ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

8/21 そうか・・・パムズいないんだ

2009年08月21日 02時59分00秒 | ショウという名の宝物

だけど、瞼を閉じれば、ショウはまだここにいる。

2007年冬にベランダケージデビューの動画をUPしました。
ショウちゃん可愛い

そして、これがショウ専用食器洗い用洗剤入れ。
またまた、自分で描いてみました2009/6/21作

鼻のチョビひげが控え目すぎたかな??と。
常に特別扱いのショウ。

今日、ボランティアさんにショウが使わなかった粉ミルクいりますか?
と電話をした。
そんなこんなで、ショウの話をしていました。
一度だけ、旅行に一泊ですが行った時、ペットシッターを頼んだこともあり
うちの子たちの事はよく知っています。

ショウちゃんは、本当に可愛い子だったわね。って。
幸せだったね。と。

私は「いいえ。幸せだったのは私の方なんです」と言った。
同じく白血病を持つショウと同じ年の子が保護されているが
未だ、里親さんが見つかっていない話もした。

ショウちゃんの様に幸せに過ごした子もいるのにね・・・と。

一時間くらい話をしたんですが、私は今、とても誰かを引き取る心情ではなく
申し訳ないと話した。
白血病のネコと暮らし、亡くした者として話をした。

  大切なのは時間の長さではなくて、中身の濃さです。
  たったといえば、たったの2年弱でしたが、ショウとの暮らしは
  互いに最高に幸せだった。
  短命かもしれないと常に意識して生活してきたので後悔もない。
  まだまだ、大丈夫と思ってしまった蘭の死の方が後悔しました。
  その点、明日かもしれない命の終わりを意識して生きた季節は
  濃いものでした。
  愛して愛して抱きしめて抱きしめて過ごした二年弱でした。

そう話した。
あきらめずに里親を探します。いい事聞いた!やる気出た!って
彼女はそう言ってくれた。
私も、里親探し手伝います。と伝えた。
まずは、いい写真を撮りましょう!ってことで来週、撮る事に。

ショウも知っているその猫ちゃん。
ショウがあたしの部屋は駄目だよ。でも、あの子を救ってやってねって
言ってるかなって思った。

少しだけだけど前向きになった。

昨日は私の10年来の親友が来てくれた。
彼女はあまり知らないショウなのに涙目で話を聞いてくれた。
ショウが生前大好きだったシーバを持ってきてくれた。
ありがとうなのです。

明日はセーラパパさんYさんが来てくれる事に。
なんと有難いお話なんでしょうか。
いつもYさんはショウなんか関係ないのにぬいぐるみや
クリスマスプレゼントをくれたんです。
ありがたくて涙が出ました。



ぷーこさんへ
いつも、本当にありがとうございます。
下手っぴなんですが、ショウの絵は一生懸命描きました。
ちなみに、私は美術2の絵のセンスゼロ。大の苦手だったんです。
愛情のしるしとして頑張って描いてみました。

ケンタローのパパさんへ
本当に気づかされる事が多かったです。
頑張りますって言うと、嘘になっちゃうかもしれないので
書けずにいます。前向きに少しだけなります。
最期の景色の一部って話を想い出させてくれてありがとでした。
それから、今までありがとです。そしてこれからもよろしくです。

aiさんへ
いつもいつも温かいお言葉をありがとうございました。
ショウは本当に可愛い子供でした。
まだまだ過去形にはできませんが・・・
未掲載写真もバンバン載せちゃいます!
これからもよろしくお願いします。

たーこさんへ
本当に温かいメッセージありがとうございました。
不定期更新となっていたので、突然の訃報となったこと
お詫びいたします。
まだまだ続く「ショウ頑張れ!」を今後ともよろしくお願いします。

給太郎さんへ
はじめまして。
いつも見ていてくださっていたとありがとうございました。
本当にうれしく思います。
意を決してメッセージしてくださってありがとうございました!
これからもよろしくお願いします。


8/20 ショウの死因

2009年08月20日 03時44分58秒 | 白血病

ショウの死因が何であったか。
というところが気になっている人も多いと思うので、このあたりで
向き合いたくない真実に向き合います。

それと、このブログの存続とブログランキング参加の参加場所の変更またはブログ閉鎖について
いくつかメールでいただいているので回答します。
閉鎖は現在は予定していません。
ショウが生きた証として、存続を決めました。
きっと誰かの僅かでも役に立つのではないかという思いで存続します。
またカテゴリーについては、このまま闘病に属します。

ショウの病歴や、約一か月の闘病記録なども合わせて今後載せていきます。
今回、ショウの拡張型心筋症の事もありコウも心筋症の疑い有なので
コウの心筋症の事にも触れつつ、闘病カテゴリーに属しますが
状況によって移動することがあるかもしれません。

