その一の続き
私の中学・高校時代は制服だったし、生来しゃれっ気が薄かったのかそれで不自由を感じたことはない。ただ、他校のセーラー服の制服に比べ、母校のそれは野暮ったいと感じてはいた。私服となればやはり生徒間で競争に拍車がかかるのは確かだし、制服は精神的にも懐にも楽でもある。高校が私服となって得する組織を思えば、マスコミに登場する文化人が私服を讃えるのも判るような気がする。主婦ブロガーさんの記事で初めて知った米国での変化も面白い。
-アメリカの公立学校で「制服」が復活しているとの話は聞いていました。「自由に個性を伸ばす」とした教育方針から、「連帯感、規律が必要」と方針転換を図り、荒れた教育を立て直しています…
中学・高校時代の私はいわゆる不良ではなかったが、模範生とは程遠い生徒だった。校則を真面目に守るどころか、中学時代は遅刻は毎度だったし、教師からも「またか」と呆れ顔されたこともある。それでも気にしなかったし、学校生活で影響はなかったから。高校進学後、遅刻しなくなったのは通学に時間がかかるためであり、社会人となってからは遅刻はまずしたことがない。学生と異なり遅刻は直ちに響くからだ。
今年4月に送られたТB記事に、尾崎豊の名があった。「尾崎はいいなー」とも書かれてあり、送り主のブロガーは尾崎の歌『卒業』がお気に入りなのは分かった。ただ、件の管理人は若者ではなく自称60過ぎの老女であり、仮に自称が本当ならば、年齢の割に若いというより悪趣味としか思えない。このブロガーも自分の学生時代は校則が厳しかったと、不満を述べていたことがあった。
wikiの尾崎の解説に、「特に10代の頃は大人への反抗や反体制をテーマにした歌を多く歌い、新聞などで「10代の教祖」とも呼ばれたが、本人はこうした呼称を嫌っていたとも言われている。だが、校内暴力が横行していた時代と相まって一種の社会現象ともなる…」の一文がある。つまり、尾崎を「10代の教祖」に仕立て上げたのは若者ではなく、メディアのお膳立てがあってのことだった。
4年前と少し古いが、「尾崎豊の歌、最近の若者は受け入れず」というネットニュースがある。朝日新聞が論説で尾崎を取り上げ、「体制や大人への反抗心はどこへ?」と尾崎を支持しない最近の若者を嘆く大人の声を紹介している。「尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年」の一文だけで驚くが、尾崎の考え方を積極的に授業で採り上げてきた大阪の府立高校教諭までいたのはさらに驚いた。
件の教諭は「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」ため、まもなく授業で減らしたそうだが、「10代の教祖」は死後も大人世代から様々な形で利用されているらしい。ネットニュースへの次のコメントが振るっている。
431 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/04/24(火) 15:14:15 ID:9JaZhGSb0
>体制や大人への反抗心はどこへ?
