トーキング・マイノリティ

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専業主婦と独身キャリアウーマン

2007-11-19 21:20:25 | 世相(日本)
 私が遙洋子氏の顔と名を知ったのは、NHKの討論番組「日本のこれから」を見てからだ。働く女性の問題を討論する内容だったと思うが、いかにゲストにせよ遙氏がひっきりなしに発言していたのを憶えている。しかも捲くし立て気味の主張に興ざめてしまい、番組半ばで見るのを止めた。少なくともNHK討論を見た限り、遙氏に好印象は感じなかったが、「日経ビジネスオンライン」に載った彼女のコラムもまた同じだった。

 遙氏のコラムにさっと目を通しても、私には殆ど共感を感じない。もちろん個人の価値観や性格、社会的立場の違いもあり、ものの見方や意見が異なるのは当り前だ。ただ、独身キャリアウーマンである遙氏が働く女性の擁護はしても、専業主婦には厳しい意見を突きつけ、叱責している印象は否めない。あたかも家庭に納まる同性を眼の敵にし、尻を叩いているかのようだ。だが、家事と育児に専念している専業主婦は時代遅れの存在なのだろうか?「自立とは何か?」のコラムの前半を見ただけで、氏の尊大さが鼻につく。結婚歴、子育て体験皆無の女がよく「彼らは夫婦ともに自立していないことになる」と言えるものだと不快だ。

 イスラム圏に関心のある方ならば、この世界は女性の社会進出はおろか、顔も見せず家庭に閉じこもるのが聖なるイスラムの教えと解釈することも珍しくないのをご存知のはずだ。女性が外に出るのを禁じるのは異様だと日本や欧米は思い、中世的だと侮蔑している人が大半だろう。しかし、女性は結婚、出産後も外で働かなくてはならないとするのもまた先進国の「聖なる教え」になっているのではないか?
 たとえ育児体験がなくとも、子育ては片手間に出来るような生易しいものではないのは分る筈。特に幼児など、夜中に急に熱を出して容態が急変したりすることも珍しくない。土日や年末でも体調を崩したりすれば、親として悲鳴を上げたくなる。昔の農家のように大家族なら農作業をしながら子育ても可能だが、都市で核家族が進んだサラリーマン家庭は仕事と育児の両立は難しいのが現状だ。

 保育所を完備すればいいと遙氏のような人物なら思うかもしれない。しかし、どんなに立派な保育士でも、母親には所詮敵わない。仕事帰りの母が立ち寄れば、子供はさっさと保育士の元を離れるのだ。子供がある程度成長すれば大丈夫と思いきや、思春期もまた難しい年頃。働く母が当然と思う子もいれば、寂しいと感じる子供もいる。私の知人の男性2人は共に母が働いていたが、伴侶は家庭に入るのを望んでいたし、実際彼らの妻は専業主婦になっている。それが妻の同意を得たのかは不明だが、必ずしも夫唱婦随ではないと思われる。

 結婚後も働くのを良しとするのが最近の日本の風潮である。私も女性は家庭にいるべしとのイラスム圏のような主張には全く賛同できない。ただ、先進国の方も既婚女性の意思を尊重した上で、働けと言っているのだろうか?どうも、時代の流れだと言わんばかりにキャリアウーマンを持ち上げ、専業主婦を貶める傾向がマスコミに蔓延しているように思える。3食昼寝つきと専業主婦を侮辱するのは、大変な筋違いだ。繰り返すが家事育児は半端なことではない。コラムを見る限り、遙氏の専業主婦への評価は低い。しかし、氏の様な女性はむしろ例外だ。

 世の中には様々なタイプの人間がいる。人生も色々だ。ただ、出産をしたならば育児をする責務が母親にある。その上で働くか、家事育児に専念するかは、当人の選択に任せるべきだと私は思う。働いている女性が偉くて、専業主婦がダメという論調くらい、えげつないものはない。これではイスラム圏の反対に過ぎない。遙氏のように独身でいるのもよし、既婚、家庭に入る人生を送るのも選択の一つだ。その代わり選択した以上、それを周囲のせいにしないこと。社会が悪い、と言い訳をしたところで、自分の人生に責任を持つのは自分以外ないのだから。

