#741「岩谷久生 鎌倉掃苔録1」よりつづく
昨日の東京での詠帰会の月例会の席上で岩谷久生先輩にお目にかかり、お願いして同先輩の鎌倉掃苔録の一覧表を頂き、このブログに掲載するご承認を頂いた。
以下がその一覧表である。
岩谷さんはこのすべてをご自分で訪れておられる。 あらためてすごいと思う。
鎌倉の墓
H.23.8.1 . . . 本文を読む
「Time flies.光陰矢のごとし」とはよく言ったものである。特に年をとって行くとそれが言える。
このブログのためと書きかけていた文章が、書き終わらないうちに2カ月たってしまった。
完成と言えないままに、一応ブログに載せておこうと思う。
先日、鎌倉淡青会の三金会に初めて参加して来た。鎌倉円覚寺の坐禅でご一緒の岩谷久生先輩が話しをされるというので是非聞きたいと思い参加したの . . . 本文を読む
#726 「伊豆稲取の吊るし雛見学(SCS)」からつづく。
伊豆稲取温泉でのシニアシチズン湘南(SCS)の仲間での楽しい1泊の話はまたいずれすることにしよう。
次の日の朝、河津桜を見るために、タクシーに分乗して河津駅まで行った。
そこから、歩いて河津桜並木を歩いた。
まだ2月なのに、冷たい風の中、桜が見事に咲いていた。
1週 . . . 本文を読む
数日前、シニアシチズン湘南(SCS)の行事に参加して伊豆稲取で吊るし雛を見て来た。
たまたま美男美女6人づつの一行。まるで合コンのようだと言う者もいた。
一行の隊長はSCSの近藤滋会長(ペンネーム Kondo Fujisawa )。私達のパソコン、ブログ、ホームページ、写真、ビデオなどの師匠だったが、この2~3年、興味の対象がフライトシミュレーターに移ってしまい、それに熱中するあまり、私達への . . . 本文を読む
大分夕方になって来た。一行は大塔宮護良親王の墓を出発して一路金沢街道に出て東に歩く。やがて滑川を渡り、朝比奈切通しの入り口に着く。
ここで幹事の丹生谷先輩がみんなを集めて記念写真を撮って下さる。私も入って撮って頂く。
朝比奈切通しは朝夷奈切通しとも書いてある。
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#249回 旧制一高歩く会 随行記」6(鎌倉 源頼朝の墓) から続く
頼朝公園で弁当を食べた後一行は鎌倉宮に向かった
鎌倉宮は、明治二年に大塔宮護良親王を祭神に親王の終焉の地に明治天皇により創建されたと案内書にある
時間の関係もあるのか、私たちは社殿の前まで行かず、鳥居のあたりから拝礼して次の目的地に向かう。
大塔宮護良親王(1308-35)は鎌倉幕府 . . . 本文を読む
私たちの坐禅の会「和光会」の忘年会の前に、私たちは願行寺(東京都文京区向丘)に集まって2時間ほど坐禅をした。
このお寺は浄土宗のお寺であるが、私たちが学生時代に本堂をお借りして坐禅をさせて頂いたお寺である。その後も永く和光会の坐禅の会に使わせて頂いた。
この日の坐禅には、三上恭平、木村皓一、岩谷久生、阿部敏夫、平館孝雄、土居征夫の皆さんが集まった。私、佐藤元則も . . . 本文を読む
「腹切りやぐら」を見た後で一行は小町通りに出て、北条一族を弔っているちう宝戒寺の門前で中をちょっとだけ覗いて次を急ぐ。
横浜国大付属の小学校中学校の門にぶつかって右(西)に曲がる。
私の孫がこの学校でお世話になっている。その関係でこの学校(小学校)の運動会を何度か見に来たことがある。
生徒に運営をまかせ、広いグラウンドでののびのびとした運動会は見ている方も気持ちがよい。
プログラムの毎年、 . . . 本文を読む
妙本寺を後にして一行は小町通りに戻り、若宮大路の東に若宮大路と平行した南北の道、小町通りを北行し次の目的地の「腹切りやぐら」に向かう。
途中右手に「日蓮上人辻説法の跡」がある。
& . . . 本文を読む
#697 一高「歩く会」随行記3 「鎌倉妙本寺」←からつづく。
3人の幹事のお一人の丹生谷龍幹事が説明をしておられる梅田健次郎幹事に「袖塚、袖塚」とおっしゃっている理由は、私にはよくわかった。
幹事は上記の二人にもう一人篠塚敬幹事(大先輩とお呼びすべきであるが)がいらっしゃる。
幹事さんから頂いたプリントには、妙本寺について、次のように書いてあった。
「妙本寺
源頼家の側室・若 . . . 本文を読む
#696 249回「一高歩く会」随行記2(鎌倉大巧寺)からつづく。
一行は小町通りを横切り妙本寺に向かう。
妙本寺へ向かう
鎌倉の中心地とすぐ近いのに、山の中に入ったような気がする。
比企谷と呼ばれる場所である。
両側の大きな木々。山門。静かで広い境内。
境内 . . . 本文を読む