その反抗を煽ってたのが、もっと汚い大人だと知ったのさ。
『大いなる陰謀』(07年)という米映画を見たことがある。登場人物の1人に学生にアフガン志願を勧める大学教授がおり、昔の学生は教授の言うことを素直に聞いたものだが、15年ほど前から生徒が変わり始めた、と嘆く。続けて今の学生は社会のあらゆることに無関心だ、その無関心さが現代の惨状を招いたのだ、と若者を責める教授。映画に見る大人と若者の関係は日米共通で興味深い。
大新聞よりも漫画の方が、社会をより鋭く描いているのかもしれない。80年代半ば頃と思うが、職場の同僚が買ってきた漫画雑誌『ビックコミック』に面白い四コマ漫画が載った。タイトルも著者名も忘れたが、もう校則からも自由になれる、と卒業を喜ぶツッパリ生徒の傍で、教師が「世の中、甘くはないぞ」と警告する。「フン、俺は調理師になるんだ。こんな学校とはおさらばさ」と笑う学生。最後のコマで件の生徒が先輩から、「コラ、もたもたするな!」と叱られながら仕事している。勤務先は母校の調理場だったというオチ。
校内暴力が横行していた頃に見た漫画を妙に憶えている。学校の校則など、卒業後の勤務先では屁みたいなものなのは、社会人とならなければ分からない。
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小生の時代は、中学、高校と制服でした。とはいえ、どうもあの頃は、○○高校はこの制服、という感じで決まっているのではなく、単に男の制服(詰め襟)、女性の制服(セーラー服)ということで、市内の制服専門店などで売っているモノがどこの中学、高校でも、共通の制服、というか要するに学生服という感じでした。
もちろん、私立学校には、独自の制服というモノも偶にはあったようですが、当時我が故郷のあたりでは、私立校が少なかったし、余り見かけませんでした。
すなわち、制服は学生服、セーラー服と呼ばれる、全国共通の感じのモノで、皆それを来ていた。
小学校は、男子は、学生服を着ても、私服でも、どちらでも良かったと記憶します。女子はセーラー服を着ていなかったと思う。
なお、生徒手帳などというものも、無かったと記憶します。校則というのも、知りませんでした。校長が月曜朝の集会(朝礼)で、口頭で色々注意する、それで十分という感じ。
何しろ、戦後の復興がまだなかなか完了していない貧しい頃で、特定の学校の制服とか、生徒手帳などにお金をかける時代ではなかったと記憶します。
アイルランド滞在の頃、日本の原型と感じたのが、アイルランドとか、英国では、結構それぞれの私立校で、学校独自の制服が決まっていて、皆が制服をそれなりに愛しているらしかったこと。要するに、それぞれの学校、その長き伝統に基づく誇り、それらの象徴として、制服というモノは存在する、という感じでした。
アイルランドでは、学校を含め、各種行事で国歌が余り斉唱されることはなかったのが、不思議でした。理由はどうやら、実は今の国歌が必ずしも名曲ではないと言うことで、国民の間に支持が少ないかららしかったです。英国国歌、米国国歌が、それぞれ格好良いのに、アイルランドの歌はどうもダサイ、だからこの歌では余り誇りを持てない、という感じで、行事における国歌斉唱という習慣が、あまりなかった。
日本は、君が代という名曲があって幸いです。
国旗も、どこの国とも違う、特色あるモノで、実にすがすがしい気がする。欧州式の3色旗は、結局どこの国の旗か覚えるのに苦労するし、特色が小さい。フランス革命の3色旗があまりにも国民国家の旗として、凡例として、各国の手本となり過ぎたと思う。
貴方のお話は戦後間もなくの時代が感じられ、とても興味深いですね。私の中学、高校時代とは隔世の感があります。もっとも、昭和一桁生まれの私の母が通学した高校(公立)では、既に制服や生徒手帳があったそうで、地方によって違いがあったのかもしれません。母の話では、当時高校生が映画館に行くことは不良と見られたそうで、映画を見に行った同級生が教師から叱られたとか。
ちなみに宮城県は男女別学の高校が多いし、私も女子高でした。最近は男女共学化が進められていますが。
アイルランドで国歌があまり斉唱されないというお話、意外でした。英国から独立を勝ち取った国なので、学校ではさぞ国歌を高らかに斉唱しているというイメージがあったのです。アイルランド人が国歌をダサい、余り誇りを持てないと思っていたとは…
