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幸満堂neo

日本人が事実に目を向けるだけで、世界が変わります。

中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査

2011年07月21日 00時07分02秒 | 祈りの扉
こちらのブログから転載させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/6f7d9360f4c0642ebbc31c660b204e76
(現在リンク切れ)

中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査

原文出典:http://phtv.ifeng.com/hotspot/200708/0817_42_193032.shtml
初出:『鳳凰週刊』2007年第17期

 文 麗記者
   特約ライター  ムザパル・クルバン
 
 (一)アニワルの帰宅

 もし姉が彼に祖母の家の電話番号を無理に覚えさせていなかったら、アニワルはたぶん永遠に母に会えなかっただろう。

 アニワル、ウイグル族、新疆カシュガル地区カルギリク県出身。2歳のときに両親が離婚し、ずっと祖母に育てられた。小学生のアニワルはとても聞きわけが良く、成績はいつもクラスの3番以内で、級長にも選ばれた。

 2005年4月27日午後、悪夢がおきた。一台のタクシーが下校中のアニワルの前に止まり、一人の中年男がおりてきて、アニワルにチョコレートを渡して、温かい声をかけた。チョコレートを食べたアニワルは知らず知らずにタクシーに乗り、その後さらに白いワンボックスカーに乗り換えさせられた。アニワルが目覚めたとき、すでに蘭州に連れてこられていた。

 その後、アニワルは故郷から5000キロ以上離れた広州に連れて行かれた。粗末な部屋でアニワルともう二人の最近連れてこられた男の子は厳しい監視下に置かれた。彼らを連れだした男は、彼を「親分」と呼ぶよう子供たちに命じた。

 次の日、「親分」は3人の男の子を「実習」のためにマーケットに連れて行った。アニワルははじめて自分の仕事が「泥棒」だということを知った。アニワルはそれが違法であり、アッラーも泥棒を罰していることを知っていた。「親分」は盗みをしたがらないアニワルを情け容赦なく殴りつけた。

 アニワルの最初の「実習」は全然うまくいかなかった。マーケットの中で、一人の男の子が盗んだ携帯電話をアニワルに渡し、早く逃げろと言った。携帯を受け取ったアニワルは数十メートル走ると足がもつれた。持ち主はアニワルを捕まえ、彼を派出所に連れて行こうとした。その時、ずっと脇にいた「親分」が姿を現し、アニワルを「奪い」かえした。

 すみかに戻ると、「親分」はアニワルが逃げ切れなかったことを責めて、手ひどく往復ビンタを食らわした。「実習」一週間後、「親分」はアニワルに正式に仕事を始めるよう命じた。彼が応じないと、「親分」はベルトで思い切り彼の太ももを鞭打ち、「実習期間」を1週間延ばした。

 2週間の実習が終わって、アニワルは仕事を始めた。彼はもう盗みは怖くなかった。怖いのは盗みに失敗して殴られることだった。あるスーパーの出入り口で、一人の女性が食べながら歩いていた。アニワルは彼女の後をつけ、女性のショルダーバッグのファスナーを開けて財布をすり取った。しきたりに従い、アニワルは財布の中の650元と銀行カードを「親分」に渡すために13歳の男の子に差し出した。これはアニワルが広州に来て15日目で、最初の単独窃盗の成功だった。

 アニワルはすぐに新しい生活に適応した。彼は彼を捕まえた警官に家に戻りたいという願いを伝えたこともあったが、彼を引き取りに来たのはやはり「親分」だった。

 アニワルは「親分」に連れられて多くの南方の都市を「転戦」した。もう何回盗んだのか覚えていなかった。一番多いときは、6人の財布、2400元を盗んだ。その時は、「親分」は機嫌よく彼に200元の小遣いをくれた。彼は喜んで100元で服を一式買い、残りの100元で遊園地で遊んだ。

 アニワルは警察に捕まることは怖くなかった。彼はすでに何回派出所に捕まったのかよく覚えていない。いつも何時間か捕まった後に帰された。彼はほとんどいつも派出所の入り口近くに彼の「親分」が待っているのが見えた。「親分」は最初から、彼らは未成年だから、漢語が分からないふりをしていれば、警察はいつまでも拘留しておくわけにもいかないし、もし警察が本気だったら、自傷行為で警察を脅せばおとなしく釈放すると教えていた。

