ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

8/29 私がもらった嬉しき言葉

2009年08月29日 03時40分58秒 | ショウという名の宝物
今日、Hさんがメールをくれた。
たぶん、昨日のブログを見たのではないでしょうか。

ショウちゃんは、あなたと生きる運命だったんですって。
ショウちゃんは、あなたといて幸せだったと私は思う。と。

幼少期、ショウを最も可愛がってくれたのがこのHさんでした。
私は、こんなに早くショウを死なせた事を申し訳なく思っていた。

良かれと思ったことが裏目にでた気がしたから。

Hさんにそう言われて、私はやっぱりショウとの時間は間違いじゃないと
私と共にいたショウが幸せだったって思いたくなった。

ショウの兄弟のジュニアも大ちゃんも怪我をして姿を見せなかったりという
事があったそうです。
それに引き替え、ショウちゃんは全然、幸せだと。

話は変わって
誰かに元気になれと!言われても今は元気になんかなれず
むしろ、追いつめられるだろうと思っている。
でも、それを知ってか、私の周囲の人は私にそれを言わない。

たかが猫の死でいつまで落ち込んでるんだって言われるんだろうなって
想う。
実際、想ってる人もいると思う。
でもね、私は、想う。幼くしてわが子を亡くした人に向って
「たかが子供の死でいつまで落ち込んでるんだ」って
言えますか??と問いたい。

私は口が裂けても言えない。
どれほど、その人が苦しいだろうと思うから。
私が思うよりはるかに苦しいだろうと思うから。

ショウを猫だと言わないでほしい。
猫の形はしていたけれど、ショウは紛れもなく
わが子なのだから。

8/29 2007年11月上半期の出来事

2009年08月29日 03時02分14秒 | ショウの生きた証
2007年11月1日
10月末に「祝!陰転!」の結果をもらったが、しぶとい私の再検査により「陽性」が確定。
残念ながら持続感染が確定した。

がっかり・・・を通り越して、こんなずさんな検査をした検査センターに怒りをあらわに。
何回、わが子の血を抜いて、何回お金を払わすんだよ!と激戦したのも
まだ記憶に新しい。

11/2
コウがまた部屋で寝るようになった。
ケージ越しに喧嘩をしていたが、どちらかが怒ってるかと言うとコウだった。
それでも、私と寝たいのか、「僕の部屋なんだから」という表れか。
コウは、嫌なんだろうけど、コウは自分のエリアを譲らない。

11/5
ショウ、こんなに大きくなったんだね。
と私はうれしくて、写真に並んだショウを撮影した。

骨髄に潜み続ける憎い「白血病ウイルス」
悪いのはショウじゃなんだ。
悪いのはこのウイルスなんだ。
まだまだ、そう遠くない未来に訪れる「別れ」に涙を隠せなかった頃。

ショウはとにかく遊び好きで、こちらがへとへとになるまで
付き合わされたものでした。
ただ、私は、気が付いていた。
ショウが遊んだ後、ハアハアと息を切らすことに。

獣医にも言ったが聴診で問題がなかったので、結局、心配しつつも安心してしまった。

ショウのすべてが愛しくて、可愛くて、どんな姿も可愛くて
私は、どんどん、ショウを愛していく。

11/6
コウがベッドに普通に帰ってくる事となる。
ショウの爪切りの練習(二週間はかかった)の成果で
ショウは四肢すべてを抱っこで爪切りさせてくれたのもこの頃。
白血病の猫との同居についてはこちらからご覧ください。

11/7
ついにベランダケージデビュー

日の光を浴びてほしくて、こんなに大きな猫がカラスに襲われるわけないだろ・・・
今思えばそうなんですが、とにかく過保護な私はネットまでしちゃったり(笑)
ショウはちょっぴり興奮気味だったけど、外の風、匂いを堪能してしました。
ここは三階に設置されたケージでした。
ショウの部屋は一階。
二階にリビングがあるので、もう抱っこは出来る様になっていたが
行く事を許されない部屋を見せてしまうのは、ここへは行かせてもらえない
ストレスになってはいけないと、わざわざ、キャリーに入れて、見えない様に
連れていく。

知らない場所より、私の腕の中が安心の様なショウ。
私はね。嬉しかった。
抱っこにも私にも慣れたショウ。

ショウはすごい。
凄いんだよ。ショウ。
11/10
コウはストレスから酸球肉芽腫を発症した。
実際、ショウを引き入れた事のリスクは確かにあったのです。
コウを今まで以上に可愛がり、許してくれと。
共存してくれとなども頼んだ。

