~~引用ここから~~
産経新聞とFNN(フジテレビ系28局によるニュースネットワーク)が合同で実施していた電話による世論調査の不正が発覚して1カ月余り経つ。この問題を大きく取り上げるマスコミもないまま、不正はすでに忘れ去られつつある。
2000年代に入ってマスコミの間で広く実施されている電話による世論調査は以前から専門家の間からさまざまな問題点が指摘されており、今回の不正はその一端を示したにすぎない。両社は不正が行われた理由を「オペレーターの人集めが難しかった」などと説明しているが、詳細は解明されないまま、世論調査自体を打ち切っている。
同じような電話世論調査を行っている他のマスコミにとっても他人事ではないはずだが、自分のところは不正防止策を講じており、問題ないという立場を報じるだけで、電話調査が持っている構造的問題には踏み込もうとしていない。電話による世論調査が本当に国民の意見の縮図を正確に示すものなのか。国民の意見を科学的に正確にくみ取ることのできる調査と言えるのか。今回の不正問題を機に、いくつかの疑問点を示してみたい。
面接方式と手順が異なる電話調査
以前の世論調査は、自治体の選挙人名簿から無作為に抽出された対象者の自宅を調査員が訪問して回答を聞き取る「面接方式」が主流だった。回答者の全体を全国の有権者の縮図とするため、対象者の抽出は年齢や性別、地域などに偏りが生じないよう厳密に行われていた。
一方、現在、広く行われている電話調査の手順は面接方式とはまったく異なる。朝日新聞や日経新聞などが公表している手順の概要によると、多くの電話調査は固定電話と携帯電話の両方を使って実施される。固定電話と携帯電話で実際に使用されている局番を使って無作為に1万3000~1万4000件を選び、その中から実際に使われている番号、約5000件を自動判定システムで選ぶ。
オペレーターはこの番号に電話をし、個人が契約している電話と判明したら、電話に出た相手に調査を依頼する。過去の経験では、このうち約2000件が個人が契約している電話だという。新聞社やテレビ局によって異なるが、900~1000件程度の回答を目標としているケースが多い。
固定電話の場合、個人の電話とわかり、調査に協力してもらえるとなったら、家族の中の有権者数を聞き、ランダムに「年齢が上から〇人目の方」と調査対象者を決め、その人に回答してもらう。電話に出る人に回答を求めると、在宅の可能性が高い女性や高齢者に回答者が偏ってしまうためだ。携帯電話の場合も、出た人に個人のものであることを確認して協力を求める。
以上のような電話調査をRDD(Random Digit Dialing)方式などと呼んでいる。
当然、いくつかの疑問がわいてくる。
かつて主流だった面接調査が電話調査にとって代わられた理由の1つが回答率の低下だった。筆者も経験がある1980年代の面接調査は、多くの学生アルバイトを雇い、市役所などに行って選挙人名簿を閲覧し、本社に指定された地域や性別などの条件を満たす有権者を無作為に抽出する作業から始めた。
当時は回答率80%が目標で、70%台を割るようなことがあると社内で問題になることもあった。調査結果の精度を高めるために回答率は最も重要視されていたが、回答率は年々、低下の一途をたどっていった。
新聞社によって異なる回答率
これに対し電話調査は、いくら回答を拒否されても次の回答者を見つけ、とにかく調査実施時間内にサンプル数が目標にたどり着けばいいようだ。従って、どのくらいの人に拒否されたかがわかる回答率は面接調査ほど重視されていない。
世論調査で最も重要なことは、回答者が母集団(マスコミの世論調査の場合の多くは全国の有権者)をきちんと代表しているか、母集団の縮図となっているかという点である。サンプル数がいくら多くても、特定の階層などに偏った調査結果を国民の声であるとは言えない。
電話調査における回答率の分母は、調査対象となった電話番号のうち個人の電話と判明した数字で、分子はその中の回答数になる。しかし、オペレーターに「この電話は個人のものか企業などのものか」と聞かれ、世論調査に答えたくない人はそれが個人の電話であっても「会社のものです」と答えるかもしれない。それは事実上の回答拒否であり、本来なら分母に含まれるべきだが、そうなってはいない。