今後とも亡きショウではありますが、よろしくお願いします。

これは2009年7月1日の写真
この子がわずか一か月半で他界するとは誰も予想もしなかった。

7月2日、食欲不振からS動物病院へ。下痢。

細菌性腸炎。
7月から徐々に食欲が低下し始めたが、美味しいものなら食べるという
我儘猫へとなっていた為、病気と判断がし難かった。

7月23日 原因不明の発熱。

呼吸の乱れとなっていった。
S動物病院でもA動物病院でも発症なのか、死因は何であるか解剖しないとわからない。
そう言われたが、二件の動物病院で食い違ったのが一点。
S動物病院は発症じゃないと思うのですが・・・
A動物病院は発症であろう

そして私の見解は、猫白血病発症であるということ。
理由は、血液検査はすべて正常値を示していたが
熱が二週間以上も下がらなかった事。

発症じゃないなら熱の出所が分からない。
発症なら、この熱も納得のいくものとなる。

熱により体力を奪われ、拡張型心筋症を持っていたので
更に心臓機能が低下。
心機能低下により、多臓器不全を起こし、
腎不全、肝機能低下による黄疸。
亡くなる前日の輸液は見事に吸収されなかった。
膀胱におしっこも溜まっていなかった所からも腎不全は間違いない。

肝臓はパンパンに腫れていた(8/10の段階で)
ポンプが弱まり、心臓から送り出された血液は肝臓で溜まり
カチカチに固くなった。
レントゲンの結果でも腎臓は大きくなっていた。

心臓病は恐ろしい。
ショウの場合は聴診で引っかからない程度の軽度の拡張型心筋症だった。
だが、白血病を持つショウにこれは致命的打撃へとなった。

心臓の薬をもっと前から飲んでいたら、もう少し延命できたかと私は聞いた。
薬が効く時に飲んでいたらそうであろうと言われた。
だが、白血病を発症していたのなら、それもまた結果論の空想にすぎない。

これについて私は学びはしのですが、後悔はない。
一度もレントゲンを撮った事がないって人は高齢猫でもない限り
沢山いると思うんです。
ショウだって、定期的に健診もしていた。
血液検査もしてましたがこの結果。

そこで我が家の残った子達(真央以外)真央はまだ2歳の元気印なので除外。
残りの4猫のレントゲンを実施することにした。
コウは終わっているので3猫ですね。

コナンは今年6歳なので撮っておいてもいいでしょう。
びわ、セーラは7歳~8歳くらいなので撮る事にしました。

コウは兆候ありなのでフードの切り替えを検討中。

ショウがいないなんて事は、やっぱりまだ信じられない。

ショウがいつも病院でウンチやらおしっこをしてしまうので
ショウのグッズを入れる通院バッグを作った。
自分で描いたので下手っぴですが、愛情満載の一品です。
これをもって、ショウは通院しました。

ここに記載しましたが、ショウの状態が激変したと同時に私のメインPCが壊れ
サブマシンまでもが故障となった。
今想うのですが、PCが故障しなければ、私はリビングで病気の事を調べたり
していたいと思うんです。
実際、サブマシンもリビングに持ってきて繋いでみたくらいですから。

二台とも壊れた事により古マシーンをショウの部屋で使うことになった。
ショウは傍にいて貰いたかったのかなと思いました。


8/19 2007年5月 ショウ誕生~10月

2009年08月19日 02時54分22秒 | ショウの生きた証

2007年5月
ショウは横浜元町で誕生した。
一番左がショウ。
一番右がショウの母。

まだ名前はなく、時に水をかけられ
犬に追われ、車に怯えながら 有名パン屋さんの横の
家具屋さんの駐車場を拠点として母と仲間と暮らしていました。

ただ嫌われ猫だったわけではありませんでした。
近所の飲食店のお姉さんHさん。
餌を配って回る近所のおじさん。
私の職場の上に住むマンションの住人。
そして、私。
そして職場の隣のビルに住む恋人たち。
沢山の人に愛されてのも事実でした。
そんな人たちに食事をもらう為

ショウはこうして日に数回、誰かがやってくるのを
雨の日も、真夏の暑い日も ただ 待っていたのです。
その姿を愛らしいと思ったのは私だけではありませんでした。

2007年7月
ショウに出会い、ショウを探すのが日々の日課となった私。
Hさんと話す様になりました。
ショウはHさんにとてもなついてました。
確かチビちゃんって呼ばれてたっけ。

2007年8月
私が「ショウちゃーーん」と呼ぶと
にゃーーーんと塀を乗り越え、この場所に走ってきた。

私の顔も声も もう覚えてくれた。
とにかく可愛い子でした。
頭のいい あどけない子猫でした。
台風が何度もやってきた。
ショウはご飯を食べただろうか・・・
雨は冷たくはないだろうか・・・