そしてこのあたりから、ショウは私のベッドに私が寝てると上がってきて
足元あたりだけど、一緒にいるようになる。

11/11の写真。
どこにいても、すんなり捕まるようになる。
体重も順調に伸び、元気だけど、時折、結膜炎になったりた。

11/13
ショウを何とかリビングデビューをさせたくて、ハーネスを買ったり
リード買ったり、本人は大迷惑だと思うが、いたれりつくせり。
この頃からショウは、自分は夜はケージで寝ないといけないと知っているみたいに
自ら夜ケージに入ってる。
その姿に胸が苦しかった。

なんで、こんなにいい子が白血病なんだろう・・・
そう私は涙した。

11/15
ショウに噛まれる。
噛まれるのは日常茶飯事でしたが、油断していた。
がぶっと。
でも、悪いことした事にショウは気がついて、反省してるかの様に見えた。

これが11月上半期の物語。
ショウは急速に我が家へと私へとコウへと慣れて行った。
その背景にあったものは、きっと私の諦めない根性。

噛まれても引っ掻かれても、それでもショウが大好きで
私は理解なんか猫は出来ないって思う人いるかもしれないけど
「ごめんね。でも、私は大丈夫だよ。怖がらせてごめんね。」
「でも・・・仲良くしたいんだ」

私はやられても、やられても言い続けた。
それをショウは分かってくれて、ちょっと怖いけど
いいよって言ってくれたみたいに思えた。

8/28 ショウのアルバム

2009年08月28日 05時20分59秒 | ショウの生きた証
ショウの写真を現像に出した。
写真枚数は600枚以上。
その中から400枚を現像した。

たったの二年で400枚とは恐ろしい枚数だと改めて実感する。

まだ年代別には並べられていない(まだ初期の頃を現像中なので)
年代別に並べて、コメント書ける場所があるので書いていこうと思っている。

そしてショウの写真立てを作った。
でも、ちょっと失敗だったと出来上がって思った。
作品が失敗なのではなくて、素材。
ガラス素材は素敵なんだけど、うちは猫が沢山いるから、倒される可能性が高い。
なので、設置場所に悩んでいます。

「あなたは私の特別な人」
というメッセージと私とショウの名前を入れました。
日付は命日になっています。

写真は、これは仮で、私とショウの二人の写真を入れるつもりでいます。
こうしてショウを私は想い出へと変えていくのでしょうね。

まだまだ、想い出に出来なくて
部屋をのぞく度、ショウを探してしまう。

一日一度、必ず見るショウの誕生会のビデオ。
これもブログに載せますね。

一応、書いておこうかな。
たとえば、明日私が車にひかれて死んでしまったら
ショウのアルバムは私の棺にいれて欲しい。

ここに書いておけば私のお姉ちゃんがそうしてくれる筈。
絶対の未来はない。生命には終わりがあるのだから。


8/28 だけど私は愛してる

2009年08月28日 04時08分09秒 | ショウという名の宝物

今日、元町の飲食店のお姉さんHさんからメールがきた。
(ショウに幼少期ご飯をくれていた人)

ショウの母も、おそらくショウの上の兄弟と弟ジュニア健在です。
というメールでした。以下はHさんからもらった写真。
ここ3-4日のものだそうです。

(ショウのお母さん 推定10歳)

(ショウの一歳くらい年上のお姉さんかな?性別不明)

(ジュニア半年ほどショウより年下)

正直、複雑でした。
純粋にみんなが野良の中でも幸せそうにしてる事を嬉しく思っていた。
だけど、その反対側で

どうしてショウだけが死んでしまうんだろう。
どうして・・・?一番の幸せ者ではなかったの?

保護というのが間違い?

そして、夜見かねた、うちの地域ボランティアRさんがやってきた。

私は聞いた。

保護は幸せなんでしょうか?
家に入れて、早く死んだって事はないんでしょうか?

間髪入れずRさんは少々あきれ顔で言った。

 今はいいわよ。季節がいいから。
 冬の寒空でも雪の寒い日も大雨の日も、ご飯をもらえるのをずっと待つんだよ?
 外敵に怯えながら、時には人に苛められながら。
 それが野良猫なんだよ?
 このあたりみたいに地域猫が確立されてればいいけど違うなら最悪よ。
 家に入れて死んだなんて言うのは結果論でしょ。
 結果論でいえばどんな事も合致してしまう。

そう言い、そしてこう続けた。
 
 私がどんなに多頭飼育なんだから、これ以上増やすなって言っても  
 どうしても気になるんです。
 里親探しもしてたけど、やっぱり捕獲器貸してくださいって言って
 保護して病気だって知ると溺愛してたじゃない。
 一生懸命やってくれたわよ。
 それを保護して死んだなんて・・・

