その一、その二の続き
帝国の主だった重臣たちの中で、オーベルシュタインほど同僚たちから忌み嫌われた人物もない。だが、私心はなく、その死は主君の身代わりとなって殉職した様に見える。本当は忠臣だったとも解釈できるが、ラインハルト個人への忠義心からの行動とは考え難い。
オーベルシュタインの行動で一番驚いたのが、ラインハルトの結婚式での出来事。緊急を要する報告だったにせよ、華燭の典で情報を告げている。これには他の重臣も露骨に不快感を表したが、当の新郎は一切咎めない。ラインハルトにとって婚礼とは単なる儀式で、些事に過ぎなかったのか。皇妃となるヒルダは聡明だが、めでたい式にミソをつけられ、女ならばかなり不愉快だったはず。それを文句ひとつ言わず耐えたのも見事だった。
個人としては好漢なのだが、ヤン・ウェンリーがドラマで語る国家・政治・戦争観には付いていけない処があった。特に不可解なのは、バーミリオン星域会戦でラインハルトの旗艦ブリュンヒルトを射程に収めたところ、同盟政府の発した戦闘停止命令を受け入れ、幕僚らによる攻撃続行の意見を押し切り政府の命に従ったこと。政府の戦闘停止命令に従うのは民主主義の精神であり、シビリアン・コントロールの大原則を忠実に守る。
間一髪でラインハルトが命拾いしたというのはいかにもドラマだが、政府の命を無視してヤンが攻撃を続けていたならストーリーは続かない。ご都合主義も鼻につくがwikiによれば、ヤンは「作者の田中芳樹に最も近い意見を提示する役でもある」そうだ。
『銀英伝』ではこの会戦への後世の歴史家の見解を紹介している。「戦術では同盟の勝利。戦略では帝国の勝利」「戦場では同盟の勝利。戦場の外では帝国の勝利」などが歴史家の評価というが、軍事面はともかく、ヤンが同盟政府の戦闘停止命令に従ったことへの意見はなかったような。
歴史は俗に勝者の記録と言われるし、それは概ね当たっている。長年の戦いで勝利したのは銀河帝国で自由惑星同盟は敗北、併呑されている。この戦いの記録を残すのはほぼ帝国側だろうし、民主主義の大原則に忠実なヤンへの評価はそれほど高いのだろうか?そして、彼は闘いではなくテロに倒れているのだ。
帝国の歴史家ならば、文民統制の失敗例として特筆するのではないか?シビリアン・コントロールに忠実なあまり、敵国の指導者を仕留めるという機会を逸してしまったのだから。意地悪くすれば、文民統制提督とでも表現するのかもしれない。文民統制を墨守、民主体制国家を敗北・消滅に至らしめた功績を皮肉って。
好意的解釈でも敵将ながら天晴、の程度かもしれないし、ラインハルトの業績を讃えるための素材、つまり刺身のツマのような存在になる可能性もあると思う。
ヤンの養子で後継者でもあるユリアンが、最終回で語った次の台詞がある。「市民の権利よりも国家の利益を優先させる政治が、いかに多くの人を不幸にしたのか…」
この台詞は明らかに戦前の全体主義をイメージしていると思う。原作者の田中は1952年生まれであり、その世代の影響も受けているはず。ただ、市民の権利ではなく君主の利益を最優先させるのが専制君主制なのだ。21世紀に至るまで、国家の利益の前に市民の権利を優先させた国があっただろうか?あったならば、その国は確実に滅亡しているし、市民の権利どころか市民権さえ失うのだ。亡国の民の運命は弱小国の住民よりも苛酷である。田中の作品を読んだ方からもこんなコメントを頂いた。
-『銀英伝』が面白かったので、一時期この作者の本はよく読んだのですが、政治・戦争の理解がどうも戦後左翼的なままで、それが年々酷くなってしまって最近のものはもう読むに耐えません…
「銀河英雄伝説 語録(名言集)」というサイトがあり、載っているヤンの台詞は確かに戦後左翼的な政治・戦争観を感じさせられる。
-恒久的な平和なんて歴史にはなかった。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在した。要するに私の希望は、たかだかこの先数十年の平和なんだ。だがそれでも、その1/10の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。
