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イスラムの寛容

2005-11-27 20:28:12 | 読書/中東史
 イスラム贔屓の方は寛容な宗教の証として、ジズヤ(人頭税)を払う 事で他宗教の存在を認めた史実を挙げる。近代までは「バイブルか、剣か」の姿勢に終始していたキリスト教よりは寛容さでは優る。しかし、ヒンドゥーや道教 のような多神教と比べれば寛容度は及ばない。多神教の場合は異端や人頭税で異教を認めるという考えはなかったのだから。アラブのムスリム支配下での人頭税 徴収の記録があるが、実に興味深いものだ。

 「人頭税を集める時の役人の職務の 手引きとして、次のように指示されている・・・ジンミー(啓典の民、つまり異教徒) は税を支払う時には立ち上がらなければならず、それを受け取る官吏は座していなければならない。それは支払いの時に、ジンミーには自分を劣った人間だと感 じさせなければならないからである・・・ジンミーは定められた日に、人頭税を受け取る任務のエミール(司令官)の元に本人が出頭する。エミールは高い玉座 に座る。ジンミーはその前に行って、掌を開いて人頭税を差し出す。エミールは自分の手が上に、ジンミーのが下に来るようにして受け取る。それからエミール が彼の首をひと打ちし、エミールの侍者が荒々しくジンミーを追い払う・・・公衆はこの様子を見る事が許されている」。

 個々のムスリムの中には熱心に改宗を勧める者があり、その為には手段を選ばなかった。例えばブハラ(現ウズベキスタン)征服をしたアラブの将軍クタイバ(669(70)-715年、ウマイヤ朝のホラサーン(現イラン東北部)総督)を、アラブの歴史家はこう記している。
 「そこの市民を3度イスラムに改宗させたが、彼らは(何度でも)背教して異教徒となった。4度目の戦いでその都市を手に入れた彼は、非常な困難の末にイスラムをそこに確立した。彼は住民の心にイスラムをしみ込ませ、あらゆる方法で彼らが旧来の宗教を守り続ける事を困難にした。・・・ クタイバはブハラの住民にその家の半分をアラブに与えるように命じて、アラブが彼らと共に住み、その住民の感情について知る事を当然と考えた。そうすれば 住民はムスリムにならざるを得ないであろう・・・彼はモスクを建て、不信仰の痕跡や拝火教徒の教えを根絶した。彼は大きなモスクを建て、住民に金曜日の礼 拝をするよう命じた・・・その場所はもともと火の寺院であった・・・彼は『金曜日の礼拝に出席する人みなに2ディルハム与えるよう』と布告した」。

  アラブの総督が駐在していた都市は、特にそのような圧力を受けやすかった。都市の火の大寺院は次々とモスクに変えられ、市民は強制的に従わせられるか、さ もなければ逃亡した。改宗の一般的な動機の一つは、奴隷がムスリムになると自由を与えられるという事だった(多くのペルシア人はアラブの奴隷になってい た)。あるアラブの総督が地方官の一人に当て、こう書いている。
 「ソクディアナの人民 は・・・本気でムスリムになったのでない事を私は知っている。彼らは単に人頭税を免れるためにイスラムを受け入れたのだ。この事を調査して、誰が割礼を受 け、信仰に必要な行為を果たしているか、真剣にイスラムに改宗しているか、コーランの句を読む事が出来るかを調べなさい。そしてそのような者は税を免除し なさい」。
  この調査の結果、7千人のソクド人がその表面だけのイスラム信仰を放棄したといわれる。

 異教徒に寛容な為、「不信心者の司令官」とあだ名されたカリフ、アル・マームーン(在 位813-33年)でさえも、実際にはイスラムが広まる事を奨励した。ホラサーンの将軍たちに、まだ信仰を受け入れていない人々を国境を越えて襲撃するよ う命じた事もあったのだ。十世紀までにゾロアスター教徒の家の一員がムスリムになった場合、その者は兄弟を排除して全ての財産を相続できるという法が立法 化される。祖国に希望を持てないゾロアスター教徒がインドに渡ったのも当然だろう。インドに移住できた者は幸いだが、哀れなのは国に残留した教徒だ。イン ドではパールシー(ペルシアから来た人)と呼ばれたが、ペルシアでは公然とガウル又はガブ(不信仰者)と蔑称を使われ、常に迫害対象だった。

 16世紀のオスマン朝の歴史家サデッディーン(ホジャ・エフェンディ)はデウシルメ(集めることの意)をこう説明している。
 「近い将来、異教徒の子弟から軍務に適した勇壮で勤勉な若者を選び、イスラムの信仰によって臣従させる。これは彼らを豊かで信心深くさせる方法であると同時に、異教徒の拠り所を突き崩す手段ともなりうる。 これを実行するために国王の代理人数名が実施に当たり、命令書をもって数カ国に出向き、異教徒の子弟千人を徴集し傭兵と同様の規律と訓練に従わせる・・・ これによって彼らを信心深い人間に転向させ、皆同じ一つの信仰の元に勤務を続けさせる。そうすれば、イスラムによる啓蒙の光が彼らの心に射し込み、似非信仰の汚染からその心を浄化してくれるであろう」。