私は少し訳が分からなかった。
何が正しいのか、何が間違いなのか。
それは、ショウの死を責められたからなのです。

確かに、保護から半年は自由に太陽を浴びる事はなかった。
私がベランダケージに連れて行っての日光浴だった。
だが、保護から半年以降は、出してあげてた。

そして、同じ親から三匹の猫が生まれて
そのうち二匹は里親さんがついたけど、一匹だけは慢性的な口内炎があり
同じ環境で育ったのに、人に懐かず里親に出せず、Rさんが引き取った話を聞いた。
その猫ちゃんは、慢性的な口内炎だったので通院はしょっちゅうだったそう。
だけど、兄弟たちにそれは見られなかった。
そして四歳で他界したと言っていた。

その母親猫にも里親がつき今も健在
兄弟たちも健在

同時期の子たちでも、これだけ差がつくんだから
妊娠している時の母猫の食生活、ストレス、環境で
大きく差がつくのは仕方がない事を言っていた。

おそらく近親で生まれているショウの場合、良い場合はその遺伝を強く受け継ぐが
悪い場合は強く悪い遺伝を受け継ぐ事もあると。

納得は出来たのですが、なんでショウだけ・・・という残念な思いは消えない。

そして彼女は続けた。

 ショウちゃん、幸せだったじゃない。
 あれだけ早く順応したのは、あなたの気持ちを理解していたんだと思うわよ。
 シッターに来た時も、いい子だったもの。可愛いし。
 上目線だったり(保護してあげたのよ。またはあたしがボスよ)すると
 猫は敏感に感じ取ってうまくいかない場合が多い。
 どんなに言葉で「大丈夫よ~」なんて言ってても心で違う事考えてると
 ばれちゃって駄目よね。

環境に素早く慣れた子は幸せだと言っていた。
環境になかなか慣れない子も数多く見ている彼女。

ショウの爪切りが出来るまでの時間や抱っこまでの時間を聞かれた。
  それは早いね!と驚いていた。
いくら子猫とはいえ、もう五か月が近い子で保護当時の状態を考えれば
早い順応だといえるのだそう。

更に電話で話をした。
ショウは本当に幸せだっただろうかという第三者の目線。
彼女は私に言った。
 
 あなたからの相談は大抵、ショウちゃんの事だったよね?
 病気の事や、動物病院の事、旅行中だって、何度も電話くれて
 大丈夫?元気にしてますか?ご飯食べてますか?って何度も。
 大丈夫だから、遊んできなさいよって言っても、心配そうにしてたじゃない?
 保護当時も血だらけになっても、何されてもショウちゃんが可愛くて仕方ないって
 そう、言ってたよね?
 その気持ちを十分に理解して愛された分、ショウちゃんは素直にいい子に育って行ったよ。
 それは見てるから知ってる。

そう言ってくれて、心から霞が少しとれた気がした。


保護から二か月で私の隣が大好きになってくれたショウ
ショウが私を好きでいてくれてるって心から実感した時。

私ばかりが幸せだったのかと思ってしまったのです。
ショウが幸せだったって思ってたのは独りよがりだったとしたら
もう、目も当てられない。

私のせいでショウが死んだとしたら、私は何を信じて生きればいいんだ?
私はそう思う。
ショウだけが私の独断で最初から最後まで育てた子だった。

誰かに相談はした。
でも、決定してきたのはすべて自分だった。
高度医療を目指すのではなく、ショウには適度な医療をと思っていた。
だから、石田先生の(ウイルス系に強い先生)動物病院には行かなかった。

あれこれ検査したところで白血病を治す方法がないのだから
極力、病院通いを避けさせたのは事実。

こんな想いをするのなら、保護しなきゃよかったか・・・
その自問に、私は一日中考えてこう結論した。

私が間違いだと仮定しよう。
だったら、ショウと一緒にいたかったのは私。
それが罪だというのなら、その罰を受けよう。

たったの二年弱でも私はショウと居たかった。
今日のところはそれでいい。

間違ってなんかいない!なんて胸張って言えないけど
私は・・・ショウを愛してる事に偽りなんかない。
だから、私はショウとの日々を間違いだったなんて言いたくない。
たとえ、私が殺してしまったとしても、私は、あの素晴らしい日々を
間違いだったなんて言えない。

