ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

2013/8/9 ショウ再来?

2013年08月09日 09時48分53秒 | 家族の紹介
実は昨年、9月。
これってショウの生まれ変わり???と思うような
猫に出会った。

家に入る?と聞くと、すーっと入ってきたので
そのまま家の子に。

名前は「るん」
とてもかわいい男の子です。

3/21 私のショウ。愛するショウ

2010年03月21日 06時01分01秒 | ショウという名の宝物
ショウがいなくなって、もう半年以上が経過してしまった。

私の人生の中で、最も愛し、最も大切にしたショウ。
どこにでもいる・・・そんな普通の猫だったかもしれない。

なのに、どこにもいないショウ。

出逢った時から、ショウは特別だった。
特別に気になって、特別に心配で、特別に可愛かった。


人になじられても、馬鹿にされても私はショウを大切にしてきた。
それだけがショウに誇れるたった一つの事。

忌み嫌った白血病というショウを脅かし続けたウイルス。
今は、その経験を人に広めていく事しかできないが私は細々広めている。

今回、同じウイルスに脅かされている「りらちゃん」に出逢った。
私はショウが幸せだったと同じように、りらちゃんに幸せだったと
生まれてきて、幸せだったと・・・
そう・・・想ってもらいたくて、自分の時間を切り分けた。

よくわからない。とか、そうなんですか・・・とか。
心配ですね~とか
適当に私は言う事が出来る間柄だった。

でも、私はしなかった。いや、出来なかった。
時間と労力をかけて、「りらちゃん」を救いたかった。
救える命を救いたかった。

・・・だって一生懸命、生きてるんだから。生きてくれているんだから

りらちゃんを幸せのスタート地点に並べてあげたかった。

いつか、自分がそうしてもらったのだから・・・


あのままショウをこの場所で放置していたら、私はやせ細っていくショウを
怪我をしているショウを見て自分を悔やんだだろう。

何もしなかったくせに、ショウを案じる自分の無責任さに辟易しただろう。
数多の反対を押し切って、家族にしわ寄せして作り上げたショウの世界。


昔、私は、ショウを救ったつもりでいた。
ショウを保護したつもりでいた。
ショウを幸せにしていたつもりでいた。

でも、実は私が一番、救われていて、幸せになっていた。

そして同居のコウもまた
ショウに譲ってあげていた。
ショウと仲良くしてあげていた。

でも、コウもまた、ショウに仲良くしてもらって嬉しかっただろう。
ショウに譲る事がみんな普通だった。

ショウは私も沢山の猫を飼ってきたが、本当に気高い命だった。

ショウ程に私を変えた命はいないと思う。
ショウは必死に生きていた。
短いだろう人生を、まるで知っていたかのように。
体が動かせる間は、ショウは大好きなおもちゃと遊んだ。
大好きな食事を食べた。

今も涙するショウとの想い出は色あせない。

そして、そのショウを守る様に、同居猫もまたショウに譲り続けた。
この世界で悪意を持って悪事を働くのは人間だけなんだろう。

そんな人間達の中で生きていく事はとても苦しい。
でも、私は、生きる。

ショウがくれた希望を忘れず私は未来を生きる。
ショウともう一度出逢う為に。

いつか、今回のNさんが、同じような状態になった人を、猫を助ける側になるといい。
そして、私は、ショウとの日々を最高の幸せだったと未来永劫語り続ける。

たった一匹の猫がもたらした悲しみと幸せ。
私はショウと出逢う事がなければ、今回のNさんを助ける事は出来なかった。
あの悲しみがなかったなら、私は今、こうではなかった。

何もない平凡で傷む事ない人生がいいのだろう。
ショウと出逢い、苦しみ泣いて、笑って嬉しくて、そして絶望に泣いた。
あの日々を失くして平凡な道を歩めるとしても私は選ばない。

ショウと出逢えない道を私は選ばない。いや、選べない。
かけがえのない命と出逢う事がなかったなら、私は思わなかっただろう。
そんな事を言う人を、「きれいごとだ」って笑ったかもしれない。

