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水俣病 もうひとつの要因

2011年05月23日 21時45分25秒 | ★環境★
水俣病

環境汚染による食物連鎖によりひきおこされた人類史上最初の病気であり、「公害の原点」といわれる。(2009年9月4日朝日新聞)

1956年に熊本県水俣市で発生が確認されたことがこの病名の由来であり、英語では「Minamata disease」と呼ばれる。この後、新潟県下越地方の阿賀野川流域で昭和電工が起こした同様の公害病の病名も水俣病であることから、これを区別するために前者を熊本水俣病、後者を第二水俣病または新潟水俣病(にいがたみなまたびょう)と呼称する。ただし、単に「水俣病」と言われる場合には前者を指す。水俣病、第二水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくは四大公害病とされ、日本における高度経済成長の影の面となった。

wikipedia 水俣病の項目より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85



少し話がそれますが、先日、私は福岡県北九州市の
環境ミュージアムというところに行って来ました。

上記の説明にある「四大公害病」には入っていない為、
全国的には意外と知られてないようですが、
かつて八幡製鉄所が隣接する洞海湾は「死の海」と呼ばれ、
おそらく世界でも最大級の環境汚染が起こった地域です。

ちなみに北九州市は全国で初めて、
公害により学校が閉鎖した場所でもありまして、
私はその学校と合併した小学校に、合併の翌年に入学しました。

環境ミュージアムには、当時から現在の海の状態が見られる
海水の標本が展示されていました。
当時の状況は重油事故を思わせるほどに
真っ黒でべっとりとしていましたが、
その後の対策により、驚異的なまでの水質改善がなされ、
今では多くの魚介類が生息しているそうです。

ところで、こんなにもひどく汚染された場所があったのに、
どうしてそこは四大公害病に入るほどの何かが起こらなかったのか?

実際のところ当時の北九州市では、おそらく四日市ぜんそくに
匹敵するほどの喘息患者がいたとは思うのですが、
水俣同様水銀の流出もひどい状態の中、水俣病と同じような
症状を訴える人はいなかったそうです。

それはなぜか。

海が汚染されすぎて、全く漁が出来ない状態だったからです。



ここで水俣病の話に戻りますが、詳細は上記のリンク先を
参照していただくとして、水俣病が発生したもうひとつの
大きな要因はここにあったそうです。

つまり、水俣ではそこまでの水質汚染が見られなかった為、
人々はそれまでと変わらず魚を獲り、食していたと、
そういう事なんですね。

もちろん当時の水俣の方々にも、それまでの生活があり、
公害についての情報もそんなには無い時代で、
今まで大丈夫だった海がそんなに危ない場所なわけが無いと、
地元の方々はそう思っていたことでしょう。

昨年の2010年4月16日には、水俣病被害者の救済及び
水俣病問題の解決に関する特別措置法の救済措置の方針が
閣議決定されていましたが、まだまだそのような措置を
必要とする方がいらっしゃるんですよね。
本当に長い長い戦いだったと思います。



この話は環境ミュージアムの職員さんに聞いた話を元に
書かせていただきました。
このような事例があるということを、
少しでも多くの方に知っていただければ幸いです。



読んでくれてありがとう