トーキング・マイノリティ

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村社会

2009-05-20 21:27:09 | 音楽、TV、観劇
 我国の知識人や文化人は、日本における上下関係や余所者への排他的な傾向を封建的な村社会と叱責する者が大半であり、中根千枝氏の著書『タテ社会の人間関係』は空前のロングセラーとなっている。上下関係を重んじるのが日本社会の特徴なのは確かだが、私は村社会というものは果たして日本だけの現象なのか、ずっと疑問に感じていた。もう20年ちかくも前で題名も忘れたが、NHKで放送したあるフランスの村を描いたドラマはまさに封建的村社会だったので、記憶に残っている。

 舞台は20世紀初めのフランスの農村。場所も忘れてしまったが、南仏だったような気がする。主人公は農家の長男で、その父こそ封建的家父長そのもの。頑迷で妻子が口答えすることなど論外、父の命は絶対的なのだ。頭の良かった主人公は学校でもよく勉強が出来たのに、父の命で止めさせられる。心配した教師が父を説得に来ても、「百姓に学問は必要ない」と一蹴、町生まれのインテリ教師の意見など聞き耳を持たない。そして子供が反抗的な態度を見せれば、容赦なく鉄拳を振るう。一家の独裁者的家長の父親だが、かつてフランスの農家では日本の村社会のような家長は珍しくなかったのか?個人主義のイメージの強いフランスだが、都市と農村はやはり違うだろう。

 この父は村の若い男と口をきいた娘に対しても、「ふしだら!」と叱りつける。キスはもちろん手を握った訳でもなく、ちょっと男と話しただけなのに、“ふしだら”となるのか。時代は既に20世紀にも係らず、時代錯誤的な性道徳観に思える。それでも保守的な農村にも時代の流れは影響を与え、主人公の妹は封建的な父からの自立を求めパリに向かう。彼女は後にパリで帽子屋として成功した。
 主人公は長男ゆえ、村を離れたくとも離れられない。だが、何時までも父に従順な息子ではなかった。この一家と不仲の農家の娘と恋に落ち、父の反対を押し切り結婚する。頑迷な父はこの結婚を認めなかったが、息子もその頑なな性質を受け継いでいるのだった。

 主人公は第一次大戦に従軍、無事に帰還し、村にも時代の変化が訪れる。父もまた長男の妻を嫁として認め、穏やかな晩年と最後を迎えた。そして第二次大戦と終戦は村社会を大きく変えることになる。主人公も息子を儲けるが、若い世代の息子は農業のやり方で父と意見が食い違いが目立つようになる。この息子は都市の娘と交際、妊娠させてしまい、父は叱るが、父さんは古いと言い返す始末。出来ちゃった婚というかたちで始末はつけるが、この嫁もまた姑と子育てで意見が異なった。町育ちの嫁は農家生まれと違い姑には従順でなく、「お義母さん、私のやり方に口をは挟まないで下さい」とクギを刺す。何やら日本の戦後の農家にもありそうな話だ。
 保守的な農村だが、水代わりなのか主人公が昼間からワインを飲んでいたのは、さすがフランスの百姓だと苦笑した。ラストで主人公夫妻が苦楽を共にした半生を振り返りながら、夫は妻に愛していると告げ、踊っていたシーンは、やはりおフランスらしいドラマだった。

 作家・池波正太郎はフランス好きで、何度か渡仏している。しかも、パリのような大都会より地方の農村を好んでいたという。池波自身は生粋の江戸っ子だが、フランスの農村は食べ物も風景もよいとエッセイで褒めている。フランスといえば一般に日本人がイメージするのはパリだが、この町はフランスの中でも別世界でフランス人一般からは殆ど異国のようなところと見られているらしい。池波はフランスの知識を殆ど映画を見て憶えたと書いている。

 日本の排他的村社会への非難はネットでも見られ、所謂アルファ・ブロガーと呼ばれる人もよくネタにしている。しかし、官庁、民間企業問わず人間組織の人事の不透明さは日本社会だけに見られるものではない。村社会批判者がモデルケースとして頻繁に取り上げるのは欧米、殊に後者である。移民国家の米国は階級制と伝統を引きずる欧州とはまた違うだろうが、この国もまた階級制と無縁ではなく非白人が不利なのは渡米体験のない私でも分るけど。