今回、私は主治医の元にいるO先生に名指しで電話し、事情を話した。

飼い主さんはいつかの自分の様だから、力になってほしい。
短いだろう命という事も伝えています。
でも、頑張ろうとしているんです。
だから・・・力を貸してくれないか・・・
助けたいんです。頑張ろうとしてる命を。

その言葉を私がどんな思いで紡ぎだしているかは
ショウを亡くした直後、私と話をしてくれたO先生には十分理解できていた筈で
その思いは、ちゃんと院長にも伝わっている様だった。

白血病の猫。
生きているだけで羨ましい。
ショウと同じ年の猫
生きているだけで羨ましい。

羨んでいた季節が私には確かにあった。
どうして、ショウが・・・
どうして、ショウばっかり・・・

でも、私は羨む事をしなくなった。
羨ましいの羨ましい。
だけど、それはショウじゃない。
心の底から、その小さな命たちを応援したいと思っている。

ショウは元町で人気者だった。
みんなに心配されていた仔猫だった。

私が独占して幸せいっぱいの時、みんなに申し訳ないと正直想った。
多分、ショウを心配しだしたのは、みんなの中でも私が最後の方だったから。

でも、私は想う。
誰にも連れて行かれなかったのは、私と暮らすためだったと。
そして、ショウを腕の中で旅立たす事が出来た事を幸せに想う。

ショウに今日も想うよ。
あなたに出逢えて本当によかったと。
そして、ありがとうって。


3/21 猫白血病キャリアの未来

2010年03月21日 01時13分01秒 | 白血病

以前、記載したかもしれないが、母が仲良くなった雑貨屋さんの定員さんのNさん。
Nさんは、半年間、一時預かりをし、二つの命を里子へと出した。

猫がいなくなったので、再び、一時預かりをした。
ものすごい多頭飼育。劣悪な環境だった所から一匹の猫を救出した。

その猫ちゃんの名前は「りらちゃん」

りらちゃんはロシアンブルーがかかった雑種。
性別はメス。
彼女は、りらちゃんの後にも一時預かりをする事を想定し、血液検査をしてほしい。
そう、元親さんに頼んだが、どうもらちがあかない。

そこで、自分で血液検査をした。
結果は残念ながら「猫白血病陽性」だった。

引き取った翌日に、食欲不振、嘔吐、猫風邪の様な症状から
動物病院を受診。
そこは私が過去に見限った病院だった。

そして、インターフェロンの注射を打ち、抗生剤を処方され帰宅。
帰宅後もよくならない事から、翌日、私に連絡をくれた。

私は、このままでは危ないと判断し、私の主治医の病院へ
彼女と共に、その翌日、訪れる段取りをした。

主治医は、口腔内を念入りに見た。
歯槽膿漏の様になっていた。
猫風邪もあって、鼻が利いていない。

その日は、くしゃみ処置をし、食欲増進剤を経口投与した。
その夜の食欲を見て。
そう言われた。
夜、缶詰をちょっとは食べたが、どうも口が痛いみたいで
食べたいのに食べられない様だと翌日、院長に伝えると

緊急手術へと院長は踏み切った。
食欲があるかないか、あるのなら、今、処置しましょうとのこと。
結果は、舌の付け根にできた炎症が問題だったとのこと。

現在は、術後も安定し、Nさんのお宅で健やかに過ごしている。
後は、家に慣れてくれるのを願うばかりだと。

私は、いつか自分が言ってもらった言葉を彼女に伝えていた。
行き帰りの車の中、電話、メール、私はりらちゃんを救ってほしい。
その話を一生懸命した。

彼女は、自分なんかが飼い主でいいのか・・・
金銭的に大丈夫だろうか。
いろんな不安を話してくれた。

リスクがある子はいい子が多い

この名言に反さず、りらちゃんは温厚でいい子だった。
だからこそ、私は、短いだろう命を大切にしてあげてほしい。

元親に戻せば、死を待つだけだった命。
そう、思えば、無理のない範囲の一生懸命をりらちゃんが呪うだろうか・・・

私は、そう考えた。

結果、彼女とご主人と家族は、りらちゃんに生涯の名字を与えてくれた。
あまり、聞きすぎても・・・と思い最近は連絡していないのですが
りらちゃんは、きっと幸せになる階段を一歩、一歩上っているのだろう。

