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ナチスとゾロアスター その①

2008-07-21 20:46:02 | 読書/欧米史
 アーリア民族至上主義が唱えられたナチス時代のドイツで、一躍注目された東洋の宗教者があった。ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(英語名ゾロアスター、独語名ツァラトゥストラ)こそその人物で、古代アーリア人の偉大なる神官と見た。それは正確な解釈ではあるが、ナチズムに利用され、果てはヒトラーと重ねられていった。

 ペルシア(現イラン)がアラブ・イスラムに征服され、ゾロアスター教がイスラムに圧倒された後でも欧州ではギリシア語、ラテン語文献を通じゾロアスターの記憶は残った。そして様々な伝説が絡み合い、欧州の宗教思想上で活躍し始める。だが、古典文献の作者たちも正確なゾロアスター像を描いていたのではなかったため、知識人の間に虚像が肥大化したのである。既にルネサンス時代、ゾロアスターは西欧の思想界で衝撃をもって迎えられた。きっかけはビザンツ帝国からの使者だった。

 1439年、東西キリスト教教会和解のため、ビザンツ帝国の使者がフィレンツェに到着する。おりしもオスマン帝国の攻撃により、ビザンツは滅亡寸前だった。随行団の中にコンスタンティノープル(現イスタンブール)出身の大学者ゲミストス・プレトン(1452年没)がいた。彼は異教的な古代ギリシア哲学の研究に没頭した哲学者で、中世イタリアにプラトン主義哲学を紹介、ルネサンスの導火線となった。同時に西欧にゾロアスターの虚像を導入した人物でもあった。

 プレトンは実際には2世紀に作成されたギリシア語文献『カルデアの神託』(現存せず逸文のみ)をゾロアスターの真作と信じ、人類にとってプラトンの著書と並び最も価値あるものと断言した。当時の西欧に比べ先進的だったビザンツの大学者の講義を拝聴したイタリア人たちは深い感銘を受け、それを鵜呑みにする。かくして欧州の思想界に「バビロニアの占星術、プラトン主義哲学の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」という、ゾロアスター本人が聞けば驚愕すること間違いなしの「ルネサンス的ゾロアスター像」が深く刻み込まれた。イタリア・ルネサンスの人文主義者にはゾロアスターは詩的・魔術的・宗教的・宇宙的な知識の体現者となったのだ。

 19世紀にはさすがに「ルネサンス的ゾロアスター像」は廃れてしまうが、オカルト的な魅力によりごく一部で命脈を保つ。20世紀初頭のドイツでルドルフ・シュタイナーにより設立された人智学協会は、この「ルネサンス的ゾロアスター像」を継承していると言われる。19世紀後半に欧州のゾロアスター教研究の中でも特に活躍が目覚しかったのが、ドイツ・ゲッティンゲン大学の古代イラン学教授フリードリッヒ・カール・アンドレアス。20世紀前半の古代イラン学の主だった教授たちもアンドレアスの影響を受けている。彼の妻ルー・ザロメこそ、『ツァラトゥストラはかく語りき』の哲学者ニーチェの元カノだった!

 ニーチェは38歳の時ルー・ザロメに求婚、肘鉄砲をくらい、傷心状態で『ツァラトゥストラ~』を書き上げた。名著ではあってもアンドレアスのような古代イラン学者の下した客観的解釈とはかけ離れた内容である。ゾロアスター自身、超人、善悪の彼岸など説いていない。しかし、学者の言う「古代アーリア人の神官」説よりニーチェの作品の方が広く読まれ、ハイデッカーのような高名な哲学者たちがこぞってこの書に言及、批評する。かつての「ルネサンス的ゾロアスター像」に変わり、「ニーチェ的ツァラトゥストラ」が受け入れられた。

「アーリア民族至上主義」は既に19世紀からドイツに燻っていたが、ナチズムによりついにゾロアスターは「アーリア民族の英雄」に祀り上げられていく。ヒトラーの定義するアーリア人とはゲルマンや北欧の金髪碧眼の民族であり、東方のインド・イラン系アーリア人はまず念頭になかった。インド・イランに少数いるゾロアスター教徒たちは全く関与せぬことであり、勝手に彼らの教祖が借用されたのだ。
 ナチスは政権獲得後、ドイツ学界のアーリア民族化を精力的に勧め、まず当時のドイツの大学教授の中で極めて数の多かったユダヤ人を排斥、研究者たちをドイツ人に純化した。次にナチス・ドイツにおいて、研究対象もアーリア民族的な主題を選ばねばならないという方針で、1935年、親衛隊機関としてアーネンエルベ(アーリア民族遺産研究協会)が設立された。
その②に続く

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