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集団亡霊―津市空襲の悲劇

2006-07-28 21:08:39 | 読書/日本史
 水木しげるさんの『幽霊画談』(岩波新書)に“集団亡霊”の話が載っていた。その全文を抜粋したい。

昭 和30年7月28日、三重県津市の海岸で、女子中学生36人が水死するという痛ましい事故があった。その時にかろうじて生き残った一人の少女の話による と、水面をひたひたと揺すりながら、黒いかたまりがこちらに向って泳いでくるのを見たという。それは何十人もの女性の姿で、ぐっしょり水を吸い込んだ防空 頭巾を被り、もんぺをはき、逃げようとする少女の足をつかんだ力はものすごかった。
 地元の人の話では、この事故のあったちょうど十年前、米軍機大編隊の焼打ちで市民250余人が殺され、火葬しきれない死骸はこの海岸に穴を掘って埋めたという。
 おそらくその亡霊であろうということになったが、二重の悲劇、惨劇事件である


 今日は61年前に三重県津市が空襲にあった日だ。空襲で犠牲になられた方には哀悼の意を表したい。そして、昭和30年の同じ日に水死した女子中学生たちにも。
  それにしても、唯一人生き残った女子中学生の証言は、体験でもしない限り信じられないものだろう。防空頭巾を被りもんぺをはいた戦時中の姿の亡霊が出た、 など夏に好まれる絶好の怪談だ。海で死亡し亡霊となった者は、洋の東西問わず生者の足を引っ張り、海に引きずり込むといわれる。私も子供の頃、足を引っ張 る海の幽霊の話を聞いた時になんて理不尽な、と感じたものだが、理不尽な死に方をした者はさぞ無念の思いだったろう。

 『幽霊画談』には他にも“船亡霊” が紹介されている。これは難破した船に乗っていた人が亡霊となって現れるもので、大勢集まり船べりにあごをかけ仲間に入れと呼ぶそうだ。日本で難破したト ルコ軍艦の“船亡霊”の話もあり、船べりにあごをかけた顔がずらりと並び、トルコ語で呼びかけたとか。『画談』に艦名は載ってなかったが、明治23 (1890)年日本に寄港した後、和歌山県樫野崎沖で難破・沈没したエルトゥールル号な のは間違いないだろう。使節団長オスマン・パシャ提督以下587名が死亡する大惨事となった海難事故で、生存者は69人のみだった。トルコ人生存者は日本 の軍艦「金剛」「比叡」により無事送還される。当時のオスマン・トルコ帝国は西欧諸国から“瀕死の重病人”と嘲られるほど国力が衰退していたが、それでも 日本よりは相対的に豊かだったはずだ。せっかく生き残ったトルコ軍人も、その後の第一次大戦でかなり戦死したらしい。

 亡霊は惨い死を思い起こさせるゆえ恐れられるが、亡霊が敵に復讐するのは怪談くらいなもので、怖いのは死者より生きて悪事を働く人間だ。

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4 コメント

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三重に来るなら津へおいで♪(津ボートのCM) (セリ摘み王キモト)
2006-07-28 21:25:41
津は伊勢別街道散策で自転車で何回か訪れた町ではあります。



風情が残る街道ですが津市内だけやたらと殺風景なんです。



聞けば『空襲でみんな焼けてしまった』と(T_T)。



津市が江戸時代あれほど大きな町だったのに現在では四日市、鈴鹿に抜かれいるのはそんな怨霊せいかもしれませんね。



トルコ軍鑑沈没の話しは有名ですね。



ちゃんと碑も残っています。



この事件はトルコ本国でも有名で救助してくれた日本人に対し親近感を抱いているトルコ人は数多いと聞きます。
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空襲でみんな焼けてしまった (mugi)
2006-07-28 21:39:06
>キモトさん

私は三重県も津市にも行った事はありませんが、県庁所在地なので三重県一の大都市だとばかり思い込んでいました。

確かに四日市、鈴鹿に比べれば、陰が薄いですね。

私の地元の宮城県仙台市も中心部は、『空襲でみんな焼けてしまった』状態となりました。だから歴史的な建物が残ってない。



トルコ軍鑑沈没の碑の写真を見た事がありますが、地元の方でもない限り、この事件を憶えている日本人は少ないでしょうね。
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反:死者に鞭打つ、利用する者 (Mars)
2006-07-30 14:15:18
こんにちは、mugiさん。



2002年、日韓共催でのW杯で、日本代表は惜しくも、決勝トーナメントでトルコ代表に敗れましたね。この時もマスコミは、いつもの友好ムードで、トルコを取り上げていましたね。実際の所は分かりませんが、トーゴー(東郷)という名をお酒につけたり、子供の名前にまでつけた者もいるそうです。ご紹介いただいた、トルコ船沈没事故の話を、私も存じています。

(しかし、もう片方の開催国とは違い、フェアで、悔しさはあったものの、こきおろしたり、無効や再試合を要求したくなるような相手ではなかったですね(というか、日本人の多くは、そんな気にはならないでしょう)。)



>怖いのは死者より生きて悪事を働く人間だ。

まさしくその通りで、いわゆる「富○メモ」に対するマスコミ・政治家の利用といったら、酷いものですね。特に、今まで散々、天皇陛下や天皇制を非難していたものが、鬼の首を取ったように騒ぐのは、見苦しすぎますね。いつの時代も、もの言わない死者を利用する者は少なくないでしょうけど、こういう者にこそ、○いや災難が降りかかればよいのですが、、、。



「死せる孔明、生きる仲達を走らす」という言葉もありますが、兵を無理に押し進めなくてもよい状況では、とくに損害もないでしょうに。まして、後日、力を蓄え、クーデターを起こした事実を見れば、その時点で、蜀に入る必要があったのか。歴史というものは、事実のみではなく、その時の時勢を考察することも重要でしょうね(長く都を空けると、変な風聞が広まらないとも限りませんよね)。



追伸、

パイレーツ2は今週の火曜日(8月1日)に、鑑賞する予定ですので、その後にコメントいたします。

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言論界の亡霊 (mugi)
2006-07-30 21:16:28
こんばんは、Marsさん。



私は2002年W杯での日土戦は見逃しましたが、フェアプレー精神で戦ったのは確かでしょうし、平然と無効や再試合を要求するような国ではなかったと思います。共催国の北の女子サッカーも審判に暴行するすごさ。

日本とトルコは地理的に離れていて関係も深くないため、反日感情は今のところ起きないでしょうね。



死者に鞭打ち、利用する者なら、儒教圏が断トツです。仰るとおり天皇制を批判していた輩が手の平を返したように、天皇のお言葉とやらを錦の御旗にするえげつなさといったらない。政治家連中ならともかく、ジャーナスリトを自称する者なら、記者の風上にも置けません。



「富○メモ」で騒いだ報道人たちこそ、生きている者の足を引っ張る言論界の亡霊ではないでしょうか。

これぞ、逝ってよし
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