さらに各社の調査結果を見ると、電話調査の回答率は新聞社などによって大きく異なっており、中には回答率を記していない記事もある。回答率はもはや眼中にないのかもしれない。
そして、一定の回答数に達するまで次々と新しい回答者に電話をするという手法にも問題があるように思える。このやり方だと積極的に応じる人の回答が必然的に多くなり、その結果、調査結果が偏る可能性がある。
世論調査の世界では1936年のアメリカ大統領選でのジョージ・ギャラップ氏の成功は有名な話となっている。
当時は「リテラリーダイジェスト」という総合雑誌社の世論調査が圧倒的に有名で、かつ信頼されていた。この大統領選でも購読者、自動車保有者などを対象に200万人の回答を得る大規模な調査を実施し、フランクリン・ルーズベルト大統領の再選はないと予測した。
一方、新参者のギャラップ氏は、収入や居住地、性別などを偏りのないようアメリカ全体の比率に合わせて抽出し(この方法を「割り当て法」と呼ぶ)、わずか3000のサンプルでルーズベルトの再選を予想した。結果はルーズベルトの勝利で、ギャラップ氏は一躍有名になった。
母集団の縮図をきちんと反映しているのか
ところが、そのギャラップ氏は1948年の大統領選でトルーマン候補の当選を外すという失敗をしている。調査方法は同じ割り当て法だったが、調査員が割り当てられた属性の対象者を見つける際、回答を得やすそうな人を主観的に選ぶなどしたため、結果に偏りが生まれてしまったのだ。この失敗から、調査員の主観を排除する「無作為抽出法」が生み出されることになった。
現在の電話調査も無作為抽出の形はとっている。しかし、調査対象は事実上無制限にあり、目標の回答数が得られるまで新たな調査対象に電話をかけることが可能となっている。逆に言えば、目標数に達した段階で調査が終了となる。これで母集団の縮図がきちんと反映していると言えるのだろうか。
疑問点はほかにもある。最近の電話調査は固定電話と携帯電話の両方を同時に行う「デュアルフレーム方式」の調査が広がっているが、両者のサンプル数の比率は会社によってまちまちである。母集団を正確に反映する比率をどう考えればいいのであろうか。
回答数が少ない世代について、各メディアはその数字を人口比に合わせて補正し、全体の数字に加算している。例えば20代の回答数が人口比に比べ極端に少ない場合、人口比に合わせて大きな回答数に増やす。しかし、少ない回答はその世代の縮図になっているのかも疑問であり、単純な補正が結果をより正確にしているかどうかはわからない。
国民の生活様式やプライバシーについての考え方が変化し、回答率の低下から新しい方法を取り入れざるをえなくなっている事情は理解できる。電話調査については科学的側面だけでなく、経験も積み重ね、国民の声をうまく引き出していると証明されているようだ。
しかし、現代における世論調査が持つ問題点は、その技術的側面もさることながら、メディアの対応にも問題があるように思う。
電話調査が急速に普及した理由は、回答率の低下という問題のほかに、その簡便さがある。全国を対象とする面接調査は、質問・回答用紙の作成や印刷に始まり、多くの調査員の募集や教育など膨大な手間と時間がかかる。費用は億単位にのぼる。
これに対して電話調査は、準備は簡単で時間がかからないうえ、コストも格段に少なくて済む。何か大きな問題があったときに、臨機応変に新聞紙面を飾る材料を作るための調査が実施できる。
重視される世論調査の速報性
ただし、電話を使っての調査ゆえに、複雑な問題などについてじっくりと考えてもらって回答を得ることは難しい。質問数にも内容にも限界があるのだ。
また一定の回答数を集めなければならない。回答者の中には「政治のことはわからない」という人もいる。すると、「そういう人の声も含めて世論ですから、わからないというのも立派な答えです」と意味不明の言葉で回答を促しているという。一部の専門家が厳しく指摘しているように、こうなると世論調査とは言いにくくなり、世論の名を借りた「反応調査」、あるいは「感情調査」でしかない。