私の心配はピークに達していた。
横浜の雨はとにかく強く、ひどいものです。
東京が多少の雨の時、横浜は大雨で風がものすごい。

2007年9月
ショウが心配で仕方なくなった私は
すでに4匹いる多頭飼育状態で、ショウを入れられるのか・・・
ボランティアさんに電話をした。
反対された。
でも、私はショウを保護することを決意する。

誰かが、なんとかしてくれるんじゃないか。
そう思ってきた出会いから二か月半。
ショウはまだ外にいた。
2007年9月25日
保護した時、ショウは本当に大人しく、
車に乗せても鳴きもしない。
生きてる???と何度もリアシートに乗る母に聞いた。
動物病院で捕獲器からケージに移される際
物凄い鳴き声で威嚇していた。

そして、避妊手術をしてもらい
私は天国から地獄へと突き落とされる。
「猫白血病ウイルス陽性」
当時の体重は2.8Kg

みんなに反対された。
多頭飼育での白血病キャリア猫の同居はリスクが大きすぎる。
そう言われた。
貰い手を探したりもした。
でも、ショウを手放したくなかったのは自分だった。
白血病のワクチンのリスクに泣いて施し
ショウは晴れて我が家の一員となった。

可愛い可愛いショウ。
保護からたったの一週間でまるではじめから家猫かの様な顔でしぐさだった。
ただ白血病陰転ばかりにとらわれていた私。

ショウが短命の宿命であることに毎日涙していた頃。
ショウは涙を不思議そうに見ていた。
男の子みたいな名前を変えようかとも思ったのですが
慣れ親しんだ名前のまま「ショウ」と正式に命名。

おかげで、よくショウ君と呼ばれてしまう事になる。

外を大騒ぎで眺めるショウ。
ショウは闘病中、この窓でよく眠っていました。
カーテンもベッドも爪痕だらけとなりましたが、今ではそれさえ
ショウが生きた証と愛おしく思う。
2007年10月18日

ショウは私のベッドにいることが多くなった。
こうして私が触ってもうれしそうにするようになりました。
ちなみに、こういう感じでショウは最期を迎えました。
私に頭を預け亡くなりました。

ワクチンの有効性が確認できる頃
10月末には家族と対面できる様になる。
コウはとにかくやきもちを焼いて怒っていました。
一か月もの間、自分のベッドを取られていたのですから無理はありません。

ショウをケージに入れて、夜はコウを部屋に入れてあげる様にになったのもこの頃。

コウがショウのケージの傍を通るとコウにちょっかいをかけるショウ。
まだまだコウはショウを嫌い「シャーシャー」と言っていました。

これがショウ誕生から家猫になった一か月の物語。
多頭飼育で白血病を引き入れる事を悩んでいる人や
保護した子が白血病だったという人
出入り自由にしていた為に白血病に感染してしまったという猫のお母さんや
なぜか、白血病だった・・・という飼い主さん。

誰かの役にたつといい。
白血病だからという理由であきらめてほしくなない。

ショウは長生きはしませんでした。

だけど2年3か月の間
愛されて愛されて
沢山の人の心を惹きつけて
とにかく急ぎ足でしたが幸せに駆け抜けたのは間違いありません。

ショウに言葉があったなら、私は楽しかったと
言ってくれると私はそう思うのです


8/18 あまたの愛をありがとう。

2009年08月18日 01時37分30秒 | ショウという名の宝物


四歳の姪ハコ
二人ともドキドキで写真を撮りました。
本当にショウはいい子で、子供たちの人気者にあっと言う間になっていきました。

7歳の姪コモモ。
この子は特にショウと仲良しになれました。
ねずみで遊んだり。コモモは葬儀にも来てくれました。

「ショウちゃんに会いたい」
「ショウちゃんと遊びたい」
そう二人によくせがまれたものでした。

もちろん、猫たちにも好かれていました。
蘭との2ショット。
蘭は群れを好まず気ままな性格でした。
ショウに上からちょっかいかけられたりしてむっとする事もありました。
でも、蘭は誰かを苛めたりはしません。
ショウは時々蘭に「遊ぼう。遊ぼう」とやっていました。

あまり一緒にいる事はありませんでしたが、長男コナンとの2ショット
コナンは人がいいので、食べ物以外ならみんなに譲ってくれます。
そんなコナンもショウちゃんの食べ物だけは狙いませんでした。

最初はコナンの大きさにか、ショウはコナンが近づくと猫パンチを繰り広げていました。
でも、コナンはいいやつなので、、逃げかえってきました。

相変わらず今もびびり屋びわちゃんと2ショット。
びわが先にいたのですが、ショウはお構いなしにタワーに駆け上がる。
びわも怒りませんでした。
私にも怒らないでもらいたいものですが、今でもシャーと言っています。