 「年齢は刑事責任に足りず、盗んだ金額も刑罰には足りないし、漢語ができても知らないふりをする。子供を一人捕まえれば、新疆人が集団で騒ぎだして、民族問題にもなるから、事を荒立てない方がいい。ふつうは形だけ数時間拘留して釈放する」。ある匿名希望の北京の警官はこうこぼしていた。

 アニワルが怖いのは持ち主に殴られることだ。警察はウイグル族ストリートチルドレンの泥棒には気兼ねするので、盗まれた持ち主はしばしばこの子たちに当たり散らす。アニワルは持ち主にも殴られ、「親分」にも殴られた。

 流血は全身傷だらけのアニワルにとってはもうありふれたことだ。何日か前の、最後の失敗の時にも、「親分」に高々と持ち上げられたあと、地面にたたきつけられた。

 2006年7月22日昼、アニワルは再び捕まった。これまでの数時間後に釈放されるのとは違って、今回は若いウイグル人の警官ウラムジャンに会った。ウラムジャンは優しく尋問し、食べ物や飲み物も買い与えてくれた。そして弟に接するように彼を自分の宿舎に連れ帰った。アニワルに生きたいという願いが燃え上がり、突然ウラムジャンの前にひざまずき、家に帰らせてくれと頼み込んだ。

 「アニワル、まだ生きていたのかい?」。祖母は電話口で泣きだした。
 
 夜中の1時半、アニワルの母は飛行機に乗って派出所に駆けつけ、失踪して1年以上になる息子と対面した。 

 (二)子供一人5000元

 新疆社会科学院のレポートによると、内地を放浪するウイグル族児童のうち9割が誘拐された子供だった。しかもほとんどの子が南疆の出身だった。新疆救助所のデータによると、03年1月から05年12月までに、内地で保護され自治区に戻った3660人のストリートチルドレンのうち、9割以上が南疆のウイグル族だった。

 中国政府の民政部の関係者の話では、救助されるウイグル族ストリートチルドレンは全被救助児童の12.7%を占める。だが、ウイグル族ストリートチルドレンの収容は様々な原因で難しい。つまり、この数字はウイグル族ストリートチルドレンの膨大な数を反映していない。もう一つの証拠として、新疆自治区救助所によると、内地で常時放浪しているウイグル族児童は4000人だが、民間データでははるかにこれより多い。

 新疆自治区公安庁の統計によると、2005年、新疆の青少年犯罪者数の全犯罪者数中の比率は2000年の14.2%から、19.5%に高まった。とりわけ新疆籍のストリートチルドレンの犯罪事件は再三の取締りにもかかわらず、2005年の立件数は2000年の倍に増えている。

 新疆社会科学院民族研究所の李曉霞は、南疆のウイグル族集住地の、高い離婚率と失業率、土地に対する人口過多、極度の貧困、末端行政組織の弛緩が、いずれもストリートチルドレン出現の原因になっているとみている。南疆には、新疆の貧困人口の大部分が集中しており、新疆の35の貧困県のうち、23県が南疆にある。

 ウイグル人はみなイスラム教を信仰している〔中共の民族区分では仏教を信仰するウイグル人はユグル人という別民族にされている〕。イスラム教の教義は盗みを厳禁している。80年代以降、一部の成年窃盗犯が新疆から内地に「進出」し、その後子供を使って大人の窃盗を隠ぺいするようになった。1988年以降、大人が裏で操作し、誘拐された子どもを使って盗みを行う組織が現れた。

 「最近ますます多くのウイグル人の若者がイスラム教を捨て去っている。彼らは酒を飲み、盗みを働き、伝統的な道徳と風俗はひどく破壊されてしまった」。中央民族学院のイリハム・トフティ〔彼は7・5事件の後一時逮捕された〕は民族文化の消滅に心を痛める。

 アクス地区のウイグル語の新語の一つの「コリチ〔ichkirichi?〕」は、彼ら人さらいをして内地で汚いカネを稼ぐ人を指す。住民は彼らの金儲けの方法が気にくわないが、彼らの豊かさはうらやましく感じている。

 「私の住んでいるところに一棟の豪邸があるが、それは人さらいの家だ。一部の親は生活に行き詰まって、やくざ者に子供をケバブ売りとして渡してしまう」。アクスの何人かの子供を救助したことのある人はそう語っていた。

 「ホタン地区では毎日全国各地から送金通知書が郷鎮の農村に飛んでくる。労働者が賃金を受け取って送金するのと同じだ」。ホタン郵便局の配達員は以前そうメディアに語っていた。