猫白血病は確かに怖い病気かもしれない。
でも、ショウが猫白血病だったからこそ、私をNさんは想い出した。

ショウが導いたキセキだったと私は思えてならない。
そして、ショウを保護した時、NPO法人KAVAの会の矢吹さんに
私が貰った言葉を今回私は彼女にしただけ。

彼女は最初は戸惑っていたが、終生飼育を決断してくれた。

よかったね。りらちゃん。
たとえ、短い命だったとしても、りらちゃん今、生きてるんだもん。
今、幸せの一歩を歩みだしたんだもん。

よかったね。Nさん。
強い絆にきっと結ばれて、家族みんながきっと幸せになる。

頑張れ!頑張れ!


3/15 好きな男性のタイプは?

2010年03月15日 07時30分09秒 | 愛する私の家族たち

まだチョビが(現在の優の野良時代の名前)外にいた頃
母が、おもむろに、聞いてきた。
芸能人でたとえると誰?とか
スポーツ選手だったら誰?とか。

テレビを見ない私にはとても難しい質問だった。
しばらく、考えて、お!!いるいる。

そうね。強いて言うなら、チョビかな。

チョビって猫じゃん

まぁ、そうなんだけど、かなりタイプなんだよ。って答えた。

当時の彼は、とにかく男の中の男だった。
見ず知らずの真央(当時四カ月)真央のママ。そこに登場した優。

人数分の食事をあげても、決して優は口をつけず、
真央と真央のママが食べ終わるのを周囲から最も攻撃対象となる場所を陣取り
耳を背後にひいて、後方監視につとめ、前を向いてるその目で前方監視をしていた。

二人が十分に食べ終わってから、ようやく口をつけていた優。
関係のない女子供を優先させ、頼まれた訳ではないのに
監視役を買って出て、時には戦闘となった事もあった。

それから真央が我が家に引き取られ、真央のママがいなくなると
妹のカツラを今度は連れてきて、まるで守るみたいに
おんなじ行動をとっていた。

私が触りたいなと手を出せば100発100中で叩かれた。
決して、人に心は許さず、この場所のボスとして凛としていた。

そんな優の保護が決まり、私は心では、優を抱っこできるのは
死んだ時・・・そうなっちゃうかもしれないな・・・
そう本当に思えるほどに、優は勇敢で、人に慣れない猫だった。

ところが、優は家に入って暫くすると、もう戦闘をしなくていい安心感
寒くない、怖くない毎日に、急速に距離を縮めてくれた。

本来の少年さを取り戻していきました。
昨夜なんて、私の部屋から、鳴いていたので、どうしたの?
おいでと声をかけても来ない。いつもなら来るのに・・・

不思議に思い、部屋に行くと、なぜか、私の枕の上にうれしそうに座っていた。
私が笑いながら、その横に座ると、それはもううれしそうに頭突きをし
わかったわかった。と私が横になると、布団へ入ってきて