鳩山由紀夫首相が退陣して菅直人氏が後継首相になり、政治が大きく揺れた2010年。主要な新聞、テレビ局が実施した世論調査は年間230回を超えた。そこまでではないだろうが、近年は以前に比べると世論調査の頻度は増えている。そこで重視されているのが世論調査の速報性だ。
「Go Toトラベル」事業をめぐって東京を除外して始めるなど政府の対応が右往左往すると、一部の新聞は即日、電話による世論調査を実施した。組閣や内閣改造で新閣僚が就任の記者会見をやっている最中に世論調査をスタートさせることも今では当たり前となっている。
世論調査というのは各メディアが自主的に行う調査であり、その記事は一般的なニュースとは本質的に異なる性格のものである。にもかかわらず、一般のニュースと同じように速報性を競うのはなぜなのか。その結果、回答者の感情や反応が集積された数字が独り歩きし、政治の世界に影響を与えることもある。中には社説の主張の根拠に使っているケースもみられる。
電話調査による結果が有権者全体の縮図となっていることが構造的に疑わしいにもかかわらず、世論調査結果の数字があたかも「民意」であるかのように扱う昨今の風潮は、残念ながらマスコミ自身が作り上げたものである。
一方で産経新聞とFNNの起こした世論調査の不正問題が示すように、世論調査には構造問題が存在している。感情や反応を集めただけの数字が政治や社会に過剰な影響を与えることのないよう、マスコミや世論調査の意味について見直すべきであろう。
~~引用ここまで~~
世論調査は質問の仕方、重ね聞きの有無、設問文次第で操作されてしまうから信用できないと書いてきた。
マスコミの世論調査は信用できない - 面白く、そして下らない
内閣支持率が10%以上違う世論調査に信用性はあるのか - 面白く、そして下らない
世論調査はいくらでも操作できてしまう - 面白く、そして下らない
だが、電話調査による世論調査が統計的に正しい調査とさえ言えないようなのだ。それでは世論調査を根本から疑わなくてならなくなる。
フジサンケイグループの世論調査の不正さえあまり糾弾も真相究明もされることがなかった。電話調査による世論調査の問題点も触れられない。
いわゆるRDD方式は統計的に正しい世論調査なのかということだ。個人情報に五月蝿い現在では回答拒否する人は少なくないはずで、回答拒否率が高まれば世論調査の信頼性が揺らぐのではないか。
電話調査による世論調査は一応無作為抽出法を採ってはいるが、本当に母集団の縮図になっているのか。様々な疑問が湧いてくる。
ツイッターでアンケートを採れるようアップデートされたが、そのアンケートは統計的に何の意味もない。母集団(国民)から偏りがないように抽出していないからだ。
電話調査による世論調査もその可能性があるように思える。いや、確実にあるのではないか。そうでなくばマスコミごとの調査で結果があれほど異なるまい。質問の仕方、重ね聞きの有無、設問文次第によるのかもしれないが。
「政治のことはわからない」と回答する人に回答を無理やり促すに至っては、世論調査ではなく、「反応調査」、「感情調査」に過ぎないと引用文の著者は書いている。
平成22年は年間の世論調査回数が230回を数えたという。世論調査民主主義としか言えまい。
だが肝心の世論調査が「民意」を反映しているか怪しいのだ。それでもマスコミも世論もあるいは政治さえそれを「民意」と受け取ってしまう。バンドワゴン効果が働いて、本当は「多数派」ではないのに、世論が「多数派」の意見に乗り、本当の「多数派」になってしまうことがあるのではないか。
国会で世論調査の信憑性について質疑しても良いだろう。マスコミはしないのだから。問題はそんな質問をする国会議員がいるかだが。
そろそろ世論調査の信憑性について国民が疑いを持っても良い頃だ。
産経・フジ「世論調査不正」が投げかけたもの | 政策
産経新聞とFNN(フジテレビ系28局によるニュースネットワーク)が合同で実施していた電話による世論調査の不正が発覚して1カ月余り経つ。この問...
