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ゴッホの《ひまわり》展

2014-09-10 22:00:30 | 展示会鑑賞

 先月末、宮城県美術館の「ゴッホの《ひまわり》展」を見てきた。この展示会も東日本大震災復興支援のひとつであり、あの《ひまわり》が特別公開された。美術館のチラシには次の説明がされている。

この度、東日本大震災復興支援事業として、損保ジャパン東郷青児美術館蔵のゴッホの《ひまわり》を特別公開いたします。この作品は、フィンセント・ファン・ゴッホが最も充実して制作したアルル時代の傑作ですが、保存管理が大変難しいため、原則として館外へ貸し出しされることがない作品として知られています。
 この展覧会は、明るい光を求めたゴッホが、南フランスのアルルで描いた《ひまわり》(損保ジャパン東郷青児美術館蔵)を観覧いただくことで、今なお復興の途上にある被災地域の方々に明るさと勇気をもたらすことを願って、株式会社損保ジャパンと日本興亜損害保険株式会社の協働による支援活動の一環として、カメイ株式会社の協力により、東北での初公開が実現したものです。ゴッホの《ひまわり》の他に、宮城県美術館及びカメイ株式会社が所蔵する花をモチーフとした作品19点を加えた、全20点が展示されます。

 保存管理が大変難しい、という説明は納得いかない。この絵よりも遥かに古い絵画でさえ、きちんと保存管理されているではないか。貸し出しを勿体ぶっているのか、と勘ぐりたくなる。
 ゴッホといえば私も含め、自ら己の耳を切り落とした事件を連想する人も多いだろう。今回、特別公開された《ひまわり》は、1888年12月23日の「耳切り事件」直前に描かれたものと考えられているらしい。ゴッホの《ひまわり》は7点あり、この作品は5作目。《ひまわり》はゴッホの代表作だが、あの「耳切り事件」と同年に描かれていたことを、特別展で初めて知った。

 正直に言って、私はゴッホはあまり好きではない。「耳切り事件」はあまりにもショッキングだし、これが後世の「狂気の天才画家」というイメージへ転化したのは確かだろう。37歳で自ら命を断つという生涯も劇的だし、エキセントリックで気難しい孤高の芸術家という評価が確立した。
 そして死後は一転して注目・称賛され、ポスト印象派のスーパースターに祭り上げられる。社会不適応者然とした生き方も、高貴な精神の持ち主と見なされるのだから、世の中は面白い。

 西洋画にはまるで浅学だが、これまで私はゴッホは劇的で短い人生ゆえに過大評価されているのでは…と感じていた。しかし、今回の特別展で見方は違った。ただ向日葵を描いた静物画とは全く違い、とてもインパクトがある。とにかく力強く、高揚した精神状態が感じられる。ゴーギャンとの共同生活は「耳切り事件」の悲劇も起こすが、傑作も生みだしたのだ。共に特別展を見た友人はこう言っていたが、私も同感だ。
「この《ひまわり》を見た後に他の花の絵を見ると、途端につまらなくなるよね」

 ゴッホ以外の花をモチーフとした作品はきれいに仕上がっているが、それだけなのだ。もしかすると、他の画家たちの方が質は高いのかもしれないが、気迫というものは感じられない。やはり米映画の邦題どおり、『炎の人ゴッホ』(原題:Lust for Life)だったようだ。画家の精神は作品に影響する。ゴッホ最後の作品「カラスのいる麦畑」など、見るからに死の影を感じた。

 弟テオの妻ヨハンナについても、友人との話に出た。夫や子供のいる友人らしく、ヨハンナはゴッホのことでテオと揉めたのではないか、と想像していた。彼女が夫に全面的に依存している義兄に立腹したのは想像に難くない。ゴッホの死から半年後、夫は後を追うように亡くなり、ゴッホを恨んだことはあっただろう。
 だが、回顧展の開催、書簡集の出版などゴッホの知名度向上に努めたのこそヨハンナだった。画商の妻らしく、画家を売り出すテクニックもあったはず。彼女は夫の死から10年後、「アムステルダム生まれのオランダ人画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルク(Johan Cohen Gosschalk, 1873-1912年)と再婚した」(wiki)という。生前は厄介者だったはずの義兄は、福の神になった。

