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女性が性的虐待の犠牲者とならないために? その④

2010-07-30 21:17:06 | マスコミ、ネット
その①その②その③の続き
 特にヨハネ氏がカナン人について言及した個所は、異教徒の私の関心を引いた。選民思想と聖書絶対主義が如実に表れているからだ。
カナン人は性的習慣の堕落した民でした。彼らは、結婚関係外の性関係を持つことを何とも思わない人々でした。ディナは交友に気をつけて聖書の道徳基準に敬意を払わない人たちとの交友を求めることをしなければ、災いを避けることができたかもしれません。

 創世記の時代、カナン人に限らず中東も含めは多神教世界であり、性的習慣は大らかだった。むしろ人間性よりも律法が第一義であるユダヤ人の方が特殊なのだ。略奪婚など日本も含め古代世界では当たり前に見られた。まして、当時は辺境の民族宗教に過ぎない聖書の道徳基準など敬意を払われていない。ただし、聖書にも男女の愛を謳い上げた「雅歌」という章があり、便利なことにこの詩を解説付きで紹介したサイトもある。「雅歌」は旧約聖書の中でも異色だが、こんな詩があること自体、ユダヤ人の性的倫理も疑わしくなってくる。

 ヨハネ氏の文面からは聖書の価値観と道徳基準しか認めない排他性と非寛容さが浮かび上がってくる。宗教が異なれば習慣も違うということも認められず、異教徒との共存も難しくなるのは当然だろう。この心理は、ベールをつけない異教徒の女は売春婦もしくは性的習慣が堕落していると見る教条的ムスリムと同じである。玄奘三蔵ソグド人の風習を軽薄で女が威張っているとこき下ろしていたが、中華思想が根にあったのは書くまでもない。「性的習慣の堕落した民」の地を奪い掃討したのこそユダヤ人であり、聖書はユダヤ人の自己正当化神話でもある。

 創世記から、またもヨハネ氏は故事を引用して自論を展開するが、その解釈もご都合主義が鼻についた。

アブラハムの甥のロトは自分の娘たちと近親相姦に陥りました。娘たちが父親にしきりに酒を飲ませて、ふたりの娘たちが一晩づつ父親と寝たのです。ロトは、酔っていたので、娘がいつ寝ていつ起きたのか分かりませんでした。それで、ロトは、酒を飲んでいたので、娘たちと近親相姦に陥っていたのを気づきませんでした。義なる心を持っていたロトは、娘たちが妊娠することによって、そのことに気づいた時、何と苦しんだことでしょう。
 ロトの事例から何を学べるでしょうか。アルコールに泥酔すると正体を失って淫行に陥る危険が高くなるということです。交わりにお酒が出された場合、泥酔状態に陥って後で後悔するような行為をしてしまわないように飲酒の量に節度を保つことが必要でしょう。また、ロトは、自分と娘たちだけという不自然な生活を送っていました。娘たちにとって異性の対象は、父親しかいませんでした。それで、その家族が他の人たちとの交友が限られている場合、近親相姦は起こりやすくなるでしょう…


 聖書でもこの近親相姦のエピソードは結構知られている。ただ、「ロトは自分と娘たちだけという不自然な生活を送って」いたと書くヨハネ氏だが、好んでそんな生活をしていたのではないのは聖書にもある。神がソドムとゴモラを滅ぼしたため、父娘らは山中の洞窟に移住する他なかったのだ。周囲に他に人間はいない。それを氏は都合よく無視している。
 そして、娘に進められるまま酒を飲んだとしても、強制ではなく、義なる心を持っていたはずのロトはその結果を予測し、拒むこともできたはずである。これは父娘の暗黙の合意の上での行為に過ぎず、神も彼らを罰していない。西欧の画家はロトとその娘を描く際、前者は何故か目を開いた状態で描かれているそうだ。飲酒に節度を保つのが大事なのは言うまでもないが、現代に至ってもアルコール依存症は絶えない。

聖書の事例から知恵を汲み取って当てはめれば、性的虐待の犠牲者になる確率を大いに減らすことができるでしょう」と、ヨハネ氏は記事を結んでいる。これも聖書の教えが根付いているはずのキリスト教世界での性的虐待被害者の数だけで、空しい意見なのが知れよう。氏はおそらく、これも聖書の事例から知恵を汲み取っていないからだと主張するだろうが、二千年間人類は変わりなかった事実を無視している。

