ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

8/19 2007年5月 ショウ誕生~10月

2009年08月19日 02時54分22秒 | ショウの生きた証

2007年5月
ショウは横浜元町で誕生した。
一番左がショウ。
一番右がショウの母。

まだ名前はなく、時に水をかけられ
犬に追われ、車に怯えながら 有名パン屋さんの横の
家具屋さんの駐車場を拠点として母と仲間と暮らしていました。

ただ嫌われ猫だったわけではありませんでした。
近所の飲食店のお姉さんHさん。
餌を配って回る近所のおじさん。
私の職場の上に住むマンションの住人。
そして、私。
そして職場の隣のビルに住む恋人たち。
沢山の人に愛されてのも事実でした。
そんな人たちに食事をもらう為

ショウはこうして日に数回、誰かがやってくるのを
雨の日も、真夏の暑い日も ただ 待っていたのです。
その姿を愛らしいと思ったのは私だけではありませんでした。

2007年7月
ショウに出会い、ショウを探すのが日々の日課となった私。
Hさんと話す様になりました。
ショウはHさんにとてもなついてました。
確かチビちゃんって呼ばれてたっけ。

2007年8月
私が「ショウちゃーーん」と呼ぶと
にゃーーーんと塀を乗り越え、この場所に走ってきた。

私の顔も声も もう覚えてくれた。
とにかく可愛い子でした。
頭のいい あどけない子猫でした。
台風が何度もやってきた。
ショウはご飯を食べただろうか・・・
雨は冷たくはないだろうか・・・

私の心配はピークに達していた。
横浜の雨はとにかく強く、ひどいものです。
東京が多少の雨の時、横浜は大雨で風がものすごい。

2007年9月
ショウが心配で仕方なくなった私は
すでに4匹いる多頭飼育状態で、ショウを入れられるのか・・・
ボランティアさんに電話をした。
反対された。
でも、私はショウを保護することを決意する。

誰かが、なんとかしてくれるんじゃないか。
そう思ってきた出会いから二か月半。
ショウはまだ外にいた。
2007年9月25日
保護した時、ショウは本当に大人しく、
車に乗せても鳴きもしない。
生きてる???と何度もリアシートに乗る母に聞いた。
動物病院で捕獲器からケージに移される際
物凄い鳴き声で威嚇していた。

そして、避妊手術をしてもらい
私は天国から地獄へと突き落とされる。
「猫白血病ウイルス陽性」
当時の体重は2.8Kg

みんなに反対された。
多頭飼育での白血病キャリア猫の同居はリスクが大きすぎる。
そう言われた。
貰い手を探したりもした。
でも、ショウを手放したくなかったのは自分だった。
白血病のワクチンのリスクに泣いて施し
ショウは晴れて我が家の一員となった。

可愛い可愛いショウ。
保護からたったの一週間でまるではじめから家猫かの様な顔でしぐさだった。
ただ白血病陰転ばかりにとらわれていた私。

ショウが短命の宿命であることに毎日涙していた頃。
ショウは涙を不思議そうに見ていた。
男の子みたいな名前を変えようかとも思ったのですが
慣れ親しんだ名前のまま「ショウ」と正式に命名。

おかげで、よくショウ君と呼ばれてしまう事になる。

外を大騒ぎで眺めるショウ。
ショウは闘病中、この窓でよく眠っていました。
カーテンもベッドも爪痕だらけとなりましたが、今ではそれさえ
ショウが生きた証と愛おしく思う。
2007年10月18日

ショウは私のベッドにいることが多くなった。
こうして私が触ってもうれしそうにするようになりました。
ちなみに、こういう感じでショウは最期を迎えました。
私に頭を預け亡くなりました。

ワクチンの有効性が確認できる頃
10月末には家族と対面できる様になる。
コウはとにかくやきもちを焼いて怒っていました。
一か月もの間、自分のベッドを取られていたのですから無理はありません。

ショウをケージに入れて、夜はコウを部屋に入れてあげる様にになったのもこの頃。

コウがショウのケージの傍を通るとコウにちょっかいをかけるショウ。
まだまだコウはショウを嫌い「シャーシャー」と言っていました。

これがショウ誕生から家猫になった一か月の物語。
多頭飼育で白血病を引き入れる事を悩んでいる人や
保護した子が白血病だったという人
出入り自由にしていた為に白血病に感染してしまったという猫のお母さんや
なぜか、白血病だった・・・という飼い主さん。

誰かの役にたつといい。
白血病だからという理由であきらめてほしくなない。

ショウは長生きはしませんでした。

だけど2年3か月の間
愛されて愛されて
沢山の人の心を惹きつけて
とにかく急ぎ足でしたが幸せに駆け抜けたのは間違いありません。

ショウに言葉があったなら、私は楽しかったと
言ってくれると私はそう思うのです