 独身フェミニストが好んで口にする文句に「多様な価値観」がある。まさに独身キャリアウーマンを貫くのもよし、専業主婦となるのも結構なのだ。多様な選択が可能な社会こそ、成熟した社会だろう。にも係らず独身フェミニストが専業主婦を非難するのは不可解なことだ。前者は後者を啓蒙するつもりなのだろうが、主婦も子供ではない。自立した大人の女を自負するなら、専業主婦を何故気に掛けるのか。独身者の既婚者に対する個人的な羨望や苛立ちを、もっともらしいお説教ですり替える埋め合わせが目的なのか、と下司の勘繰りをしたくなる。

 TVに引っ張りだこの田嶋陽子センセイ、辛淑玉のようなフェミニスト連中ときたら、揃って魅力のない女たちだし、あれでは同性にとってもマイナスだ。一方、「専業主婦もりっはな職業です」と讃えていた瀬戸内寂聴さん、「生まれ変わるなら専業主婦になりたい」と対談で語った塩野七生さんのような著名人もいる。後者2人は共に作家で、離婚体験者、子供がいる共通点があるが、私としては田嶋サンのような独身女性評論家より異性にもモテ、離婚した作家に共感を覚える。

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12 コメント

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理論武装した中ピ連!? (ハハサウルス)
2007-11-20 23:25:13
拙ブログをTBさせて頂きました。

遙洋子氏のことは知りませんでしたが、私は友達になれそうにもありません(笑)。
私もmugiさんの仰る通り、人それぞれの選択の問題だと思いますので、自分と違う選択をしたからと批判するのはどうかと思います。この手の方は、専業主婦を目の敵にすることで溜飲を下げておられるようですが、視野の狭さ、心の狭さをさらけ出しているだけに思われます。恐らく多くの女性からは、失笑されるか、無視されるかではないでしょうか。けたたましく自分の主張を述べる姿を見て、恥ずかしくないのでしょうか。
昔、「中ピ連」と言われたヘルメットをかぶったおば様方がいらっしゃいましたが、形を変えただけかしらと思えてきました。
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非理論武装者(論理ともつかない者の戯言) (Mars)
2007-11-21 00:45:02
こんばんは、mugiさん。

結婚も、子育ても経験していない、書生の戯言で申し訳ないです。

女性が専業主婦になるか、独身キャリアウーマンになるかという問題は、何も女性の自立云々というよりも、それを選ぶ選択肢があるか、否かだと思われます。

私の両親は、長い間、共働きでしたが、最初は共働きでないとなかなか食べられなかったようですし、ある程度、自分たちが大きくなった後は、教育や貯金に回せる為に、共働きを選んだと、好意的に解釈しています。

そして、昔は専業主婦が多く、現在は独身キャリアウーマンや共働きが多いのも、専業主婦という選択を選べない、または、選ばなくてもいいという選択肢があるorないからだと思います。
そして、同年代でも、都会と田舎で住む者にとっても、選べる選択肢は違うように思えます(男女を問わず)。

本当に「多様な価値観」とは、魚好きであっても、肉好きであっても、野菜好きであっても、好悪は個人の問題であって、非難するものではないと思いますが、、、。
(反対に、「自由で平等」な社会がある欧米でも、そうでない地域であっても、他人の食べるものにイチャンモンをつける者は少なくないですね。そして、そういう者に限って、人間も動物も大虐殺したり、他宗教で禁じられるものを平然と食べるだけにとどまらず、他国には食を禁じても、自国民には許すという、論理も倫理もク○もないのですが、、、)

ただ、現実を知らない、書生の○○には、現実を知らない、語る資格はないですね
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Unknown (いとまさ)
2007-11-21 14:27:26
コラム「自立とは何か」を見ましたが、やはり「社会学者」上野千鶴子などを引用していましたね。

