私のブログも何とか1年あまり続いています。このブログの提供会社のサービスの一つに私のブログにアクセスした方がどのような検索で私のブログにたどりついているかがわかる情報提供システムがあります。(勿論、どなたが検索したかはわからないのですが。)時々、私は興味を持ってそれを調べて見ることがあります。一昨日「If I were dead」(もしも私が死んでいたしたなら)というキーワードの検索をされて私のブログにアクセスした方がおられたのに気付きました。私は驚きませんでした。時々このキーワードで検索をされる方がおられるのに私は以前から気付いておりました。さらに「ローマの休日 If I were dead」のキーワードで検索がされていました。このキーワードでは何と私のブログが第1番目に選ばれて来ていました。
私の対象となるブログ「米国イサカからのお便り」(2005年2月18日)を引用して見ましょう。
(50年も前に私が、大学に入学した最初の語学のクラスでの「コンパ」の時に、各々が自己紹介をした時に、東京出身のある女子学生が自己紹介に代えて英詩を暗誦したのに田舎の高校出身の私がびっくりしたことを私は書いています。
そして、そのブログで私が浪人時代に見て感激したオードリー・へップバーンの米映画「ローマの休日」の中の一場面を思い出しています。」
以下私のブログ「イサカからのお便り」の引用です。
「余談だが、オードリー・ヘップバーンのあの映画「ローマの休日」で、睡眠薬で道端で眠っているアン王女がなにやら詩を口ずさむ。シナリオを見ると、こういう詩のようだ。
「If I were dead and buried and I heard your voice-beneath the sod ,my heart of dust would still rejoice」
(我死して埋められるとも、君が声を聞かば・・・土の下に眠る塵なるわが心も、なお喜びに震えん)
そしてアン王女は、ジョー(グレゴリー・ペック)に “Do you know that poem?” と尋ねる場面がある。 そしてジョーのアパートでアン王女が
“Arethusa arose from her couch of snows, in the Akraceronian Mountains.”
(アリシューザはアクロシロニーナの山々の、雪の長椅子から立ち上がらん。)と口ずさみ、そして” Keats” という。
ジョーはそれに対し “Shelley” という。
アン王女はそれでも”Keats”という。
この映画では、ジョーは詩を正しく解するレベルの人間だということを観客に示す小道具のようだが、面白い。
このシナリオの解説によれば、ジョーの言っている"Shelley"の方が正解なのだそうだ。(マガジンハウス社CINE-SCRIPTによる。)
どうも詩の吟誦も紳士淑女の条件の一つであるようだ。 映画「ローマの休日」の新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が、ただのポーカー好きのやくざな新聞記者ではなく、詩の吟誦もやろうとすればいつでもできる教養ある若者、紳士だと知ってこの映画を見るとひときわ味わいが増すだろう。ジョーはアン王女の相手役たる資格があるというものだ。」 引用おわり
「If I were dead」を検索された方はどのような方でどのような目的で検索しておられるのでしょう。
もう数年前に亡くなった私の友人の英詩が専門の英文学者だった出淵博君に「If I were dead」について 聞いたら彼はきっと薀蓄をかたむけて彼らしく親切に教えてくれることであろう、と今は亡き友を偲びました。
躑躅の咲きみだれた大学のキャンパスを懐かしく思い出しました。
そういえば、また今月末に一年に一度の大学の語学のクラスのクラス会が開かれます。
懐かしい顔を見たり、懐かしい友人達の消息を聞いたりするのが楽しみです。
画像:筆者撮影
私のブログを見て頂き有難うございます。
If I were dead は、そうでしたか。ご説明を聞いてよくわかりました。
山の名前まで調べるというのは徹底していますね。
翻訳というのは、それくらいの心構えでやる必要があるのですね。
持田季未子先生は「翻訳という営為こそ芸術や文化を新たに作る原動力であり、文化をより豊饒化するメカニズムであると言えそうである。」と言っておられますが、本当に大変な仕事なのですね。
山の名前のこと、何でも知っている米国イサカのI先生に私も聞いてみたくなりました。
Graceさんの一層おご精励をお祈り致します。