思い切り、熟睡し始めた。

優は今はもう、警戒心のない甘えん坊の少年へと変化した。

優にとって、今が幸せなんだという事を痛感した。
そしてずっと私の腕の中で熟睡していた。

優は元々は戦闘的じゃなく、小さなものを守るため、
大切なものを守るため、戦いをしていたにすぎなかった。

今は、それをしなくていい。
自分らしく、楽しく毎日を生きられる事を喜んでいる様に見える。

私は理想の彼氏と同棲中かと思っていたが、すっかり
外の頃の風貌などなく、今は、まるで息子になってしまいました。

でも、優がうれしそうな事が嬉しい。
優。もう頑張らなくていい。沢山、甘えていいんだからねって
私は今夜も伝えた。


3/1 ショウの死因を考える

2010年03月01日 01時14分25秒 | 闘病・病気

2009/7/2
食欲不振と下痢で病院へ行った。

幼いころから、結膜炎はよくやっていた。
外にいる時も、時折、片目をつむっている事があった。

ここで気が付くべきだったのだが、すでにショウは猫カゼのキャリアでもあった。
というところ。

結膜炎と猫カゼを切り離して考えてしまっていた。

7月に体調を崩した時、すでになりを潜めていた猫カゼのウイルスが
また発症したのかもしれない。
ちなみに、ショウは発熱以外の典型的猫カゼの症状は出していなかった。

その際、抗生剤と消炎剤で回復した。
そして、それから二週間後、また再発したのではないか。

原因不明の熱は、猫カゼからの熱ではないか。
そう、考えるのが妥当かもしれない。

高熱を出した事により、食欲が低下して行った。
それでも、7月中は、好きなもの、スープ類なら喜んで食べてもいたし
遊んだりもしていた。

だが、あの暑い真夏の温度。
そして、自分の体温の上昇で、体温調節がうまくいかず
ただでさえ、弱い心臓に負担がかかった・・・。

そもそも、免疫力の低いショウにとって、猫カゼが致命傷となった
そう、考えるのが自然かもしれない。

食欲不振で、徐々に体力が低下し、心臓は更なる負担を強いられる結果となる。
そして、8月に入ると、もう食べる事も出来なくなる。

それを強制給餌で持たせたが、そのころには心臓はもう悲鳴をあげていたんだろう。

心臓の機能低下による、多臓器不全を起こした。

これがショウの死因の概要じゃないかと私は推測している。

今回の優の症状を見ていると、ショウ闘病中、扉を一枚隔てた向こうで
優に起こっていた症状と同じなのです。


優は、ショウが闘病中、おそらく猫カゼを患っていた。
食事に一切口をつけず、ただただ、寝ていた。

ショウ亡き後、ようやく外に目を向けられた私は優に
モンプチスープのスープのみを与えた。(具は絶対残されていたので)

そんな事が二週間も続いただろうか。
やっと、優はカリカリを食べられる様になる。

そして保護へとつながった。

猫カゼは、猫白血病キャリア、猫エイズキャリアの猫にとっては
ただの風邪ではないのだろう。

子供やお年寄りが風邪をひいてこじらせる。
これが致命的なのと同じと考えていいのではないか・・・

かと言って、どんなに気をつけていても、これは体力が落ちれば頭角を現す。
いかに体力を落とさせないかが鍵となってくるのは分かるのですが

あれ以上、どうすれば、免疫力を低下させないでいられたのか・・・
私には分からない。

ショウも優も、大きなウイルスをすでに持っている。
そして、二人ともカリシ・ヘルペスを持っている。

数多のウイルスと闘わせるには、その体は小さく頼りないもの。
でも、私は自分の無力を嘆くのはやめよう。

それは、放棄と同じ意味を、私にとっては持っているのだから。





2/28 優、猫カゼ再発?

2010年03月01日 01時07分43秒 | 愛する私の家族たち

二日前から、やたらクシャミを連発する様になった。
そして、二日前、私が触ろうとしたら、手を野良の時みたいに
バシっと叩いた。

触り方が悪かったのかな・・・?と思っていたが、
昨夜から涙目となり、今日は食欲が1/3に低下した。
これは、体調が悪かったため、触られたくなかったんだと思った。


現在は高熱がある感じはないが、微熱程度にある気がする。

明日いっぱい様子を見て、病院を検討しているが
一応、明日、病院に電話を入れる予定。
完治不能の猫カゼの場合、様子を見てと言われそうなのですが

食欲不振が続くと危険なので、心配。


2/27 大切なものはなんですか・・・?