上野氏は、マルクス主義のドグマ、即ち「階級対立史観」「育児の社会化」等に、かなり意識的に立脚している人物と思われます。

つまり、確信犯的にマルクス主義-これは必然的に共産主義革命(革命とは暴力・破壊の別名)に繋がるのですが-の浸透を狙っている一派と看做して間違いありません。

その一派にとって「女性の自立」とやらは、革命のための手段です。(文化を破壊する1つの方法)
「選択の自由」の範囲を超えた、凶暴な意図が隠されていることに我々は注意を向けねばなりません。

フェミニズムの深層に澱むこの意図を、遥洋子がどこまで理解しているのかわかりませんが。
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社会の敵 (mugi)
2007-11-21 21:50:58
>ハハサウルスさん、TBありがとうございました。

wikiを見ると、遙氏はABCD包囲網も日本が台湾を統治していたことすら知らなかったそうです。これだけで武庫川女子短期大学卒の彼女の教養が知れますね。高卒の私の知人でさえ知っている。

私はマスコミが遙氏のような女性を出すのは、何か意図的なものを感じます。かつて専業主婦が一番多かったのはアメリカ。逆に見ればそれだけ豊かだったのですが、共稼ぎをしても現代のアメリカは家計が豊かというものではありません。正規の男性サラリーマンは手当ても必要となるので、低賃金でも雇える女性に目をつけ、「女性の自立、社会進出」を煽ったのではないか、とも最近思えてなりません。これを男が言えば厄介なので、あえて遙氏や辛のような在日女に言わせているのではないか、と。

私は以前フェミニズムに関し、辛辣に書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/0ade2a90eef23422252bb5788ae5684d

で、とても参考になるコメントを頂きましたが、この方は昔は左翼活動をされた人物です。
この運動の背後に在日中国人がいたのを知って愕然としました。やはりこの方の指摘どおり「社会の敵」です。
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二重基準 (mugi)
2007-11-21 21:54:39
>こんばんは、Marsさん。

私の母は専業主婦でした。私の子供の頃、主婦が働くのを良しとしない空気が地方では当り前でしたし、共働きイコール貧しいのイメージさえあったのです。そんな母も、家で何もしないのはもったいないと内職をしたのですが、父はあまりよく思ってなかったですね。
記事にした知人の男性は私と同年代で、一人の母は教師、他は電電公社(現NTT)に勤めたというまさにキャリア・ウーマンでしたが、家から帰っても母がいないのが寂しかったと話していました。個人差もあるでしょうが、この言葉は妙に憶えています。

仰るとおり、「多様な価値観」とは他人の好みや選択を認めてこそ成り立つものであり、自分と生き様が違う他人を非難したのでは成り立ちません。「信仰の自由」があるといえ、己の宗教のみが正しいと言えば、「信仰の自由」が崩壊するのと同じです。

欧米が「自由で平等な社会」とは、日本人が特に戦後植付けられた神話だと思います。その手先になったのが所謂「出羽の神」。
欧米もよく検証すれば、タプーなどいくらでもある。鯨などもう神様扱いしながら、平然と狐狩りを続ける厚顔さ。ホロコーストなど、正しい研究が出来ない有様です。欧米のマスコミからバッシングされているイラン大統領アフマディネジャドなど、皮肉たっぷりにホロコースト風刺画を世界に呼びかけましたが、ムマンマドのそれに比べ何故かネットでもかなりニュースが少ない。

語る資格もないのに他国を非難する二重基準をとるのは欧米ばかりではありませんが、気が向いたら、このニュースをご覧下さい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1332931
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全てを疑え (mugi)
2007-11-21 22:00:16
>いとまささん