日本でも君が代をダサい、余り誇りを持てないと思っている若者もいると思います。私自身、若い頃は名曲とは全く思えませんでした。サッカーの中田英寿も、かつて「君が代、ダサい」発言をして、バッシングを受けています。日の丸は簡素で見事ですけど。
中年世代の私でも、関心がないためAKB48のようなアイドル少女グループのことは詳しくありません(笑)。ただ、AKB48に限らずアイドルグルーブは厳しいレッスンを経て、デビューするように見えます。大人の徹底した管理による指導ではないか、といった見方もあるでしょうが、ならば伝統芸能も同じです。いくらスパルタ式指導を施したところで、才能がなければ芽が出ない。
制服によって個性が伸ばせないというのなら、元から個性はなかったのでは?校内暴力とやらも、マスコミが一部をクローズアップしていた可能性もあるし、校則が厳しくて不良になったというのは言い逃れに思えます。親から甘やかされた(又は放任の)子供が、学校に適応できなかったのが実態かも。
そういえば、後進国では、特に社会主義国では、ダサイ人民服とか、そういうものがありましたね。
中国人は、外交官も皆人民服だったし、インドの外交官も、普段は背広なのに、あるとき日本の学生服によく似た服を着ているのでびっくりして、どうしたのか?と聞いたら、「実はこれが、我がインドの公式の『国民服』というもので、これが謂わば民族衣装の代用品だ」という説明でした。うーーむ、ネルーもそういう服を着ていたことがあったような・・・。
インドにも、人民服に相当する、ダサイ国民服があった・・・・やはり、インドも当時は(80年代後半まで)まだ社会主義時代だったのです。まあ、インドの場合、カースト制、ヒンズー教などの宗教がはびこったままの、ソ連式ではない「独特の社会主義」ではあったけど、やはり国営企業が幅を利かせていたし、色々な経済面での規制も多い、ダメ経済でした。
湾岸戦争などで、中東への出稼ぎ収入が激減して、外貨が底をついたとき、インドは、思い切って、捨て身で経済の「自由化」に取り組んだら、民間企業が頑張るようになって、しかもIT革命でインド企業が大活躍するようになって、経済がいっぺんに浮上したのです。
今では、インドの外交官も、学生服みたいな国民服は着ないのではないでしょうか??
そういえば、高校時代の学生服の金のボタンには、校名が入っていたし、学生帽にも、校章があったから、同じスタイルの学生服、学生帽とは言っても、校名はきちんと入っていたような気がする。中学の学生服のボタンに校名が入っていたかどうかは、思い出せないのだけど。
また、珈琲さんのいうように、女性のセーラー服姿は、確かに美人の場合、本当にきれいでした!警官、自衛官などの制服姿も、格好いい人がいる。小生は、何を着ても似合わないから、まあ学生服があって良かった・・・悩む必要性もないし!
フレディー・マーキュリーの所へコメントをさせていただいた者です。。
またまた遊びに来ました。。
難しいことは分からないですが、制約・規則は人間にとって必要だと思います。。
人間は集団をなして生きていますからね。。
今でも隣国の「偉大なる領袖様」はダサい人民服を着ていますね。イケメンならそれでも見られますが、薄毛に太った小男なので、ますますダサい。しかし、かの国の外交官さえ今時人民服は着ていない。
インドの場合、服装が社会的地位を判断するものとなるため、政治家は『国民服』を着る必要もありました。暑い国なので現地では西欧式スーツは敬遠されがちで、伝統衣装でもある純白綿製パンツスーツ「クルター・ピジャマ」が政治家の制服と化しました。もっとも、シク教徒の現首相は未だに詰襟服風の『国民服』とターバンというスタイルですけど。
インドの外交官も今では学生服みたいな国民服はまず着ないのです。一般の男性、殊に若者はТシャツにジーンズスタイルとの欧米式になっている。インド人もかなり欧米ブランド好みです。
独立以降のインドは独自の社会主義路線を歩みました。ネルーも独立後、社会主義者であると公言しているし、五か年計画のような計画経済をとっています。国民の多くが貧しく、凄まじい格差社会だったため、社会主義を選択したのでしょう。ただ、共産主義とは違うし、ネルーも共産党は非合法化、活動員を監獄送りにしています。インドでも共産主義者は暴力路線に走りましたし。その結果、貴方の仰る通り、国営企業が幅を利かせ、規制の多いダメ経済となりました。