 「3歳から16歳までいる。多いのは10歳から13歳だ。小さな子が抱きついて人の注意をそらし、大きな子が盗む。爺さんもいる。泥棒の飯炊きだ」。新疆社会科学院民族研究所研究員の続西発は語った。「一部の地方では泥棒が地元にカネを落とすのを期待して、末端幹部は見て見ぬふりをしている」。

 「僕の窃盗団は16人の大人と4人の子供がいて、見つけられにくいところに住んでいた。2人の大人と2人の子供が一部屋にいた。4人の大人が一人の子供が盗むのを監視していた。大人はナイフを持っていて、僕たちが盗むときに声を上げようとする人を脅した。大人たちは僕に沸騰するお湯の中からコインを取らせ、もし取れなかったらベルトで殴った。僕と一緒に住んでいた男の子は11歳で、僕より1カ月早く誘拐されてここに連れてこられた。彼は1度逃げたが、捕まって連れ戻されたとき、ひどく殴られて死にかけた」。救助されたダルハンは、誘拐されて泥棒をさせられる子供たちにはみなつらい「実習期間」があると語っていた。

 「親分」は子供たちに毎日の上納ノルマ(500~2000元)を課し、ノルマを達成できなかったり逃げようとしたりする子供は袋だたきにされる。もっと徹底して彼らを統制するために、一部の「親分」は子供たちに薬物やとばくに手を染めさせ、女の子は通例性的虐待を受ける。そして逃げた子供は「親分」から逃げ切っても、しばしば別の「親分」の手中に落ちる。

 ウイグル族ストリートチルドレン救助組織が一番頭が痛いのは、救出された子どもたちの多くが年齢が低すぎて自分の家がどこだか分からないことだ。「3人の子を保護したが、小さい子は3歳、大きい子でも8歳だった。こういう小さい子は自分の家の前に駄菓子屋があったことは覚えていても、住所は覚えていない。その上今は強制立ち退きが頻繁なので、そんな商店を探すことも難しくなっている」。アクスのこの熱心なボランティアも仕方なしに子供を救助所に送り返した。

 このボランティアの話によると、漢族のストリートチルドレンは養子にもらわれることもあるが、家を探し出せないウイグル族のストリートチルドレンは顔立ちが漢族と異なるので、漢族が養子として引き取ることはない。収容救助は過渡的な行為に過ぎない。つまり、もし政府がウイグル族ストリートチルドレンに適切な処遇をしなければ、彼らを待っているのは放浪――窃盗を続けることだけだ。

 「その後、3人の子供たちはみな養子にもらわれた。来た連中は養うと主張し、値付けまでしてきたから、私たちも人買いと分かったが、他に誰が養うんだ? あの子たちにはみんな値が付いていた。人買いの間には横の連絡があって、名の知れた、盗みのうまい子は5000元で売れる。普通の子でも1000元の値がつくんだ」。

 (三)お願いだから子供たちをあまりひどく殴らないでくれ

 新疆のストリートチルドレンを収容すると、ハラルの飲食を提供しなければならず、子供たちとの意思疎通もできないので、管理は非常な難題となる。送還費用も高い。言葉が通じないので、内地の警察は犯罪だと分かっていても証言を得られず、黒幕を特定できない。たとえ長期間内地で放浪している子供でも、少数民族集住地に住んでいて、漢族は窃盗の対象とする以外、ほとんど接触がない。さらに漢族、とりわけ警察官を敵視するよう教唆されているので、たとえ捕まっても、自傷行為で反抗する。そこで、一部の派出所はウイグル人の警官を雇ってこの種の事件を処理しているが、対症療法に過ぎない。

 結局、いろいろな部門は難しいので手を引き、新疆の児童は収容されず、もしくはだれかが引き取りに来たら、すぐに釈放される。こうして、新疆のストリートチルドレンは派出所に捕まっても、すぐに出て盗みを続ける。彼らの「親分」は派出所の入り口で引き取るために待っている。

 内地の警察はこのように管理上の困難に直面しているのだが、住民からはウイグル族ストリートチルドレン窃盗団を放任しているとみなされており、ウイグル族の窃盗団の「親分」もますます大胆に暴れまわる。

 「私がアニワルを連れ帰った次の日、彼らの「親分」は私の携帯番号を調べ出して、電話で私を脅しながら、金銭交渉を持ちかけてきた」。ウラムジャンは腹立たしそうにため息をついた。「やつらはそこまで大胆になっている!」。