2010年02月28日 05時16分19秒 | Weblog

以前、かなり昔ですが、このブログにショウに対して
どうせ死ぬんだよ」とコメントを残した人がいた。

その人が言った通り、ショウは死んだ。

ショウ亡き後、私はその言葉に苦しめられた。
心ない一言に私は当時、憤慨し、傷ついたが気丈にはねのけた。

どうして、はねのけられたか・・・それは、当時私には生涯の宝物のショウが
そう、そばにいたから。

ショウを亡くした後、しばらく、この心のない言葉を残した人を憎んだ。
なんて醜い心を持った悲しい人なんだと、私は、軽蔑した。

そんな心ない言葉をわざわざここに書き込んだん醜悪に値する人に
私は、同じ言葉を言ってやりたいとさえ、思った。

もう一度、ここに来い!そして、私の記した記事を見て
憤慨し、傷つくがいい・・・そう思ったこともありました。

でも、今は違う。
その暴言を吐いた人物の背景を考え始めた。

もしかしたら、最愛の人を亡くした・・・
または、無知故の惨さなのかもしれないと思い始めた。

今は、そんな記事を残したあなたを哀れに思う。
そんな言葉ではなく、胸の内を正直に伝えてほしいとさえ思うようになった。

自分の心の傷を誰かに与えなければ、あの時、あの人は
自分を保てなかったのかもしれない。

それは、悲しい現実だったのだろう。
どこにも行き場のない感情に潰れてしまいそうだったのかもしれない。

今は、笑えているだろうか?
本来、持ち合わせていた優しさを取り戻せただろうか・・・
私は、今は、それが気がかりです。

人は、振り返る作業をした時、己の愚かさに驚愕する。
それを時に、あの頃は若かったと表現するが
私は、あの頃は若かったとは表現しない。

そう・・・私の過去は愚かだ

愚かな自分への現在は、それに相応しい現実へとなるはず。

誰かに押し付けずにはいられない心の傷があったのだろう。

もしも、あなたが、そんな自分を愚かだったと悔やむのならば
私は、あなたを赦す。

誰かに押し付けなければ生きられない程に傷んでいたんだと
私に言ってくれたなら私は、赦そう。

いや、言わなくても、もう私は勝手にそうであっただろうと赦している。

大切なものは目に見えず、あまりに当たり前に傍にある。
だからこそ、見えなくなる。
そして、亡くした時に、届かない過去に、取り戻せない過去に
絶望する。

絶望も苦悩も明日への通過点に過ぎない。
その苦しみは、未来永劫続いたりはしない。

状況が変化していなくても、視点を変えるだけで絶望は幸福に変わる。

やはり、ダントツでキーワード検索で「猫白血病」でここを訪れる人は多い。

同じ傷みを私より先に、その人は受けたのかもしれない。
生きているショウを羨んだのかもしれない。

その気持ちは分からなくはない。

命はいつかは尽きるもの。
私も、ここを訪れる全ての人に訪れる。

ショウが死んで、羨んだ無数の命。
今は、ショウは死んでしまったけれど、名も知らない愛する子たちが
幸せであってほしいと思う。

止まった鼓動はもう動かないのだから
動き続ける鼓動がどうか、長く、そして幸せであれ。

私がそう望むのは、ショウがまた私に教えてくれた優しさなのだろう。

私は、まだまだ途上の心。
ショウを忘れない、ショウを想い続ける想い人。

そんな私を、私はらしい私だと誇る。

ただ、今を満足はしない。
私はさらなる成長を切望している。

ショウにふさわしい母となるべく努力をし続けたい。
私を変えた転機は、まさにショウとの生活の中にあった。

私は天才じゃないから、知らない事を知る努力を。
短慮な自分を、変えていきたい。

ショウ、今日もあなたにありがとうを言います。

ショウ、ありがとうね。


2/26 愛深き人へ

2010年02月27日 03時28分41秒 | 命の価値は

最愛のペットを亡くした人がここに偶然、迷い込む。
これも、またすべて「予定」なんだろう。

そして、何らかの感情を持つかもしれない。

死にたいくらいペットを愛し亡くした人もここを訪れ
そして、その人を、私を励まそうとしてくれる優しい手もまた
ここを訪れた。

それもすべて「予定」なのだと私は信じている。

泣いていい。
悩んでいい。
至らなかった自分を嫌っても呪ってもいい。
だけど、必ず、いつかは前を向いて経験を生かしてほしいと私は願う。