しかし、歴史というものは複雑であり、平和だが停滞、貧しい時代も存在したし、戦争により景気や技術が飛躍的に向上、豊かになる地域や戦争当地国でも富を享受する者さえいる!何十年かの平和が豊かな時代をもたらすとは限らない。ある国の平和は他国の対立で保っていることもあり、この物語のフェザーン自治領の繁栄がいい例なのだ。
◆関連記事:「民主主義について」
「古代インドの民主主義」
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私は銀英伝は外伝1巻とその外伝を元にしたアニメしかまともに見たことがなく、後はすべてネットや立ち読みで断片的に知っている程度です。
この作品の中にビッテンフェルトと言う突撃専門(?)の元帥が登場しますが、何となくプロイセンのこの人物がモデルになっているのかと思いました。
>ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル(Gebhard Leberecht von Blücher、1742年12月16日 - 1819年9月12日)は、プロイセン王国の軍人。…攻撃的な性格から前進元帥(Marschall Vorwärts)と渾名される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%97%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%BC
銀英伝はいろいろな歴史的人物がモデルになっているのでしょう。ヤンが中国系のため、中国では人気のあるSF小説で中国のこの手の小説は必ず影響を受けていると聞いたことがあります。でも、以前ネットサーフィンしていたら、中国のサイトで全巻ただ読みができるらしきものがあり、こう言うのは止めて欲しいと強く思いました。
プロイセンの元帥ブリュッヘルのことは初めて知りましたが、どうもビッテンフェルトのモデルとなっているようですね。wikiにブリュッヘルへの評価として、「ブリュッヘルは粗野で無鉄砲で無教養だったが、親分肌な人物で度量の広さと人望を備えていた…」とあり、これもビッテンフェルトとそっくり。
銀英伝は中国でも人気があるようですね。村上春樹もただ読みができる中国のサイトがあると聞いたことがありますが、小説のみならずアニメでも、タダ見出来るサイトがあります。韓国にも銀英伝やワンピースのアニメを勝手にアップして見られるサイトがあり、実に困ったものです。
そして、以前ニュースで北朝鮮の外貨稼ぎを報道していたのですが、北朝鮮は日本のアニメ制作で外貨を得ているそうです。その報道の中に日本のアニメ画像がモザイクを掛けて出ていたのですが、画像を見た瞬間「ラインハルト?」と感じました。
そもそもその画像が銀英伝だったのか、ただ例として使っただけなのかも不明ですが、アニメも外貨獲得の一手段とは思いませんでした。今、日本のアニメは韓国や中国を下請けとして使っているのですが、そのあたりから更なる孫受けとして流れたのかもしれません。この報道以降、アニメ関係の話を聞くと北朝鮮を連想してしまいます。
ビッテンフェルトもヤンを打ち負かすことを目標として、何時も負けたという展開になっています。自らの戦術ミスもあるにせよ、戦場では友軍に多大の犠牲者を出したことに仇討ちせずにはいられなくなるのかもしれませんね。
中韓ならともかく、北朝鮮も日本のアニメ制作で外貨を得ているとは知りませんでした。アニメ映画のエンドクレジットには王や李といった中韓風の姓名が見られることもあるし、人件費の安い隣国に発注するのは無理もないかもしれません。日本が誇るアニメも中韓の下請けがあって成り立っていることには、少し複雑な想いになります。
描写が多く物語の根幹になる秘密を握っているのか?
