その①、その②の続き
女性奴隷から生まれた子供たちは、自由人女性から生まれた子供らとさしたる区別もなく、普通に父に育てられたとされるイスラーム社会だが、やはり差別は明らかに存在していた。アラブ社会は現代でも男系血統を重視しており、ましてアラブ帝国とも言われるウマイヤ朝時代においては、父がたとえ高貴な家柄のアラブ人であったとしても、母が異民族出身で特に奴隷であった場合、その子供の血筋は賤しいものとされた。
男性中心のアラブの系譜上は一見違いがなくとも、「高貴」なアラブにして確固たる系譜を持つ母が正規の結婚により生んだ息子と、異民族の奴隷出身にして系譜そのものを持たぬ母が婚外で生んだ息子には、大きな違いが存在した。日本の血統意識など、中東におけるそれの強さとは比較にならない。
異民族の女奴隷の母を持つ婚外子は、アラビア語で「ハジーン」と呼ばれ、差別の対象だった。9世紀のアラブ文献学者ムバッラド(826-900)は、あるアラブ男の以下の評を伝えている。
「奴隷妾の子供が我らの間に増えております、あぁ神よ神よ、私を入り給わんことを 卑しき生まれの者(ハジーン)を目にすることのない国へ」
詩の詠み手は周囲に混血者が増えていることを嘆き、神に自分が天国に召されることを願っているのだ。彼にとっては天国に混血者がいないことは理の当然なのだ。この詩を紹介した後、ムバッラドはこう続けている。
「アラブにおいて「ハジーン」とは、その父が高貴で母が下賤な者であり、その根本は彼女が奴隷(アマ)であることにある」
しかし、アラブの征服の拡張により異民族との接触が増加、殊に支配層には次々と「ハジーン」が生まれてくることにより、アラブ社会も徐々に変化していく。アラブ支配のアラブ帝国から、アッバース朝のようにイスラムを中心としたイスラーム帝国へとなった社会変革を迎える。
それでも中世の文献にも、奴隷を揶揄軽侮する言説は多々ある。特に黒人奴隷への蔑視は激しいものがあった。中世イランを代表する詩人サアディーの詩集『薔薇園』『果樹園』は東洋文庫(平凡社)から邦訳が出ているが、黒人は醜く愚か等と罵倒する文句があったのには驚いた。中国人やトルコ人は高く評価されていたのに、黒人は遠くない過去のアメリカ並みに侮蔑されていたのだ。
本書で私的に最も興味深いと感じたのは、第4章の「奴隷の「人権」と職務」について述べた個所だった。ここでは11世紀シリアのネストリウス派キリスト教徒医学者イブン・ブラトーン(?-1066)と、15世紀エジプトのムスリム医学者・法学者アムシャーティー(1409-96)等の著作『奴隷購入の書』が挙げられている。『奴隷購入の書』とは11世紀以降盛んになった文学分析のひとつで、彼ら以外の同類の著作が現代に伝わっている。
イブン・ブラトーンやアムシャーティーの『奴隷購入の書』には、奴隷を購入する際にどの「人種」がどのような性格を持ち、どのような職種に向いているかを詳述する章が設けられている。11世紀のイブン・ブラトーンの記述は、各「人種」を「某人女性」というかたちで女性を中心に記述している。
これに対し、マムルーク朝成立以降に著されたアムシャーティーの記述は、各「人種」を「某人」(某人男性)としており、特に男性の軍人としての能力に言及する特徴がある。
いずれにせよ、これらの記述は「人種」による性格と「職務」への適否を、極めて本質主義的ステレオタイプ的に論じる点に特徴がある。奴隷としての個々人の性格や「職業」適性は、人間としての個性として備わっているのではなく、先ず「人種」そのものに備わっているという考え方なのだ。
そのように見た場合、イブン・ブラトーン、アムシャーティーが共に医学者であることは偶然ではない。このような「人種」観は当時一般に広く受け入れられた「科学」であった。
『奴隷購入の書』において「人種」は、父系の血統と風土によって決定されるものとして扱われている。「人種」の環境決定論、風土決定論はイスラーム医学者の独創ではなく、ギリシア科学から受け継いだ伝統だった。イブン・ブラトーンは東西南北による肌色や本性の違いを比較し、アムシャーティーは空気や水が住民の本性を含む「人種」を決定するとしている。このような言説は、当時最先端の「科学的思考」であったのだ。
その④に続く
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