幼い頃から、いつも草花(雑草含む)を身近に感じていた。園庭や校庭、通勤や通学の道端、遊びに行った野山でも、その時に見た草花は記憶に残っているのは、植物が好きだったからなのかもしれない。
春は特に植物の葉にやられてしまうのだが、秋になると今度は木の実にやられてしまう私。この実を何とか役立てられないものか、と思ってしまう。
もちろん花も好きでキレイに越したことはないけれど…やっぱり何かに使えたりしたらもっと好きかも…。
綺麗な花が好きかというと必ずしもそうでは無く、意外と葉や茎の感じでも好みがあった。青々として透明感のあるやわらかそうな葉を見ると雑草でも思わず「美味しそう」だと思ってしまう…。
だから、実際食べられる植物と知ったら絶対に記憶に残っている。今の自宅近くの線路際の道には毎年土筆が生える。それを見つけると嬉しくなる。さほど美味しくないことは知っているけど、形が何か可愛らしいし、春の風物詩だからなのかも。
他にも、触らずに葉と根元を見ただけでそれとわかる「野蒜」(ノビル)も好きだ。群生してるのを見ると、抜きたくなるし、食べてもなかなか美味しい。
余り好きではないけど、蓬生(ヨモギ)も若芽がキレイで美味しそう。
大沢川沿いのタンポポはワサワサとした葉が大きくて、何かに使わないともったいないのではないか、といつも思ってしまう。
美味しそうだからと言って食べたいって訳でも無い。ただ、その様子を見ると豊かなこの自然を何らかの形で享受したいと思ってしまう。
春は特に植物の葉にやられてしまうのだが、秋になると今度は木の実にやられてしまう私。この実を何とか役立てられないものか、と思ってしまう。
こんな気持ちを抑えられず、野山に出掛けていくのかもしれない。
もちろん花も好きでキレイに越したことはないけれど…やっぱり何かに使えたりしたらもっと好きかも…。