7/24 闘病生活へ突入
熱を出し、病院へ向かったショウ。
車の中で順番待ちをしている間や道中は、母の横でいい子にしていました。
そんなショウを母もまた、可愛く思っていました。
残念ながら私は運転があるのであんまり見られないのです。


7/26 すでに闘病生活へと突入したショウですが、
熱があっても、こんなところまで、タタっと登っていました。
これはセーラ。
他の子が来ると、大騒ぎで怒ってしまうのですが、ショウには威嚇などは
絶対しませんでした。
私には今も威嚇してます・・・

7/27 調子の悪いショウは、それでもコウの傍へと行きました。
コウもまた、ショウを毛づくろいしていました。(本当はだめなんですけど)
一番の仲良しのコウの隣は落ち着く場所だったのでしょう。

7/28 風の通り道を好んで、ただぐったりしていたけれど
外で蝉の声、存在を察知し、急いで窓に行きました。
同い年の真央とショウ。
ショウの場所を取ったりせず、真央もまたショウに譲ってくれました。

沢山の人に、沢山のネコに愛されて、ショウは幸せだったと
私は、そう思っています。
ブログの更新もしていなかったのに、こんなに見てくれてる人がいたのだと
正直、驚きました。

メールやコメントでショウへのお悔やみの言葉をもらって
私はショウがどれだけ思ってもらえたのかを知りました。
まだまだ一つ一つにお答えできておらず、申し訳ありません。


ショウは胃腸障害がありましたが、かと言っておいしいものを全く
食べていなかったわけではありません。
時々、おなかの調子をみて煮干しやら鰹節やらお刺身、お魚も
食べていました。

ショウは面白いのですが、パンとラーメンが好きでした。
私がパンを食べてる時、寄ってきたので、食べる?
と冗談まじりに臭いをかがせたら、ぱくっと食べてしまいました。
ラーメンもそうでした。
もちろん、他の子たちは食べないです。

小さなころ食べ慣れたものを好むと言いますが、さすが
有名パン屋本社ビル横の駐車場にいたショウ。
パンは大好物でした。
もらっていたのでしょうね。

なので、棺にはパンを入れてあげました。
おやつもご飯もたくさんもって、姪たちがくれたおもちゃも持って。
野良時代にお世話になったHさんが撮ってくれたショウのお母さんと
ショウの写真も、ショウは持っていきました。

野良時代を支えてくれた人がいたからこそ、ショウは2009年8月13日までを生きた。

ケンタローパパさんが、「最期の景色の一部になりたい」
そう言ってましたねとコメントをくれました。
私は、もうそんな言葉すら念頭になく悲しみだけが襲っていました。

本当に、ショウは最期に私を目に焼き付けて旅立ちました。
私に頭を預けるように置いて、私を可愛い丸い目に焼き付けて
私は最期の景色の一部となった。

私の胸が引き裂かれない様に静かに、静かに苦しまず息を引き取りました。
親孝行な子でした。

伝染性の脅威のウイルスを持ったショウ
トイレを他でしたり、人のご飯を取ったりしないで、自分の部屋の前で
トイレに行きたい時は「パム~」と鳴いて教えてくれました。

部屋を開けてやると「ありがとう」と言っているかのように
また「パム」と一鳴きしました。

ショウはおしゃべりさんでした。
うるさいおしゃべりではなく、人の言葉に反応するおしゃべりでした。

可愛いショウを語れば涙は付き物で
今は涙を封じる手立てがない。
想い廻れば後ろ向きになる。

私は今日、ショウのケージを掃除した。
トイレを片づけた。
涙を飲んで、片づけていた。
その時、後ろから視線を感じて振り返る。誰もいない。
頭によぎった言葉に私は決心する。
「次の体は白血病じゃないから、それはいらないよ」と。

私は、妙に納得し、潔く片づけた。
今後、ショウが帰ってくるまではコウに使わせてあげようと
洗濯、除菌、掃除をした。


二人ならんだ私のベッド。
とにかく二人は私が大好きで、私もまた二人が大好き。
コウはショウがいなくなってから、とてもおしゃべりになりました。
それは母も感じていた事で、我儘コウ。意地悪コウでしたが
ショウ亡き後、ショウの様になってしまいました。