今じゃなくていい
半年後じゃなくていい
一年後じゃなくていい。

自分が前を向ける時が、適性の時期だと私は思います。

最愛の人を亡くして、無理して笑う必要なんてない。
ペットロス(私はこの言葉は嫌いですが)は決して恥ずかしい事じゃない。

アイロンの熱さを知らない子供は、平気でアイロンを触ろうとする。
そして、ちょっと目を離したすきにやけどをし、熱さを知る。

人は、知らないモノは拒絶してしまう生き物で軽んじてしまう傾向にある。
だから、その人は悪い人・・・・・なのではなく

ただ、知らないだけなのです。

知らない人に知れというのも難しいもので、
でも、人は分かってもらいたい生き物。
だから、一人ぼっちになってしまう傾向にある。

私がそうでした。
誰も分かってくれない。
なら、分からなくていい。分かってくれなくていい

今だから言えるけど、分からないに決まっている。

私がショウに注いだ愛情がどれほどだったかを知るのは・・・
残念ながら、ショウと私しかいないのだから

でも、愛する者を亡くして泣いている人の私は少なくても気持ちは分かる。
自分の心臓を移植してでも生きてくれたなら、私は移植してやりたかった。

私のショウは希望だった。
愛する愛する愛娘。
それをあざ笑う権利など、誰にもない。


もしも嘲笑う人がいるのなら、私は会ってその罵倒を浴びて見たい。
私の心は、もはや、そんな罵倒に壊されはしない。

言いたいやつには言わせておけばいい言う感情でもなく
一から、私の見解を述べられる準備がようやく出来たから。

あなたにとって大切なものは誰にも嘲笑えない
胸を張って、私の最愛の愛娘って私は言い続ける。

それを笑われても、私は笑われていい。
笑われるのを恐れて、嘘をつく事はない。
これが、私の出したショウ亡き後半年の結論。
強固な信念。

私は声を大にして言いたい。
私のショウは、私の希望だった。
私の最愛の愛娘です!!と。

生きていると、ひどい事を言われたり、つらい場面に出くわしたり
いい事は、ほんの僅かに思える。

人は人を傷つける事で、怒りの矛先を変え、自分を救おうとする。
この社会では基本的に弱者へと向けられる。

その瞬間は、弱者を貶める事でいい気分になるのかもしれないが
そこに幸せへと続く道はない

私は、どこにでもいる普通の人間で、何の才能もない。
自分を誇れるなんて、ない気がする。

他人を救える程、大きな力は持っていない。
でも、私は私の知る事は伝える事が出来る。

名も知らない読み主さんに、何かを伝えられたなら
私の命は意味を持つのかもしれない。

そんな為に、ショウ亡きあと、これを続けている。

顔をも知らない人の心を救っても私に富がもたらされる訳ではない。
そんな電卓考えで、人はきっと幸せにはならない。

見送ってきた人にしか分からない感情がある。
ペットロスでここへ来た人に、私は、痛い記憶だけれど
一つ、分け与える事の出来る優しさを得たんだよって言いたい。

それを頭の片隅に、今は泣きたいだけ泣いてほしい。

頑張れ!!!愛深き人よ。
頑張れ!!!弱虫の私!!


2/25 ショウという名の希望

2010年02月25日 21時51分57秒 | ショウという名の宝物

あの日、あの時、あの場所で
出逢わなければ、今のこの悲しみはなかった。

あの時、あんな決断をしなければ、
私の胸は泣かないでいられた・・・

そう、私はいつか考えていた事があった。
だが、これはすべて都合のいい結果論。

あいつのせいで私の運命は変わってしまった・・・
そんな事を考えたりする私が遠い昔いたりもした。

いい事も悪い事も本当にそうなんだろうか・・・とふと
私は考える機会に見舞われた。

人はいい事が起きた時は、その関連性をプラスにしか考えず
悲しい事が起きた時、その関連性を誰かのせいに、
または、自分の取り戻せない過去の出来事にリンクする。

-----そして涙する

-----そして悔やむ

でも、私はこう、現時点で結論した。

人の運命など、他人の介入によって大きく左右されはせず
あらかじめ決められた予定の一つにすぎないのではないか。と。

どんなに頑張っても結果が出ない
どんなに祈っても、研究しても「命」を人が左右する事は出来ない。
若干を左右する事が出来ても停止した心臓は願いで動きだしたりはしない。

