わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

ものづくりのこころにあこがれ

2015-01-24 20:17:26 | 依頼先決定まで
 益子の旧濱田庄司邸や参考館に二人で行ったのをよく思い出します。私は古い民家で育ったわけでもないのですが、深い軒の縁側のある和室に二人で腰を下ろすと、適度に抑えられた空間の広がりの効果なのか、とても落ち着いて緩やかな気持ちになったのを覚えています。ちょうど冬が終わり、春を迎えようという季節で、暖かな日差しが柔らかく部屋に入って来ていました。古くとも残っているものには独特の空気がながれており、大抵は私たちの心をおだやかにさせます。それは、それを作った人たちの心意気や高い技術によって、私たちの文化そのものを表現しているからなのかもしれません。文化そのものだから、永く美しく残っているのでしょう。

(旧濱田庄司邸)


 私は、結構古いものが好きで、初めて買った車はClassic MINIでした。何度も故障し、そのたびに自分で修理して、しまいにはエンジンを下ろしてミッションを交換して…などとずいぶん道楽をやっていました。性能は決してよくありませんでしたが、修理を繰り返すうちに、愛着がわき、またこれを作ったエンジニアたちの心意気も感じるようになっていきました。どのような設計が使う人にやさしいのか、修理して長く使うにはどういう部品であるべきか。いろいろなところに、目に見える工夫がありました。
 一方で、家具にも興味がありました。大学時代、イームズなどの「ミッドセンチュリー」が流行り、それに乗って雑誌をみたりしていましたが、すこし歳をとって落ち着くと、今度はそれらを手に入れたいと思うようになりました。ただ、その時には北欧アンティークに興味をもっていました。イームズなどの純粋な工業製品とちがって、少しだけ「職人魂」が見えるところに惹かれたのでしょう。
 ハンス・J・ウェグナーやフィン・ユール、はたまたミース・ファン・デル・ローエに関する本を読みふけったりしていました。その中でも、はやりウェグナーが好きです。近代(モダン)なんだけど、ちょっと職人くさいんですね。ちょうどそんな頃に信濃美術館で開催された「世界の椅子」展でも、ウェグナーの「The chair」がうやうやしく鎮座していましたが、なんてことはない、現在でも手に入る工業製品です。しかし、本で学ぶにつれ、工業製品でも工房の職人たちの技術力に支えられているというのが面白かった。お金さえ出せば買えるものだけれど(もちろん私にはそんなお金はないけれど)、表に名前のでてこない職人たちの、唯一無二の職人技がそれを支えているという感覚が大変興味深い。自分はそんな名のない職人になればよかったな、とさえ思ったことがあるほどです。
 そんな私が妻から学んだのは、「民藝」という世界でした。今、ちょっとしたブームのようになっているようですが、ブームにとらわれない「民藝」を知り、ずいぶん感心しました。仕事柄、様々な思想家を知らねばならないので、柳宗悦という名前だけは知っていました。しかし、その思想がどの様なものかは、教科書的な知識しかありませんでした。そんな私に、妻は民藝の実際を見せてくれました。益子や鎌倉でみせてもらったのもそうだし、さまざまなお店や本、実際の「モノ」をとおして、民藝運動の潮流をしったのです。私のこれまでの「マテリアル」に惹かれる感覚に、民藝はマッチしていました。あくまで芸術というつもりはない、職人たちが手仕事でつくる日用品に、確かに「美」があり、ひとのこころが入っている。そんな美しいものを、沢山教えてもらいました。
 旧濱田庄司邸へ行ったとき、いつかこんな家に住むのもいいな、と感じたのは事実です。同時に、こんな立派な古民家はとてつもないお金持ちの家で、私たちが住めるようなことはない、とも思いました。それでも、自分たちが家を建てよう、となったとき、私の心の片隅にはあの職人技光る古民家が、ちょこっとだけひっかかっていたのです。

 「自然素材」という考え方に触れ、家づくりに「コスト・パフォーマンス」以外のものも求めていいかもしれない、と直観してしまった私は、いつのまにか家づくりに「職人のこころ」を夢見始めていたのです。2013年の春を迎えようという季節のことでした。

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