ショウはたくさん愛されました。

幸せだったとショウは言ってくれると信じています。


8/17 溺愛・・・・・それがあなたへの愛の形でした

2009年08月17日 03時05分55秒 | ショウという名の宝物

メモリアルの前に、ショウへの想いを書かせてください。


亡くなる4日前の写真。
私はクマが酷いし汚い顔なので見てほしくないんですが、ショウとの最後の二人の写真なので載せます。

なんて可愛いんだろうね。
なんて愛らしいんだろうね。
なんて・・・素晴らしいんだろうね・・・
そこにショウがいるだけで、私は幸せでした。

愛しているからこそ、苦しい思いはさせたくなくて
葛藤と絶望と小さな希望の中は、まるで先細りのトンネルの中にいるみたいでした。

  ショウは苦しい時間から解放された。
  息苦しかった時間から解放された。
  愛する私に手を振って、苦しさからきっと解放された。

だけど・・・

だけど逢いたいと私の心は今も心で呟いている。

  逢いたいよ

  逢いたいよ


はじめて家に来た瞬間の写真。

可愛いね。
可愛いね。

なんて可愛いんだろう。
「私、この人しってるぞ?でも、ここどこだろう」って顔だね。
あげたご飯もちゃんと食べて、だけど不安はぬぐえなくて

怒って見せたね。
だけど、私を見るその目は恐怖や攻撃ではなく
私はどうなるのかな?

ママの子になったのかな?

そんな顔だったね。

そうだよ。ママの子になったんだよ

 里子に出した方がいい
 多頭飼育に白血病の子は駄目だ。
 ウイルスを媒介する。
 先住を犠牲にするの?
 里子に出しても家にいられるだけ幸せ
 
 だれかが名乗りをあげたなら私は里子に出していたかもしれない。
 でも、誰もいなかった。
 
悩んだよ。
共存する方法を必死に探した。

白血病だからって私は手放せない。
母を説得し、コウにかなり我慢させてみんなに
しわ寄せして、ショウを入れた。

大好きで 大好きで 
大切で 大切で
言葉なんかでは言い表せないくらい大切だったんです。

無邪気で、可愛くて、優しいショウが大切だったんです。


ご飯ちょーーーだーーーーーい

ショウは何をしても節度があり、お行儀がよく
うちのどの猫にも好かれていました。

どうしてショウなんだろうね。
どうしてショウが・・・
もっと早くに心筋症に気が付いていたら・・・
もっと一緒にいられたのに・・・

そう考えずにはいられなかった。
私は全力でショウを愛してきました。
全力で病気に取り組んできた・・・つもりでいた。

消化器官が弱いことには十分に配慮していた。
まさか・・・心臓に欠陥があったとは・・・

今でも私の部屋はショウがいた時のまま。
ベッドにコウとショウのベッドを置いたまま。
ショウのケージは主ないまま存在している。

私はケージを覗く度、「パム。パムってしてるの?」と
毎日、ショウに言った言葉を呟いてしまう。
ショウがいてくれたなら、ショウは「パム」って答えてくれた。

今は、静寂がただ悲しいだけ・・・だけど、ショウのいた証を私は消せない。
いや、消さない。消したくない。

セーラパパのYさんからもらった猫のぬいぐるみ、クマのにぬいぐるみは
いつも、ショウが使っていたので、どうしても棺に入れられず
ショウはいないけど、いた時のまま。

ショウの為にどれほど泣いたかな・・・
書きながら頬伝う涙は滝の様でなかなか進まない。

大人でいるのは疲れる。
大声で泣いていいのは葬儀まで。

私の涙をぬぐってきたのはショウでした。
無邪気な姿で私を励ましてきたのはショウでした。

これだけ泣くのは葬儀以来かもしれない。
声を殺して、唇を噛んで泣く。

情けないでしょ。

やっぱり大人ぶって色々言っても思っても
私は・・・「逢いたいよ」

ショウに逢いたいな。
触れたいな
抱っこしたい。

救われてきたのはショウじゃなくて私自身だったよ。
すべてが輝いていたよ。


8月から症状が激変した。
これは8月2日の写真。
ショウは熱にうなされ、横たわっているだけになった。
私はただ、ショウの手を握り傍にいた。

気がついたら私は眠っていた。
ショウは私が握った手をそのままに、私の顔に自分の顔をうずめて眠っていた。

私は幸せに感謝した。

どこにいるのかな・・・

とにかく私は溺愛しました。

ショウ・・・可愛いショウ。
どこに行けば会えるかな・・・



8/17 VAIO帰還

2009年08月17日 02時53分21秒 | ショウという名の宝物

ようやくPCが直ってきた。
今日の夕方到着した・・・が、しかし VAIOの人にも言われたのだが、
ハードディスクは危険かも。と。
ハードディスク全消去で構わなければそこまで直すと言われたが断固拒否。

ショウがいなくなって、この上ショウの写真まで消えたら最悪です。
なにもせずに電源だけあがるようにして返却してほしいと伝える。

到着し、恐る恐る電源を入れる。
お!!!電源入った!!うんうん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
進まない!知恵袋とか調べてもハードディスクが損傷してる可能性大。
ええええええええええええええええええええ

