Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

名古屋での思い出

2009-12-26 02:00:22 | 日記
◇12・20露橋大会の二日前に,名古屋入りをして色々な出会いや体験がありました。そんな中から思い出に残る幾つかの出来事を書いてみました。

12月18日は4時過ぎに名古屋入りし,電車を乗り継いで管轄の<消防署>に手続きに……。この手続きが以外と面倒臭い! (≧ω≦) 持参した座席表を規定に従って書き直したり,書き加えたりと小一時間かかって手続きを行った。
これを終えると,一目散に名古屋駅に戻って『DEP』の行われてる刈谷の「あいおいホール」へと向かって行った。何しろ”名古屋”の町を知らないだけに,一人で移動する時など,さあ大変!
電車で目的地に行くにしても地理不案内で人に聞いたり,携帯で調べたり……と,一苦労なのだ。やっと刈谷駅に着いたはいいが,駅員さんに聞いたのとはかなり様子が違う!
少しばかり歩いたけど,どうも様子が違うので駅に戻ってタクシーに乗った。が,「あいおいホール」は,自分が歩いた方向とは真逆で,知っていれば何の事はない。刈谷駅から徒歩数分……駅に隣接する様に建っているのだ。勿論,タクシーはワン・メーターだったが,運転手さんには恐縮しつつホールの中へと入って行った。
ここでは,中村理恵と予想外の”18年振り”のご対面となった。FMW”二期生”の中村とは短い期間だったが……何ヶ月か前に電話で話しているので,18年振りなどという感覚は無かった。
予想外と書いたのは,金村から「20日の露橋に中村が手伝いに来ますから……」といった連絡を受けていたのに,二日早い対面となった訳だが,第一印象は18年前のまんまの中村理恵だった様な気がした。懐かしくもあり,楽しい一時だった。

翌19日は,夕方に佐藤社長と”合流”して<Zepp名古屋>で開催の『Zero-1』に。金村に促される様に,控室へ。ここではS・コリノを紹介され,田中将斗や佐藤耕平と話をしていると,実に懐かしい顔が入って来た。
何年振りか判らないくらい昔……30ン年振りになるだろうか? この人物がメキシコで”サムライ・シロー”と名乗って,6月に亡くなった三沢光晴氏が,まだ”タイガーマスク”に変身する前の事であった。
僅か10分程だったが本当に,本当に嬉しくもあり,楽しくもあり,懐かしい”瞬間”だった。今度は二人きりで食事でもしながら会いたいものだ。(茨城)