 聖書のレビ記20章には死刑に関する様々な規定が見られ、「人の妻と姦淫する者、すなわち隣人の妻と姦淫する者があれば、その姦夫、姦婦は共に必ず殺されなければならない」(10節)とある。つまり、姦通者は処刑ということで、姦通は石打ちに値する大罪とされている。欧米人キリスト教徒はイスラム圏の石打ち刑を野蛮と非難するが、聖書の道徳基準から逸脱しているのは欧米人の側なのだ。さぞ聖書の道徳基準を重視するヨハネ氏ならば、姦通者に対し石打ち刑を行うことも厭わないだろうか。
その⑤に続く

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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罰していないどころか…… (のらくろ)
2010-07-31 14:33:29
>好んでそんな生活をしていたのではないのは聖書にもある。神がソドムとゴモラを滅ぼしたため、父娘らは山中の洞窟に移住する他なかったのだ。周囲に他に人間はいない。それを氏は都合よく無視している。
>そして、娘に進められるまま酒を飲んだとしても、強制ではなく、義なる心を持っていたはずのロトはその結果を予測し、拒むこともできたはずである。これは父娘の暗黙の合意の上での行為に過ぎず、神も彼らを罰していない。

申命記第2章にはこうある。

「主(筆者注:旧約聖書の神)はわたしに言われた、『モアブを敵視してはならない。またそれと争い戦ってはならない。彼らの地は、領地としてあなたに与えない。ロトの子孫にアルを与えて、領地とさせたからである。」、「 アンモンの子孫に近づく時、おまえは彼らを敵視してはならない。また争ってはならない。わたしはアンモンの子孫の地を領地として、おまえに与えない。それをロトの子孫に領地として与えたからである。 」

つまり、ロトの(2人の娘との交渉によって生じた)「子孫」であるモアブ民族とアンモン民族に対して、イスラエルのカナン侵攻の際に旧約聖書の神がヨシュア(またはモーゼ)に下した命令は、両民族の「保護」だった、少なくともこの時点では。後に両民族は滅亡への道をたどるが、旧約聖書によれば、それはあくまでイスラエルのカナン侵攻-領有、すなわち古代イスラエル建国に際して、事あるごとに妨害活動(時にはイスラエル領への侵攻)をしたことに対する、神の「報復」である。

それにしても旧約聖書の「神」は、なぜロトの妻(2人の娘の母)を、悪虐に満ちたソドム・ゴモラに未練を残したことへの罰として「塩の柱」にして死刑に処しながら、直系男児のないロトに「後妻」を娶せようとはしなかったのか? ヤコブ(イスラエル)の長子相続権が、長男~3男排除のため4男のユダに移ったが、このユダだって、長男の嫁が未亡人になって、個人営業娼婦(江戸時代なら夜鷹)もどきになっているのを「買って」、子孫を残すという際どさ。それなのにダビデ王統や、さらに下ってはイエス・キリストに連なる直系の先祖となっている。こういう諸点を考慮すれば、ロトと娘の「交渉」は、旧約聖書の神にとって決して奨励-祝福の対象ではなかったにせよ、「黙認」されたとみてよいだろう。そういう意味ではヨハネ氏なる人物は、本人(あるいはあのHPからはとあるカルト教団の腐臭が漂ってくるのでその教団)のご都合主義で旧約聖書を偏向解釈しているとみて間違いあるまい。
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RE:罰していないどころか…… (mugi)
2010-07-31 21:21:25
>のらくろ さん、

 成る程、仰る通り長期的視野に立てば、神の「報復」に当たります。ダビデのように直ぐに罰が下るというのではなく、長い目で見れば、近親相姦で生まれた一族は罰せられたのです。

>>直系男児のないロトに「後妻」を娶せようとはしなかったのか?

 まさにその通りですね!このようなことは考えもしませんでした。神にその意思があれば可能なのに、実の娘と「交渉」させ、子孫を儲けさせている。この複雑な世継ぎは、かなり妙です。何か意図があったと勘ぐられても不思議はない。
 ヨハネ氏は、「娘たちが父親にしきりに酒を飲ませて」おり、「酒を飲んでいたので、娘たちと近親相姦に陥っていたのを気づきませんでした」と書いていますが、十代後半の未成年でも、コトに及んだのに気付かないなんて信じませんよ。「家族が他の人たちとの交友が限られている場合、近親相姦は起こりやすくなるでしょう」というのもスゴイ見方です。某カルト教団なら、十分にありえるかもしれませんが。

 貴方のコメントにはハッとさせられました。鋭い解釈と指摘をありがとうございました!
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