絶望

でもめげずに調べて、あれやこれやとやる事5時間。
動作は不安定だがなんとかWindows起動。
やった!!思わず声をあげる。

そして素早くショウの写真。
家族の写真、大切なデータを移動。
不安定ではあるが慣れたPCは使いやすい。

ショウの写真を眺める事3時間。
あ!だめだめ

ショウの訃報を聞き、たくさんの人からメール、コメントをもらいました。
お返事もしなきゃいけない!って思って
まずは、メモリアルを作成することにします。

一緒に思いで巡りしてください。重複写真もありますがご勘弁を。


8/14 ショウ葬儀・・・

2009年08月15日 05時05分53秒 | ショウと私のあれこれ

ショウをペット霊同で火葬しました。
棺に入れたくなくて、躊躇して、泣いて泣いて棺に入れて
お別れが出来なくて何十分も迷惑をかけてしまいました。
蘭を今年二月に火葬した場所でしたので、先方が気を使って
別れをさせてくれたのだと思います。

ショウの姿は大気を漂い還っていきました。
詳しくはパソコンが直ってから闘病など含めまとめます。

キレイな夕焼けはまるで後光がさしているかの様でした。
そして今、美しい朝焼けを見て、ショウちゃんも見てるんだと
思っていました。

ショウが死んだ?
信じられず、普段は絶対火葬前の写真は飾らないのですが
私はなぜか、ベッド脇に置いて見ている。

ショウの火葬の瞬間、心臓を掴まれて潰された様な痛みが走りました。
もう、あの可愛いショウには逢えないんだね・・・

ショウの赤い首輪を外し、喪服用バッグにつけ
ショウの遺骨とともに帰宅しました。

玄関で出迎えてくれたのは次男コウ(写真のアメショー)。
ショウの最高の兄でした。
コウは鞄から聴こえるショウの鈴の音を聞いて私の後ろをしきりに見ていた。
ショウちゃんはどこだ??
と言う風に。

そのままコウの首にショウの首輪をつけた。
嫌がってとってしまうと思っていたらショウの首輪のにおいを嗅ぎ
ゴロゴロ喉を鳴らして、自分を毛づくろい。
嫌がる様子はまったくない。

チリンチリンとコウが動くたびに聴こえる。
母はドキッとすると言った。
ショウがいない初めての夜。
闘病したこの部屋で眠る静寂と不安と刹那さで
徹夜何日目だったかな・・・と朦朧するが眠れない。

コウに暫くショウの分も一人二役してくれない?
そう頼んだ。

コウは首輪を絶対取らず、私の周りをいつも以上にうろついて
離れずにいる。
コウと呼ぶとお返事をし、「パム」と呼んでもお返事をする。

闘病中は写真の階段の小窓はショウのものとなっていた。
不思議とショウがいない間もコウは登ったり絶対にしなかった。

なのに、こんやはコウが使っている。
ショウがここでぐたーっとなっていたみたいに
横になっている。

闘病中は兄弟猫達はみなショウにすべてを譲ってくれました。
意地悪コウも、大切な妹のため、譲りに譲ってくれました。

私にとって総てのショウ。
私の愛するショウのいない夜

泪は枯れ果ててしまったみたいに流れない
ただただ、胸が居たくて目頭が熱い。

人生最高の不幸であり最悪の日々。
ショウが死に・・・そしてショウがいない夜がきた。
ペットロス・・・ペットなどではありませんでした。

私の体のすべてがショウだと言っても過言ではない。
なのでロスしたのは私自身

まとめられない。
ショウがいない

ショウの声がしない。




8/13 ショウお通夜

2009年08月14日 04時11分07秒 | ショウと私のあれこれ

写真は8月10日のもの。
ショウちゃんの傍らで書く最後の記事となる。

ショウちゃんのおもちゃ箱を開けたら、ちゃんと反応して見ている写真。

8月12日、軽い貧血状態となった。
四肢は冷たくなっていた。
息はいつもより荒くなり、苦しそうにしていた。
夜、強制給餌を唸りながら拒絶し始めた。

本日、8月13日の朝ごはんでは口すらあけてくれなくなった。
歩くことが12日明け方からできなくなって、13日は這って移動していた。
終始、ウーウーと唸っていた。
食べないと知っていたけど、ショウの好きなシーバをお皿に昨夜入れた。
音を聞き、こちらを振り向いたショウ。
しばらくしてお皿に移動してきて、お皿に顔を乗せたまま、へたり込んでしまう。
もちろん食べていない。