 文は人なりと言われる。日本の村社会を非難する者こそ、文章から田舎者気質が強いように私には感じられる。村社会を攻撃するブロガー自身排他的で、己とは異なる意見のコメントやTBを受け付けないことで知られる者もいる。人気サイトであっても、これではブログそのものが村社会と化しているのだ。社会を見る目は個人の感性によるところが大きく、村社会に嫌悪感を抱く者は、社会という鏡に写る己の村人気質を見ているのかもしれない。

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6 コメント

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どこでも村社会 (室長)
2009-05-21 09:22:21
おっしゃるとおり、欧米でも村社会はあるし、コネ人事も横行している。

社会主義体制では、ノメンクラトゥーラという制度があり、革命前から共産党員だったり、労組運動に協力していた「少数の家系」などが、「功績のある革命家家系」として、尊重され、そこの子弟はモスクワへの留学など特権階級としての学歴が作れるように優遇されていた。ブルガリアのエリート共産党官僚達は、出世コースが初めから用意されていたし、在日大使館に赴任してきても、彼らには特別の外貨割り当てがあって、普通の館員達ではとても無理な「近所の寿司屋がよい」という贅沢すらしていた。
もちろん、縦社会は当然で、地位と家柄に従って、発言権の差別もあった。

アイルランドも村社会であり、家柄で村社会内の序列は初めから決まっていて、それに基づき、パブの中での発言権とか、権威が違っていた。因みに、アイルランドの田舎では普通、ただ一人配属されている警察官が「独裁者」のような面があり、犯罪があっても警官がパブの中で罰を決めて裁いてしまう。公的手段は一切執らないので、どこどこの家の次男坊は、前科者の烙印から逃れられるので、同家一族から感謝され、ますます支配力を増大する:この警官の配置換え(他の県とか町への転勤)は、村民一同が内務省に嘆願書を提出して、断固阻止する、という。すなわち、アイルランドの田舎の村では、このような形式で、「20年来犯罪ゼロ」という報告書が毎年内務省に提出されるという。事実は、警察官が全て仕切っていて、犯罪もある意味、大きな犯罪は起きえない!・・・このあり方は、そういえば、米国西部の開拓時代のシェリフと村民の関係に似ていますね。西部劇のジョン・フォード監督は、生粋のアイリッシュだったし。

トルコとか、バルカンでも、昔は一種の部族社会(大家族制)ですから、部族長の権力が強く、妻も、子供も、ほとんど発言権などありません。全て親父が仕切る!

米国の士官級軍人人事も、士官達とつきあったことがあるので分かったのですが、やはり直属上司からの推薦がえられるかどうかで、出世の速度が全く違うのです。ホームパーティーを催すときに上司を呼んできてもらえるかどうか、あるいは上司のホームパーティーに招待されるかどうか、そういうことに神経を使っているのが米国の軍人社会です!

欧米社会では、「社交」が重要とされますが、これは一家の主婦が、週末に腕をふるって上司家族を接待する、というようなことまですることがあると言うことです。もちろん、普通には、ホームパーティーは、お互い気に入った友人同士でつきあうのですが、しかし、日頃から料理の腕前を磨いて、いざというときに上司を喜ばす、という手段でもあります。

小生がよく周囲に言った言葉は、「欧米は個人主義と言うが、それは逆に言えば、個人対個人として、濃厚につきあっていなければ、ただの他人であり、なんら好意を示してはもらえない」と言うことなので、「社交、つきあい」を軽視してはいけない。それに欧米の方が、個人的なコネが効果を発揮することが、日本社会より多い、ということ。

キリスト教の宗派も重要で、どの教会・会派に所属していて、教会の福祉活動にもどの程度参加しているか、などまでが上司によってチェックされている場合もある。ユダヤ人で、ユダヤ教会に属している場合は、米国ではユダヤ系も多いので、そう不利には成らない、誰か仲間がいて引き立ててくれる!
封建制というより、伝統主義がどの程度、どの職業にはびこっているか、ということでしょう。近代化、現代化している職業なら、コネよりも実力重視になるのは当然。
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Re:どこでも村社会 (mugi)
2009-05-21 22:01:41
>室長さん

