夕方近く独りで、急ぎの買物に静鉄で出かけた。目当ての物を買おうと松坂屋の同じ階で、「旧カトリック清水教会解体資材展」を目にして寄ってみた。
以前に「牛道」から家康の「清水御殿」があった場所に、この教会があったことに興味を持ったのだが、つい最近取り壊されたことを知った。惜しむ人たちの手によってクラウドファンディングなど移築保存に向けて進められているらしい。
私の記憶にある教会が、まさか昭和10年に建てられた木造建築だったとは驚くばかり😲
戦時中には清水も空襲にあって、母が家族と桜橋の下に逃げ込んだ話は何度も聞いた。その中で教会は焼けずに残ったのは、やはり空から十字架のある象徴的な形のこの建物には爆弾を投下しなかったのだろうと。
帰り道に陽の傾く空を見ながら、この清水にもそんな時代があったと思うと胸が詰まるようだった。
以前に「牛道」から家康の「清水御殿」があった場所に、この教会があったことに興味を持ったのだが、つい最近取り壊されたことを知った。惜しむ人たちの手によってクラウドファンディングなど移築保存に向けて進められているらしい。
私の記憶にある教会が、まさか昭和10年に建てられた木造建築だったとは驚くばかり😲
戦時中には清水も空襲にあって、母が家族と桜橋の下に逃げ込んだ話は何度も聞いた。その中で教会は焼けずに残ったのは、やはり空から十字架のある象徴的な形のこの建物には爆弾を投下しなかったのだろうと。
それほど素晴らしい建築物なのだが、残念なことに実際に建築に携わったのがどんな大工(!)だったのか不明なのだそうだ。
置かれていた冊子に移築までのストーリーが詳細に書かれていて実に興味深かった。
それにしても、まだキリスト教が白眼視されていたような時代に、地方の小さな町に布教し、このような立派な教会を設計して、建てたドラエ神父という方には頭が下がる思いだ…。
それにしても、まだキリスト教が白眼視されていたような時代に、地方の小さな町に布教し、このような立派な教会を設計して、建てたドラエ神父という方には頭が下がる思いだ…。
戦時下には救護所になったり、近くに住む人々の生活の支えにもなっていた場所だった。
帰り道に陽の傾く空を見ながら、この清水にもそんな時代があったと思うと胸が詰まるようだった。