それが独りよがりの愛情でも、今は私には言えないのです。

ただ、悔しい。
私なりの一生懸命が否定される事も
ショウを失った悲しみをえぐられる事も

だけど私は、それを抗議する気にも弁明する気もない。
それなら、それでいい。

だけど私はショウを愛してるのだから。





8/25 ショウがいない それは悲しみじゃなかった

2009年08月25日 01時47分47秒 | ショウという名の宝物

ショウがいなくなってもう10日以上経過している。
私は生まれて初めて感じる感情を整理できないでいる。

それは「恐怖」


存在が確認できないことへの恐怖といえばいいか・・・

幾つかの別れを経験してきた。
最期を看取ったのも、これで三度目になる。
愛する父との別れもあった。

どこから来るのか・・・怖くて仕方がない。

-----ショウがいない-------

このたった一言が私を恐怖の底へと突き落とす。
らしくない。
まったく、私らしくない。

本当は私のミスで死に追いやってしまったのではないか
本当は私に保護された事を憎んでいたんではないか

訳の分からない被害妄想である事も承知しているのに

-----ショウがいない-------

怖くて仕方がない。

震えてしまうほど怖くて仕方がない。
喉がカラカラになって、心臓が早く鼓動しているのがわかる。

涙も出ない。
ショウが傍にいない事が怖い。

病んでいるとアピールするのは好きではない。
病んでいるとか、そんなのではなく純粋に、ただ怖い。

コウはショウの場所をあけてくれている
おそらく、ショウはまだここにいる。
なのに、見る事も触れる事も出来ない。

それをただ悲しいと思っていたのに
前を向いていたのに

これが本当の悲しみなのだろうか・・・



8/24 猫白血病 そして死

2009年08月24日 04時57分51秒 | 白血病
検索ワード二番目に多い白血病猫の死について

あくまでも私の考えです。

死とは生ある者すべてに平等に与えられている。
誕生と同時に生き物は死へと向かう。

これは避けられない事実であるということ。

車に轢かれて死にいたる命もあれば
病気で死にいたる命もある。
長い時間生きられる命もあれば、短い時間しか生きられない命もある。

白血病、猫エイズなどは、治療方法の確立されていない病気であること
そして、伝染性であることから、忌み嫌われる病気である。
その中でも白血病はまさに恐ろしい病気と思われる。

長きに渡り生きられる事を幸せと呼ぶのか
短い季節ではあったが、太陽が煌めく様に駆け抜けていった命を幸せと呼ぶのか。

その価値観は人それぞれ。

獣医は言います。
リスクのある猫の貰い手は非常に少なく
気になって問い合わせてくれても、やはりいつくるか分からない死を懸念して
里親を断念するケースが多いと。

確かに別れが近いかもしれない子ですよと言われて飼うのは辛いことです。

私から言わせてもらえば、近いかもしれないと期限を切られている分
それなりの対応に自然となり、後悔のない死を迎える日が来る。

ショウはまさにそうでした。
残念である事は間違いないのですが、誰をどんな形で亡くしても
やっぱりわが子の死は残念なのです。悔しいのです。

二度と会えないこの覆面、チョビひげのショウ。

実は私、黒系のネコは好きではありませんでした。
なんか、不吉というか、怖いイメージがあったんです。
でも、全然違うじゃないか!

だから、ショウに次も分かりやすように、黒ずきんをかぶって来てねと
仏壇で話す。

猫白血病だから死ぬのではないのです。
生きているから死ぬのです。

恐れないで欲しい。
短いと時間を嘆くのではなく、短い時間をどれだけ輝かしいものに出来るかを
考えてほしい。

そして、三歳までに発症すると言われている白血病。
発症しなかったらラッキー!!!と。また慈しみ生きればいいのです。

発症しないで生きてる子、沢山います。
だいたい、うちのショウだって発症じゃないのかもしれないし。
もともと、病気のデパートだったから、ちょっとのことが重篤になってしまっただけ。
かもしれないし。

死にとらわれるのではなく、今ある時間を大切にしてください。
傍にいられる今この瞬間を大切にしてください。


8/24 猫白血病と健常猫との同居について

2009年08月24日 03時25分13秒 | 白血病

最近、検索ワードで多いのが白血病キャリア猫との同居。
そして死。

なので私の考えを記載していおきます。

まず、同居について。
うちにはアメリカンショートヘアーとスコティッシュホールドが二匹
三毛猫が一匹の計四匹の多頭状態でした。

縁もゆかりもない子ならこの状態で引き入れる事は100%しない。
白血病ワクチンにはリスクが問題視されているからというのと
ワクチンは80%程度の有効性しかないということ。

混ぜてしまえば、危険であるということ。

 
だから当時、混ぜる事はしなかった。
日の当たらない半地下の7畳がショウのテリトリーだった。
ベランダに三段ケージを設置し日向ぼっこをさせたり
色々な努力をしてみた。

