トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

マリー・アントワネットの子供たち その一

2015-10-16 21:10:30 | 読書/欧米史

 今日はフランス王妃マリー・アントワネットが処刑された日でもある(1793年10月16日午後零時15分)。少なからぬ日本人と同じく、私がアントワネットの名を知ったのは『ベルサイユのばら』だったし、ベルばらには彼女の子供たちが登場している。ベルばらに登場したアントワネットの子供たちは3人だったが、彼女は生涯で2男2女を産んでいる。そこでアントワネットの命日に因み、彼女の子供たちについて書いてみたい。

 アントワネットの子供は生まれた順に、マリー・テレーズルイ=ジョゼフルイ=シャルル(ルイ17世)、マリー・ソフィー・ベアトリスの4人。末娘のマリー・ソフィー・ベアトリスは生後僅か11ヶ月内で死去している。乳児死亡率の高い時代でもあったが、末娘の死んだ後に続き、王太子の長男ルイ=ジョゼフが脊椎カリエスで死去している。
 ルイ=ジョゼフの病死はベルばらでも描かれており、アントワネットが特に好きではなかった私でも、僅か7歳半の短すぎる生涯は痛ましいと感じた。死亡時は1789年6月4日。生前からその優柔不断な性格を非難されていた国王ルイ16世は、子煩悩の父親でもあり、王太子の死に数日間悲嘆に暮れたという。だが時は三部会会期中、質問に立たない国王を議員は非難し、王はこう応酬したそうだ。
「この三部会には子を持つ父親はいないのか?」

 フランス王太子という身分ゆえに何不自由ない暮らしを送ったにせよ、8歳前の昇天は哀しい。しかし、フランス革命前に死んだルイ=ジョゼフは姉や弟に比べたら遥かに幸福だった。姉マリー・テレーズは享年72歳で生涯を終え、天寿を全うしたが、弟ルイ=シャルルは満10歳で没している。
 死後にルイ=シャルルの遺体は解剖され、医師たちは死因を結核と診断したが、実は単なる病死ではなかった。惨い虐待の果て、心身ともに蝕まれての衰弱死が真相だったことを私が知ったのは、1990年代初め『ヴェルサイユ宮廷の女性たち』(加瀬俊一著、文藝春秋)を読んだからなのだ。

 ルイ16世処刑後、ルイ=シャルルは母アントワネットとも引き離された。ベルばらでは次のように背景を説明している。
その年(1793年)の7月、国民公会は王子ルイ・シャルルを引き離すことを決定したのである。8歳の幼い少年に自分が王位継承者であることを忘れさせ、共和国の一市民として成長させるためであった。

 王妃としては欠点ばかりが際立つアントワネットだったが、愛情深い母親だったのは間違いなく、国民公会の決定を断固拒絶する。必死に抵抗する彼女の腕から、息子が力づくで引き離されるシーンはベルばらの中で最も痛ましいシーンのひとつだろう。涙ながら別々に暮らすことになった母子だが、ベルばらにあったルイ・シャルルのその後はこうだった。
そして健康な育ち盛りの少年は、母を忘れ国王であった父を忘れ、自分の名前を、フランス王太子の身分を忘れ…兵士たちにまじって革命歌を歌うようになった…

 その革命歌なるものが、「♪貴族の奴らを街灯へ。ええじゃないか、ええじゃないか。貴族の奴らを縛り首」。息子と兵士たちの歌がタンプル塔にいるアントワネットの耳にも入る。次はルイ・シャルルと兵士のやり取り。
「ねえ、シトワイヤン(市民)。あの塔の中にはいったい誰がいるの?」
「俺たちを苦しめた悪い女が死刑を待っているのさ」
「ふう…ん。早くくたばればいいのにね」

 兵士たちはルイ・シャルルの言葉を陰で笑っており、これも惨い。だが私がベルばらを見たのは小学生時代、8歳よりは年上だったにせよ、呆れて物が言えなかった。あれほど母との酷い別れ方をしているはずなのに、8歳にもなって早々に忘れられるものなのか?コイツ、アホと違うか……と不愉快だった。
 ベルばらを見ていた友人も不思議がっていたし、同じ思いの少女読者も少なくなかったと思う。私の一つ上の従姉は、「王族って、意外にバカが多いらしいよ」と言っており、それで納得した。それがいかに子供じみて短絡的な見方だったのか知ったのは、1990年代初めになってだった。
その二に続く

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Re:悲惨な最期 (mugi)
2015-10-17 20:58:53
>りら様、

 その二で『ヴェルサイユ宮廷の女性たち』から引用したルイ・シャルルの最後を書きましたが、これを知った時はショックでした。ベルばらにあったように、母を忘れ国王であった父を忘れ、自分の名前を、フランス王太子の身分を忘れた方が遥かによかったはず。
 十代でのあのような悲惨な体験は、マリー・テレーズの人格形成にかなり影響を与えたでしょう。生涯彼女は人間不信から立ち直れなかったと思います。

 アントワネットは最後まで子供たちの行く末を心配していましたよね。少なくとも死の時点では子供のいないオスカルの方が、安らかな最後を迎えることが出来ました。
返信する
悲惨な最期 (りら)
2015-10-16 23:39:16
 ルイ・シャルルの最期は悲惨でしたね。自分の汚物にまみれながら、暗い部屋で過ごした。アントワネットがこの事実を知ったら、どう思ったでしょう。ただ一人生き延びたマリー・テレーズだって、人間不信が強かったはず。

 その二は、何をお書きになるか、楽しみに待っていおります。
返信する