触ると更に怒ってしまうので、見守るしかできず、
今日は病院が休診日だったので、夕方病院へ行った。
時々、唸っていた。

病院で少々パニックの様な態度をとった。
熱は38.0度。体重4.36Kg
むくみが酷く、顎のあたりが腫れていた。

先生がショウの顔を私の方に向けた。
ショウを私が腕枕で顔を支えると唸り声がやんだ。

飼い主さんに頼りたい気持ちもあるけれど、体がつらい。
そう先生に言われて、今日は唸られても撫でちゃうぞって思ってたのに・・・

なんとか、帰宅するもぐったり。
呼吸が更に苦しくなり、大きくのけぞって息を吸い永眠しました。
死んでしまったのか、そうじゃないのか分からないくらい
静かに息を引き取りました。
まん丸の眼をめいっぱい大きくして・・・

ショウちゃんは私と母に看取られて死にたかったんじゃないか。
玄関じゃ死にたくなくて、大好きなベッドで死にたかったんじゃないか。

母がA動物病院の院長に電話をする。
駆けつけてくれて、先生はショウを聴診。
「・・・心臓が止まっています」と

大号泣の私と母に、いつまでも先生は話をしてくれました。
「もっと長い付き合いがしたかったね」
「頑張ったね」とショウを撫でてくれました。

ショウの息が荒くなったここ一週間。
私は、苦しい思いをするくらいなら、いっそ死んだ方が楽なのか・・・
でも、離れたくない私がいて、もちろん安楽死なんてものは私の考えにはない。
でも、昨日は息が荒く、辛そうだったので、これが酷くなるのなら
安楽死を決定するしかないのかもしれない・・・そう思った。

ショウはたった1年9ヶ月で私の傍から旅立ってしまった。
享年2歳3ヶ月。

たったの二歳で・・・何度も憎んだのが白血病ウイルス。
そして何もできない自分でした。

時折、ショウを撫でて、これを書いている。
気持ち悪いと思う人もいるかもしれませんが、時折私はショウの顔に
自分の顔を押し付ける。

ショウは生きていた時のまま、ショウの匂いがします。
私はコウとショウの匂いの違いがわかり、
いつも、二人の匂いをかいでは「うん。ショウちゃんだ!」
「コウくんだね」とやっていました。

ショウとの日々は夢のような艶やかな日々でした。
主治医がショウを飼おうとしたとき、白血病だと告げた時
「おすすめしません。仲良くなった頃にはお別れです」
そういいました。

でも、ショウはたった一ヶ月で仲良くなり。
お互いを思いあうのに二ヶ月はかかりませんでした。

他の子の何倍もの速さでで生きたんだと今は思うのです。
ショウとの日々、いつも白血病発症。そして別れの恐怖の中生きました

朝起きると生きていないのじゃないか。
そんな不安、最期を思って涙し、ショウちゃんに毛づくろいをしてもらったこと。
ショウは一週間前まで自分の毛づくろいをしないくせに
私を毛づくろいしてくれました。

まるで「どうしたの??どうして泣いてるの?」労わるかの様でした。

A動物病院の院長は、本当に愛された子だと思うと言った。
私にとってショウはすべてでした。
ショウを失うより恐ろしいことはない。
そりゃコウたちを失っても困るのですが・・・

可愛くて可愛くて本当に可愛くて
大切で大切で大切でした。

自慢の娘でした。

うちの姉は霊感などまったくないのですが、
ショウが永眠し一時間後くらいに訪れた際、ショウを撫でてこう言った。
「どうせ、すぐ帰って来るもんねってふと思った!!」と。
蘭の時には思わなかったのにな・・・と。

私もそれを感じています。
生まれもっての拡張型心筋症、そして白血病では札が悪すぎます。
私は割と霊感がある方で、動物の声、死期がわかる様になっています。
今日、買い物に出かけようとした母を引き止めて
「ショウちゃん、そろそろまずいと思う」そう母に言う

母は心配になって買い物をやめ、病院へ付き添った
病院で先生の話を涙しながら聞く私と母。

末期の症状です・・・と。

往診に来てくれた先生に私は聞いた。
「先生は今夜が峠だと思っていたのですか?」と
先生は「正直、今夜だとは思っていませんでしたが近いうちだろうと思っていた」
そういいました。

ショウちゃんの心臓は悲鳴をあげていた。
だけど、情けない私を置いて旅立つのは忍びないと
頑張ってくれていたと直感的に思っていた。

そして死後、ショウを撫でていて思ったのが「無念」だと言う事。
ショウの心はもっと生きたかった。
私の傍にいたいと思っていた。

だからショウは必ずすぐに生まれ変わる。
ショウが迷子にならないようにろうそくを絶やさず。
ショウが帰ってこれる様に、家族の写真に住所を書いた。
私と映っている写真。
母と映っている写真。
大好きなコウと映っている写真を持たせ明日、出棺します。