でも、やはり一部屋に閉じ込めておくのは可愛そうだった。
二階から聞こえるみんなの運動会の音を聞きつけて
ドアの前で寂しそうにショウは座っていた。
それと同時にコウもまた開かないドアの前に座ってさみしそうにしていた。

保護から三か月も経つと私の見解は変わっていった。
ショウも保護された猫から家族へと変わっていたからだった。
歩いた後を他の子が歩いたからうつる可能性はゼロではないが
極めて低い事。


だからショウを家のすべての場所にこうして抱っこで連れて行った。
ショウは怖がって最初は私の膝からおりなかった。

こうして一か月くらいをかけ徐々に慣らしていき、ショウは各部屋を自由に行き来する様になる。
ただし、夜だけはケージで寝るのは変わらない。

日中は水をすべての部屋から取り上げないとショウにのまれてしまうので
それだけは十分に気をつけた。

コナンは水飲み場に座り、水をくださーいと言わんばかりにじっとするので
水を出してあげる。

ショウは定期的に自分の部屋へ行き「パムー」と鳴いて知らせる。

白血病のネコとの同居は少しは気を使うがそれほど難しい話ではなかった。

だいたい、通行しただけで感染するだのってなったら
人間の靴底から幾らでも感染源を持ち込んでいる事にもなる。

可能性を考えたらキリがないのだが、それほど考える必要性もまたない気がする。

ウイルスは空気中では数分から数時間しか生きられない。
ただし湿った場所では生きられる。
だから食器、トイレの共有が駄目

これさえ理解していれば問題ないと私は経験者として思う。

でも、恐れてしまうんですよね。
私だってそうだったのですから。
今の私みたいな人見かけたら、なんて無責任な!なんて当時は思ったと思う。

でも幽閉してしまうのはどうかと私は思う。
私は私の判断は正しかったと思っています。
幽閉せず、自由を与えた事によって、コウはショウがほかの部屋へ行っている間
自分の部屋だった私の部屋(ショウの部屋)を使えたので満足していたし

ショウもまた他猫たちとの社交性を身につけていた。


ショウが闘病へと入っていた時の写真。
運転中にうるさいので、出してやるとリアシートの母のところへ行ってみたり
また、私の膝に乗ってきたり。
でも、おとなしいのでショウを乗せたまま運転。

隔離しなくてよかったと今は思う。
ショウがおりこうだったというのもあります。
先輩猫に喧嘩をふっかけたりせず、でもちゃっかり、居心地のいい場所を
陣取っていたり。

不思議とうちのネコたちはショウにだけは譲ってくれたという
ありがたいエピソードがあって成り立ったショウの生活。

今でも不思議に思うのがコウの態度だった。
とにかく、私にくっついて回るコウにとって私とコウの部屋の侵入者は許せないものだった筈。

私が家にいない間は部屋には絶対入れないので部屋の前で
さみしそうにコウは寝ていたと母は言う。

私が動けばどんなに熟睡していてもくっついてまわる。
コウは忙しい。

2009年8月2日
ショウの容態が激変してきた頃。
コウはいつもの自分の場所ではなく私の居場所を陣取る。
時折、ショウに近づいては頭をなめていた。

いつもならダメダメ!と引き離していたのですが
私は見ないふりをしました。

コウはコウなりに心配していたわっていたのだと思います。
大嫌いだったショウをたった一か月程度でコウは大好きなショウへと
心を変えてくれた。
他の子がショウにちょっかいをかけると まるで自分の子を守る母親の様に
他の子へと立ち向かっていきました。

うちのボスはコナンなのですが
コナンは体が大きく、顔が大きいのでボスになってしまった
という感じで本人は「俺がボスだ!」という意識はまるでない。
ただ、真央が入ってきた事でコナンはボスということを意識したと思う。

コナンが可愛がっているのがコウ
そのコウが可愛がっているショウはコナンにとっても守るべき対象なんでしょうか。

ショウは誰にも苛められず、のびのびと暮らせたのは間違いありません。
キーマンはコウだったと思います。

九月中ごろにはもう一度コウとコナンの白血病ウイルス検査をします。
特にコウは仲良しだったので検査の必要があると思います。

目が合って、手放せなくて同居ということを調べてる人がいる。
私はショウとの未来は残念ながら語る事ができない。

でも、ショウと生きた短い季節を語る事は出来る。

ショウの様に幸せになってもらいたい。


8/24 ショウの夢

2009年08月24日 03時22分22秒 | ショウと私のあれこれ
昨日は、24時間眠ってしまう眠り姫状態となっていた私。
母心配そうに部屋にやってきて「・・・・大丈夫?」と声をかける。
「・・・うん。大丈夫」
なんでか分からないが今も体に力が入らない。
疲れが今頃出たのかもしれません。