私は上野千鶴子氏の名は知っていても、著書は未読ですが、Wikiで見るとこの人物は東大大学院教授なのですね。
私は「社会学者」とは左翼学者の別名と思っています。マルクスなど労働者であったことは一度もなく、貧しい労働者を大々的に己の理論に利用した人種差別主義者が実態。彼は実際は平均を上回る収入を得ていながら浪費家で、そのため自分の子供を死なせている、つまり経済感覚がゼロだったのでしょう。
共産主義が崩壊した現代でも、未だにマルクス主義の亡霊どもが大手を振っているのは憂うことです。

マルクスが言った言葉で私が共感できるものが一つあります。「全てを疑え」。まさに共産主義こそ、疑うべき対象。フェニミズムの衣を被った共産主義と言えるでしょう。昔からの諺でもいいものがあります。「うまい話にご用心」。
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早過ぎたキャリアウーマンの甥 (のらくろ)
2007-11-22 22:26:29
私はそういう立場でした。

父方の叔母2人は、年長が国立病院の看護婦長、年少が小学校長でした。

しかし、父が昭和19年に旧制高等師範学校を繰り上げ卒業で徴兵されたことからして、叔母たちに(キャリアで)見合う男は、かなりの数が特攻で散華してしまったのでしょう。幼い頃の私にときどき叔母の見合い話が入ってきましたが、悉く不調に終わり、2人とも終生独身を貫きました。

年長の叔母は、医療の現場に長くいたにもかかわらず、最後はアルツハイマーに取り付かれ、亡くなる直前には本人にとっての兄である父の顔さえわからなくなってしまいました。年少の叔母は、年長の叔母とマンションをルームシェアして暮らしていて、年長の叔母が亡くなった後は一人暮らしだったと思います。このところ、私の父が急性心不全で入院→認知症進行→グループホーム入居といった波乱があって、叔母のことにはとんと構われずに居りましたが、落ち着いたら連絡しようと思っています。

で、なにが言いたいかというと、

独身のキャリアウーマンたちもいつかは年老いるのです。そのとき、叔母2人は姉妹で同じような道を歩んだので支えあえましたが、友達同士だったらどうなのでしょうか。片方が熟年結婚(あるいは熟年同棲)を始めれば、数十年の女の友情も一瞬で崩壊し、独身のままの「元キャリアウーマン」は孤独な晩年をおくらなければならなくなるのは容易に想像できます。

女の自立をけしかけている輩は、そういうことには無頓着だと申し上げておきます。
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晩年 (mugi)
2007-11-23 20:43:39
>のらくろさん

叔母様のお話、とても興味深く拝見させて頂きました。
戦後は特に男性が不足し結婚難だったのは、時代ゆえです。もし戦争がなければ、その後の人生は変わっていたかもしれませんね。

仰るとおり、人間誰しも年を取るのです。たとえアルツハイマーにならずとも、体力は低下の一途を辿る。かつてマスコミで「国際人」と持ち上げられた犬養道子さん、昨年記事にしましたが、孤独な晩年なのが伝わりました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/b7c0dc1bc13e4ba625399cc26f2fc77b

これは男性も全く同じであり、ゲイなども年老いたらどうするのでしょう?最近は「多様な価値観」とばかり、性同一性障害への理解を啓蒙する報道が流れますが、彼らもまた健康面では同じ問題があります。

ロックバンド、クイーンのベーシストであるジョン・ディーコンは、インタビューでゲイについて以下のように答えていました。
「自然の摂理に反することだと思う。若い頃はよくても、年を取ったらどうするのだろう?だから僕は結婚して子供をもったのだけどね」
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Unknown (知足)
2007-11-27 09:34:22
『「生まれ変わるなら専業主婦になりたい」と対談で語った塩野七生さん』が気に入りました。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2007-11-27 21:49:41
>知足さん

塩野さんと五木寛之さんの対談集『おとな二人の午後』の中に載っていました。
塩野さんは古代ローマの遺跡を取材中、仲良く観光旅行に来ている夫婦を見て、羨ましいと感じたそうです。才能があるゆえに、逆に難しい問題も抱えてしまうのでしょうね。塩野さんは結婚は運もある、と。
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