前回の記事について、「たかだか4年程度のキャリアで、20年選手、30年選手を差し置いて何を意見しているのか?」という感想をいただきました。
確かにあの内容を語るには、バス運転士としての年季が足りないかもしれません。
とはいえ、誰かが業務を通して気付いたことをインターネット上に残しておかないと、実際に起こった際に混乱するかと思ったからです。
結構日本は、「想定の範囲外」と弁明しながら、本当に想定すらしてないことが多いです。
「実際に事が起こることは、ありません。」と頑なに信じる人もいます。
私がバス運転士の仕事を選んだ理由は、日本型組織が残る稀有な業界と思ったからです。
もちろん、日本型組織が全てよいとは言いません。
しかし、戦後の日本人の手で作り上げてきた善くも悪くも集大成のような気がして、大切にしないといけないと思ったからです。
バス業界は、日本型組織の史跡保存会の役割があるのかもしれません。
出来れば、この日本型組織を後の世も日本人に継承されれば幸いと私は考えています。
外国人には、日本の暗黙の了解や地元の先輩後輩関係、年功評価、独特の慣習など意に介さないでしょう。
たとえ同じ東アジア系の外国人であっても、日本人と同じには難しいと思います(ただし、旧日本領の韓国と台湾、旧占領国のアメリカの一部には、期待してはいます。)。
高齢化解消の手段として、外国人受け入れが叫ばれていますが、安易な受け入れは日本型組織の善いところまで潰す可能性があります。
出来れば、日本人で固めて、日本人の手で今後もバス業界が運営されることを切に思います。
私だって、この歳まで遊んで生きてきたわけではないのです。