そして、変な夢を見た。
ショウの夢を見ました。
川でぐったりした状態で流れていくショウ。

私は必死に助けようと川へ走って行く。
確かにうちの近くには多摩川があるが、見たこともない川だった。
でもなぜか私は狙われているらしく・・・まわりに制御されて川へ行かれない。

それを振り切って、私はまたショウを助けに行く。
するとぐったりしたショウが「助けて!」という顔で私を見ている。
私は川に飛び込み三匹の猫を救助した。
一匹はショウ。
あと二匹は外猫のチョビとカツラ。
実は、この外猫が具合が悪そうなのだ。

↑チョビ

↑カツラ♀
スープ系ならなんとか食べるがチョビは二まわり近くも痩せてしまった。
どうしてあげればいいのか・・・
オス猫でボスとして生きてきたチョビを家に入れる事はチョビが苦痛なのではないか。
ボランティアさんは言う。
確かにそのとおり。

野良として生まれ、生きたチョビは触れる外猫ではない。
そのチョビを労るかのようにカツラは傍を離れない。
二人とも食事を食べないのかと思ったらカツラは食べていた。

モンプチのスープだけをチョビとカツラにあげる。
カツラは来ない。
チョビだけが来て食べていた。
健気な二人。

その二人を案じていたから見た夢なのかもしれない。

私は三匹を救出して家に帰る。
チョビとカツラは母と同じ部屋にいて
亡き私の父と 姉たちと一緒にショウはいた。

ご飯を食べて丸くなって眠っていた。
私はかけより、ショウ!大丈夫??ショウ!と
声をかける。
ショウはゴロゴロ言って私にすり寄る。

涙目で目を開けた私は、ショウがいない事を実感する。
不思議な夢。

訳の分からない夢だけど夢で逢えてうれしさ半分
悲しさ半分。

8/22 ショウは病気のデパートでした。

2009年08月22日 05時53分53秒 | 白血病

悲しいからこそ、こんなお茶目なショウを載せちゃいます。

2008年7月撮影

下記記事は病気に関するう私の考えですので
つまらない記事かもしれませんので、飛ばしちゃってOKですよ。
ただ、

愛猫と幸せに後悔のない旅立ちを望む飼い主さんは是非、ご一読ください

猫白血病は二歳で死んじゃうのか・・・・とか
やっぱり駄目なのか・・・とかって私のブログを見ると思ってしまうだろうと思い
取り急ぎ、書きます。

ショウは猫白血病のせいで死んだわけではないと思います。
今日獣医さんと話していてわかりました。
診療時間終了後およそ二時間も私に付き合ってくれました。
感謝しても足りないほどです。おかげで知識が増えました。

ショウの発熱事態は白血病が原因かもしれませんが、普通はこんなに早く亡くなったりしません。
発熱があって、それが数週間続いて、一旦症状がおさまる筈なんですが
ショウの場合は、幼少期から大腸炎、回虫、細菌性皮膚炎、コクシジウム
とにかく一番は大腸炎になる頻度でした。
すべてが手伝いこのような結果となったと判断します。

うってかわって、病院で保護されているショウと同じ年のネコ白血病の子は
ショウの様に病気のデパートではないと知った。
何も病気をしないのです。
ショウが二歳三か月で亡くなったのはむしろ長く生きられたと考えられなくもないと
いうことです。

もしお家のネコ白血病のネコちゃんにうちのショウの様な病気がち傾向が見られたら、または健常であっても、一度くらい
血液検査もそうですが、レントゲン!お勧めします
肺、心臓だけでいいです。1ショットで十分。

1ショットなら金額も大したことありません。
それに、今日リサーチしましたが、レントゲンのリスクはほぼないとの事。
時折、麻酔をかけてレントゲンと聞きますが、麻酔なんてよほどじゃない限りしません。と医師は回答。

手遅れになる前に、心臓疾患に気が付いていたら出来た事が私にはきっとあった。
これが私の唯一の後悔です。

ショウの病気は一歳までは本当に多かった。
一歳から二歳まではワクチンと定期健診以外では目立ったものはありませんでした。
そして先天的な拡張型心筋症。
とにかく病気のデパート。