私は今も、ショウによく歌った歌を歌ってはショウを撫でている。
ショウは「パム~」と鳴くことから「パム」と呼ばれていました。
ぴょこっとしてるから「ぴょこちゃん」またはパムが変形して「パムズ」

私が動くとショウとコウがついてきます。
そこでコウが「続いて参るくん」と呼ばれていて
私がいつも歌った歌は「パムズ イズ 続いてまいる♪続いてまいる♪」
こんな変な歌。

私は思う

ショウとの出会いは必然だった。
貰い手がなかったことも必然だった。
なぜならショウは私と居たかったんだから。
我が家で一番の意地悪コウがショウちゃんを受け入れてくれたことにも
正直驚いていた。

すべては必然なら、この別れも必然?
なら、再会もまた必然となる。

おいでと言ったら私の体に乗って私を毛づくろいして眠ってしまったショウ。
隙をみて脱走して得意気な顔をしたショウ。
初めて会ったときのあのあらわしようのない可愛さ。

甘えん坊で、あどけなくて、誰からも愛された子でした。

明日のこと、ショウのいない明日なんて想像もつかない。
一緒に寝て、一日足りと忘れたことのない最愛の娘。
それを失って私はどう明日を生きるのかわからない。

愛するショウ。戻れるなら、呼吸が楽に出来てご飯も食べれた頃に戻って
たくさん撫でてあげたい。


8/13 19時15分 ショウが永眠しました

2009年08月13日 23時17分42秒 | ショウと私のあれこれ

詳しいことは後日記載します。
ショウは動物病院へ行き、気力だけで帰宅し
帰宅後、玄関で倒れこみました。
息は荒く、今夜が峠かな・・・という感じがしました。

私とショウとコウのベッドへ移動して10分もしないうちに
最後に大きく息を吸ったと思ったら、そのまま永眠しました。
苦しそうに息をしてきた数日でした

最期は本当に静かに永眠しました。

ショウがいないだなんて
信じられない。

ショウは本当に可愛い子でした。
出会えた。そばにいてくれたそれが、本当に宝物でした。

みなさん、ありがとうございました。
ショウはたくさん愛され、たくさんの喜びを私に与えてくれました。

ショウ、お疲れ様だったね

ショウ、ありがとうね。

大好きなショウ。永遠に。


8/8 猫白血病 発症か・・・

2009年08月08日 01時09分51秒 | 白血病

きっと違う。
そう信じたい。

でも、今日主治医であるS院長と電話で話すと
発症の可能性もありますと言われました。

目の前は真っ暗で言葉を失っていた私に院長は
「発症だから、何もしなくていいって事ではありませんし
何も出来ない。のではありません」と
強い口調で問いかけてきました。

二月に失った蘭の姿が浮かんでとても苦しい1日となった。
ショウも元気がなく、とうとうラックの下などの暗い場所へと行ってしまう。
その姿を見て、また絶望感に襲われた。

情けない奴だと想う。
私は小物だと想う。

知っていたじゃないか。猫白血病って。
覚悟しろってみんなに言われたじゃないか。
でも信じたい自分。いや、信じている自分がいて
現実を否定する要素を必死に探そうとしている。

近所の病院と主治医との連携での治療を進めて行く事を決めた。
日々の輸液と消炎剤(今日聞いたら抗ヒスタミン剤)
は近所で行ない、レントゲン検査などの場合は主治医へ。

今日は輸液しても目だった回復が認められない気がした。
私が付きまとうので、少々イラっとしているのも感じた。
ぐったりと暗い場所で横たわるショウ。
撫でていても怒ってるのを感じた。

そっとしていたら、窓にのぼり横たわった。
そんなショウを見ながら私はこう想っていた。

蘭を突然、奪われ、それから半年も経たないうちにショウを
こんな風にする私の未来って絶望的じゃない
いらないな・・・と ふと思った時
私の背後にある窓からショウのゴロゴロが聞こえた。

具合が悪くてもゴロゴロはいう。
自然治癒とも言われているので、相当具合が悪いんだ。
そう判断していた。
だけど、なんてタイミングで。。。

そして、ショウのゴロゴロを聴きながら
ショウも頑張ってんだから、何真っ暗闇モードなんだよ!
と想うようになり、今ショウのゴロゴロをBGMにこれを書いています。

ふとゴロゴロが止み、気なって窓を見るとショウと目が合う。
ショウは私を見つけるとゴロゴロをまたはじめる。

ショウはケージ越しに顔を見つけただけでゴロゴロといってくれました。
名前を呼ぶだけで言ってくれました。

PCに向かうとゴロゴロが停止。
なのでまた振り返るとゴロゴロと言う。

ショウが今いるこの瞬間が最高の幸せじゃないか。
この時期に他の子が具合悪くならないで居てくれる事
最高の親孝行ではないか。

みんなに感謝をした。

諦めたりはしない。