goo blog サービス終了のお知らせ 

トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

300 06年【米】ザック・スナイダー監督

2007-06-20 21:29:16 | 映画
 アメリカ人はとかく史劇を撮ると、歴史観の薄っぺらさを露呈する。この映画もその類の典型で、かつての西部劇を古代ギリシアに置き換えたものだった。主役のジェラルド・バトラーもインタビューで、「悪いペルシア軍と戦う物語」と答えていた。一昔前なら悪いの後がインディアンや旧日本軍、ナチであり、ベトコン、ソ連を経て最近はイスラム過激派に変わった。マッチョな筋肉男たちの肉弾戦ショー。ただ、映像は独特で色彩を抑えてスタイリッシュでよかった。

 この映画は紀元前480年の「テルモピュライの戦い」を描いている。百万のペルシア軍に対し、立ち向かったのはスパルタレオニダス率いる僅か300名の兵士…という設定で、百万説はヘロドトスの「歴史」を参考にしている。だが、いかにペルシアが大帝国でも百万もの兵士は動員できるはずもない。古代の歴史書は誇張が目立つが、実際に上陸したペルシア兵の数は多くとも21万と推定されている。いずれにせよスパルタの戦士が一人当千の戦力としても敵わない。

  ハリウッド史劇だから史実は期待できないが、ついツッコミを入れたくなるのが歴史好きの性。まず、スパルタ戦士がレオニダス以下全て紅のマントを羽織って いるが、ずっと後世のローマ時代でも紅のマントは軍団長クラスしか着用できなかったのだ。紀元前5世紀は化学染料、布の大量生産はない時代であり、兵卒ま で紅のマントを着けるのは色彩効果ゆえだろう。
 ペルシア帝国精鋭の「不死部隊」が登場するも、5百年前からペルシアに忠誠を誓う軍団、の説明は笑える。5百年前のペルシアは帝国どころか、その前身であるメディア王国さえ誕生していない!また、ペルシア側が火薬のような兵器まで使用していたから、いかにもハリウッドらしい荒唐無稽さ。

 ぶっ飛んだのはペルシアの皇帝クセルクセスの姿。腰周りを除き装身具のみの裸体と剃りあげた頭、顔には鼻と頬にピアス。エジプトのファラオに似せたラップ・ ミュージシャンが登場したかと思った。ギリシア人と違いペルシア人は裸体を卑しみ、男でも肌を露出しない。戦場でも長衣で戦ったほど。何年か前私は、この 長衣を着て戦うのは不便ではないかと在日イラン人に聞いたことがあるが、イラン人曰く、「日本人も昔、着物を着て戦ったでしょう」。愚問だった。
 クセルクセスの風貌もどう見てもコーカソイドではない。ペルシア人はギリシア人と同じく印欧族であり、同根の民族であるインド人共々現代でも自分たちをアーリアとよく自称している。

 映画の最後でギリシア軍指揮官がペルシアを指して、「相手は野蛮人だ。神秘主義と専制の国」と罵っている。これぞ、西欧の本音なのだ。全く言ってくれますな。反米を掲げ大統領になり、反米で支持率を維持するイラン(昔はペルシア)のアフマディネジャドならずとも、怒るのは当然だ。
  ギリシアの宗教なら、現代は古代の彫刻にしか痕跡を留めないが、ペルシアの神秘主義、つまりゾロアスター教なら現代でも信者が健在だ。しかも、ギリシア、 イスラムから凄まじい弾圧・迫害を受けたにも係らず、根絶されなかった。ギリシア人は後にあれほど侮蔑したアジア人の“神秘主義”、要するにキリスト教に 染まるのだが。

 映画の初めの方で、レオニダスの台詞に「世界が範とすべき民主主義」がある。だが、スパルタ自体は民主主義だったのか?君主制だから、この時点で民主制ではない。レオニダスは王でも都市国家の長に相当するが、現代の立憲君主制、また大統領や首相とも異なる。さらにスパルタの政体は他のギリシア都市国家の中でも特異なものだった。
 スパルタの成立からして先住民を奴隷化し、彼らは奴隷から解放されることも移動することさえ許されなかった。頭数の多い奴隷の反乱を徹底阻止するため、特異な軍事国家になっていく。