そして最も重要な出生の状態。

ショウがいた場所の近所の人の話によるとショウの母がショウを身ごもっている時、
ご飯をもらいに来たが、丁度そのころ近所から「餌やりするな!」と苦情を言われたんだそうです。
だから、餌やりを中断したと聞いた。

ショウは母の胎内にいる時、ショウの母親が十分に栄養がとれなかった。
ショウの母親が推定、当時8歳という高齢での出産だった事。
そして白血病。

すべてが悪い方向へとショウの運命は動きだした。
あのまま野に居たら本来なら、もう生きてはいなかったかもしれません。

ショウ保護後はHさんや近隣の方の餌やりが始まり
ショウの母親はえさ場をしっかり確保して暮らしていました。
そして、気がついたらショウの弟が生まれていた。

ショウより数倍美人さんだけど、親ばかショウママは
やっぱり、ショウが一番可愛い
さて、この子の出生時期はショウ出生から半年後。
秋に誕生した。
私はジュニアと呼んでいますが、ジュニアが母の胎内にいる時は
私もHさんもみんな、ショウがいたので、食事には母ともども困ってはいない。

そしてショウの葬儀の日、仕事場スタッフから「ジュニア生きてた!」と
メールがきた。

猫白血病ではあると思われるが、その他は健康なんだろうと思います。
ショウの分まで長生きしないとね!ジュニア。

大切なのは病歴。
蘭もよく大腸炎で通っていましたが、自律神経でなくなるとは・・・・

循環器官って聞いたことも何となく、みなさん理解してると思いますが
今一度、おさらい一緒にしましょう。(ただしあたしの主観。詳しく獣医に食い下がってくださいね)

循環器官の最も要である心臓。
この心臓の機能が低下するとまず打撃を受けるのが肺。
肺うっ血が見られてきます。
肺に水が溜まるってよく聞きますね。溜まるのは血液なんだと。

心臓から送り出された血液は→肝臓→腎臓→四肢へと送られます。

そして心臓のポンプ機能低下により、次に打撃を受けるのが肝臓
脂肪肝、肝炎を引き起こす。
肝臓へ送られた血液がさらに次に送り出せず、滞り肝臓が腫れる。

そして腎臓もそれとほぼ同時期に腎不全を起こす。
もちろん、もっともくるのが、手足の冷え(貧血状態へとなる)

心臓が正常だったなら、ショウは復活を遂げる事が出来たと信じてます。

心臓が駄目になってくると脱水を改善する、腎臓の為に行う輸液すら
無意味なものとなってしまうのです。

消化器官も大事ですが、消化器官は最悪、切除しその後も生存可能です。
うちの先代がそうでしたから。
心臓がどうにもならないと私がもっと前から知っていたら・・・と悔やむけど
あれでも私は精一杯だったので、どうか責めないでやってください。

ショウの病気のサインはヒゲでした(チョビひげのヒゲではなくて眉毛とひげ)
ヒゲが折れるようになると病気になりました。
今回もそれでした。
だから7/2食欲低下ぐらいでも病院へ行ったんです。

日々の観察は非常に大事です。
それをノートに書くのも大事です。

よく見かける咳をするってどんなもの?という人もいませんか?
へーーへーーと咳をしていたコウはレントゲンの結果心臓肥大でした。
ショウの場合「クプークプー」という感じでした。
これも咳かと獣医に問うと、これは気管支の問題。

見分けがつきにくいのがコウのケース。
毛が原因でこういう咳になる事もあるのだそう。
が・・・・しかし食い下がりレントゲンを依頼すると肥大を発見。

知っていたら対応が出来る。
リスクが大きいなら勧めませんが、私は勧めます。

獣医さんとの付き合い方も難しいと実感しています。
私たちが伝えなければ病気は発見できない。
目に見える病状となった場合は、だいだい重篤の場合が多い。
じゃあ、どうするか。

日々の観察を書きとめて、私はストーカーみたいに電話しちゃいます。
電話でらちが明かなかったら、出向いて、おんなじ説明をして
懇願します。

血液検査のすすめ

血液検査に行くときは食後から6時間あけてから病院に行く。
正確な数値はこれで出るのだそうですから。

何か心配事や不安があって一人で悩んでる人
何か私に役立てる事があるかもしれません。
メールでもコメントでもいいから言ってください。
わかる範囲で回答しますし、幸い獣医さんとも仲良しですし
ボランティアさんたちの経験なんかもすぐ問い合わせできます。

大切な子のお母さんに差し伸べる手はここにもあるって忘れないでください




8/22 猫白血病との同居 実はこんなもの

2009年08月22日 04時17分20秒 | ショウという名の宝物


この写真は2008年9月のもの。
神経質になっていた2007年冬に比べ、こちらもかなりアバウトになってきた。
仲良しコウとショウは去年からこの様に並んで寝ることが日常となった。
もちろん、私のいない時はこれは出来ない。