 当局のウイグル族ストリートチルドレン問題での無能によって、住民は怒りをウイグル族ストリートチルドレンに向けている。インターネット上では、「ウイグル泥棒」を非難する感情が噴き出し、民間の反スリ運動家は市民にむけて暴力による反スリ戦闘開始の檄文を発表し、捕まったウイグル族ストリートチルドレンが市民の暴力で血まみれになった写真がたくさん投稿されている。

 佳泉は、2歳の娘がいる、河南省安陽市の教員だ。2005年末、泥棒が街中で堂々とスリをしていることに我慢ならず、安陽反スリ連盟を結成した。

 佳泉は、当地では8,9軒の新疆レストランがあって、それを根拠地に新疆の子供が3,4グループ、多いときは20~30人が毎日で歩いてスリをしていると語った。同じ子供が1週間のうちに反スリ隊に何度も捕まり、「捕まえるのが恥ずかしくなるほどだ」。

 最初は見ず知らずだったが、今ではこの子供たちと知り合いになった。彼らにご飯食べたか?と聞くと、盗んだものを渡さないと食べさせてもらえないとか、殴られるという。ある新米の子供は、盗みがすごく下手で、しょっちゅう我々に捕まり、そして、しょっちゅう「親分」に殴られている。彼の父親は死んで、母親は交通事故にあった。人さらいに遊びに行こうと連れ出されたそうだ。最初に捕まえた時は、彼は本当のことを話した。だがその後は、本当のことは言わなくなった。あるとき小さな子4人と大きな子1人を捕まえた。多分その中に「親分」の親戚と子供がいて、監視されていたんだろう。だから何も話さなかった。5回目に捕まえた時も、いつものジャージで、それがすっかり破れて、ひどく汚れていた。

 彼らは昼間はすることがないので、大きな子が小さな子を連れて街中を歩きまわる。そして、人の後をつけて盗む機会をうかがう。夜は新疆レストランに戻って、店員になってケバブを焼く。何日か前に捕まえた子供は、小さすぎたのですぐに放したんだ。そしたら次の日、一軒の新疆レストランの入り口でケバブを焼いていた。彼は決まり悪かったらしく、私にケバブを食べるよう勧めてきたよ。

 彼らは警官を見ても逃げない。警察は彼らを捕まえないし、捕まえてもすぐに釈放すると知っているんだ。警官には彼らは絶対漢語を話さないが、我々には少し話す。ある子は捕まってから、私を買収しようとした。食事をおごるとか、盗んだ携帯電話をあげるとか言ってね。もう一人の子は捕まえたら、警察も捕まえないし、警備員も捕まえないのに、なんであんたたちは捕まえるんだって聞いて来たよ。それから、我々に法律の条文を暗唱して聞かせ、どんな根拠があって捕まえるんだって聞くんだ。大人が教えたに違いないね。

 あるとき、一人の子供を捕まえた。正月の7日か8日なのに、秋物の服とジャージしか着ていない。派出所に連れて行くと、すごく寒そうにしていた。派出所もどっちにしても釈放するんだが、その子の住んでいるところは派出所からはすごく遠かったから、警官に私が送って行くと言ったんだ。私が電動自転車の後ろに彼を乗せたら、彼は全身震えて泣きながら服を手繰り寄せていた。触ってみたら、2枚しか着ていなかったから、風除けのついたバイクタクシーを拾って、運転手にカネを渡してその子を送り返したよ。

 佳泉は反スリ連盟結成当初はスリに暴力をふるったと話した。だが、今この子たちの話をするときは、彼の口調は父親のような愛に満ちていた。彼は、あの子たちを見るたびに、自分に抱かれて甘える娘を思い出すと話した。「あの子たちの両親が自分の子がこんな目にあっていることを知ったら、死ぬほど悲しむだろうね」。

 佳泉と同じく、一部の民間人は彼ら小さいときに誘拐され、両親の手元から引き離されたウイグル族の「泥棒」たちに心を痛めている。

 「一人のウイグル族の子供が売られて上海で泥棒をしていた。3年間やったあと、警察に送り返された。捕まったとき、誰かが手を上げると、彼は泣きだして隅に隠れた。いつもナンを持っていて、お腹の減った時に少しずつかじっていた。警察が送り返すために、買った服に着替えさせた時、警官までが泣きだしてしまった。10歳にもならないこの子の全身には200か所もの傷跡があったんだ。このウイグル人の子の家は大金持ちで、その家の老人はそんなふうになってしまった子供を見て、涙を流して一言も言葉が出ず、噛みしめた唇から血を流していた。この老人は最後に、君たちに100万元やるから、私に直接この子を誘拐した人さらいを殺させてくれ、と頼んだ」。ある新疆の漢族のネットユーザーは内地の反スリグループに暴力を乱用しないように絶え間なく呼びかけている。彼は、多くの人に「新疆泥棒」の悲惨な運命について知ってほしいと願っている。