 7歳で親元から引き離され、明け暮れ軍事訓練。俗に言うスパルタ教育だ が、口の悪い作家・塩野七生氏はスパルタの残したものは「スパルタ式」の言葉だけ、と酷評している。これぞ、自由な意思を認められず、完全な国家の奴隷兵 士養成システムそのもの。どこが自由な人間なのだろう。ペルシアの奴隷なら解放も珍しくなかったし、運と才能で人生を切り開いた者もいる。後のローマも奴 隷制社会だったが、これも解放奴隷は当り前で、階級の流動性があった。ギリシアが結局都市国家に留まったのに対し、ペルシア、ローマが帝国となれたのは、 敗者同化策が巧みだったから。

 余計な歴史知識を持たなければ、この映画はコスチューム娯楽として楽しめる作品だと思う。戦う男は文句なしに絵になるのだ。強い戦士になることを夢見ない男はいないのだから。

よろしかったら、クリックお願いします


最新の画像もっと見る

9 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
なぜスリーハンドレッド? (のらくろ)
2007-06-22 04:40:30
「さんびゃく」ではいけないのでしょうか。

ま、興行収入が大幅に減りそうなタイトルではありますが。
返信する
映画のタイトル (motton)
2007-06-22 12:33:14
まあアメリカ人の歴史観の薄っぺらさは仕方ありません。ヨーロッパの過去を捨てるように移民してきて、独立して 200年ちょっと、統一戦争から 100年ちょっとですから。

欧米の映画のタイトルをカタカナ読みにするのはまだいいのですが、中国語の原題があるのをわざわざ英語のカタカナ読みにするのはなんだかなと思います。
「グリーン・ディスティニー」なんか登場する剣の名前「青冥剣」の英訳ですが、そのまままか原題の「臥虎藏龍」の方が良いと思うんですけれどね。
# タイトルより、太極拳で有名で世界遺産でもある「武当」が「ウーダン」になっていたのあんまりだと思いましたが。
返信する
コメント、ありがとうございます (mugi)
2007-06-22 21:45:04
>のらくろさん
最近の洋画のタイトルは、ほとんど英語そのままとなってますね。
例えば「カリブの海賊、世界の果てに」など、直訳ではなく意訳でもいいから、日本語を入れたタイトルをつけてほしいのですが。


>mottonさん
底の浅い歴史観の持ち主なのに、かつての枢軸国の歴史認識を外交の具とするのは得意ですね。
或いは薄っぺらだからこそ、得意げに人権やら正義を振りかざすことが出来るのかも。ただし、R.ドーア氏のような知日派と呼ばれる英国人にもその類はいますね。三流の文化人こそ「相手国の政府を困らせる意図から出た策略的な応援」をする。

仰るとおり「グリーン・ディスティニー」はひどい。原題の方が趣があるのに、簡単に横文字を使いすぎます。あまり公開されないイラン映画だとタイトルに原題が使えない(ペルシア語)から、邦題でもいいものが多いのは皮肉です。
返信する
本日、鑑賞しました。 (Mars)
2007-06-23 17:33:28
こんにちは、mugiさん。

確かに、この映画からアクションを取ったら、内容がないような(汗)。ところで、この当時の重装歩兵は、鎧を着ていなかったのでしょうか?目のやり場に困るような(?)、あの怪しいカッコウで戦をしていたのでしょうか?半身裸であれば、矢なり、剣なり、槍なりに毒を塗れば、簡単に殺せそうと、素人考えで思いました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/テルモピュライの戦い

「不死部隊」や火薬に限らず、サイや象まで、何でもござれでしたね。しかし、これ程までに人がバタバタ死んでいくようでは、現実味がありませんね。映画では血飛沫がよく飛んでいましたが、あまり、迫力に欠けるように思えましたね。
(血飛沫が飛ばないチャンバラよりは、ちょっとはマシな位にしか思えませんでした。何か、ゲームのようなヴァーチャルな感じを受けました。)

映画に限らず、新聞などのマスコミも、歴史観にかける合衆国ですが、こんな記事もあるようで。軍人相手の売春婦を「SEX SLAVE」と呼んだり、自称だけで、資料も目撃者もまったくない強制性を認めたり、あまつさえ、資格もないのに他国を非難するのはいかがなものでしょう。
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/993358.html

>「相手は野蛮人だ。神秘主義と専制の国」
反捕鯨国や緑豆の主張にも、この思いがあり、差別意識を見せていますね。また、非キリスト教徒から見れば、キリスト教的な考えこそ、「神秘主義」で、独断と偏見を多く含んでいるように思えるのですが。
それでも、今も昔も程度の違いはあれど、民主主義制度はありますが、完璧な民主主義など見たことはありませんね。
(民主主義には腐敗や愚民化もありますし、タブーや聖域を作り、全体主義同然の行動を取る者も少ないですね。それでも、全然ない国よりはマシですが、、、。)
返信する
パクス・ペルシアーナ (mugi)
2007-06-23 20:43:26
>こんばんは、Marsさん。
この時代も当然鎧はありましたが、中世のような全身を覆う型ではなく、もっと軽装でしたね。
特にギリシアは大腿部を露出しているのが不思議でなりません。軽装にして機動性を高めたのか?