東洋経済オンライン
産経新聞とFNN(フジテレビ系28局によるニュースネットワーク)が合同で実施していた電話による世論調査の不正が発覚して1カ月余り経つ。この問題を大きく取り上げるマスコミもないまま、不正はすでに忘れ去られつつある。
2000年代に入ってマスコミの間で広く実施されている電話による世論調査は以前から専門家の間からさまざまな問題点が指摘されており、今回の不正はその一端を示したにすぎない。両社は不正が行われた理由を「オペレーターの人集めが難しかった」などと説明しているが、詳細は解明されないまま、世論調査自体を打ち切っている。
同じような電話世論調査を行っている他のマスコミにとっても他人事ではないはずだが、自分のところは不正防止策を講じており、問題ないという立場を報じるだけで、電話調査が持っている構造的問題には踏み込もうとしていない。電話による世論調査が本当に国民の意見の縮図を正確に示すものなのか。国民の意見を科学的に正確にくみ取ることのできる調査と言えるのか。今回の不正問題を機に、いくつかの疑問点を示してみたい。
面接方式と手順が異なる電話調査
以前の世論調査は、自治体の選挙人名簿から無作為に抽出された対象者の自宅を調査員が訪問して回答を聞き取る「面接方式」が主流だった。回答者の全体を全国の有権者の縮図とするため、対象者の抽出は年齢や性別、地域などに偏りが生じないよう厳密に行われていた。
一方、現在、広く行われている電話調査の手順は面接方式とはまったく異なる。朝日新聞や日経新聞などが公表している手順の概要によると、多くの電話調査は固定電話と携帯電話の両方を使って実施される。固定電話と携帯電話で実際に使用されている局番を使って無作為に1万3000~1万4000件を選び、その中から実際に使われている番号、約5000件を自動判定システムで選ぶ。
オペレーターはこの番号に電話をし、個人が契約している電話と判明したら、電話に出た相手に調査を依頼する。過去の経験では、このうち約2000件が個人が契約している電話だという。新聞社やテレビ局によって異なるが、900~1000件程度の回答を目標としているケースが多い。
固定電話の場合、個人の電話とわかり、調査に協力してもらえるとなったら、家族の中の有権者数を聞き、ランダムに「年齢が上から〇人目の方」と調査対象者を決め、その人に回答してもらう。電話に出る人に回答を求めると、在宅の可能性が高い女性や高齢者に回答者が偏ってしまうためだ。携帯電話の場合も、出た人に個人のものであることを確認して協力を求める。
以上のような電話調査をRDD(Random Digit Dialing)方式などと呼んでいる。
当然、いくつかの疑問がわいてくる。
かつて主流だった面接調査が電話調査にとって代わられた理由の1つが回答率の低下だった。筆者も経験がある1980年代の面接調査は、多くの学生アルバイトを雇い、市役所などに行って選挙人名簿を閲覧し、本社に指定された地域や性別などの条件を満たす有権者を無作為に抽出する作業から始めた。
当時は回答率80%が目標で、70%台を割るようなことがあると社内で問題になることもあった。調査結果の精度を高めるために回答率は最も重要視されていたが、回答率は年々、低下の一途をたどっていった。
新聞社によって異なる回答率
これに対し電話調査は、いくら回答を拒否されても次の回答者を見つけ、とにかく調査実施時間内にサンプル数が目標にたどり着けばいいようだ。従って、どのくらいの人に拒否されたかがわかる回答率は面接調査ほど重視されていない。
世論調査で最も重要なことは、回答者が母集団(マスコミの世論調査の場合の多くは全国の有権者)をきちんと代表しているか、母集団の縮図となっているかという点である。サンプル数がいくら多くても、特定の階層などに偏った調査結果を国民の声であるとは言えない。
電話調査における回答率の分母は、調査対象となった電話番号のうち個人の電話と判明した数字で、分子はその中の回答数になる。しかし、オペレーターに「この電話は個人のものか企業などのものか」と聞かれ、世論調査に答えたくない人はそれが個人の電話であっても「会社のものです」と答えるかもしれない。それは事実上の回答拒否であり、本来なら分母に含まれるべきだが、そうなってはいない。