 「お願いだから子供たちをあまりひどく殴らないでくれ」と彼は呼び掛けている。

(転載自由・要出典明記)

プルトニウムのプル子さん

2011年03月29日 10時17分39秒 | 祈りの扉
政府が基準値を変えつつ、大丈夫大丈夫と、
のらりくらりと発表を続ける毎日ですが、
そんな情報に不信感を持たれてる方も多いと思います。

少なくとも私は、「ただちに影響はない」という言葉は、
民主が政権を降りてしばらくしてからじゃないと
結果が出てこないので、(民主党の皆様は)
安心してください、と言ってるようにしか聞こえませんし。

しかしそれはともかく、今現在、アメリカでも
放射性物質が検知されて「FUKUSHIMAの影響か?」と
騒がれている件に関しては、それはそれで
断定しようがないんじゃないかとも思ってます。

仮にFUKUSHIMAの影響が本当にアメリカにも及んでいるのなら、
チェルノブイリやスリーマイルでの事故、
中国ロシアアメリカフランス他の、幾度にも及ぶ核実験で、
私達の生活には、すでに放射性物質が当たり前のように
存在しているはずだからです。

現在、福岡の弟夫婦の家で赤子と一緒にニートな生活を
送ってる私ですが、それでも全く影響がないと考える方が
難しいんじゃないかと思ってます。

何より、以前にもエントリしましたが、
ここ北九州市では、中国から飛来する有害物質が
年々増えてるとの観測結果もあり、平常時はむしろ、
関東よりも注意が必要なくらいなんじゃないかと思ってます。
まぁ、どこも同じく注意しようがないわけですが。

そんなあたりで、当面の原発の状況は最大限の考慮が
必要ではあっても、それと同時に、地球上どこにいっても
放射性物質の影響からは逃れようがないということで、
この件に関しては、根本的に考え方を見直し、
千葉なら地域の野菜も排除することを止め、
その上で、家の土壌浄化やキッチン菜園をやってみたり、
いたるところに存在する、プルトニウムのプル子さんとの
お付き合いを考えてみようかな?と思ってる私です。

もちろん、あくまで個人的な考えということで。

しかしこういう常識がひっくり返った時こそ、
みんなそれぞれ個人的に正しいと思うことを実践していく事で、
いろんなバランスがとれるんだろうなぁ、なんて思ったりもします。


韓国からの口蹄疫水や中国野菜は全力でお断りですが。

とりあえず、この先原発問題でジャパンバッシングが始まっても、
不必要に加害者意識を持たずに、地球との共存を
考えていこうかということで。


こんなことを書き散らしてる間に、うちのおんげさんは
そうめんをそこらに食い散らかし、
私の箸までねらい始めましたので、
今日はこの辺で。

キッチン菜園やりますか

2011年03月26日 08時08分02秒 | 祈りの扉
現在、福岡に疎開中です。

千葉の野菜からもいよいよ放射能が検出されましたが、
いろいろ調べてると、中国からの黄砂がひどい九州でも、
全く安心と言える気がしないので、
http://haq.mep.gov.cn/
まぁここは、南相馬市で野菜まりまり食った
麻生たろさについて行く気持ちでいいかな?
なんて気がしてます。

とはいえ、それで全く不安がなくなるわけでもなく、
ましてやうちには乳飲み子おんげがおります。

それで福岡まで疎開してきたわけではありますが、
どこにいても生きていけるよう、考える必要も
ござりましょうということで、
現在わたくし、千葉に戻った後のキッチン菜園計画を
頑張ってみようと、たった今思いました。

10年以上前は、金があったら屋内型の野菜栽培が
したいなんて話をすると、そんなの全く必要ないと
軽くあしらわれてたもんですが、昔の自分の思い付きも、
そう間違ったもんでもなかったなぁと、
今改めて思ってます。