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4 コメント

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ゴッホ、ミレー (室長)
2014-09-11 09:54:02
こんにちは、
  ゴッホのヒマワリ、ミレーの落穂ひろいと言うのは、、日本人が好きな絵の典型ではないでしょうか。

 まず、ミレーの落穂ひろいですが、考えてみればなぜこの絵に感動するのか?自分でも不思議だけど、子供の頃に美術の本で見た写真の時から好きです。畑の中で落穂を拾っているという、ただそれだけとはいえ、神々しい感じがしてたまらなく懐かしい気分になる。

 ゴッホのヒマワリも、ある意味、狂気の画家という感じは全くしない。ヒマワリの生命力、美しさを完全に理解して描いている、或は自らの感じた「本物のヒマワリ」を造形している…と見える。

 なぜ、こういう絵に特に日本人が惚れるのかは不思議だけど、パリのルーブル別館に行って、見たいのは、こういう子供頃から好きだった絵で、小生も見に行ったのは確か20代後半頃だけど、この二つが特に好きだった。

  要するに画家の人生とか、そういう裏話は無くとも、その絵画そのものが、素晴らしいと思うし、感動させてくれる…その上、なぜ好きなのか、なぜ、その絵が懐かしく思えるのか・・・すべてよく分らない。ともかく日本人、自分の感性が「好き」と思ってしまうようです。
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Re:ゴッホ、ミレー (mugi)
2014-09-11 21:25:30
>こんばんは、室長さん。

 ゴッホのひまわり、ミレーの落穂ひろいは仰る通り、日本人が好む絵ですね。ただ、記事にも書いたように私はへそ曲がりなのか、ゴッホはあまり好きではないし、ミレーも同じです。ミレーの落穂ひろいは確かに神々しいですが、それが重いし、失礼ながら辛気臭い感じも受けます。
 特にミレーの代表作「晩鐘」は怖い印象がありました。こう思ったのは私だけかと思いきや、先日見たТV番組「ぶらぶら美術館」でも同じ感想を言っていた人がいました。実はこの絵に描かれている夫婦は、死んだ子供への祈りを捧げているという説もあるのです。

 私がミレーの絵を「重い」と感じたのも、宗教臭が漂っていることがあるのかもしれません。同じ農民を描いた画家でも、アメリカのアンドリュー・ワイエスは好きですし、記事にもしました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/0f5ed9ce2ecea9962743793c829732fd

 しかし、絵画というものは直に見ると印象が違ってきます。写真だけでは今回のひまわりも、かつての西欧の静物画とは違った描き方という感じですが、間近で見たら本当に素晴らしかった。この絵だけでは狂気の画家という印象は全くないし、画家としての感性と才能が頂点に達した時点で描かれた作品だと思います。
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福島復興イベント (Mars)
2014-09-13 22:05:48
こんばんは、mugiさん。

この記事にはあまり関係ないコメントで申し訳ないですが、27日の土曜に福島復興イベントに行ってきます。

今年は某赤系新聞の捏造記事もありましたが、某イデオロギー漫画も話題になりましたが。そして、未だに放射脳な方もいらっしゃいますが。

美的センスも、見分ける目もない私ですが、絵画を見て、目を肥やす方がいいかもですね(汗)。
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Re:福島復興イベント (mugi)
2014-09-14 21:22:42
>こんばんは、Marsさん。

 確か貴方は昨年も、福島復興イベントに行かれましたよね?もし時間があるのでしたなら、福島以外の東北にも、来てけさい~~(仙台弁で「来て下さい」の意)。

 今年だけでなく某赤系新聞は捏造の問屋のようで、今ネタにしています。天然放射脳は先天性だから、被爆者と違い死ぬまで治らないでしょう。社会派を装ったイデオロギー漫画を良作と評し、軍事・国内問題を扱う漫画はナショナリズムを煽ると酷評するのが某赤系新聞の論調かも。

 美的センスも、見分ける目もないのは私も同じですが、滅多に見れない世界の名画を鑑賞できるのは嬉しいものです。特に地方都市には名画は来ないので尚更。
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