わたしたちの住処をつくる記録

いえづくりについて、できごとと考えたことを記録しておきます

家を勉強する②

2015-03-10 23:40:49 | 勉強
 つい最近、川崎市立日本民家園へ行ったときに興味深い話を聞きました。山梨県甲州市にあったとされる広瀬家住宅を見たときです。維持管理や案内をしてくださるボランティアの方々がいらっしゃるのですが、他の古民家と違い、土間に直接「ムシロ」を敷いて囲炉裏を囲んでいらっしゃいました。
 囲炉裏といえば、板敷の居間の真ん中にあるというイメージでしたが、ここでは土間にある。なんでも、この民家のあった場所は山の斜面で、山からの吹きおろしが非常につめたい。だから軒を低くして風を防ぎ、また板敷の床を作らず直接土間にムシロを敷くことで暖かさを確保していたのだそうです。板敷の床は床下を冷気が流れるために冷たいが、土間の上に直接ムシロ(これを「土座」というらしい)の場合はあまり冷たくない。私は、おそらく「地熱」が関係しているのだろう、と思いました。実際に座ってみると、確かにほのかに安心感のある暖かさで、囲炉裏の火があれば十分に冬でも暮せそうでした。

 日本の民家は「夏を旨とする」のが基本で、通気性がよく、湿気のこもらない作り方になっているはずです。しかし、寒冷地では、こうした隙間風の多い家ではつらかっただろうと思います。そうした中で「土座」を利用するというのは、寒冷地に暮す人々の昔からの知恵だったのでしょう。

 2013年の9月に、妻の従妹の結婚式へ出席するために青森を訪れた際、三内丸山遺跡まで足を延ばしました。職業柄とても興味があったのですが、とにかくそのスケールの大きさには驚かされるばかりでした。
  
 一番大きな復元住宅の中は、「竪穴住居」でありながらも、現在でも田舎で見かける「古民家」のような雰囲気が漂っており、数千年も前の様式もそれほど古い様式ではないかもしれない、と直感されました。一方で、実際問題として青森のような寒冷地ではたして生きてゆけるだろうか、という疑問も同時にわきました。これだけの遺跡を残せるだけの一大勢力があったはずなのですが、「竪穴住居」で本当に冬を越して生きてゆけるのか。
 やはり「竪穴」というところが重要なのでしょう。倉庫は高床だが住居は竪穴。竪穴では湿気は避けられそうにありませんが、「地熱」は利用できそうです。雪が積もってくれれば立派な断熱材となり、たき火を絶やさないことで土間が蓄熱し室内の温度を保ったのではないかと想像できます。

 荒谷登『住まいから寒さ・暑さを取り除く』(彰国社)は、住まいの温熱環境について大変勉強になる本でした。冷房・暖房から冷忘・暖忘へ。住宅の温熱環境や断熱というと建材の性能の話になりがちですが、そもそも暖房・冷房とはなんなのかというところから書かれています。

 そのなかに、北海道の先住民であるアイヌの伝統的住居「チセ」が紹介されています。北海道のような極寒の地で、アイヌは昭和初期まで茅葺や笹葺の「チセ」に住んでいたといいます。茅葺や笹葺のような気密性のとれない住居でも暖かかったのは、地熱を利用していたということもあるようです。本州の家づくりを真似して板張りの床をつくった「チセ」は寒かったが、土間に直接葦などで編んだ敷物を敷き、年中囲炉裏の火を絶やさなかった昔ながらの「チセ」は暖かかったといいます。


 三内丸山遺跡の竪穴住居では、地元産の栗の木が使われています。地元で手に入るものを活用するのは当たり前なのですが、こんなところにも古代人のシンプルな知恵を感じずにはいられません。2013年の10月には安曇野市の重要文化財である「曽根原家住宅」を見に行きました。江戸時代の農家で「本棟造」の原型を見ることができる建物ですが、ここの梁は地元を代表する針葉樹である赤松でした。時代はだいぶ異なりますが、いずれも昔の家は地元のものを当たり前にうまく取り入れて暮らしていたのです。地元の気候で育った樹木は、建築となってからも地元の気候に馴染み、数百年を超えて生き続けるのでしょう。


 新建材などなくとも、その土地の気候を読み、自然と対話しながら、地元のものを生かして住まいをつくることが、何千年も前から行われてきたことのようです。私たちは昔の生活に戻ることもできないし、文明を否定する気も毛頭ありませんが、昔からの知恵に学ぶべきことは案外結構あるように思えます。

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