しかし今の私は、親族に全てをたかりまくる
ニートまっしぐら生活を送ってますので、
出来ることからこつこつと、残ったネギを愛でることから
始めてみたいと思います。


後はあれですね。土壌汚染に強い植物調べてみましょう。

お国のためにって

2011年03月16日 12時45分21秒 | 祈りの扉
パパさんの要望で、明日から娘のおんげを連れて、
実家の福岡に一時帰ることになりました。

私達を避難させて安心した上で、出勤出来ない人の分まで
残業頑張りたいそうで。

・・・と、身近な人にはここまで伝えておきました。

こんな時だから私は家でパパさんを支え、
ご近所さんと協力しあいながら、
この場で頑張ろうと思ってました。

しかし、何があってもおかしくない今は、万が一に備えて、
おんげを守るのが私の一番の仕事なので、
パパさんに安心してもらう為にも、要望に迷わず答え、
実家に帰ることにしました。


今の時点でこういう事を言うのは大げさですが、
昔「お国のために」と、戦地に赴いた兵隊さん達は、
たぶん今のパパさんみたいな気持ちだったと思います。

戦後の日本は、いろんな国による印象操作が行われ、
日本軍の略奪やら虐殺やら慰安婦やらと語られてきましたが、
私は今のパパさんのように、いろんなところで
復旧にご尽力下さってるいろんな方々、
そしてそれを支える方々の姿が、
当時も今も変わらない日本人だと確信しています。

日本人にもゲスな野郎がいるのは知ってますが、
少なくとも、覚悟を決めてそれに従ってる最中の人間に、
そんなこと考える暇すらありませんしね。

私も、いくら万が一の事であるとしても、
柩に入った赤ちゃんを見る痛みはもういやなので、
出来る限りの事をしてから、運命を受け入れる事にします。

おんげママはおんげを守るため、
義援金と我が家の復旧代と生活費とか稼ぐ為にも、
明日から行ってきます。

帰りのチケット代も稼がんとですね。
ちょっとなりふり構わす頑張ってきます。

大人の千羽鶴始めました(多田あさみのブログより)

2011年03月16日 11時16分35秒 | 祈りの扉
「大人の千羽鶴始めました」
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=tada-asami&articleId=10830603917


グラビアアイドル多田あさみのブログです。

大人という響きに私も一瞬ドキッとしてしまいましたが、
彼女はフードルでもAV女優でもなく、
グラビアアイドルということで、
ちゃんとそれらしい内容となっております。

彼女の素晴らしいセンスに脱帽。


私も一日も早く鶴を飛ばせるよう、
同時にうちの家計もパパもレスキュー出来るよう、
明日から実家の九州に行ってきます。


被災地の皆様のご無事と復旧を、心よりお祈り申し上げます。

ありがとう

2011年01月10日 22時03分08秒 | 祈りの扉
不安はいっぱいある。

出来ないことだらけの自分がイヤになる。

むしろ出来る事自体が何もないからとヘコみっぱなし。


でも今朝は、障子にゆらゆら映る木漏れ日に気がついた。

日常にこんな景色がある事に気がついた。

私は護られている。

私は恵まれている。


お昼には寝室にたっぷりお日様が降り注ぐ事に気がついた。

たっぷりの日溜まりの中、寝室でお昼寝が出来る事に気がついた。

私は護られている。

私は恵まれている。


夜には寝室の窓から見える星を見ながら眠る事が出来る。

窓から見えるいくつもの星に見守られながら、眠りにつく事が出来る。


私は護られている。

私は恵まれている。



ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。



どっちも当たり前にある日常。

尖閣諸島ビデオに関する署名のお知らせ&お願い

2010年11月14日 23時42分12秒 | 祈りの扉
今巷で最もアツイ、sengoku38さん改め神戸在住の海上保安官について、
ネット上でいくつかの署名活動が行われているようです。

いろんなリスクを承知でこの国を思い、
行動を起こした海上保安官さんに、
私もほんの一票ずつではありますが、
嘆願の署名をさせて頂きました。

おかしいことはおかしいという、
当たり前の事を大事にしたいと思います。

sengoku38さんやそのご家族のご無事を、
署名という形で祈らせて頂きます。

sengoku38さんの勇気ある行動に拍手をと思ってらっしゃる方、
ぜひとも下記サイトにて、応援の一票をお願いします!