同性から見てもセーラー服はきれいです。仙台では私立校のみがセーラー服の制服だし、私は公立校だったため、セーラー服はついに着れませんでした。いくら学校の伝統を言われても、格好いい制服の方がイイ。漫画に登場する女子高生もセーラー服が多く、未だに根強い人気があるのでしょう。
様々な生徒の集まる学校では、やはり校則が必要不可欠だと私は思います。大人組織でも制約・規則が必要なので、まして未成年なら尚のこと。たとえ校則が緩くとも守らない者もいるし、学校よりも家庭の躾に問題がありそうな。
私が中学生の頃、一部の生徒から「私服にしよう」という声が上がり、生徒総会にもかけられましたが、結局盛り上がらずじまいでした。私も制服でいいと思っていましたし、制約のある中で、ちょっと工夫して個性を出すということに面白さがあったような…。
「自由に」は聞こえはいいですが、皆最初から自分の個性が出せるわけではありません。画一化されている中だからこそ、そこからはみ出す部分を感じることから見出すこともあると思います。
古臭い考えと言われそうですが、学生の本分は学問だと思います。私服選びの時間と親の負担(結構大変だと思いますよ)を考えれば、学生時代くらい制服でいいじゃないかと思うんですよね。その分休みの日に楽しめばいいのではないかと…。
実は私もセーラー服に密かに憧れていましたが、着る機会はありませんでした。姉の高校はセーラー服で、スカート丈やら、リボンの結び方で個性を出していましたから、ちょっとうらやましかったですね。
それと、男子の詰襟の背中は妙にカッコ良かったです。あれは、スーツ系の制服では感じられないものです。(ってマニアックでしょうか)
制服はその組織に属しているということを、自他共に認識させると思います。これは大切なことではないでしょうか。「自由には責任が伴う」ということを理解せず、ただ「束縛だ!」などと反対するのはどうなのでしょう。
校則は特に気にしたこともありませんでしたが、結構真面目(?)な生徒でしたので、窮屈に感じることもなく、「決められたルールは守る、その範囲で出来ることをする」という感じでした。それでも十分楽しかったですよ。
尾崎豊は正直ピンと来ませんでした。それ程いいとも思えませんでしたし、何故あんなに反抗しなければならないかがわからなかったと言いますか…。ただ反抗すればいいのか、じゃあ何がしたいのか、私には伝わりませんでした。
もちろん人それぞれですから、感じ方は千差万別です。
自由にも重さはあると思います。
貴女の記事で私服により進学校の生徒の態度が悪くなったことと、アメリカの公立学校で「制服」が復活しているのを知りました。何かと「アメリカでは~」と引き合いにしている日本のマスコミで、制服復活の話を取り上げたでしょうか?少なくとも河北新報では見かけませんでした。相も変わらず個性重視と、没個性的な主張している。
貴女の母校の中学で、私服化を呼びかけた生徒がいたのは面白いですね。私の通った中学はもちろん高校さえ、私服化を呼びかけた生徒はおりませんでした。制服が当たり前だと思っていたし、それだけ保守的だった?ただ、高校にはスカートの幅を詰めてタイトスカート風にしたり、パーマをかける生徒も一部いました。それでも教師はあまり注意しなかったような…
私はいい加減な生徒だったので、記事にも書いたように校則を必ずしも守るとは限りませんでした。しかし、私も校則を窮屈に感じたことはなかったし、遅刻の様に破った側が悪いと思っていました。
「学生の本分は学問」というのは私も同感です。親に負担させないため、バイトをして服を買うという意見もありますが、これまた時間を取られる。学費のためなら話は別ですが、学業よりもファッションのための時間を優先というのは本末転倒に思えます。
誰しも自由を求め束縛を嫌う気持ちはありますが、「束縛だ!」と金切声を上げる者ほど自由に責任逃れしながら、他人の責任は追及する。ネットでもその類は結構見かけますね。
十代の頃の尾崎豊がぐれたのは若気の至りと弁明も出来ますが、おそらく彼は音楽の方向性でも行き詰まっていたと思います。若くして死んだのは自ら招いたことにしか思えません。人の好みは様々なので、尾崎の歌を好むのは自由ですが、大人が妙なかたちで利用するのは不愉快です。彼の歌を教科書で取り上げたのは全く解せません。実際に生徒が校舎の窓ガラスを割ったり、級友のバイクを盗んだら、困るのは担任ではないでしょうか?