなかったのだろうか?そもそも、職歴自体があるのか?コメント全文には社会性や知力が微塵も感じられない。
私自身、しばしばフェミニストを批判する記事を書いている。日本のフェミニストには、女性の不当な処遇や性虐待への義憤から活動をしているというより、他国や反日国の代弁者ばかり目につくからだ。9条堅持、戦争反対を唱えた所で、隣国には全くダンマリでは説得力皆無なのだ。同性を利用する差別利権集団と見なされて当然だろう。
しかし、「通りすがり」のような終始女への罵倒も不快極まる。女性全体への暴言であり、アラシに過ぎない。クソ生意気な女に喧嘩を売りたかったようだが、50代のBBAである私は以下のコメントを返した。
「先ず、コメントタイトルとは裏腹の陳腐なHN「通りすがり」では、男のプライドは微塵も感じられませんが?仰る通り女は女で男は男だし、男にはプライドがあるにせよ、女にも女のプライドがあります。男と女ではプライドの内容は違いますが、男女ともに意地と矜持があることも判らないらしい。
「男だけなら解決する話し合いさえすれば」と言われても、人類史上、男だけで話し合いをして解決できたというケースは極めて稀ですが?これも男のプライドが邪魔して、問題をこじれにこじれさせる。21世紀でも絶えぬ軍拡や宗教紛争を見れば、男の解決能力も極めて怪しく、貴方はお花畑女よりも考えが足りない。この際、女など関係なく、女を持ち出すのは下劣な責任転嫁そのもの。これぞ、女の腐ったのの見本(笑)。
そして男や家族に依存せず、自活している女も多いけど?ナマポをもらい、パチンコにうつつを抜かすのは総じて男。日本のホームレスは殆どが男。
「通りすがり」のHNで大層な御託を並べる御仁が、女を守る、子孫を守る、社会を守ることができるのか、極めて疑問ですね。弱い犬ほどよく吠えるし、ネットで大口叩きの負け犬もいる。いい年して親がかりのアル中や暇人がネットを徘徊、女叩きに興じるケースは少なくない。
言いたいことがあるなら、ブログを開設しなさい。そして一人前の男なら社会を守ることくらいできて当然というなら、女のブログに書込むよりも男の責務を果たしなさい!女から見て最も哀れで惨めな存在は、ネットで粋がるだけのマッチョ。匿名での空威張りが男のプライドならば、二束三文にもならぬ安っぽいプライド。プライドが聞いて笑える」
この者が守りたいのは己自身のちっぽけなプライドにせよ、コメント先は百田尚樹氏のベストセラー『カエルの楽園』への書評記事なのだ。記事とは全く無関係のコメントを一方的に書き殴るのがアラシの特徴だが、何故この記事なのか?『カエルの楽園』は、話し合い至上主義の結果、滅びたカエルの国の寓話で、左翼や特亜シンパにはさぞ忌々しい作品のはず。
「通りすがり」が、「男の話し合いが必須でしょう」「男には世界の安定を司るプライドがあります」と言ったのも意味深。その女性観は何やら儒教圏を連想させられた。男の話し合いなど、軍事力を背景とする恫喝が実態であり、強者による支配が世界の安定を司る。今も昔も洋の東西問わずこの支配原理は変わらず、強者なき世界が混沌となるのは否めない。
その③に続く
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