以下署名サイトより本文コピペ。

尖閣諸島漁船衝突問題のVTR流出に係わった海保職員への寛大な処分のお願い署名 

尖閣諸島中国漁船衝突問題のVTRを流出させたとして国家公務員法違反の疑いで逮捕の方針(2010/11/10現在では未逮捕)という海上保安庁神戸海上保安部所属の海上保安官は自身の
事を顧みずに広く国民に尖閣諸島で起きていた真実のことを見せてくださいました。
その海上保安官はいま、警察の取り調べを受けたり、職は無くなろうであろうし、犯罪者扱いされるなど
窮地に立たされております。
勇気ある行動を取られた海上保安官に私たちが出来ることは何か?微力なことでも力になれないか?
そう思った時にこの署名運動を行おうと思った次第です。

http://www.shomei.tv/project-1646.html


その他、sengoku38さんに関する署名

尖閣諸島映像流出(告発)の海上保安官を無罪にする(あるいは処罰しないでほしいという)嘆願署名 
http://www.shomei.tv/project-1645.html

尖閣沖ビデオを公開した海上保安庁航海士(sengoku38)の減刑嘆願
http://www.shomei.tv/project-1643.html

「尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件」ビデオ流出者に対する告発免除を求める嘆願書 
http://www.shomei.tv/project-1642.html




ご協力お願いします!


replace

2010年11月12日 06時01分29秒 | 祈りの扉
最近常に思うのは、たとえどんなことがあっても、
それらは全て、今よりずっといい未来を迎える為に、
今あるものをもっといいものに置き換える為の、
いろんな布石なんだろうな、ということです。

先が見えない状況がいっぱいあっても、
何度も死にたくなっても、
その時間が、私達をどこかいいところへ
ちゃんと連れて行ってくれるんですよね。

それらは気付けば気付くほど、
どんどん入れ替わりが早くなるだろうし、
もし気付かなくても、それなりのペースで、
ちゃんと入れ替わってるんだと思います。

ただそれらは、自分が望むよりは遅いかもしれなくて、
それに気付きにくくなったり、
全く信じられなくなったりするかもしれません。

それでもいろんな事はしかるべきタイミングで起きていて、
何らかのパズルのピースがぴたっとはまった時、
何かがちゃんといいものに置き換えられてるようです。


もし最近、それを実感出来ているのなら、
それはとても素晴らしいことです。

逆に物事がどんどん悪くなると思っている場合は、
その悪い出来事のその先に、
必要なパズルのピースが落ちてるのかもしれません。


なんだかんだで、きっと大丈夫。
全てはいいものに置き換えられている。




いつも読んでくれてありがとう







順調にグダグダでいい流れ

2010年11月09日 21時44分47秒 | 祈りの扉
福岡を出発する朝、私の母がパンを買って、
私達が泊まってる部屋にきてくれました。

不思議と頭の中で決めていた、オムレット10個×3箱は、
これが親子の脳みそというものかというくらいに、
きっちり母が買ってきてくれてひたすら感謝なのですが、
問題は残りのパンの量。

ざっと見全部あわせて40個。

ギャル曾根もジャイアント白田もいないのに、
菓子パン40個。

結婚式でただでさえ荷物が多いのに、菓子パン40個。


母は本当に気持ちのある人なんですが、
いつもこうなので、ついいろいろ言ってしまいます。
私も少しだけ大人になったので、
出来る限り感謝の気持ちを混ぜながらと思いつつ、
やはりついつい、どうしても長々言ってしまいます。

チェックアウトはかなりギリギリになってしまい、
ただでさえタイトなスケジュールは、さらに押せ押せに。


しばらく経って、終始そのやりとりを見ていたパパさんから一言。

「どうせ何を何回言っても忘れるんだから、
 『ありがとう』の一言だけでもらっちゃえば、
 一番早かったんじゃないの?」


・・・・・

・・・・・

そうか!


母はいつもこれなので、私も子供の頃から何十回何百回、
同じ事を永遠のように繰り返し伝えてました。
でもそれでも治ってないということは、
その都度すっかり忘れられてるということです。
昨日今日始まった話ならともかく、もう数十年同じ状態です。

うん。パパさんが正しい。

どうせ忘れられてるんだったら、自分はその出来事に対して、
適切に自分がどうしたいかだけを伝える事が出来れば、
後は全く別のことに時間を費やす事が出来ます。
イライラする時間もものすごく少なくなります。

どれだけの時間を無駄にしてきたのかと思いつつ、
人は変える事が出来ないというのは正にこのことで、
それを私は、40年近い年月をかけてやっと体感しました。


そしてその後、ひきこもりの弟とランチに行き、
この話をしてみたところ、「その発想はなかったわ」と、
ものすごく納得した模様。

弟は母に会社を辞めさせられたり等のいろいろもあって、
朝や今までの私と同じ事を、今も母と同じ家に住んで、
毎日毎日繰り返してるようです。
ランチ中もずっと母のことを繰り返してました。