あの映像は独特だと私は思いましたが、言われてみれば確かにヴァーチャルゲームのような感じもありましたね。そのうちPCゲームとして売り出すかも。あと、サイは不明ですが象部隊は実際にペルシア軍にありました。サイは家畜化がかなり難しい動物だそうです。

米国側の「歴史の書き換え」こそ、笑止千万。
アメリカ制圧以前より、あの島は日本領であり、現代も日本領です。ならば、アメリカの公用語は全てネイティブ・アメリカンの言葉に変えるべき。

キリスト教的思考こそ、神秘主義通り越してカルトではないですか。
だから、米国ではカルトが蔓延る。基地外沙汰ですね。別のエントリーにも書きましたが、デビット・コレシュなどと名乗る救世主気取りの狂人が現れる訳で。キュロスごっこでやったのは、ハレムを持ったことだけ。
http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/davidian.htm

私は様々な民族が居住するオリエント世界で、曲がりなりにも一世紀以上平和をもたらしたペルシアの統治能力はもっと評価されてもよいと思ってます。パクス・ペルシアーナと呼んでもいいと思いますが、日本の学者も何故かあまり評価してくれませんね。
西欧人のオリエントへの根強い蔑視は、どうもギリシア・ローマ時代から培われていたようです。
返信する
トラバ・コメントどうもです (ひらりん)
2007-06-30 01:55:16
スパルタ軍が言う、「自由の為に!!!」というのが引っ掛かったけど、
この映画、斬新なアクション映像を楽しむ作品ですね。
返信する
TB&コメント、ありがとうございます (mugi)
2007-06-30 20:43:26
>ひらりんさん
ギリシアが「自由の為に!」と気勢を挙げているのは、自由を掲げ、「テロとの戦争」を起こしたアメリカを思い出しました。
現代の価値観なら、ペルシア側からすればスパルタはテロ集団ですね。

史劇よりアクションとして見るなら、面白いと思います。
返信する
血しぶき満載 (スポンジ頭)
2007-07-07 19:58:45
こんばんは。

本日「300」見てきました。私はこの時代にまったく知識がないのですが、「ギリシャ軍裸で大丈夫?」「スパルタが軍事訓練で奴隷を殺す習慣はどこ行ったの?」と言う疑問が湧いてきました。スパルタが奴隷虐待国家だとなればあの映画、根底から崩れますが、
単純なアクション映画と思えば楽しめました。

画面の特殊処理は現実感をなくしましたが、血しぶきの生々しさを和らげるので助かりました。あれが普通の画面だったら汚らしくて見られなかったと思います。

クセルクセスの初登場シーンは北斗の拳の悪人が登場する場面を連想してしまったのですが、「ハート様」に似たキャラが登場した時は笑いそうになりました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%97%E3%81%AE%E6%8B%B3%E3%81%AE%E7%99%BB%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7
ペルシャ兵士の服装などを見ても結構日本のマンガ・アニメの影響がありそうですし、ラストの矢の場面はシナ映画「HERO」によく似ていました。

ウィキで「ギリシャ重装歩兵」とか「不死部隊」とか調べましたが、まともなものですね。

「ギリシャ重装歩兵」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A3%85%E6%AD%A9%E5%85%B5

「不死部隊」
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%AD%BB%E9%83%A8%E9%9A%8A
返信する
アニメの影響? (mugi)
2007-07-07 21:39:38
>こんばんは、スポンジ頭さん。
仰るとおり、スパルタの奴隷制度が全く描かれてませんでしたね。あれでは全て自由民ばかりで、奴隷がいなかったような印象を与えてしまいます。ここがハリウッドのえげつなさです。ギリシア軍の裸はあの筋肉を殊更見せ付けるのが、目的でしょうね。

私は北斗の拳を未見なので、日本のマンガ・アニメの影響がありそうだとは驚きました。結構ハリウッドもパクリをやるから、気付かないでいるのかもしれません。ペルシア兵に忍者もどきの姿がありましたね。

紹介されたウィキの「ギリシャ重装歩兵」のスタイルは、3年前の映画「トロイ」を思い出しました。大腿部を露出しているのが不思議ですが、盾があるから特に保護しなかったのかも。
返信する