こちらは2009年7月21日
元気喪失気味になっていたショウとコウ。
不思議といつもショウが枕側(向って右)コウが足もと側というセッティングは
一年経っても変わらなかった。
ショウは必ず私の顔近くを陣取っていた。

そして段々とコウの寝相が悪化してショウはのられている事も多くなる。
まるで死期を予期していたのか、2009年6月頃からケージで寝たくないと
鳴くようになった。
私もショウはトイレに行きたい。水が飲みたいという事を教えてくれるので
夜、私が寝る時に自由にしていました。
朝方、ショウにトイレ行きたいよ~と言われて寝ぼけまなこで
ケージを開けてやったりとしていた。

この二人は夜は寝てくれるので、二人で遊んだり、じゃれあったりはしないので
こういう風に寝かせていました。

保護当時には信じられない事でした。
ワクチン接種もし状況にもよるのですが、この二人の様な感じなら
こうして寝るのもありかもしれませんね。

ショウは私のベッドで、好きな時に私に乗っかって眠ったり、
また自分の居場所に戻ったりと好きに楽しそうにしていました。

自分で言うのもあれですけど、ショウの一番のお気に入りは私の上だったと
想うのです。
私の上で、私をひたすら毛繕いして寝むるのがうれしそうでした。

そしてショウ亡き後、二つ並んだベッド。
コウはやっぱり足元側に寝ています。
私はショウがいないベッドに顔をくっつけて泣きながら眠るという毎日ですが
時折、ふかふかさを感じて目を覚ます。

すると、絶対こちら側では寝なかったコウが私にくっついて眠っていた。
あったかい・・・
ありがとうコウ・・・と言いながらコウを枕に眠ってしまう。
コウは優しい音色をゴロゴロと奏でてくれる。

二部合唱だった優しい音色はソロとなってしまったが
次に会える日までの我慢だからって思っています。

今日はセーラパパさんYさんが来てくれました。
ショウが大好きだったシーバを持ってきてくれて
缶詰めまで持ってきてくれた。

セーラパパさんに久しぶりに会ったセーラはシャーシャーと言うし
なんって恩知らずなのかしらとうちの母はがっかり
ホントごめんなさいなのです。

そしてA動物病院診療終了時間をめがけてボランティアRさんと
動物病院へ行く(ショウ最後の治療費、往診費用を支払っていなかったので)
往診なんてしてもらったことないし、いくらかかるかドキドキだった私。
足りなかったら大変だから母の財布もしっかりあてにして。

が・・・しかし先生は受け取ってくれない。
他の子に使ってください。と・・・・
押し問答しても受け取ってもらえず、ありがたく御好意を受け取り
早々にでもうちの保護猫軍団のレントゲンをお願いしますと伝えた。

そして・・・昨日の記事で触れた猫白血病キャリアのネコの写真を撮る為
初めて病院の中に潜入した。
が・・・・・しかし・・・・カメラを向けると怯えてしまう。
先生が撮っておきますと、写真撮影断念。

この子は先月保護された捨て猫ちゃんの兄弟のうちの一匹。
ガリガリに痩せていたそうですが、今はふっくら。
この二人の写真を撮ってとボランティアさんRさんに頼まれて
カメラを構える・・・でも・・・動く動く
苦戦していたら先生がケージを開けてくれた。

出てくる出てくる。
そして先生が抱っこしている間にシャッター

よく似た兄弟ですがこの子の方がほっそりした顔立ち。
べろが出てるあたりが可愛い
口腔内の異常ではなく、アメショーとペルシャがかかってるみたいで
と言っていた。

どちらも可愛く、元気で(内心、かなりうらやましかった私ですが)
早く里親さん見つかるといいですね~って。

こうしてブログを更新するのも、可愛そうな命を救う為に尽力するのも
本当はショウの死から逃げてるんだと思う。
でも寝室に行けば、「ああ・・・いないんだね・・・」と涙する。

うちのお姉ちゃんは「今は悲しいのは仕方ないんだからいいんだよ」って
言ってくれるから、三時間も電話でショウがいないだの
あ---あ・・・ショウに会いたいよ・・・だの
ショウが可愛いだの話してしまいました。

今日は病院で沢山ためになる話を聞きましたので
明日にでも記事にしたいと思いますが、明日もショウちゃん捕獲を
手伝ってくれた友達が来てくれるので、書けるかな?

でも、忘れずに書きますので見てください。