でも私が朝にパパから言われた事で、
私はちょうどこの日、単なる朝の出来事として、
たぶん私にも弟にも一番必要な話を、
たぶん一番いい形で、伝えることが出来ました。

翌日の今日、母から電話がありました。
いつもキリキリしていた弟が、まだ一日だけど、
私に合った後から随分穏やかになったとのことでした。

母は「いつもと違うけ気持ち悪い」と言ってましたが、
「ことさん(祖母)が年中人前でお金の話ばかりしてても、
母さんにはごく普通の事にしか見えないように、
慣れればそれが普通になるよ。」
と言ったところ、わりと普通に納得してくれました。



たくさんの無駄な時間は土となり肥やしとなり、
その中に知らずに蒔かれてる何かの種は、
ベストなタイミングで、必要な誰かのところで、
何かの花を咲かせるようになってるようです。

いろんなグダグダが含まれっぱなしでも、
どんだけそうは見えない状況が何十年続いてたとしても、
きっと皆、ちゃんと順調に、何かのいい流れの中にいて、
きっとちゃんと、何かのとてもいい場所に辿りつき、
そしてまたどこかに流れて辿りつくんだと思います。

もちろん、今これを読んでくれてるあなたもね。





いつも読んでくれてありがとう


娘さんの洗礼

2010年11月09日 21時07分38秒 | 祈りの扉
先週末に私の弟の結婚式があり、パパさんと娘さんと3人で、
福岡に帰ってきました。

関東人から見ると、福岡という国はまさに異国そのもので、
ほんの少し車を走らせるだけで、あらゆるカルチャーショックが
パパさんをばしばしぶん殴ったようです。

私のも昔の仕事上、何百回と結婚式は見てきましたが、
あらゆるお初な風景が、特に私の家側の親族に多く見られ、
私の叔父が独自フォーマルスタイルゴルゴ松本になっていた等、
まだまだ世の中知らない世界がいっぱいある事を、
私の親兄弟にものすごくお勉強させていただきました。

そしてそれは娘さんも例外ではありませんでした。

生後半年の娘さんは、超田舎ののんびりした町で生まれ育ち、
話しかけてくれる方々の平均年齢はおよそ70歳という、
本当にのどかな空気の中、ほとんどの時間を
私の目の届く場所だけで過ごしてきました。

それなのに、まずは初の飛行機搭乗で先制パンチをくらい、
結婚式場に着くなり、初対面の私の母にいきなり拉致され数十分。
親族控え室では不思議なゴルゴ松本とのご対面があり、
今度は別の弟がいつのまにか拉致。
しかも怖い顔のおじさん集団の中に突撃させられてました。

ただでさえ人も車も建物もいつもの何百倍な場所で
数日間過ごすことになって大変だったでしょうに、
一般的な大人でさえも、かなりショックを受けかねない状況に、
生後半年で投げ込まれた娘さん。

それに、滞在先では私の不注意でベッドから落っこちてしまい、
たんこぶで済んだものの、人生最大のギャン泣きが延々続き、
大きな病院に飛び込んでレントゲンを撮らされて、
本当に、本当に申し訳ない事までありました。



しかしそれでも、人の事を悪くしか言わないような親親戚まで、
娘さんの事は「かわいい」と「かしこい」以外は言わなくて、
旅行中ずっといろんな人にたくさん「かわいい」を言ってもらって、
「こんな可愛い赤ちゃん、久しぶりに見た」とまで言われて、
いろんな事はあっても、いろんな人からたっぷり愛情をかけてもらえて、
いろいろあったけど、よかったなぁとも思ってます。

ついでにお世話になった地元の病院も、たぶん世界的に見ても、
私が普段いる地域から見ても、ものすごく整った医療体制で、
小児科だけで年間4万5千人以上という数をこなしているという、
その凄さとか、なんか本当にものすごいニッポンを見た気がしました。

なんか本当にいろいろありすぎたせいか、
ほんの3日間で、娘さんのお顔が心なしか大人になった気がします。
いっぱい泣いたので、声も大きくなりました。
そしてママの私も深く反省・・・。痛かったね、ごめんね・・・。

今は静かな田舎に戻ってまったり睡眠中の娘さんですが、
いきなり身に降りかかった特大の洗礼は、
ジェットコースターの勢いで、娘さんに成長を促したようです。




いつも読んでくれてありがとう