わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

家を勉強する①

2015-02-26 22:39:49 | 勉強
 家について勉強するといっても、そんなに体系的に学ぼうとしたわけではなく、目についた面白そうなものに触れてみようとしただけですが、それらについても折に触れて記録しておきます。

 「き」組を知って初めにあたったのが、先日挙げた「住宅建築」誌(建築資料研究社)です。アマゾンでバックナンバーの古本が安く買えるので、いくつか買いました。田舎ではそのへんの本屋さんでは見かけたことがありません。長野市や松本市の大きな本屋にはおいてありました。木造住宅を中心に、本物の家を考えるときにはとても参考になるものです。

 M建築設計事務所に伺うと決まった時、予習しておかねば失礼だと思って購入したのが松井郁夫『「木組」でつくる日本の家―むかしといまを未来につなぐ家づくり』(農文協)です。分かりやすく誠実な文体で、丁寧に「木組み」の家の理念が解説されています。


 反対にこの頃買ったよくなかった本は神崎隆洋『いい家は無垢の木と漆喰で建てる』(ダイヤモンド社)です。100円だし同じようなテーマだと思って買ったのですが、これは私には合いません。まず書き方が誠実でないと感じてしまうし、「ほんとかな」という思いばかりが先行する本でした。なんでも「フラッシュ戸」は偽物だからいけないとか…。価値観が合わないと感じたので結局またすぐにブックオフで売ってしまいました。

 本ばかり読んでいたわけではありません。実際に建築物を見る、というのも楽しみになっていきました。
 2013年の夏、私たちは旅行で伊勢神宮へ行き、ちょうど「式年遷宮」の真新しい建物を見てきました。なんといっても檜の肌の美しさには目を奪われました。木の建築というのは、なかなかいいものです。木が生きている、建物が生きているという感じがします。そして、この木はかつてどこで育ってきたのだろう、という想像力も掻き立てられ、建築から壮大な物語が見えるように思えるのです。熊野の森の国道をひた走っていたときに、どこまでも続く深い深い杉の森から神々しい異世界の空気を経験しました。きっとこんな森からあの木材も送り出されているのだ、と思いました。
 
 100年でも200年でも持ちそうなこれらの建築群を、20年で建て替えるというのはもったいない気がしますが、それが技術を継承させるサイクルなんですね。使用しなくなった古材は、また別の建築物に再利用されるそうです。


 決して建築を見るための旅ではなかったのですが、ほかにもいい建築に沢山出会いました。なかでも私にとって印象深いのは和歌山県田辺市の「旧南方熊楠邸」です。到着したのは閉館時間ぎりぎりというか、もう閉館時間を過ぎていたのですが、中に入れてもらうことができました。蚊が多くて沢山刺されましたが、とても落ち着く陰影のある「民家」と、かつて粘菌研究の舞台となった「庭」を堪能しました。広くとも豪邸という感じはなく、けれど簡素にして品のある、焼杉の沈んだ外壁のトーンに心癒される素晴らしい邸宅でした。こんな家に住むのはいいだろうな、と憧れの眼差しで見ていたのでした。
 

 このようにして、少しずつ少しずつ、商品としての建築物ではなく、文化として生きた建築物に目を向けるようになりました。住宅展示場へ行くかわりに、ちょっとした瞬間に目に飛び込んできた気になる建築物などに興味を持ってみるようになっていったのです。


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