とワクワクさせといてなんか、消化不良の設定
複線だったなあと思いました。
>恒久的な平和なんて歴史にはなかった。だが何十年かの平和で豊かな時代は存在した。要するに私の希望は、たかだかこの先数十年の平和なんだ。だがそれでも、その1/10の期間の戦乱に勝ること幾万倍だと思う。
ヤンはすきではないと書きましたがこのセリフは割とすきです。平和の維持の難しさにじみ出いて
好きです。ただMUGIさんの言う通り
>何十年かの平和が豊かな時代をもたらすとは限らない。
なんですよね。北朝鮮や毛沢東支配下の中国
みたいな国の下の平和というのもぞっとします。
でも物語では慾を出さずに防衛に徹して和平を求めた方が同盟の寿命は延びただろうなあと思います。
>でも物語では慾を出さずに防衛に徹して和平を求めた方が同盟の寿命は延びただろうなあと思います。
全く同感です。煽動家たちが同盟を滅ぼしたのは民主主義の致命的な欠点です。
一応同盟側は総力戦に近い状態だったのに女性軍人がほとんど登場しないのも、今思えば書かれた時代を感じさせますね。女性の将官や戦闘機乗りは皆無でしょう。後、銀英伝は基本的に未読なので何とも言えませんが、技術将校も登場しなかったような気がします。
>「市民の権利よりも国家の利益を優先させる政治が、いかに多くの人を不幸にしたのか…」
作者は意識していないでしょうが、結局政治は政治家がするもので、「市民」は利益を享受していればいいだけの存在、と思っているのではないでしょうか。ヤンを見ていると、「市民」が責任を持って国を作って動かしていく、と言う意識がなさげです。そして戦争自体、富の分散をもたらして硬直化した社会構造を是正するという機能があると言うので、なくなりそうにもありません。
https://gigazine.net/news/20170127-violence-inequality/
オーベルシュタインはナポレオン相手でも平然と無神経に対応していたフーシェの性格の一部がモデルのように感じました。他はラングとトリューニヒトに対してフーシェの性格の部分部分を対応させた感じですね。ミッターマイヤーは貴族階級でない事も含めてロンメルでしょうか。でも、タレイランをモデルにした人物はいないような。
先日読んだばかりということもありますが、私的には同盟側の印象の方が強かったですね。ヤンをはじめ同盟の将官はメディアを冷ややかに見ている者が多く、日本のメディアをモデルにしているように感じました。
一応女性軍人は登場しますが将校止まりで、しかも事務方です。現代の小説では女性の将官や戦闘機乗りは当たり前になりました。
「不平等は「暴力」によって解消される」というのは、ストレート過ぎる「正論」ですね。確かに特権階級は「暴力」に直面しない限り、利権を決して手放しませんから。
オーベルシュタインにはフーシェの性格が反映されている、という見方にはハッとさせられました。陽性な面を出すとトリューニヒトになりますか。ミッターマイヤーがロンメルという発想はできませんでした。タレイランはモデルにするには難しいでしょう。
オーベルシュタインは自分のために職務をこなしていますが、フーシェも同様です。感情を見せず、相手の弱みを見つけた途端、一気呵成に追い込むというのもツヴァイクの「ジョゼフ・フーシェ」にある描写です。
しかし、フーシェは金に汚く(貧窮生活で娘を亡くしているので無理ないのですが)、あれなりに社交性もあり、権力のために権力を求めている点が異なります。ラングは秘密警察トップで愛妻家で子煩悩な面、トリューニヒトは政体が異なっても理念なく指導的な立場に就こうとする点ですね。しかし、ロイエンタールがトリューニヒトを殺すとはもったいない。トリューニヒトは集団リンチで殺されて欲しいところですが、あの手の手合はしぶといですからねえ。
>ミッターマイヤーがロンメルという発想はできませんでした。
ウィキを見ると、ドイツ人としては小柄で進軍速度が非常に早く、フランス・イギリス軍が出し抜かれています。個人としての評判もよいです。ただ、自分の書いた本の印税を脱税したとか。更にアフリカ戦線の部下で参謀長としてバイエルラインと言う人物がいました。
しかし、銀英伝はヤンが華々しい戦果を上げながら国家としてジリ貧になってほぼ滅亡する話なので、同盟側の国家運営は失敗しているのですよね。結局軍人が優秀でも、政治がだめではどうしようもない、と言う見本です。最後にユリアンたちがブリュンヒルトに切り込んで何とか自治領として一星系を確保したので敗北感が緩和されていますが、実態は敗戦で国家消滅です。ラインハルトは若死にしたので晩節も汚さず伝説の皇帝となるでしょうし、帝国側はいつでも自治領を潰すことは可能なのですよね。何しろ潜在的反乱地域ですから、警戒され続けることでしょう。
そう言えばシェーンコップ絡みの話で前線で戦死する女性兵士がいましたが、印象が薄いため忘れました。後にヤンと結婚するグリーンヒル大尉が登場していますが、聡明な事務官といった感じでした。
トリューニヒトの死は舌禍が原因だったし、いかにも巧言で世渡りしてきた男に相応しい最後でした。それでも同盟市民の凄惨なリンチを受けて死んでほしかったという思いは私も同じです。
ロンメルも愛妻家でしたが、小男で美男ではありませんでしたね。部下の参謀長にバイエルラインと言う人物がいたこと、本の印税を脱税したことは初めて知りました。
銀英伝での同盟の滅亡は考えさせられます。やはり民主制よりも独裁型の帝国の方が国家運営では有利と思った読者は少なくなかったと思います。ただ、帝政も優秀な皇帝は初代からせいぜい三代くらいまでで、以降劣化してくるパターンです。