 豊富な海外生活体験に基づく、興味深いお話を有難うございました!やはり人間社会、人種や宗教、文化が違っても縦社会や村社会があるのは当然でしょうね。日本の文化人って、やけに欧米の個人主義を持ち上げ、日本の村社会を後進的、封建的と貶す者が多いですが、その手合いに限って海外滞在生活が短かったりする。さらに滑稽なのは海外在住体験ゼロにも係らず、日本の村社会を非難している人気ブロガーもいます。そのような者に室長さんが欧米社会の実態を紹介するコメントをしたとしても、おそらく受け付けられないでしょう。

 私が得た欧米社会の知識は全て映画やTVドラマ、小説からです。むしろ日本の文化人の意見より、こちらの方が遙かに参考になります。映画や小説はフィクションなので誇張もあるでしょうけど、それでもあちらの文化に触れることは出来ます。それらを見て感じたのは、欧米も日本とあまり違いはない、ということです。
 コメントにある「20年来犯罪ゼロ」のアイルランドの村社会は面白いですね。昔読んだ英国の小説「鷲は舞い降りた」は英国の田舎が舞台ですが、村に乱暴な若者がいても村人達はそれを公にせず、村の内部で解決しようとしている話がありました。

 題名は忘れましたが、軍人が主人公の米国映画でもとかく部下は上司に気に入られようとして、趣味を合わせたり、パーティーに招かれたことで舞い上がるシーンがありました。これと別な映画でも業者が役人に賄賂を渡そうとし、妻が焼いたと称するアップルパイの箱の中には現ナマ入りの茶封筒も入っており、菓子箱の中に小判の入っている時代劇と同じ内容なので笑えます。コネが大事なのは欧米も同じだった。だから外国映画は面白いし、その国の実態が分ることも。

「欧米は個人主義と言うが、それは逆に言えば、個人対個人として、濃厚につきあっていなければ、ただの他人であり、なんら好意を示してはもらえない」とは、個人主義社会の現実をこれほど見事に表現した言葉を見たことがありません。昔見た欧米の短編小説でも、個人的な繋がりによって、裁判の判決を左右するといったストーリーでした。表面的には合法に見えても、裏ではコネのある側に有利な展開となっている。小説に書かれるということは現実にもありえることですから、欧米の裁判も結構問題があると思いましたね。

 これも映画から得た情報ですが、欧米でのキリスト教の宗派による宗教活動もすごいですよ。特にその宗派の熱心な信者でない人にも手を差し伸べ、協力していくのは日本ではあまりないことではないでしょうか?このような活動で信者を取り込むのでしょうね。キリスト教会のパワーを改めて感じさせられました。
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村社会と街のペテン師 (ユウスケ)
2009-05-21 22:15:26
お久し振りです。

そもそも、発言力を有していていわゆる村社会や日本の社会構造を非難している人間は、都会の垢に染まっているわけですよ。(笑)
そして、街から来た言葉巧みなペテン師に騙されるのが、外界を知らず、閉鎖的な生活環境で暮らす村人たち。

都会から離れると保守的になるというのは、今も昔も国の違いも関係ありませんね。なおかつ、儒教もキリスト教も都市部の金持ち学者が田舎者に信じこませて発展・拡大させてきたわけで、本質的には街のペテン師と変わらない。(笑)

通信・交通・金融、基本的にこの3つが街社会の構成物質である以上、インターネットがどれだけ普及しても、他の2つが入ってこない以上、村社会はなくなりそうもないですな。

社会構造はこの際問題ではなく、何より問題なのは、社会構造を理解した上で利用する街のペテン師と、それを盲信する無知な村人なんですよ。(笑)
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Re:村社会と街のペテン師 (mugi)
2009-05-23 20:56:26
>こんばんは、ユウスケさん