さらに各社の調査結果を見ると、電話調査の回答率は新聞社などによって大きく異なっており、中には回答率を記していない記事もある。回答率はもはや眼中にないのかもしれない。
そして、一定の回答数に達するまで次々と新しい回答者に電話をするという手法にも問題があるように思える。このやり方だと積極的に応じる人の回答が必然的に多くなり、その結果、調査結果が偏る可能性がある。
世論調査の世界では1936年のアメリカ大統領選でのジョージ・ギャラップ氏の成功は有名な話となっている。
当時は「リテラリーダイジェスト」という総合雑誌社の世論調査が圧倒的に有名で、かつ信頼されていた。この大統領選でも購読者、自動車保有者などを対象に200万人の回答を得る大規模な調査を実施し、フランクリン・ルーズベルト大統領の再選はないと予測した。
一方、新参者のギャラップ氏は、収入や居住地、性別などを偏りのないようアメリカ全体の比率に合わせて抽出し(この方法を「割り当て法」と呼ぶ)、わずか3000のサンプルでルーズベルトの再選を予想した。結果はルーズベルトの勝利で、ギャラップ氏は一躍有名になった。
母集団の縮図をきちんと反映しているのか
ところが、そのギャラップ氏は1948年の大統領選でトルーマン候補の当選を外すという失敗をしている。調査方法は同じ割り当て法だったが、調査員が割り当てられた属性の対象者を見つける際、回答を得やすそうな人を主観的に選ぶなどしたため、結果に偏りが生まれてしまったのだ。この失敗から、調査員の主観を排除する「無作為抽出法」が生み出されることになった。
現在の電話調査も無作為抽出の形はとっている。しかし、調査対象は事実上無制限にあり、目標の回答数が得られるまで新たな調査対象に電話をかけることが可能となっている。逆に言えば、目標数に達した段階で調査が終了となる。これで母集団の縮図がきちんと反映していると言えるのだろうか。
疑問点はほかにもある。最近の電話調査は固定電話と携帯電話の両方を同時に行う「デュアルフレーム方式」の調査が広がっているが、両者のサンプル数の比率は会社によってまちまちである。母集団を正確に反映する比率をどう考えればいいのであろうか。
回答数が少ない世代について、各メディアはその数字を人口比に合わせて補正し、全体の数字に加算している。例えば20代の回答数が人口比に比べ極端に少ない場合、人口比に合わせて大きな回答数に増やす。しかし、少ない回答はその世代の縮図になっているのかも疑問であり、単純な補正が結果をより正確にしているかどうかはわからない。
国民の生活様式やプライバシーについての考え方が変化し、回答率の低下から新しい方法を取り入れざるをえなくなっている事情は理解できる。電話調査については科学的側面だけでなく、経験も積み重ね、国民の声をうまく引き出していると証明されているようだ。
しかし、現代における世論調査が持つ問題点は、その技術的側面もさることながら、メディアの対応にも問題があるように思う。
電話調査が急速に普及した理由は、回答率の低下という問題のほかに、その簡便さがある。全国を対象とする面接調査は、質問・回答用紙の作成や印刷に始まり、多くの調査員の募集や教育など膨大な手間と時間がかかる。費用は億単位にのぼる。
これに対して電話調査は、準備は簡単で時間がかからないうえ、コストも格段に少なくて済む。何か大きな問題があったときに、臨機応変に新聞紙面を飾る材料を作るための調査が実施できる。
重視される世論調査の速報性
ただし、電話を使っての調査ゆえに、複雑な問題などについてじっくりと考えてもらって回答を得ることは難しい。質問数にも内容にも限界があるのだ。
また一定の回答数を集めなければならない。回答者の中には「政治のことはわからない」という人もいる。すると、「そういう人の声も含めて世論ですから、わからないというのも立派な答えです」と意味不明の言葉で回答を促しているという。一部の専門家が厳しく指摘しているように、こうなると世論調査とは言いにくくなり、世論の名を借りた「反応調査」、あるいは「感情調査」でしかない。
