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欧米社会の個人主義と全体主義

2008-05-29 21:22:48 | 歴史諸随想
 欧米崇拝者ならずとも、欧米社会は「個人」の観念が根付いていると、その個人主義を高評価する人は多い。確かに日本も含め他の文化圏では「個人」という考えはなかったように思える。では、何故欧州社会だけに「個人主義」が誕生したのだろう。あるブログ記事に興味深いことが載っていたので、その箇所を抜粋したい。

阿部謹也の『ヨーロッパを見る視角』によれば、「個人」の概念が生まれたのは近代資本主義の時代ではなく、11~2世紀だという。古代の欧州は、ほとんどの社会と同様、世間の空気に支配される共同体だった…古代的秩序が失われたあと、11世紀以降に欧州を統合したのがキリスト教だった。キリスト教会は、非人格的な「神の掟」にもとづく共同体であり、近代法の源泉も教会法にあったといわれている(Berman)。

 キリスト教では、すべての個人は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する。つまり個人主義というのは、ギリシャの合理主義とキリスト教の普遍主義が混じってできた特殊ヨーロッパ的な思想なのだ。ただ、こういう非人格的ルールが遠隔地貿易で有利になり、欧州の経済的な(したがって軍事的な)優位の源泉となったことは、Greifなどの研究で示されたとおりだ…


 私は阿部謹也はもちろん、Berman、Greifの書も未読である。教会法は世俗的なローマ法とも全く無縁ではなく、西欧の個人主義の思想にローマ的普遍主義も影響を与えている。ただ、「全ての個人(信者)は地域や家族から切り離され、神の前で絶対的に孤独な存在となり、救済されるかどうかは彼個人の行動に依存する」のはイスラムも建前上は全く同じなのだ。イスラムもまた、ギリシア、ローマ文明を受け継いでおり、ウンマという「神の掟」にもとづく共同体がある。

 イスラムも初期は武力征服ありきで、それまで部族対立に明け暮れていたアラブの諸部族を信仰によって統一、周辺のサーサーン朝ペルシアビザンツ帝国ばかりか、西欧にも侵攻する。ここまでは欧州と同じにせよ、その後のイスラム世界は血族中心社会に戻る。そもそも気候的に遊牧民が主だった世界ゆえ、血縁関係を重視する。現代に至るまで中東は部族社会が色濃い。
 血族重視なら儒教、ヒンドゥー文化圏も同様で、島国ゆえ異民族接触がかなり少なかった日本も、農耕社会で村落共同体が続いていた。ただ、欧州で「個人」の概念が生まれたとされる11~2世紀とはちょうど十字軍の時代と重なる。これは個人主義どころか、全体主義ゆえに可能な侵攻だった。ローマ末期、ゲルマン人が豊かなローマに侵攻したように、今度はオリエントに西欧人が移動する。

 共にユダヤ教から発生したにも係らず、何故イスラム圏は西欧社会と異なり異端審問魔女狩りは殆ど行われず、「個人」の概念が生まれなかったのだろう?個人ならぬ部族中心主義だが、中東世界は極めて自己主張の強い処であり、それが美徳とされ、押しの強さでは欧米人の比ではないらしい。「オレが、オレが」など日本で言ったなら、「我の強い奴」と爪弾きの対象となるが、同じ多神教世界でもインド人もまた自己主張の強さには定評がある。多民族、多宗教の背景があるのだろう。

 個人の観念が根付いた欧米社会は、むしろ異色だ。だが、それに対する強い反動もあったはずで、同時に十字軍やファシズムのような全体主義も起きている。逆に個人主義が強かった故、全体主義も背中合わせになっていたかもしれない。B級史劇だが、映画『300』の最後に意味深な台詞があった。「相手は野蛮人だ。神秘主義と専制の国」。古代ギリシア、ローマ時代から欧州人は東洋をこう見ていたのは確かで、それは現代も大差ないようだ。東洋人は専制君主に盲従するが、我々は自由の民であり、個人の自由のために戦う、と。

 十字軍は強制ではなく、個人の“自由意志”で行われたものだった。だが己の選択で参加したように思わせても、煽動したのはキリスト教会であり、異を唱えたりすればたちまち異端と断罪された。現代のムスリムによる“自爆テロ”もまた武力脅迫ではなく、表面的には各自の決定で実行したようでも、扇動者は聖職者というのも似ている。『自爆テロリストの正体』(新潮新書、国末憲人 著)に、著者のイスラムと欧米くらい似た文明もない、と興味深い一文があった。日本人による日本人論と同じく、欧米人の個人主義論は手前味噌の自画自賛も入り混じっていると見た方がよい。欧米人は非キリスト教徒の異人種が同じことをすれば、狂信、“個”のない全体主義と誹るらしい。

◆関連記事:「異端審問に熱中した西欧、そうでなかったイスラム

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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ルイージ)
2008-06-06 10:26:34
個人主義と信仰というのは
考えたことなかったです。

見つけたら読んでみたい。
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宗教と個人主義 (mugi)
2008-06-06 22:07:29
>ルイージさん

私もキリスト教と個人主義が結びついていると言う説に、ハッとさせられました。
同時に欧米で全体主義も生まれてくるのは、個人主義への反動かも。
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Unknown (ルイージ)
2008-06-09 12:41:03
こちらのブログ
「個人というフィクション」という記事も
面白かったです。

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懺悔 (mugi)
2008-06-09 21:45:45
>ルイージさん

興味深いブログ記事のご紹介、有難うございました。
これには考えさせられました。このブロガーさんの書かれたとおり、「個人発見」社会でないのは確かです。

しかし、「個人」の概念があるのは世界で欧米のみであり、日本を含めその他文化圏はおそらく「個人」が根付くか疑問です。
中世欧州でキリスト教会が懺悔を求めたことが原因で、「個人」が確立していったとの説は面白い。これは同じ一神教でもイスラム圏と決定的に違います。ただ、教会組織は懺悔など絶対しませんが。
そして、このブロガー自身、プロフィールに都道府県や自己紹介もない“匿名のフィクション”で書いてますね。
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個人主義 (individualism)
2009-05-27 14:35:26
私は現在欧米型の個人主義に対する信仰心が非常に強いところです。
近い将来日本にいるより欧米に移住したほうがよいのではないかと考えています。
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Re:個人主義 (mugi)
2009-05-27 21:54:41
>individualismさん

 貴方が欧米型の個人主義や欧米への憧れを持ち、移住を考えるのはご自由です。ただ、貴方もご存知でしょうけど、移民して適応できる人は意外に多くないですよ。移民し、成功するには技量だけでなく運もある。そして第三世界から欧米への移住者も極めて多く、競争は厳しい。それでもやれる覚悟と自信はおありでしょうね。遠くない将来、欧州は中東からの移民の激増で、イラスム化するとの予測もあります。

 海外暮らしの長いブロガーさんから、先日コメントを頂きましたが、欧米でも村社会はあるし、コネ人事も横行しているとか。「欧米は個人主義と言うが、それは逆に言えば、個人対個人として、濃厚につきあっていなければ、ただの他人であり、なんら好意を示してはもらえない」ので、「個人的なコネが効果を発揮することが、日本社会より多い」そうです。
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