 河北新報には都市部の著名金持ち学者のコラムが時々載りますが、根っからの都会人の教授が、「都至上主義」捨て地域文化に目を…など戯言もいいところ。おそらく河北の記者はペテン師と気付いているでしょうが、そのお先棒を担いで無知な村人読者を騙す。

 村人と街のペテン師の関係は一国内のみならず、国家間でも当てはまるのではないでしょうか?言葉巧みな大国のペテン師と、それを盲信する無知な第三国(日本も含む)国民。現代の米国発の世界不況並びに金融危機、これが起きる以前に警告したエコノミストなど、果たしていたでしょうか?金持ちの走狗の都市部の学者たちが、言葉巧みに全世界をペテンにかけたのが発端であり、メディアを大々的に利用、田舎者に信じこませてたのです。
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Unknown (日本特殊論者)
2010-10-03 16:18:11
ピア・プレッシャーという英語の概念があるくらいだから、どこにでもあるのだとは思います。ただ、日本人はことに同調圧力に屈する傾向が世界でも類を見ないほど強いこと、「世間様には理屈抜きで従わなけれなならない」という価値観を高度に内面化している者が多いことは間違いないと思います。

これは同じ儒教モラルを共有する中国や韓国に比べるとなお一層明らかになると思います。

不思議なのが、日本の民族性を論じる際、第一に宗教的にかけ離れた欧米が比較対象として持ち出されることです。同じ宗教、文化を共有するアジア圏と比較したほうが、日本人の特殊性がより鮮烈に浮かび上がると思うのですが。
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「日本特殊論者」君へ (mugi)
2010-10-04 21:32:51
 確かに島国という地政学的な環境や歴史もあり、日本人は均質性や同調性が極めて高いことは事実です。しかし、そんな日本人も十人十色であり、「日本特殊論」は浅はかな意見の典型ですね。そのようなタイプこそ、教条的特殊論信者であり、世界事情や人間性がまるで分かっていない。

 貴方は「同じ儒教モラルを共有する中国や韓国に比べると…」と書いてますが、日本はそもそも儒教圏ではありませんよ。その程度も分からないとは…日本の儒教の影響など極めて皮相的に過ぎず、江戸時代に支配層が統治手段として利用しても、庶民には浸透しなかった。儒教は「孝」を第一に重視しますが、日本の場合、それを「忠」に変えている。これはもはや儒教ではない。
 以前、「フランス人宣教師が見た李氏朝鮮末期」という記事を書きましたが、これだけで儒教モラルを全く共有していないことが知れる。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/748dda7026b0b9e6db90b3ebcc928612

 プロフィールを見れば分かるはずですが、私はインド、中東に関心があり、こちらの文化圏と儒教圏も全く違う。ヒンドゥー、イスラム圏から見れば、信仰をないがしろにする儒教圏こそ特殊でしょう。九族皆殺しなど、他の文化圏に類を見ない特殊抹殺ですね。
「アジア圏」など幻想であり、感傷的アジア主義に他なりません。日本の場合、辺境の島国という事情もあり、何処の“アジア圏”にも属していないのです。日本と同じ宗教、文化を共有するアジア諸国はありません。以前、「日本以外の村八分」という記事も書いてますので、参考までにどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/1b18a8e982606c856050cee2dd4b8c44

 まず「日本特殊論」をぶつなら、具体的な事例を挙げるのが筋であり、そこから民族性や比較文化論を提示して下さい。特殊性を繰り返したところで、貴方の意見は説得力もなく、むしろ貴方のコメントの特異性が鮮烈に浮かび上がります。中国や韓国と同じ儒教モラルを共有すると書いた時点で、貴方のレベルが知れますし、もしかすると在日韓国人ですか?

 在日韓国・朝鮮人くらい、私の知る限り世界の移民でも特殊性が際立つ集団も珍しい。朝鮮半島の小儒教主義も本家に比べると特殊性がありますよ。乳出しチョゴリを来た女など、世界でも類を見ない現象ですね。インドのアウトカーストさえこんな扱いは受けないし、中国人が見たら蛮族の習慣に思うでしょう。そういえば、韓国ではアジアで唯一中華街がないとか。
http://jeogori.web.fc2.com/
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