ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

8/18 あまたの愛をありがとう。

2009年08月18日 01時37分30秒 | ショウという名の宝物


四歳の姪ハコ
二人ともドキドキで写真を撮りました。
本当にショウはいい子で、子供たちの人気者にあっと言う間になっていきました。

7歳の姪コモモ。
この子は特にショウと仲良しになれました。
ねずみで遊んだり。コモモは葬儀にも来てくれました。

「ショウちゃんに会いたい」
「ショウちゃんと遊びたい」
そう二人によくせがまれたものでした。

もちろん、猫たちにも好かれていました。
蘭との2ショット。
蘭は群れを好まず気ままな性格でした。
ショウに上からちょっかいかけられたりしてむっとする事もありました。
でも、蘭は誰かを苛めたりはしません。
ショウは時々蘭に「遊ぼう。遊ぼう」とやっていました。

あまり一緒にいる事はありませんでしたが、長男コナンとの2ショット
コナンは人がいいので、食べ物以外ならみんなに譲ってくれます。
そんなコナンもショウちゃんの食べ物だけは狙いませんでした。

最初はコナンの大きさにか、ショウはコナンが近づくと猫パンチを繰り広げていました。
でも、コナンはいいやつなので、、逃げかえってきました。

相変わらず今もびびり屋びわちゃんと2ショット。
びわが先にいたのですが、ショウはお構いなしにタワーに駆け上がる。
びわも怒りませんでした。
私にも怒らないでもらいたいものですが、今でもシャーと言っています。

7/24 闘病生活へ突入
熱を出し、病院へ向かったショウ。
車の中で順番待ちをしている間や道中は、母の横でいい子にしていました。
そんなショウを母もまた、可愛く思っていました。
残念ながら私は運転があるのであんまり見られないのです。


7/26 すでに闘病生活へと突入したショウですが、
熱があっても、こんなところまで、タタっと登っていました。
これはセーラ。
他の子が来ると、大騒ぎで怒ってしまうのですが、ショウには威嚇などは
絶対しませんでした。
私には今も威嚇してます・・・

7/27 調子の悪いショウは、それでもコウの傍へと行きました。
コウもまた、ショウを毛づくろいしていました。(本当はだめなんですけど)
一番の仲良しのコウの隣は落ち着く場所だったのでしょう。

7/28 風の通り道を好んで、ただぐったりしていたけれど
外で蝉の声、存在を察知し、急いで窓に行きました。
同い年の真央とショウ。
ショウの場所を取ったりせず、真央もまたショウに譲ってくれました。

沢山の人に、沢山のネコに愛されて、ショウは幸せだったと
私は、そう思っています。
ブログの更新もしていなかったのに、こんなに見てくれてる人がいたのだと
正直、驚きました。

メールやコメントでショウへのお悔やみの言葉をもらって
私はショウがどれだけ思ってもらえたのかを知りました。
まだまだ一つ一つにお答えできておらず、申し訳ありません。


ショウは胃腸障害がありましたが、かと言っておいしいものを全く
食べていなかったわけではありません。
時々、おなかの調子をみて煮干しやら鰹節やらお刺身、お魚も
食べていました。

ショウは面白いのですが、パンとラーメンが好きでした。
私がパンを食べてる時、寄ってきたので、食べる?
と冗談まじりに臭いをかがせたら、ぱくっと食べてしまいました。
ラーメンもそうでした。
もちろん、他の子たちは食べないです。

小さなころ食べ慣れたものを好むと言いますが、さすが
有名パン屋本社ビル横の駐車場にいたショウ。
パンは大好物でした。
もらっていたのでしょうね。

なので、棺にはパンを入れてあげました。
おやつもご飯もたくさんもって、姪たちがくれたおもちゃも持って。
野良時代にお世話になったHさんが撮ってくれたショウのお母さんと
ショウの写真も、ショウは持っていきました。

野良時代を支えてくれた人がいたからこそ、ショウは2009年8月13日までを生きた。

ケンタローパパさんが、「最期の景色の一部になりたい」
そう言ってましたねとコメントをくれました。
私は、もうそんな言葉すら念頭になく悲しみだけが襲っていました。

本当に、ショウは最期に私を目に焼き付けて旅立ちました。
私に頭を預けるように置いて、私を可愛い丸い目に焼き付けて
私は最期の景色の一部となった。

私の胸が引き裂かれない様に静かに、静かに苦しまず息を引き取りました。
親孝行な子でした。

伝染性の脅威のウイルスを持ったショウ
トイレを他でしたり、人のご飯を取ったりしないで、自分の部屋の前で
トイレに行きたい時は「パム~」と鳴いて教えてくれました。

部屋を開けてやると「ありがとう」と言っているかのように
また「パム」と一鳴きしました。

ショウはおしゃべりさんでした。
うるさいおしゃべりではなく、人の言葉に反応するおしゃべりでした。

可愛いショウを語れば涙は付き物で
今は涙を封じる手立てがない。
想い廻れば後ろ向きになる。

私は今日、ショウのケージを掃除した。
トイレを片づけた。
涙を飲んで、片づけていた。
その時、後ろから視線を感じて振り返る。誰もいない。
頭によぎった言葉に私は決心する。
「次の体は白血病じゃないから、それはいらないよ」と。

私は、妙に納得し、潔く片づけた。
今後、ショウが帰ってくるまではコウに使わせてあげようと
洗濯、除菌、掃除をした。


二人ならんだ私のベッド。
とにかく二人は私が大好きで、私もまた二人が大好き。
コウはショウがいなくなってから、とてもおしゃべりになりました。
それは母も感じていた事で、我儘コウ。意地悪コウでしたが
ショウ亡き後、ショウの様になってしまいました。

ショウはたくさん愛されました。

幸せだったとショウは言ってくれると信じています。