 以上がイスラムの寛容の実態であった。異教徒は所詮搾取対象だった。

 ■参考:『ゾロアスター教』メアリー・ボイス著、『イスラーム世界の2千年』バーナード・ルイス著
 
◆関連記事『加害者としてのイスラム


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4 コメント

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事実は (Mars)
2005-11-28 19:25:54
こんばんは、mugiさん。



「事実は小説より奇なり」とは言いますが、事実に対する報道・伝聞は、送り手側の主義や思惑によって、「極楽」だったり、「残酷」だったりするのでしょうね。



人頭税を集める時の役人の態度にしても、異教を許してやっているからという傲慢さや、許しているんだから、搾り取れるだけ搾り取ろういう薄汚い魂胆が見え隠れするようです。

確かに、多神教のような寛容ではなく、自己に都合がいいように利用しているだけ、とも取れるよう思えます。



人間誰しも、全く宗教事と無縁の人はいないでしょう。ほとんど宗教的価値観がない我が国においても、お盆という風習もありますし、そもそも、死者を弔うこと事態、全く無宗教とはいえませんね。

そして、その宗教というべきか、心の拠り所を無思慮に踏み込む輩に対する憎悪も、某友好国のお陰で、僅かながらも理解できるようになりました。



人は他者を支配して、よりよい生活をしたいものですが、物質的、社会的だけでなく、精神的にもそうなのでしょうね。

(人は心の安らぎを宗教に求めるからこそ、人をコントロールするのも、より容易になるのでしょうね(すべての信者がそうでないとしても)。)



追伸、

事実を報道する側の意図やイデオロギー等により、捏造・歪曲が目立つマスゴミ関係からの紹介です。

ネットでよく叩かれるNew○3ですが、また、やってしまったようです。

詳細については申しませんが、こちらで内容を確認いただけると幸いです。



・ブログはこちらです。

ttp://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200511260208.html

ttp://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200511262320.html



・また、動画はこちらです。

ttp://bentures.fc2web.com/

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多神教から見たイスラム (mugi)
2005-11-28 21:48:43
こんばんは、Marsさん。



ムスリムの役人は大いなる寛容精神で徴税を行っていたのは間違いないでしょう。誰でも本心では納税したくないものですが、貧しいイランのゾロアスター教徒には人頭税は過酷なものでした。19世紀にイランの同教徒を支援する組織がパールシーの間で立ち上げられ、代表を派遣しますが、彼の30年近い活動の結果、1882年ようやく人頭税が廃止されました。



合理的な宗教などありませんし、非合理的だから宗教となるのです。信仰否定の共産主義や儒教、民主主義も“宗教”の一種です。



New○3十八番の捏造・歪曲の出し物がまた拝見できました。

いかにマスコミがネットを目の敵にしてるか分かり、面白いです。コメントにあった「解釈の仕方によっては「イラク問題で支持率を落としまくっているはずのブッシュ大統領にすら負けている」とも言えますね。大統領の支持率が下がって喜んでる場合じゃねーじゃん。」はツボでした。真実の追究が最も不得手なのは、ひょっとすると今のマスコミかもしれない。

「民衆は無知だが、真実を見抜く目は持っている」-マキアヴェッリ
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イスラムの人頭税 (cochi)
2006-04-11 15:13:45
mugi 様



先日私のブログにコメントいただきましてありがとうございました。



イスラムの人頭税やイスラムへの改宗に関しまして、オスマン=トルコの場合、むしろイスラムへの改宗をさせない方針でいたようです。

イスラムに改宗してしまうと、人頭税が取れなくなり、財政的に苦しくなるからというのが理由です。



そのため、ヨーロッパ人に対して、イスラムへ改宗しても人頭税を徴収する方針で臨んだため、バルカン半島で、イスラムに改宗したのは、アルバニア、ボスニア、モンテネグロだけでした。



モンテネグロでは、支配階級が形式的に改宗しただけですし、ボスニアにおいても、キリスト教世界で異端とされたボスニア教会に属する人達(約4割の人)だけでした。



またイスラムのムガール帝国においても、積極的にイスラムへの改宗を勧める事はありませんでした。



地域や時代により、状況が異なっています。



ただ、最近は、イスラムの原理主義化が加速しており、心配はつきません。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-04-11 20:56:34
cochi 様

大変丁重に教えて頂き、ありがとうございました。



>地域や時代により、状況が異なっています。

仰るとおり人頭税が取れなくなると税収減となるので、概ねは改宗は強制されませんでした。減税目当ての改宗者も少なくありませんでしたから、取り立てて改宗を迫る必要もなかったのでしょう。

もっとも、ムガルのアウラングゼーブがいい例ですが、教条的な君主が現われると、状況は異なりますね。



>ただ、最近は、イスラムの原理主義化が加速しており、心配はつきません。

エジプトでコプト教徒に人頭税まがいの恐喝が行われたと聞いた事がありますが、他のイラスム圏でも同じような事があるのでしょうか?

ムハンマドが「最後にして最大の預言者」とされるので、宗教改革がかなり難しいのかもしれません。
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