鳩山由紀夫首相が退陣して菅直人氏が後継首相になり、政治が大きく揺れた2010年。主要な新聞、テレビ局が実施した世論調査は年間230回を超えた。そこまでではないだろうが、近年は以前に比べると世論調査の頻度は増えている。そこで重視されているのが世論調査の速報性だ。
「Go Toトラベル」事業をめぐって東京を除外して始めるなど政府の対応が右往左往すると、一部の新聞は即日、電話による世論調査を実施した。組閣や内閣改造で新閣僚が就任の記者会見をやっている最中に世論調査をスタートさせることも今では当たり前となっている。
世論調査というのは各メディアが自主的に行う調査であり、その記事は一般的なニュースとは本質的に異なる性格のものである。にもかかわらず、一般のニュースと同じように速報性を競うのはなぜなのか。その結果、回答者の感情や反応が集積された数字が独り歩きし、政治の世界に影響を与えることもある。中には社説の主張の根拠に使っているケースもみられる。
電話調査による結果が有権者全体の縮図となっていることが構造的に疑わしいにもかかわらず、世論調査結果の数字があたかも「民意」であるかのように扱う昨今の風潮は、残念ながらマスコミ自身が作り上げたものである。
一方で産経新聞とFNNの起こした世論調査の不正問題が示すように、世論調査には構造問題が存在している。感情や反応を集めただけの数字が政治や社会に過剰な影響を与えることのないよう、マスコミや世論調査の意味について見直すべきであろう。
~~引用ここまで~~
世論調査は質問の仕方、重ね聞きの有無、設問文次第で操作されてしまうから信用できないと書いてきた。
マスコミの世論調査は信用できない - 面白く、そして下らない
内閣支持率が10%以上違う世論調査に信用性はあるのか - 面白く、そして下らない
世論調査はいくらでも操作できてしまう - 面白く、そして下らない
だが、電話調査による世論調査が統計的に正しい調査とさえ言えないようなのだ。それでは世論調査を根本から疑わなくてならなくなる。
フジサンケイグループの世論調査の不正さえあまり糾弾も真相究明もされることがなかった。電話調査による世論調査の問題点も触れられない。
いわゆるRDD方式は統計的に正しい世論調査なのかということだ。個人情報に五月蝿い現在では回答拒否する人は少なくないはずで、回答拒否率が高まれば世論調査の信頼性が揺らぐのではないか。
電話調査による世論調査は一応無作為抽出法を採ってはいるが、本当に母集団の縮図になっているのか。様々な疑問が湧いてくる。
ツイッターでアンケートを採れるようアップデートされたが、そのアンケートは統計的に何の意味もない。母集団(国民)から偏りがないように抽出していないからだ。
電話調査による世論調査もその可能性があるように思える。いや、確実にあるのではないか。そうでなくばマスコミごとの調査で結果があれほど異なるまい。質問の仕方、重ね聞きの有無、設問文次第によるのかもしれないが。
「政治のことはわからない」と回答する人に回答を無理やり促すに至っては、世論調査ではなく、「反応調査」、「感情調査」に過ぎないと引用文の著者は書いている。
平成22年は年間の世論調査回数が230回を数えたという。世論調査民主主義としか言えまい。
だが肝心の世論調査が「民意」を反映しているか怪しいのだ。それでもマスコミも世論もあるいは政治さえそれを「民意」と受け取ってしまう。バンドワゴン効果が働いて、本当は「多数派」ではないのに、世論が「多数派」の意見に乗り、本当の「多数派」になってしまうことがあるのではないか。
国会で世論調査の信憑性について質疑しても良いだろう。マスコミはしないのだから。問題はそんな質問をする国会議員がいるかだが。
そろそろ世論調査の信憑性について国民が疑いを持っても良い頃だ。
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