冷たくなった体は、どんなにさすっても体温を取り戻したりはしない。

これが、虚しい「生命の死」

なら初めから諦めるの???それは違うと私は思う事をどう結論すべきか・・・

私は、こう結論した。

諦めない事さえ、「予定」という事なんだ。

ショウが初めから猫白血病陽性だった事も
出逢いから二ヶ月後に家に連れ帰った事も
2009年8月13日に二歳の若さで失う事も

すべて予定だった・・・

その「予定」を私は覆すことばかりを当初、考えていた。
その日々は苦しくて辛くて、悲しい時間の繰り返しだった。

どうして・・・ショウじゃなきゃいけなかったんだ・・・
どうして・・・ウイルスはショウを選んだの???

こう嘆き悲しんだ日々もまた「予定」だった。

そこから一転して、予定に逆行しようとする自分をシフトチェンジした。

ショウが今日、生きている事を喜べる私へと変化した。

その時期と、ショウが成猫になる時期とが重なった事もあるのですが

ショウは病気をしなくなった。

ここで、私は思うのが逆行した日々はおそらく予定を早めてしまうのではないか
そんな結果論。

向かい風に立ち向かっても、私の力は大したことはない。
なら、私は向かい風の中、ショウを守る盾となろう
ただ、それだけを願っていればよかったのかもしれない。

出逢った時に、すべては決まっていたんだろう。
だからこそ、すべてをショウに捧げたのだろう。

ショウが死んでしまった事から立ち直ってるか・・・

この問いに私はおそらく正しく回答できないだろう。

ショウの代わりにやってきた優とカツラ。
この二人もまた、8年という過酷な野良生活の末に家猫への「予定」が
組まれていたんだろう。

だからこそなのか、二人ともすぐに順応し、昔から我が家にいるかの様。

ショウが死に、一ヶ月後に見せた夢は「二人を助けて!」という夢
そして、半年後に見た夢は「もう行くね。でも必ずまた会えるから」という夢。

ショウもまた意思を強く持った子だった。

私が強い風に飲み込まれそうな埃みたいな存在になろうとしていた事を
おそらく心配しただろう。

人は皆、風であるはずなのに、迷い、悩み、傷み・・・に左右され
埃の存在になってしまう時がある。

その時、強く吹く風にのまれてしまう。

私がそうであった様に、そんな人がいるだろう。
でも、その時、強固な希望であり、願いであり、信念がある人は埃とはならない。

私が失くしたショウという名の希望は私を埃へと変化させたりもしたが
ショウは私を大きな風にもしたのだ。

実際、ショウという名の希望があった頃、私の歩く道のりは険しくなかった。
だが、現在は違う。

私はショウに再会する。
必ず、私はあなたに逢う。

ショウが私にわざわざ言いに来てくれたのだから私はショウを待つ。
その為に、私は人生を誰かのせいにしてる場合ではない。

私は私の道を目的の為に歩むだけ。

ショウという名の希望に出逢える日まで私は負けない。


2/14 ショウの夢

2010年02月14日 09時29分26秒 | ショウという名の宝物

久しぶりにショウに夢で会えた。
沢山ご飯もたべ、ミルクを飲んだショウ。

これ以上ない程抱きしめた。

ショウ「もう行かないといけない」
私「どこに?」

ショウ「・・・」
私「送って行くよ」

ショウ「大丈夫。一緒には行かれないから・・・」

私「・・・また、会える?」

ショウ「もちろん。また必ず会えるよ。でも、ママ、この姿では会えないからね」
私「うん。わかってる」

ショウ「ほら、この姿、もうないんだよ。だから・・・ね」

私「ショウちゃん、ママは・・・・・」
ショウ「分かってるよ。ママに会いたいのは一緒だから」

こんな夢をみた。
飛び起きて、ふと見ると、最近は優のケージで寝ることが多いコウが私の横に
ぴったりくっついて寝ていた。

優は、最近は私の布団で寝ていたが今日は二人でケージの中で寝てた。
コウだけは傍にいた。

夢で会えたショウは痩せていて、機能しない体だった。
もう、この姿はないんだよってまた言われたみたい。

夢でも会えた。
それだけでいい。